064 例の猫の正体は何か。
「そ……そうね、詳しくは後で聞かせてもらうわ」
先程のエインズの様子は一体何だったのか、ニーナはそれを訊ねようとして躊躇い、当たり障りのない返事しか出来なかった。先日エインズがドワーフを倒した時にも、いつものエインズではないと思えた瞬間があった。
ニーナはその時の、ジタとエインズの会話を思い出す。
精霊の思いが強すぎると主にも影響を及ぼすのではないか。チャッキーがエインズを操ったのではないか。今ならニーナもそうではないかと思える。先程まで毛を逆立てていたチャッキーは、今はもうすっかりいつものチャッキーだ。
「ニーナ様。大変残念な結果ではございますが、このミノタウロスはエインズ様を襲い、やむなくエインズ様が討ったのです」
「そのようね。ねえ、エインズ。ミノタウロスを倒した瞬間を覚えてる?」
「えっ? いや、足を不意に掴まれて、焦ってたから……気がついたら斬っちゃってた」
エインズはドワーフを倒した瞬間も覚えていないと言った。今回も気がついたら倒していたという。怒りに我を忘れるようなタイプではないし、チャッキーもエインズを操っているようには見えない。
前回と今回、何が共通しているのか。
それをニーナが考え込んでいた時、すっかり存在を忘れられていた魔族たちが2人と1匹を囲むように近付き、労いの言葉を掛けてきた。
「すまない、魔族の尻拭いをさせてしまった」
「魔族として礼を言わせてもらうよ。俺達だってあんたらが悪い奴だと言われて討伐しに来たのは確かだ。あんたらを殺すつもりで来た。けど……」
「事情が分かったら、勘違いしたままって事にする訳にもいかないわ。この自治区の外では無秩序なならず者扱いをされているけど、魔族は誠実である事が誇りなの」
「メヌエムのように掟破りな奴、魔王様やジタ様を蔑ろにする奴は許してはいけないんだ。秩序を乱す奴は始末する、それもまた魔族の掟だからね」
見た目が怖い鳥や獣、コウモリや竜のような魔族達から出る言葉とは思えない……などとは口が裂けても言えず、ニーナは笑顔を作ってみせる。
「それよりも驚いたよ、そこにいるのは魔獣かい? 初めてお目にかかったよ」
「選ばれた者しか従える事の出来ない魔獣を連れていらっしゃるのなら、早く言って下さればいいものを。精霊などと言って誤魔化さずとも魔王の城までご案内しましたのに」
「え? 魔獣? 何それ」
魔族たちがエインズとチャッキーを交互に見て魔獣様が現れたと言い、とたんに2人と1匹への扱いが変わる。そこへ村から手当用品を一式持って戻って来た魔族が加わり、訳の分からない持てはやされ方はしばらく続いた。
* * * * * * * * *
エインズたちからジタを奪還したはずの魔族たちが、今度はとても親切に魔王城まで案内してくれる。
見方を変えれば立場も変わる。答えも変わる。
「つくづく自分たちの価値観というものが、自身で作り上げられたものではない事を実感させられる展開ね」
「うん、まあ魔族が悪い奴だって信じていたのも、俺たちが自分で判断した事じゃなかったからね。それより魔族がチャッキーを魔獣って呼んでるのは何?」
「わたくしもよく分からないのです。わたくしはエインズ様の精霊ですから。もしかすると、魔族にも精霊持ちが存在し、そちらは魔獣と呼ばれているのではございませんか?」
「なるほどね」
「まあ、チャッキーはチャッキーよ。でも時々チャッキーが怒るとエインズが覚醒したように変わるの。不思議な繋がりがあるというか」
魔族に案内されながら、人族の足なら2日も掛からず着く距離を、夜だというのに歩かされる。魔族の中には、いわゆる幽霊のレイスのように、日光があまり得意ではない者もいるせいだろうか。
それとも、暗い森にビクついている人族の恐怖心が美味しいからだろうか。今日は休みましょうと提案する訳にもいかず、けれど魔族は気さくに話しかけてくれ、2人が質問をすると、隠すことなく出来る限り応えてくれる。
「あの、すみません。さっきチャッキーを魔獣と呼んでいましたよね。その、魔獣って何ですか?」
「え? ああ、魔獣さんはこの『使い人』に魔獣である事を告げていらっしゃらないのですね」
「わたくしは精霊チャッキーですよ。エインズ様の忠実なる下僕でございます」
「はっはっは! ご冗談を! もうそのように偽らなくても良いのですよ」
「チャッキー、どういう事?」
魔族に魔獣だと言われ、まるで見当がついていないチャッキーは、困ったままエインズに抱っこをせがむ。どうやら魔族にとって、精霊と魔獣は異なる存在だと認識されているらしい。
「わたくしは生まれてからずっとエインズ様の精霊として、日々仕えてきたのです。宜しければ、魔族の皆さまが知っている精霊と魔獣についての知識をご教示いただけませんか?」
「え? ああ、今まで精霊を名乗っていたせいで、告げ難いものかもしれませんね。代わりにこの人族らにお教えしますよ」
魔族は圧倒的な強さを見せたエインズや、親身になって手当てをしたニーナ(エインズがやると手当どころではなくなるのだ)ではなく、チャッキーを1番上として扱う。それはもう家来のように、チャッキーの指示であれば喜んでと、不気味な満面の笑みを浮かべる。
耳や鼻が尖ってはいるものの、人族の若者に容姿が近いハーフリングは、背丈がエインズたちの肩程までしかない。エインズたちはハーフリングの説明を聞くため、やや前かがみになる。
「人族の少年、精霊というのは君が使役する存在だ」
「それは知ってます。でも俺はチャッキーを召使みたいに扱うつもりはないんです。友達だから」
「エインズ様……お優しいその心にわたくしが何度救われた事か」
魔族はチャッキーがエインズや周囲の者に対してえらく低姿勢で礼儀正しい。3人は違和感を覚えつつ、続きの説明を聞く。
「魔獣は人族を使役する存在だ。魔獣に選ばれた、あんたは魔獣のしもべなのさ。これからはチャッキー様に仕える喜びを噛み締めるがいい」
「え? なるほど、その発想はなかった! 言うなれば俺がチャッキーにとっての精霊ってことか!」
「いやいや待って? チャッキーは精霊よね? 自分で精霊だって言ってるじゃない。本当は魔獣なの?」
チャッキーは猫の乏しい表情でも分かるほど困っている。大きな目は不安そうにエインズを見上げ、耳がやや下がっていた。
「わたくしは精霊ですよ、エインズ様の精霊なのです。エインズ様を使役などとんでもございません! 魔獣呼ばわりはお止め下さい」




