063 剣の扱いが下手な少年の例。
エインズはせっかくその場が収まったというのに蒸し返すミノタウロスをけん制する。だが、次の言葉でエインズは言葉を失った。
「ジタ? 魔王もその息子もどうでもいい。もう人族とのママゴトはお終いだ。人族を嬲り、殺し、恐怖で震え上がらせる世の中こそ正しい! 腑抜けた魔王などじきに俺が引きずり下ろす」
好戦的な性格なのか、ジタや魔王に逆らうような発言をするメヌエムに、その場の魔族たちも絶句する。
「今まで屠ったソルジャーの中で一番弱そうに見えるが、見かけによらんな。こんな事ならもっとソルジャーを手あたり次第殺しにかかっておくべきだった。なんならあの村の人族を殺してソルジャーをおびき寄せるか」
「……そういうのは冗談でも言っちゃいけないんだ」
「あ?」
「何の罪もない人を殺すなんて、どんな立場でも駄目なんだ! ジタさんはそういう奴を許さないって、魔族として恥ずかしい行為だって言ってた!」
エインズは鋭い目つきで睨み、剣を構えてミノタウロスと対峙する。
「駄目だから? 許されないから? フン、子供みたいな事を言う。駄目であろうが関係ない、許されたいとも思っていないさ。罪もない魔族を殺しまわるソルジャーから言われる事ではないな」
「……真実を隠して対立させられているとはいえ、そんなソルジャーなんて確かに最低だとは思う。けど!」
「エインズ様、ここは精霊であるわたくしから。これから人族と魔族は、ならず者をそれぞれの立場で取り締まるように変わるべきなのです。対立を装うのも、実際に対立するのもお終いにするべき時が来たのですよ」
「だから何だ? 俺は終わりにするつもりも従うつもりもねえ! グダグダと話し合いのつもりなら終わりにしろ、決裂ってことだ!」
ミノタウロスのメヌエムは姿勢を低くし、突進の構えを取る。エインズを自慢の角で突き刺すつもりなのだろう。対するエインズは構えていた剣の先をメヌエムに向ける。
あまり上達していない剣でも、流石にミノタウロスの巨体に掠りもしない事は無いだろう。
ジタや魔王への忠誠を捨てる事は、周囲の魔族にとっても許しがたい行為だ。つまり、ソルジャーであるエインズとの戦いは止めないが、魔族への裏切りに関しては怒っている。
「誰かさっきの嬢ちゃんに連絡を!」
「お、俺が行ってくる!」
「メヌエムさんには失望だ。こんな奴が俺達の上に立っていたとは」
「魔族の事は魔族が片付けたい所だが、危険な奴だからと先に殺す訳はいかねえ。ソルジャーに戦ってもらうしかないが……皆、加勢はするぞ!」
エインズが切りかかると同時にメヌエムを攻撃しようと考えている者は少なくないようだ。
「久々の人族狩りだ、派手にいかせてもらうぜ!」
メヌエムが突進を始める。ファイアで焼いたとしても、この勢いならきっと止まる事はない。止まる気もないだろう。
「エインズ様! こうなってはさじ加減など無用ですよ! 全力です」
「距離を取る! チャッキー横に逃げろ!」
ミノタウロスの突進は牛型のためイノシシではないが、猪突猛進という言葉が相応しい。エインズたちが寸前で横に逃げると、方向転換のために止まるか旋回する必要がある。
剣の腕前は無きに等しいエインズも、作戦を考える事くらいはできる。エインズの脇を通り過ぎたメヌエムの後をすぐに追い、減速するその背へと剣を思い切り振り下ろした。
「やぁぁ!」
「グフッ!?」
人族として規格外、壊せないものなど無いと思われるエインズの、渾身の一振りで倒せない相手などいない。それは相手がミノタウロスでも、サイクロプスでも、魔王ですらそうだろう。たとえ自分だけが強いなどと思っていないとしても。
ただし、それは目にも留まらぬ速さで振り下ろした剣が、しっかりと対象を斬った場合の話だ。
「匙を投げて……全力!」
意味が合っているのかいないのか、正しく理解しているのかいないのか……よく分からないエインズの掛け声と共に、メヌエムの体は地に叩きつけられた。左肩を中心に体中の骨が折れ、メヌエムは痛みでのたうち回っていた。
しかし斬撃を受けたはずのメヌエムの体に刃を受けた痕は……見当たらない。
「剣当てるつもりが距離感間違っちゃったよ、グーで殴ったみたいになっちゃった……」
「刃のお手入れが不要になりましたね、エインズ様」
チャッキーのフォローが明後日の方を向いているのはさておき、いくらエインズの方がはるかに体重が軽いといっても、振り下ろしの速度は先程の例でいうと1エインズ。速度が人族の3倍ならその衝撃は10倍近い。
エインズの殴打は大抵の魔族を1撃で倒せると証明されたことになる。が、エインズはそうは思っていない。
「そうか、ミノタウロスは剣で斬られると思ってたから、殴りつけられる事への防御対応が出来ていなかったんだ! ラッキーだったよ」
「ん? わたくしが何か?」
「チャッキーじゃなくてラッキーって言ったんだよ。さあもう戦えない、諦めて……」
周りの魔族がエインズの加勢に飛び掛かる間もなくやられたミノタウロス。だがのたうち回りながらもその腕はエインズの足具を掴んだ。
「手は放さんぞ、お前の肉を……喰らいながら死んでやる! 道連れ……だ」
ミノタウロスは体を引きずりながら大きな口を開け、エインズを装備もろとも噛み砕こうとする。人肉を好むと言われるミノタウロスは、最後の晩餐のつもりだったのだろう。
しかし、そんなミノタウロスが次の瞬間には剣で真っ二つにされた。
「邪気に汚れた手でエインズ様に触れるな」
声の主はチャッキーだ。勿論チャッキーがミノタウロスを斬ったわけではなく、確かに剣の扱いが気の毒な程下手なエインズが斬り殺した。
ただ、そのエインズは今まで見せた事が無いほど冷酷な顔で、その無残なミノタウロスの死体を見下ろしている。まるでエインズではないかのように。
「ハァ、ハァ、エインズ! チャッキー! 無事な……の?」
知らせを聞いて戻って来たニーナがエインズへと駆け寄る。チャッキーが毛を逆立ててミノタウロスへ敵意を剥き出しにしているが、その足元転がっているミノタウロス(メヌエム)はもう息絶えていた。
エインズが無事だったのだと、ニーナがホッとしたのは駆け寄る少し手前まで。
近寄った時、一瞬だがチラリとニーナを見たエインズの目は、背筋が凍るほど鋭く冷淡なものだった。
「エインズ?」
「……ニーナ。ちょっと失敗しちゃったけど倒したよ。最後まで分かってはくれなかった」
再びニーナへと視線を向けたエインズは、もういつもの表情に戻り、頼りなさそうに苦笑いを見せていた。




