073 魔王様と例の息子さん。
自分よりも弱いとは全く思っておらず、エインズは玉座の下の段から不安そうに魔王を見上げる。もし腕に抱いているのがチャッキーではなく何か別のものだったとしたら、今頃とても小さく圧縮されていた事だろう……。
そんなエインズの不安を知ってか知らずか、チャッキーはやや不機嫌そうに魔王へと話しかける。
「わたくしはエインズ様の忠実なる精霊、チャッキーと申します。エインズ様を従者呼ばわりし、わたくしを魔獣だと決めつけるその言葉、我が主エインズ様に大変失礼です。魔族の頂点に立つお方であろうと、我が主を愚弄することは許せません」
魔獣だと聞いていたが、チャッキーは自分を精霊だという。自身が魔獣であることに気づいていないのかと訝しむ魔王が正しいのか、それとも精霊であると主張するチャッキーが正しいのか、もはや分からなくなってきた。
もしも精霊なら後でどうにでもなるが、もしチャッキーが魔獣だった場合、敵に回すと厄介なことになる。おまけにエインズは鋼鉄の重い扉を破壊してしまう少年だ。
ここはまず、チャッキーの主張を受け入れた方がいいと魔王は判断したようだ。
「分かった。精霊だと主張するならそれで良い。つまりは少年が主であると」
「さようでございます。心優しく純粋で、それでいて大変ご立派な我が主でございます」
「その心優しい立派な主とやらが、この俺に何の用があると」
魔王は出来るだけ冷淡に、威厳を保てるぎりぎりの所でエインズへと語りかける。チャッキーが不機嫌になると、エインズの体から得体の知れない怒気が溢れてくるのが見えたからだ。
魔王は勘でしかなかったが、やはりチャッキーがエインズを操っている考えていた。同時に、チャッキーに影響されていないニーナとジタは操られていないとも思っていた。
「それは……」
「ちょっと待ってくれ。おいオヤジ、この手枷を先にはずしてくれ。洗脳なんかされてねえって言っただろうが。ガルグイ、てめえ覚えてろよ」
「まだ全てを納得した訳ではない。もう少し待て」
「何だと? いくらオヤジでも自分の息子にこの仕打ち、ぜってー許さねえからな!」
ジタは憎しみに満ちた顔で魔王を睨み、ガルグイから離れる。その表情を見ながら、魔王は内心慌てていた。可愛い息子に嫌われ、許さないとまで言われたのだ。
目の前にいる人族への威厳とジタ。どちらの方が大事かを考え、魔王の心は揺れ動く。
「ジタさん……ジタさんは何も悪い事をしていないのに手枷をするなんて!」
「このクソジジイ、俺がエインズとチャッキーに操られてるって思ってんだよ。もう絶対許さねえ、エインズたちの用が終わったら俺も一緒に行くわ。エインズなら手枷も壊せるし、もうこんな城二度と帰らねえ」
ジタは手枷のまま玉座の傍を離れ、エインズの横に飛び降りる。
ジタは操られていない。すなわち、今の言葉はジタの本心だ。それがハッキリと分かっている魔王は、とうとう自分の素直な感情に抗えなくなってしまった。
「え~っ!? じ、ジタ! そんな……ダメダメ、絶対ダメ! 困るよ、お父さん困っちゃうよ。可愛いジタにそっぽ向かれたらお父さん生きていけないよ、嫌いとか許さないとか言わないでもうちょっとだけ、ね? 本当はお父さんのこと好きだろ? な? 手枷だってほら、交渉のためと思って……」
「えっ、魔王……様?」
エインズとニーナはきょんとした目で魔王を見上げる。先程までの恐ろしさを意識させるような雰囲気は一気に消え去り、そこには困り果てた顔で半泣きの声を出しながら、祈るように手を合わせる魔王の姿があった。
ガルグイは目頭を押さえ、「ああ、やってしまいましたね……」と呟く。ジタはそんな魔王に見せつけるようにそっぽを向く。
「知らねえもん。もうオヤジなんか知らねえ」
「ジタちゃん! そんなこと言わないで、ね? 手枷は外す、外す! ほら外すから戻ってきて、ね? お父さん、今のは冗談だよって、本当は大好きだよって、ね? もうそんな目しないで……そんな怖い目されたら嬉しいけどさ、立派で怖い魔族になってくれて嬉しいけど、お父さんにはやめて? 耐えられない」
「えっ、ジタさんいつもそんななんですか」
「ちっ、ちげーよ! オヤジが親馬鹿なだけだ!」
「てか、魔王って本当はこんな……」
「あーもう! オヤジ、てめえ魔族の威厳っつうもんがあんだろうが! 何いつもの調子に戻ってんだよ、ちょっと拗ねて見せたくらいでそんな焦るなよ」
先程までの唾を飲むような緊張は何だったのか。エインズですらガッカリしたような表情という事は、よほどという事だ。
用があって訪ねてきたのはエインズ達なのに、今は完全に魔王親子に場を奪われている。ジタが言った通り、本当に魔族は人族を襲う悪い奴ではない……少なくともそれだけはハッキリした。
「おい、落ち着けって、分かったから! エインズたちの話を聞けって、オヤジ!」
「いや、もういい、もういいもん! ジタがお父さんのこと嫌いになるならもう全部どうでもいいもん。人族も魔族ももう知らない。知らなーい、魔王やめる、もう魔王やめる。はい辞めたー」
魔王はステッキを横に放り投げ、腕組みをする。エインズもニーナも、もはや唖然としている。
「ちょ、ガキみたいな怒り方すんな! こっちが恥ずかしいだろ? 分かったから、別に嫌いとか本気で言ってねえって、な?」
「やだね。お父さんの事嫌いじゃないよ、大好きだよって言ってくれるまでずっと落ち込んでやる。魔王もやめる、魔族は解散、はい解散! 自治区は終了! お疲れ様でしたー」
「だ……き、嫌いじゃないって言ったじゃねえか」
「パパ大好きって言われてない」
「パパなんて呼んだこと一度もねえだろ!」
一体、魔王の城までやって来て、何を見せられているのか……。唖然なのか幻滅なのか、ニーナのどこか遠くを見るような目が物悲しい。
「ジタ様。本当は魔王様の事が好きなのでしょう? エインズ様がご両親にいつも言っているように、素直にお気持ちを仰ればよいのです」
「……世の中の人族ってのは、自分の親に大好きなんて言うもんなのか? それが普通か?」
「もちろんでございます。エインズ様はいつもご両親に感謝を伝え、有難う大好きだよの手紙を、ペンを何本も折りながら一生懸命綴られることもあるのです」
「いやいや普通じゃないでしょ。えっ、やだエインズ、そんな親大好きっ子だったの?」
「ニーナ様。お手紙の件は本当ですが、ほんの少しだけ誇張しております。しかしながらこの場を収めるためにもそこは黙っておかなければなりません。ジタ様が気持ちをお伝えしやすいように」
「全っ然秘密に出来てねえぞ、おい」




