第60話 こちらも平常運転
ユリナは並べられる料理を前に、思わず鼻歌が出てしまう。
海鳥の香草焼き。海を泳ぐ大きな鳥の中に野菜を入れてハーブで焼いた料理だ。
魚介スープ。海で取れる魚や貝などのエキスがたっぷり入ったスープ。
作りたてのぺちゃんこのパン。トカゲ肉のパイ、新鮮な野菜と食べられる花のサラダに、フェアリーの蜜で作られたお酒。
どれもこれも絶品だ。
少し前まで、拷問のような料理を喉に通していた日々とはまるで違う。
たっぷり働いて、美味しいものをお腹いっぱい食べる。
これほどの幸福がこの世界にあるだろうか!
お腹をさすり、この子のためにもたっぷり英気を養わなければ。
ツカサが提案した形のナイフとフォークを使い、鶏肉を切り分ける。
火であぶられたパリパリの鶏肉を、ぱくりと口に入れる。
香りが鼻から抜け、口いっぱいの油がとろけだす!
「お味はどうでしょうか?」
「ええ、美味しい」
料理長をしているサフィアに素直な感想を口にした。
いつもなら彼女は花が咲いたように微笑むのだが、今日ばかりは表情が硬いままだ。
今日はアルノ、サフィア、ステラーナ、ここでの暮らしを劇的に変えてくれた三人のメイドが食卓に集まっていた。
「お食事中、失礼します」
家事全般をそつなくこなし、武術の心得のあるステラーナが話しかけてきた。
「今日は三人集まっているのね。何かあるのかしら?」
「・・・バリー様からの伝言です。ジーク様の件、どうするのかを聞いています」
バリーはユリナの父親だ。
ユリオス派、アリア派とも違う、小さな派閥に属している。
先々代王の血を引く(かもしれない)ジークを担ぎ上げクーデターを起こそうとしている話だろう。
父であるバリーがというより、ペガサス騎士団の総意と言ったところ。
魔族との戦いでもっぱら戦っていたドラゴン騎士団は戦果を挙げ、多くの報酬を得ている。それに比べ防衛主体のペガサス騎士団は目立った戦果は得られなかった。
5男、6男が多いとはいえ貴族ばかりの騎士団が、ならず者ばかりのドラゴン騎士団より軽んじられることが許せなかったのだ。
「どうと言われても、ジークは行ってしまったわ。どうしろと?」
「バリー様は、ユリナ様が協力するつもりがあるのか、それを聞いているのです」
ユリナは熱々のパイを切り分けながら、興味がないというように無視をする。
「もう、時間がないのです」
「時間はあるわ。ユリオス皇帝とツカサは友人なのよ? ホットシータウンは結果を出しているし、地盤を固めるだけで十分じゃない」
「それが、あなたの本心なのですね」
ステラーナは小さく呟いた。
ステラーナはアルノ、サフィアの顔を見た。
そっとナイフを抜く。
のんきに食事を楽しむユリナの首裏に、
ナイフを振り下ろした。
「っ!!」
ステラーナの手に激痛が走り、思わず後ろに下がる。
すると足が動かなくなった。
手と足が、石に変わっていた。
「ステラーナ、あなたねぇ、石化の対処もしていなかったわけ?」
ユリナは呆れながら食事を続ける。
「何度か侵入者が石に変わっていたでしょ? わたくしを殺そうとするなら、そのぐらいの対処はしておいてくださらないと」
石になった手に納まっていたナイフが、燃やした紙のようにボロボロと落ち始める。
「あら、それは知らなかったわ。彼ったらいくつわたくしの守りをつけているのかしら?」
ステラーナは焦りながら声を上げる。
「無駄よ! わたしを殺したところで、この城には何十人もの刺客が入り込んでいるわ!」
ユリナはアルコールで喉を潤しながら、入ってらっしゃいと声を上げた。
すると、扉が開き白いマントを付けた8歳ぐらいの女の子が出てきた。
「あら、ドライ。あなただったの?」
ドライと呼ばれた女の子は可愛らしく近づいてくると、ユリナの膝に顔を乗っけてきた。
「こんな小さな子を、許せないわね。ツカサを叱っておかないと」
「いいの、お母さん! あたし兄弟たちみたいに上手にできないから! こういう仕事ができてあたし嬉しいの!」
仔猫のようにじゃれてくる。
「何人ぐらいいた?」
「30人! ちゃんとみんな殺したよ!」
えらいえらいと彼女の頭を撫でた。
白いマント、孤児たちに配られた衣類だ。
この城には社会勉強として使用人の手伝いをしている孤児たちが十人程暮らしているのだが、ドライはその一人だ。
茶色い髪を二本の三つ編みにした、明るく笑う普通の女の子だ。
「お母さん、この人も殺すの?」
無邪気な質問に、ユリナは顔色も変えず少し「待って」と答えた。
普通ならふざけ合っているような景色。だが、英雄ツカサの尋常じゃない力や、魔法学園での力の入れ方を見ていると、とても嘘とは思えなかった。
「あなたはもうおしまいよ。バリー様に逆らって、タダで済むと思っているの?」
体がゆっくり石化していく恐怖に押しつぶされそうになりながらステラーナは強がった。
確かにこの呪いを知っている。
ゆっくりと石化していくために、全身石化する前に苦しみもがきながら死ぬのだ。
「なにを言っているの、あなたこそタダで済むと思っているの?」
ユリナは食事を再開しながら答えた。
「わかっているの? あなたはわたくしを殺そうとしたのよ?」
サラダの花をドライの頭に乗っけながら二人は本当の親子のように笑いあう。
「考えてみて? ツカサが激高するとしたら、どんなシチュエーションかしら? ユリオスが侮辱された時? 市民が虐殺された時かしら? それとも・・・わたくしになにかあった時とか?」
幼く見え、どこか頼りなく感じる伯爵。
しかし、時に非情な行動を、さも当然のように行うことを知っていた。
そして、英雄のたしなみとして何度も浮気させようと尽力させていたユリナだが、全く興味を示さず妻一筋であることをステラーナは知っている。
「もしわたくし、ユリナを殺せなど言われたら、どうかユリオス皇帝を殺すので勘弁してくださいって答えるわね。その方がよっぽどハッピーだわ」
ユリナはアルノに目を向ける。
「ねぇ、皇帝暗殺を謀った場合。どうなる?」
「暗殺者はもちろん、その血縁者はすべて処刑です」
ステラーナの表情が一気に変わった。
「家族は関係ないわ!」
「あるに決まっているでしょ」
やれやれとユリナは首を振る。
「そう言えば、年の離れた妹がもうすぐ結婚するんでしたわね」
ドライにパイを持っていくと、パクっと食べてむちゃむちゃと口を動かしている。
「可愛そうにね」
石化した腕や足が激しく痛み始めた中、叫んだ。
「殺そうとしたのはわたしの意志! 妹は、オリーブは関係ないわ!」
「あのね、15歳過ぎたら自己責任よ。一大決心だったでしょうね、皇帝を殺すよりもヤバいことしようとしたんだら。失敗した以上、それにふさわしい罰を受けてもらうしかない。そうでしょ?」
「お、脅されていた・・・あっ、あなたになにがわかるというの!」
震える声で訴えてきた。
「わかるわよ。借金のカタのように、あなたは若くして騎士団の従者になった。そして、長くひどい目にあい続け、子供も産めない体になったのよね」
ステラーナは下唇を噛み、悔しさに震える。
「せめて妹は幸せになってほしかったのでしょ? さっきも言ったけど、15歳過ぎたら自己責任よ。親が、世間が、時代がなんて通用しないわ。あなたは選べたのよ」
ねぇ、アルノ。
サフィア。
アルノは俯き、
サフィアは震えながら泣き始めた。
「あなたち、裏切って、いたの?」
ステラーナは震えながら、たずねた。
「命令された? 脅された? だからなに? そこの二人があなたよりめんどくさいことになってたことぐらい知っているわよね?」
身近に置くのだから当然、身辺調査はするに決まっている。
アルノもサフィアも優秀じゃなければいけなかった。
「アルノは一ヵ月、サフィアなんて一週間で接触してきたわよ」
アルノとサフィアは驚きながら顔を見合わせた。
今日初めて、彼女たちが裏切っていることを知ったからだ当然だろう。
「あなたは命令されたから従った。彼女たちは守るものがあり、どうやったら守れるかを考えた。わたくしから言わせれば、あなたは自分を哀れんでいて、オリーブを愛していなかったとしか思えないわね」
ユリナはサフィアに目を向ける。
彼女は震えながら泣いているが、こう見えて腹黒い女なのだ。
「ど、どうか、お願いします。妹は、オリーブだけは、ゆるして、ください」
ステラーナは、涙を流しながら懇願した。
ユリナは首を振る。
「お願いします。お願いします」
膝まで石化しているので膝をつくことはできなかったが、頭をできるだけ下げながら懇願するステラーナ。
「ダメなのよ、ステラーナ。呪いなの」
ユリナは彼女の方を見ることもなく、声を弾ませながら鳥のダシがたっぷりと染み込んだ野菜を口に入れていく。
「呪いが発動すると、ツカサに知らせが行くの。そう、彼はもう知っているの、あなたが裏切ったことをね。怒った彼が何をするか、わたくしにはわからないわ」
わたくしがどうこできる問題じゃないの。
もしここにツカサがいたなら許してあげてとお願いすることもできたわ。
だけどツカサがいないタイミングを選んだのはあなたでしょ?
あなたがどんなにお願いしても、わたくしにはどうしようもないの。
ステラーナは石になった自分の手を見て、泣き始める。
ユリナは打ちひしがれる彼女の様子を見た。
「ドライ。あの人の石になっている箇所を切り捨ててあげなさい」
「殺すの?」
「生かしておくためよ」
ドライはスカートのひだの中に隠していた剣を引き抜くと、一刀のもと太もも、肘を切り捨てた。
そして宙に舞った花を最後にパクっと食べた。
ステラーナは尻もちをしながら、その美しい切れ味に、招き入れた者たちが本当に殺されていることが確信できた。
そして、声にならない悲鳴を上げる。
「で? どうする?」
痛みで震えるステラーナは顔を上げた。
「半年間よく働いてくれたもの、感謝の気持ちよ」
「・・・選択の余地は、あるでしょうか?」
「当然でしょ? 実際にあなたは有りえない選択肢を選んだじゃない」
目の前で大量の流血する者を前に食事を続ける。
熱々がおいしいのだ、当然だというように。
「経験上、7割ね。7割は身の破滅を選ぶわ」
ユリナはフォークを回し、彼方を見つめる。
「わっかんないのよねぇ、そんなことすれば後々後悔することになるってわかってるのに、何を考えてるのか、変な選択肢を選ぶの。サフィア、食事に一度でも毒を入れたことある?」
「いっ、いえっ!」
泣きながら首を振る。
「アルノ、わたくしを殺せるタイミングなんて何度もあったわよね?」
「隙だらけ、すぎです。だからこそ、恐ろしかったのです」
平常を装っているが、恐怖で声が引きつっていた。
「さて、一度は7割を選んだステラーナ。どちらを選ぶ? アルノ達のように3割? それとも、やっぱり7割?」




