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第100話 もういい


 ステロ卿が身を隠す屋敷へと、ジョルジュは帰っていた。

 林の中にある巨大な施設といってもいい。

 百人近くの人間が暮らしており、宗教の信者や傭兵などが集められているはず。


 周辺にゾンビはいない。

 よく考えれば不思議なことだ。なぜゾンビの群れは帝都へと向かい、ここを避けているのか。考えたこともなかった。


 しかし、ゾッとするほど静けさがあった。

 人の気配がない。

 いつも周辺を見回りしている傭兵たちの姿もなく、ジョルジュは不安を感じながら屋敷の中に入った。


 窓の少ない屋敷、常に明かりが灯されていた。

 だが、今は奥へ行くほどに闇が深くなっていく。


 誰かいないのか・・・?

 口の中で呟く。

 今のジョルジュには闇を見通す目、そして人の命を感じ取る感覚を得ていた。だからこそ、この屋敷に誰もいない確信が持てていた。


 いや、小さな命を探り取った。

 ジョルジュはそちらに向かい、急ぎ向かった。


 少しためらいながら、部屋をノックして中に入る。


 一人の男が椅子に座っていた。

 痩せ細っているが、確か銀行という金貸し屋のペッカー・ブランドという男だ。

 あまり名前を覚えないジョルジュがこの男のことをよく知っていたのは、フィーアに対して邪な視線を送っていたことに気が付いていたからだ。

 ジョルジュが考える、最も汚らしい男である。


「・・・お前、なにか、食べるものは持っていないか?」

 聞き取れるぎりぎりの声だった。

 離れていた時間は短くはないが、それにしてもペッカーの姿は劇的に痩せ細っていた。

「なにも、食べるものは持っていない」

「だったら、どうやって、ここまで来た」

「俺は・・・食べなくていいんだ」


 ペッカーは肩を揺らし笑い、「そうか」と、大きくため息をついた。

 傍らに置いていた壺から水を掬いとり口を潤し、更に置かれていた骨を口に入れて何度も噛みついた。


 ペッカーは手で顔を覆い、笑い始めた。

「ふふふ、はははは、よかった、最高の笑い話だ。傑作の笑い話がある、最後に、その笑い話を聞いてくれ」

 そのあとに殺してくれ。

 そう懇願された。


 ジョルジュならば周辺の森から動物を狩ってくることもできるが、それでもペッカーの命は繋ぎ止められないことが分かった。


「はじめ、は、そうだな。突然、食料が来なくなった」


 この屋敷は、定期的に町から食料が運ばれていた。

 暮らす人が多いので、荷馬車が列をなして屋敷に食料を届け、身を隠している意味がないなと当時思っていた。


「簡単な話だ。食料を入れていた町が、滅んだ。ははは、ふふふ、そうしたら食糧が来なくなった。そのことにステロ卿や、ここに身を寄せていた貴族はどう思ったと思う?」

 ペッカーはらしくもなく、道化師のように肩をすくめた。

「驚いたんだ」

 そう言って再び笑い始めた。


「驚いた。びっくりしたんだ、街が無くなったら、食料が来なくなったんだ。びっくりした。ははは。傲慢な民草というものは要求し、不満ばかりを口にする。選ばれし選ばれし我々の手を煩わせ、愚かにも暗殺さえしようとする。降りかかる不幸は天罰であり、無知で愚かで何の役にも立たない連中に天罰が下ったのだ! そう言ってた連中が、だ。民がいないとご飯が食べれないことに仰天したわけだ!」


 ペッカーは腹を抱えて笑った。


「ステロは物知り顔でこんなことを言い始めた。もともと人間というものは狩りをして暮らしていたとね。ここは森だ、狩りをすれば食料には困らないってな。そう言って傭兵を連れて森へ行くと、夕方には立派なよく太ったトカゲを狩って来た。みんながステロを称えたさ! さすがはステロ卿だってな! だがどう考えても量が足りない。スープにして飲んだが、あっという間になくなった」


 当たり前だ。

 よく食べられている大きな太ったトカゲでも、5、6人ぐらいの腹を満たすぐらいだ。

 ここには100人近くの人間が暮らしていた。

 だから町から食料を購入していたのだから。


「そこで、とうとう無人になっているだろう町へ行き食料を集めてくることとなった。くく、ここからが最高に傑作さ。食料を取りに行った傭兵たちが、1人として帰ってこなかったのさ!」


 久方ぶりに体を動かしたせいなのだろう、激しく咳き込み、震えながら水で喉を潤す。


「馬鹿な話だ。当たり前のことだ、無人になった町、保存食はもちろんだが、金品も奪い放題なわけだ。忠誠を誓っているわけでもない、金で雇われた兵士が、この惨事でステロ卿に怪しげな宗教団体と一緒に心中すると思うか? 中にはゾンビになった奴もいたかもしれんが、逃げたのさ。金と食い物をもってな。当たり前の話だ」


 傑作なのはここさ!

 ペッカーは笑った。

「私も、傭兵が帰ってこないなんて考えもしなかったのさ」

 私は違うと思っていた。

 ステロやその仲間、そして宗教連中とは違うと思っていた。

 バカを利用して金儲けをしてやろうと思っていただけだ。

「ところが、私もあいつらと同じ間抜けだってわけだ!」


 傭兵たちについて行き、一緒にここから逃げ出すべきだった。

 ここから町までは相当距離がある。馬に乗らねば、歩きで数日はかかる。今日、その日を生き抜けぬかもしれぬ状態で、ここを逃げ出しても死ぬだけだ。

 だからこそ、傭兵たちと共にここから逃げ出すべきだったのだ。


「わかるだろ? 狩りってのは、取れる時もあれば取れない時もある。いや、だいたい取れないもんだ。ここに残った物全員で森に入ったが、素人が獲物を取れるはずもない。逆に命を落とす者も現れ、空腹で外に出られなくなる者も、飢えで頭がおかしくなる連中も増えてきた。そうしたらステロはなんて言ったかわかるか?」

 こう言ったのさ。

「最初からこうなることは分かっていた」

 それはそれは、澄んだ瞳で言ったのさ。

 そう、ステロは本当に最初から分かっていた、と思い込んだのさ!


 気味が悪いだろ?

 お前、定期食料が滞って驚いていたよな? 傭兵たちが帰ってこないなんて想定していなかったよな? わかっていたなら食料を準備していただろうし、森へ行って無駄に腹を空かせるような行動を取らなかったよな? 何一つわかっていなかったよな?


「そんな当たり前の言葉が、奴の耳には届かないのさ。聞こえているのに、見えているのに何も届かないのさ。気味が悪いよなぁ。焼けた石を掴めば火傷する。起きていれば眠くなる。こんな当たり前のことすら理解できないのさ」

 そして、私もあいつらと同じだったってことさ。


「祈祷の間へ行ってみろ。教祖もろとも、首を吊って全員死んでいる。生き残っているのは、私だけだ」


 ジョルジュは、小さく頷いた。

 この屋敷には確かに、今にも死にそうな男しかいない。


「私は宗教狂いではないんでね、お断りしたわけだ。だがなぁ、卑しい連中だ、わずかに残っていた食料を全部食って死にやがった。ペッカーよ、共に死なないのならば飢え死にしろってわけだ。やられたよ」

 皿の上の骨に障る。

「私は、それこそ死に物狂いで食いものを探したさ。この私でさえ目が眩むほどの金がこの屋敷には蓄えられていたが、黄金では腹は満たされない」


 何としても数日間生き残れる食いものが必要だった。

 街に行けば多少は食べ物が残っているはずだ。

 数日間歩いて街にたどり着くために、食べるものがどうしても必要だった。


 そこで気が付いたんだ。

 肉なら、あると。


「お前、まさか・・・」

 ジョルジュはゾッとし立ち上がった。

 この骨は、暗くて目がいかなかった足元に転がる無数の骨は、なんなのか。


「私は多くの人間を奈落に落としてきた。信じられないほどの人間を殺し、女を犯し、血をすすり生きてきた人間だ。人の道などとっくに外れている。なにを恐れる?」


 そうさ、人間を食えばいい。

 わざわざ吊るされ食いやすいようにしてくれているではないか。


「そして私は、食った。食ったのさ、死体を切り分け、焼いて、香辛料たっぷりつけてな」


 うまかった。

 うまかったなぁ、最高さ。

 人間ってのは、本当にうまいのさ。


「満たされ、数日ぶりにぐっすりと眠った。さぁ、次の日だ。人間の肉をもって町へと向かう! だが、なぜか、そんな気にならなかった。疲れがたまっていたのだろうと、その日も休んだ。次の日も、その次の日も休んだ」

 重たげなため息を吐いた。

「日を追うごとに、生き延びてやると言う気力が抜けて行った。私のような外道でも、やっていいことと、悪いことは分かったらしい」


 自嘲気味に笑った。


「お前が来てくれて、本当に良かった。人間の肉を食いながら、なんで生き続けているのかわからなかった。だが、最後に、傑作の笑い話をすることができた。人間の肉を食いながら生きながらえた意味があった」


 咳き込むと、口から血が混じっていた。

 食べて眠っているはずなのに彼は、今にも命が尽きようとしている。


「後悔はないが、好奇心はある。あいつの言うとおりに、監査の仕事をしていたら、どうなっていたんだろうなぁと、考えてしまう。今ならわかるが、欲を、私の欲をすべて満たすことができたはずだ。あいつが利用しようとしたものが、このどす黒い欲なのだからなぁ。こんな中途半端に終わるはずがなかったんだ」


 暗い目で、ジョルジュを見上げた。

「我々はあいつを、悪く言って来た。ふっ、我々は、あいつを非難するためだけに結成されたチームだ。あいつの言葉を何から何まで否定してきた。その結果が、これだ」

 ペッカーは疲れたようにため息をついた。

「そう、わかっていたのさ。あいつは正しかった。いつもな。だが、正しい言葉ってのは聞き入れがたいものがある。だからといって、意固地になり過ぎた。多少は聞き入れ、多少は逆らう」

 今まではそうやってきたのになぁ。

 どうしてこんなに、頑なに敵対したのかなぁ。


「もういい、殺してくれ」


 疲れたようにつぶやいた。




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