第37話 おぼろげな敵
聖なる導き手教会。
灰色の石を積み上げて作られた教会には重苦しくも神聖な空気に満ちていた。
奥に作られた手を広げた男とも女ともとれる美しい像が人々を祈る人々を見下ろす様に作られている。
まだ世界が、混沌が支配する時代。
一人の導き手が現れた。
導き手は人々に愛を教え、正義に目覚めた人々は偉大なる国家を作り出した。
人々は導き手により幸福な日々を送っていた。
しかし人々は幸福の中で、ゆっくりと堕落していった。
導き手には知られぬよう、ゆっくりと、深く広く堕落していった。
導き手がそれを見つけた時、もはや幸福な国は堕落しきっていた。
導き手は深く失望し、絶望し、何も言わず人々の前から去っていった。
導き手なき国は、わずかな時で滅びてしまった。
我々は二度と、導き手を失望させてはならない。
我々は二度と、導き手を絶望させてはならない。
再び人々の前に現れた時に、感謝を伝えるために。
現れずとも導き手が正しかったことを証明するために。
これが、聖なる導き手教会の、大雑把な教えだ。
もちろん物語形式で愛とは何か、正義とは何かを多くの物語で教えてくれている。聖書やお経、コーランのようなものだ。
さすがは広く伝わっている聖典、その本を読んでいると引き込まれる力がある。
司は像の前で跪き、手を合わせて祈りを捧げる。
そこに、一人の女性が近づいてきた。
「八百万の神々がいるんだ、きっと導き手様もいらっしゃるだろう。だからとりあえず祈っておこうってことかい」
「・・・さすが聖女様。心が読めるとは思いませんでした」
聖女クリスティーナは活発に笑った。
「八百万の神々って考えは、あんたらだけの特権じゃないんだよ。あたしらの世界でも、沢山の神様ってのはいらっしゃる。ただ、現代的な思考をするためには乱交やら生贄やら近親相姦やらを止めたいのさ。危険性は、あんたらでも知ってんでしょ」
「そういう側面があるんだ」
司は立ち上がり、クリスティーナに一礼した。
もちろん込み入った話がしたいがために教会に来たのだが、彼女は別に奥の部屋を使うわけでもなく、信徒が座る長椅子の端に座った。司もそれにならい、隣に座る。
「最近は随分ホットシータウンの教会によく顔を見せているみたいですけど、ウリュサの教会はいいんですか?」
「ウリュサにはお風呂がないからねぇ。湯につかるってのは慣れてしまうと病みつきさ」
それは良かったと司は裏表なく思った。
少し前まで心配になるほどに肌が白く、まるで明日にでも死んでしまうかのような不安があったのだが、今は肌も赤く色つやよく、声もよく通っている。
「さて、せっかく来たんだ。面白い話を少ししようじゃないか」
そう言いながら、クリスティーナと他愛もない会話少し楽しむ。
彼女の説教は、何となく面白い。
聖典にはこう書かれている、導き手は仰られました、そういうたぐいの説教じゃない。長い人生経験の中で、今必要としている言葉を投げかけてくれる。
「ほんの一滴さ。ほんの一滴、それで薬は毒になる」
クリスティーナは楽しそうに話し始めた。
「新しくできた突飛な教義、なんてものは一般人には広まらんさ。広めたいんならねぇ、親しみやすい、今ある教義に、ほんの一滴、偽りを混ぜるのさ。それだけで新しい宗教の誕生ってわけさね」
人差し指と親指を擦り合わせ、何かを入れるようなジェスチャーをする。
そして、クリスティーナは面白そうに笑った。
「真なる導き手教、ねぇ」
アリア派の領地に広がっている、新興宗教だ。
教義はほぼほぼ聖なる導き手教と同じ。
私こそ、帰ってきた導き手である。
腐敗した聖なる導き手教会はそれを認めることができない。
苦しい生活、抑圧された日々、それはすべて腐敗した聖なる導き手教会の責任である。
立ち上がるのだ、真なる人々よ。愛のため、正義のため、家族のため、愛する人のため、子のため、自由のために!
「あいつらと、あたしら、なにが違うかわかるかい?」
「いえ」
「あたしらはね、誰でもない、自分が悪いんだよ。苦しい生活は自分が努力していないから。愛されないのは愛される努力をしていないから。頑張れ、反省しろ、努力しろ、それがあたしらさ」
司は思わず顔をしかめてしまう。
なんて、なんてめんどくさいんだ。
「あいつらはねぇ、自分は悪くないんだ。あいつが悪い、時代が悪い、社会が悪い、運が悪い、とにかく何かが悪い。お前さんは何も間違ってない」
おお、なんとも心にすっと入り込む。
クリスティーナは、人差し指と親指を擦り合わせ、何かを入れるようなジェスチャーをした。
「だから、それを壊せ」
司の背中に、冷たいものが走った。
「神はお許しになるだろう。だから殺せ、犯せ、略奪しろ、お前は正しい、神は許される、お前を抑圧する者は悪なのだから、ありとあらゆる行為が許される。殺せ、犯せ、奪え、神の命令だ」
司は、小さく唸っていた。
「どうだい、少しは勉強になったかい」
「ええ」
森往司が悪い。
こんなに貧乏なのも、飢饉なのも、何もかもあいつが悪いんだ。
だから殺せ、犯せ、略奪しろ、ありとあらゆる行為が許される。神がお許しになる、神の命令だ。
明確に、敵の姿を形づけることができた。
「それとねぇ、これはあたしからの忠告だよ」
「なんですか?」
司はすぐに頭を切り替えた。
問われれば答える方だが、自分から意志を伝えることは珍しい。珍しいからこそ、その願いは叶えなければいけないという気にさせられるのだが。
「異端の烙印を押されたよ、あんた」
「それは、それは・・・」
面倒なことになったぞと、小さく唸る。
枢機卿には金をばら撒いていたが、金だけでは黙らせられなかったか・・・
「貴族やら商人ばかりにいい顔していないで、あたしらにもご自慢のお芝居をしておきな」
「ぶっちゃけ、苦手なんですよね」
名誉、金、女に引っ掛からに人間は、得てせいて苦手なのだ。
クリスティーナは鼻で笑い、そして情けなさそうに頭を振った。
「安心しな、あんたの知ってる人間ばっかりさ」
そして活発な笑いを上げた。
「このババァとやり合ってんだ、大丈夫だよ!」
その笑いを聞いていると、自然と何とかなりそうな気になってくる。
最悪の場合、皇帝すらも動かしてしまう教会。ユリオスに迷惑をかけないためにも、八方手を尽くすだけだ・・・
「ほら、こっちへおいで」
司が考えに没頭していると、クリスティーナが手招きして少年を呼んだ。
ずいぶん綺麗で、可愛らしい容姿の男の子だ。
ただ、露骨に敵意を向けている。
「こんにちは、森往司です」
英雄スマイルを向けるも、少年は殺意を増すばかりだ。
「・・・ジーク」
吐き捨てる様に言って来た。
ええっと、なんて声を掛けようか悩み・・・
クリスティーナに向く。
「聖女様、僕の悩みを聞いてください。何故かやたらと敵意を向けられることが多いのです」
「自分の胸に手を置いて考えてみな」
聖女様はつれなかった。
土日は休みます。




