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第66話 ラブ波動


 アルバートは馬の手入れをしていると、馬小屋の主が入ってきた。


「いいよぉ、いいよぉ。ここはわしがやっとくからさぁ、外で遊んできんさいねぇ」


 ニコニコで笑いジワのの男は、見た目は随分年老いて見えるが体だけはムキムキで、大量の藁を抱えて入ってきた。

「いえ、手伝わせてください」

「いい子だねぇ。あんたぐらいの年だと遊んでばかりだったのにねぇ。いいよぉ、いいよぉ。お客様に働かせたらうちの王様に怒られちゃうよぉ」

 そう言われて無理やり外に出されてしまう。


 ここはビカ国、山奥にある小さな国だ。

 ここの人たちは親切で勤勉で、御者の半人前でしかないアルバートに対しても子供だと馬鹿にせず丁寧に扱ってくれる素敵な場所だ。

 なのだが・・・


「アルバート! お仕事終わった?」

「は、はい、セェラ様」

 中庭で年の近い女の子たちと話していたお姫様が近づいてきた。

 彼女は嬉しそうにアルバートの手を取ると引っ張った。


「今日は妖精がいっぱい集まってるところがあるの! 一緒に見に行こう!」

「あ、あの、まだ体を水拭きしていないので、臭いと思いますけど」

「大丈夫よ! 

 そう言って草原へと入っていく。


 社交界で二輪の薔薇のうちの一人、白薔薇のセェラ。

 アルバートより5つ以上年上になるはずなのだが、まるで年下のようにどこか素朴で、純粋な女性だ。

 このビカ国の王女さまなのだが、町に入れば誰もが彼女のことが大好きで、国民の娘としてとても愛されている。


 そんな人が、野花の坂道で足を投げ出して笑っている。

 フェアリーが持ってきた花束を結び、輪っかにしてアルバートの頭の上に乗せた。

「今日からあなたは王様よ!」

 そう言うとセェラは子供をあやす様にほっぺにキスをする。

 まだ女性との経験がないアルバートは真っ赤になってしまう。


「今日もユリナ様の話を聞かせて」

 セェラは花の中で横たわると、好奇心たっぷりの目線を向けてきた。

 妖精たちも彼女の真似をして腕や足の上で横たわってこちらを見上げていた。

「あまり面白い話なんてないよ」

「そう? アルバートの話はいつも面白いわ」


 セェラはアルバートを連れ出して、いつも仕事の話を聞いてくれた。

 最初は口下手な自分に合わせてくれているのだと思ったが、そうでもないらしい。

「ツカサ様とユリナ様の話は聞いていてとても楽しいわ。とても幸せそうですもの。幸せなお話は聞いていてとても楽しいの」

 彼女は甘えるように服の裾を引っ張った。


 疎いアルバートにだって、彼女の好意は分かった。

 しかし、アルバートは御者見習いのようなもので、彼女は一国のお姫様。

 手を握るだけでも首を切り落とされてしまうかもしれない。


「アルバートはさ、キスしたことある?」

 背がぶるりと震えた。



~~



 ゼイダ王は落ち着きのない気持ちになっていたことが分かった。


 彼らが“聖女”と呼んでいる“癒し手”を受け入れて欲しいという提案を喜んで受けた。

 彼は少し不安に思っていた。

 勇者ツカサと知り合いになってから、色々な問題が解決していく。

 大国と大国に挟まれた小国のジレンマ、リングという秘密の重さ、怪しげな教団に目を作られたことも、今となっては喜ばしいとすら思っている。


 だが、すべてがうまくいったわけではない。

 田舎暮らしにうんざりしていた妻はユリナの誘いに乗り、帝国へ帰ってしまったのだ。


 もともとマリグ帝国の貴族の娘で、帝国よりであることを示すための政略結婚だった。

 ゼイダは全身全霊で妻を愛したつもりだが、彼女は心を開いてくれたとは言えなかった。

 そんな中で社交界の上流階級で人気のあるユリナの、その都会的な魅力に心酔してしまったのだ。

 彼女に誘われるがまま、ウリュサの町に屋敷を建て暮らし始めてしまったのだ。


 まだ男子が生まれていないので困るのだが、どうせもう肌を重ねることもないと彼女は行ってしまった。


 そんなあまりに変わってしまった日々に戸惑い、落ち着かないわけじゃない。


 彼女と会えるからだ。


 扉がノックされ、ゼイダは背筋を伸ばす。

「やぁ! アンナさん! ようこそ!」

 美しい修道女は小さく頭を下げた。


 彼女は聖女クリスティーナの付き人で、今は館で暮らす彼女たちのサポートをしている。

 そのため、色々と報告を受けるために城に来てもらうのだ。


 彼女たちの体調管理、館の維持費、働きに出ている家族の状況。それに気づかれた商人に対しての口止めや、彼女たちの恋愛模様まで逐次聞く必要があった。


 彼女たちは戦争のタネだ。

 一人連れ帰るだけで、何千人、何万人もの人を救える。

 そんな人材を20人も確保しているのだ、こればかりはちゃんとしていないと。


「いやぁ、今日も何もなし! いや、ははは! 素晴らしいではありませんか!」

「ええ、本当に」


 儚げに微笑む彼女に、ゼイダはドギマギする。

 男やもめが長かったせいか、こんなに若い娘を前に意識にはいられなかった。

 この国では珍しく日に焼けていない白い肌、物静かで慎ましやかなその姿はゼイダが知る女生とすべてが違って見えた。


「どうです、アンナさん。今日こそは一緒に食事でも?」

「ありがとうございます。ですが、帰って仕事がありますので」


 彼女は申し訳なさそうに断った。

 立ち上がり部屋を出て行こうとするアンナの手を、ゼイダは無意識のうちに掴んでいた。


「お、おっと! すいません! 私としたことが!」

 ゼイダは慌てて手を離した。

 彼女は驚いて、目を丸くしていた。


「だが思うのです。あなたはもっと笑ってもよいと」

 この国の人間はよく笑う。

 よく歌って、踊って、子供のようにはしゃぐのだ。

 だからこそわかる、彼女はよく笑う人だと。

「何か悲しい出来事があったのでしょう。聖女クリスティーナがこの国に連れてきたのは、きっとあなたの笑顔を取り戻すためだ」


 改めてゼイダはアンナの手を取った。


「わたくしめにそのお手伝いをさせてはもらえませんか?」



 ~~


 ユリナは本を閉じ、白湯で唇を潤した。

 お腹をさすりながら立ち上がると、外の空気を吸う。


「ラブの波動がこの国を覆っているわ」


 後ろから夫が顔を見せる。


「あの、ユリナさん? 妊娠中なので、できればお城で安静にしていて欲しいのですが」

「女が最も健康でいられるのは、ラブ波動の間近にいる事なの」

「・・・お願いだから、あまり周りに迷惑かけないでね?」


 ユリナは夫の頬にキスをして部屋へに戻っていった。



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