どうやら私も悪魔の呪いにかかってしまったようだ
※一人称の地の文と実際のセリフの口調は異なります。ご注意ください
十字の針が巳を指しす。それに気づいているのは誰もおらず、皆が皆机に向かってカリカリと熱中していた。
他の人に気を遣ってゆっくりと音を立てずに椅子を引き、立ち上がる。けれど微かな私が出した音に気づき、何名かはこちらをチラリと一瞥し、時計を見た。
僅かに聞こえた、物を片付ける音を背に教室を出る。
足は自然と軽やかになっていた。
今日は久方ぶりに気分が良い。
今に至るまで魔法分野における研究の発表会が行われていた。
全国のお偉いさんや高名な教授も見に来るその発表会は、当然ながら研究内容の質も高い。
そして、そんな選りすぐられた学生が集められた発表会で最後となった私達の演説を、ついさっき終えたのだ。
この発表会のために半年の時間を要した。その集大成ともいえる研究をようやく終える事ができたのだ。
まだ、教授やお偉いさん方の評価は分からないが、たとえあまり良くない結果だったとしてもこの高揚感は湧いてくるのだろう。達成感が半端ではない。
今出てきた教室では、他の人の研究のメモやレポートを取っていた。その時間は決められており、既に終わっていた私は誰よりも早く出てきたという訳だ。
別室にいる、共に演説を行った仲間を迎えに行く。手には、発表が終わり裏方に回った直後に、嬉しさのあまり抱きしめ合った感動がまだ残っている。
やっと終わったんだな、という幸福感を噛み締めながら、ルンルン気分で仲間のいる部屋の扉を開けた。
そして開けてしまった事を後悔した。
目の前には、苦楽を共にした仲間がいるだけでなく、その彼氏もいた。現在進行形で抱きしめ合っている。その勢いや否やすぐにでもベッドインしそうなくらいである。
仲間は二人いるが、その二人共がご自慢の男と抱きしめ合っているのだから、独り身の私としては堪ったもんじゃない。
扉をぶち壊す勢いで閉めようとした私だったが、目があった裏切り者一号に呼び止められる。
「ユキネ、お疲れ様!」
その声に釣られて裏切り者第二号と男共も一緒になって私を見てきた。
何故か居た堪れなく感じた私は、仕切り直して慰労の言葉をかけることにした。
「お疲れ様」
「うん、お疲れー」
「お疲れ様だね」
「ご苦労様」
上から順に仲間であるカイラ、その彼氏のブリンダ、そしてエイリスの彼氏のアラクとなっている。エイリスとは最初に私に気づいた人物だ。
「しゃあっ!全員揃ったことだし慰労会とでも行こうか?!」
「さんせーい!」
「上に同じく」
「右に同じく」
癇癪を起こした子供顔負けの叫び声をあげたカイラの提案に、次々と賛成の声が出る。
こうして何かのイベントや大会などが終わった後は毎度の如くお気に入りの店へ飲みに行くのだ。
しかし私はあまり気が乗らない。
理由は言わずもがなこの男共がいるからだ。
別に男が嫌いという訳ではない、苦手という訳ではない、が、このまま行ったらまた前回のように、最後にはカップル同士で仲良くイチャイチャするだけの会になるに決まっている。
そんなこと、独り身である私が簡単に許容できるものではない。
ん?お前も男を作れば良いじゃないかだって?
ふざけるのも大概にしてくれたまえ。大体学園とは勉学をするために通っているのであって、決して異性とどうこうするためにくるのではない。学生の本分は何だ?恋愛か?男と会うためか?違うだろ、勉強だ。
それをこのロクでもない女らは簡単に勘違いしおって。
元々私達三人が魔導研究会を開いた理由の一つとして、カップルがいる研究会から抜け出すのもあった。
研究会とは無数に存在しており、最低三人のメンバーが集まれば正式に作れる事となっている。
最初、入学したての頃は既存の研究会に入ったさ。だがどいつもこいつもやる気というものが感じられん。隙が空けばすぐさま恋人とイチャろうとするのだ。
「ねぇダーリン、後はこのフラスコに唾液を入れて、プリン液を垂らすだけで良いの?」
「その通りだ。だが一つだけ先に済ませておかなければいけないことがある」
「済ませておかなければいけないこと?」
「ああ、俺の唾液をお前に注入することだ」
「もうっ!ダーリンたらっ!!」
ふざけているのか?さてはふざけているんだな?!
私みたいな独り身のメンバーが近くにいると分かっていながら、構わずイチャイチャするあの胆力だけは褒めてやろう。
だが、そんな環境では集中などできるはずもない。日々悩んでいるところ で、同じ苦悩を持った二人と出会ったのだ。
メンバーは丁度三人ということでぴったりだ。即刻研究会を開き、着々と集中できる環境で研究に勤しむと、今までが嘘のように私達の研究結果が評価されていった。
今ではこの学園の随一の魔導研究会だ。
しかし、見てわかる通りこの二人は裏切りやがった。裏切りやがったのだ!
さしもの私を捨て置いて、裏でコソコソ何かしていると思えば、出てきたのは男だけ。そう、男だけ。
あの時は目から血が出るかと思うほど悲しみにくれたな。
だが二人とて会の暗黙のルールを破ったことに居心地の悪さを感じているのか、研究の時は一切男と戯れなかった。それどころかまず部屋に入らせなかった。
その点には素直に感心した。
たとえ「悪魔の呪い」にかかろうとも、理性という名の友情を切り捨てなかったのだから。
「悪魔の呪い」にかかると意中の異性しか眼中みに残らなくなると聞いた時は、どうなるかと思ったが二人が線引きをしっかりしてくれているお陰で、こうして学園トップの地位を守り、会の存続が保たれているという訳だ。
しかしまあ、大戦の悪魔共は碌な呪いを残してくれたものだ。
「悪魔の呪い」とは数年前に起こった大戦で亡くなった悪魔が残していった呪いだとされている。大戦が起こった翌年から急激に変化が現れたからだ。
悪魔、と聞くと不吉なイメージをぬぐいきれないが、事この呪いに関して言えばそうでもない、らしい。周りの人にとっては。
私はイメージ通りだと思うが。
大戦前と大戦後、何が違うのかと言えば、人口だ。人の数が大幅に増えたのだ。それだけなら問題はないのだが......いや本当はあるが今は置いておこう......問題はその過程にある。
恋人が出来る率が半端ではない程上がり、反対に破局する率が極端に下がった。
これが大戦が終わった途端に変化始めたのだから、悪魔を疑うのは妥当だろう。
大戦前の生活は良かった。何しろうざったらしい甘え声に邪魔されることもなく趣味に没頭できたのだから。
それが今はどうだ。一周り見渡せば目に映るのはカップル、カップルッ、カップルッ!
そして、恋人になる率が増えるということは、人を好きになることが増えるということだ。
そのせいで私には毎日のように呪いに惑わされたバカが擦り寄って来るではないか。喋ったこともない癖に 好きですとか、僕達は運命の糸で結ばれているんだ、なんて妄言を吐く輩もいる。
呪いのせいで外を歩くのも億劫になるではないか!
............いや、大戦前も擦り寄ってくる奴は結構いたな。確か前もこのぐらいいたような......。
ん?
まあ良い。
そんなことより今は慰労会だ。
あまり乗り気ではないが、ここで私が行かないと言ったら空気が悪くなるだろう。
それは嫌だ。
結果、毎度こんな感じで裏切り者共のイチャイチャを見せつけられることになるのだが。
&&&
「いい加減にぃ、ユキネも相手を作ればぁ?候補者なら毎日のように寄ってくるじゃあなぁい?」
また始まった。
エイリスは飲みに行くと必ずスピリタスを頼むのと同じように、毎回私にこの質問をぶつけてくる。
この酔っ払っいが。
心の内で毒ずく。エイリスとは反対の度数が弱い酒を呷ってから言う。
「だから、何度言ってるでしょ。男は作らないって」
「なぁんでぇ?」
私だこう言えばああ言う。もはやこのやり取りは定型と化している。それに則って、あまり抑揚のない声で口を動かした。
「好きでもない男と付き合ったって仕方ないでしょ。それに学園は勉強するところなの。それを理解してちょうだい」
「むぅぅ。あんたにはぁ腐る程男がいるんだからぁ一人ぐらい誰かいるじゃないのぉ?」
いい加減この間延び切った声がうざくなってきた。後は任せたという視線をブリンダに送ると、一つ返事で頷いてくれた。うん、良くできた男だ。
私みたいな研究にしか能がない女を好きになるものずきは確かいるが、何も、私が好きではないからという理由だけで断り続けている訳ではない。単純に嫌いなのだ。「悪魔の呪い」というやつが。
この呪いのおかげで幸せになるとか、そんなの自分の力ではなく呪いの力だ。
私を幸福にしようが不幸にしようがそんなのは関係ない。外的要因に何かを影響されること自体が気にくわない。
周りではこの「悪魔の呪い」は物理的な呪いではなく、一種の運命的要素だ、みたいな風潮ができあがってはいるが、どうにもそれを良しとしない私は、この下らない意地を張ってどうにかこの呪いに食い下がろうとしているのだ。
視線を横に向けると仲睦まじそうにエイリスがアラクの腕を抱きしめていた。アラクはもう片方の手でエイリスの黄金に輝いている髪をなでなでしている。それに対しエイリスは目を細めて、うっとりと気持ち良さそうにアラクを見つめていた。
このカップルは学園でも有名だ。どう有名なのかと言うと、羨ましさランキング一位に輝いている方面で有名だ。
母性溢れるカイラに爽やかなアラク。密かに、ファンもできているのだとか。
そんなことを考えていたらエイリスがジト目で睨んできた。
「むぅ、何ですか?そんなに私の胸を見て。私への当てつけですか?」
「......」
「ええ、ええ、確かに貴方の方が大きいかもしれませんが柔らかさなら負けていませんよ。何たってアラクに毎日揉んでもらってるんですから」
だめだこれは。カイラが悪絡みをして来るなんて珍しいなと思っていたら、カイラの目前には空のスピリタスの瓶が一つ。
バカなんじゃないのかこいつらは。度数九十六だぞ?九十六。
まあ、カイラが飲み過ぎていることを除けばいつも通りの光景だ。
まだここに来て一刻しか経っていないがそろそろお暇するか。
互いに夢中になっている二組に気づかれることもなく、金だけ置いて店を出る。
外は薄暗くも月明かりが街路を照らす。涼しいくらいに靡いている風を感じながら、ふと思い出した。
学園に資料忘れた。
ここから学園までは半刻もかからず辿り着ける距離だ。散歩がてらのんびり行くことにしよう。
学園までの道のりに使った大通りで何人かに声をかけられたが華麗にスルーしてやった。
それでもしつこくまとわりついてくる奴もいたが、仕方なしに年齢を明かせば、色気がどうのこうので、謝りながら去って行った。
案外話が通じるものだなと感心しながらも歩を進めて行くと、とうとう見慣れた学園に着く。
門の前には見張り人が立っているが学生証を見せればすんなり中に入れる仕組みだ。
いつも授業を受けている教室、ではなく我が魔導研究会の拠点地に向かう。
数ある魔導研究会の中でトップに立つ私達の部屋は、学園内では豪華な構造になっている。
質感の良いチークが使われた扉の取っ手に手を伸ばし、開ける。
目前には何かの資料が錯乱しており、物が散らばっている。
私にとって落ち着く空間であるこの部屋に足を踏み入れようとした時、奥に据えられた私の机の上に座っている人物に気がついた。
「おやおや、君の探し物はこれかい?」
私が反射的に口を開こうとすると、その前に向うが喋りかけてきた。耳に優しい心地の良い声だ。その声の持ち主の手には、私に見えるように資料が摘まれていた。
薄暗い部屋で細かな文字を読むことは不可能だが、他より目立つ字体で書かれた見出しは微かに読むことができる。そこにはこう書いてあった。
『龍に対しての効果的な攻撃手段』
やばい。一気に汗が噴き出るのを感じる。
数年前に起きた大戦を終結に導いた龍はこの国で多大な信仰を集めている。龍に直接助けられた者も少なくない。今では龍を崇める宗教ができあがっており、国民の半分以上ははそこに属している。
もし目前の人物が重度の信徒だった場合、この資料は本部に渡され、私は弾圧されるだろう。
いや、待て落ち着け私。まだそれを書いたのが私だとバレた訳じゃない。後でトゥルー・ライに真偽をかけられれば一発でバレるのだがここで上手い具合に丸め込めればいい話。
ひとまず相手の顔を見ようとして目を凝らす。
そして私の計画とも言える雑破な考えが終わりを告げたのを悟った。
「ちなみに言うとね。僕の正体は龍だよ」
額に生えた鋭い二本の角。背中に折りたためられて、けれど隠しきれていない巨大な翼。そして暗闇でも爛々と輝く、龍にしか許されていない深淵に満ちた青い瞳。
その全てが目前の人物が龍だという証拠になっている。
あの生きる伝説に相対しているなんて到底信じれることじゃない。けれど、この威圧が、存在感が、私をそう信じさせる。
終わった。何もかも終わった。人族と拮抗した悪魔達をたったの一人で倒した龍と同族なのだ。
そんな龍の機嫌を損ねたらどうなるかくらい赤ん坊でも分かるというものだ。
相手の表情は良く見えないがきっと怒りに満ち溢れているだろう。さっきの柔らかい声はきっと自分の怒りを抑えるためにわざとそうしたのかもしれない。
どうしよう。混乱が脳内で渦巻く。いや、そんなの考える必要もないか。私が何をしようが全ては関係ないのだから。
なら、どうせ関係ないのなら、その中で最善を尽くそう。
「これは君が書いたのかい?」
「............はい」
頷いた。頷いてしまった。これでもう後戻りはできない。今の判断が正しかったことを信じるしかない。
「面白い発想だね。いくつか違う部分もあるけど大体的を射ている。これは何から調べたんだい?」
「......大戦の跡地に埋もれていた、龍の鱗を研究してって......」
「へぇ、僕の鱗からかぁ」
うん?何かおかしいぞ?何で私が怒らせたはずの龍に褒められたんだ?しかも最後にとんでもない爆弾を落とさなかったか?
「その、申し訳ございません。悪意はなかったのです。私にできることなら何でもしますので、どうかお許し下さい」
「何でも、ね。なら今ここで脱いでもらおうか」
脱いでもらおうか、その言葉が意味することは、つまりそういうことだろう。
だが仕方ない、仕方がないのだ。私はそう言われても仕方ないことをやったし、死ねと言われるよりマシだ。
殺されるぐらいなら喜んでそれをやろう。
毛皮でできた黒っぽい高級な制服の、若干右にずれた軸に付いているボタンを素早く外していく。ここで待たせるのは得策じゃない。
完全にボタンを外し終え、いつもなら絶対しない乱暴な脱ぎ方で床に落とす。
残る一枚に手をかけようとした時、無言を貫いていた龍が焦ったように口を開いた。
「いやいやいや、何で脱いでんの?さっきのは冗談だったんだけど......」
思わず口をポカンと開き、絶句した。
今のが冗談?それこそ冗談だ。
あの場で冗談を言うなんてどうかしている。それがわざとならまだしも、本気で通じると思っての冗談なら笑い話にもなりはしない。
そこで気がついた。龍は人ではない、当然価値観も違うのだと。
なるほど、龍と人の価値観は大きくずれている、また一つ研究内容が増えた、ってそうじゃなくて今はこの若干気まずくなった場をどうしようか考えるのが先決だ。研究をしている場合じゃない。
「え、っと、その、も、申し訳ございません」
「いや何で君が謝るのさ、僕が虚しくなってくるだろ」
まずい!今度こそ機嫌を損ねてしまった。早急に何かリカバリーを......。
「ねぇ君、名前は?」
「......ユキネです」
「そっか、ユキネか。うん良い名前だ。僕はリカイね。」
リカイ。確かこの国主体の宗教が崇めている名前もリカイだったような......。
「それにしても君、凄いね。まさか龍への攻撃手段を調べてるなんて思いもしなかったよ」
「......えっと、その、調べていくうちに成り行きでそうなって......あ、べ、別に龍を倒そうとか思ってる訳ではなくて、えっと、はい」
「ふむ、緊張しているのかな?ってそうだった。覇気ダダ漏れじゃないか」
リカイが額の角に触れるとスッと角や翼は、まるで何も存在しなかったんじゃないかと思うほど綺麗に消えた。
それと同時に全身を襲っていた圧迫感や張り詰めた空気が一瞬にしてなくなり、目の前の龍はただの一般人にしか思えないくらいに、さっきまでの覇気が消え失せた。
「ライト」
リカイが基礎中の基礎に位置する魔法を呟く。
すると手には林檎ほどの大きさがあるオレンジに光った球体が現れ、部屋一面を照らした。
リカイの顔が現になる。全体的にやけに整っており、アラク以上に爽やかな印象を受ける。エメラルドに染まった髪はサラサラと窓辺からの風で揺れた。
「ねぇユキネ。君の研究に協力してあげよう」
私は魔導専門の研究者だが、ひとえに魔導といってもいろいろな分野がある。
龍に関しての研究は偶々偶然鱗を拾ったから好奇心で研究していたのだが、今リカイの「君の研究」という言葉は明らかに龍の研究を指しての言葉だろう。
ということはつまりリカイは自分の弱点を自分でまる裸にしようとしてるも同義だ。
「......協力しようとする理由は何ですか?」
「理由?んー、そうだなぁ」
リカイは少し考える仕草を見せた後、私との距離を詰めてきた。
リカイからは何の覇気も感じられない。が、大胆にも詰め寄ってくる姿に思わず一歩後退る。
しかし、私との間合いがゼロになったリカイは、その綺麗な手で私の顎を掴んできた。まるで逃さんばかりに。
視界が男で埋まる経験などない私がこの状況にパニックになるのも必然とも言えよう。
手で私の顎を押さえつけたリカイは、端正な顔を私の視界の端、耳元に寄せてきた。
リカイの熱い吐息が妙実に伝わってくる。心臓の鼓動がうるさいくらいに激しい。
離れて、そう言おうと口を動かした時にはもう遅かった。
「君と一緒にいたいから、なんてどうだろうか?」
ゾクゾクとした未知の何かが背中を駆け巡り、リカイの甘い声を直で聞いた片耳は電撃が走ったように痺れる。
不覚にも顔が赤く染まっていくのが分かる。一旦冷静になろうにも目前で見つめてくる群青の瞳がそうはさせてくれない。
「あ、貴方、さてはバカですね!?」
何とか絞り出した末に口から出た言葉は罵倒だった。
だが、罵倒だろうが何だろうが今はそんなことどうだって良い。
早くこのバカから離れないと私の中の何かが決壊する、と脳内の警報はビンビンに反応していた。
私のか弱い抵抗によって、激闘の末リカイが敗れた。
スッと諦めたように手を離し、数歩下がった。
私は激しい運動をした訳でもないのにうるさく鳴っている鼓動を抑えようと、深呼吸をする。それを数回繰り返す。
「うん、決めた」
私をこんなにも乱した張本人は小声で何かを呟いた。私は深呼吸の音によって聞こえなかったが。
「ごめんよユキネ。詫びの品として鱗を一枚あげるよ」
やっと平常運転に戻った私に、悪いことをしている自覚はあったのかお詫びとして鱗を渡してきた。
普段なら喜ぶところだろうが、生憎今はそんな気分ではない。
一枚に下手すれば数千万ペルの価値がつく龍の鱗をもらってもあまり喜べないってことは、それほどにさっきのが応えたのだろう。心身ともにクタクタだ。
「それじゃユキネ。またいつか」
神秘的な輝きを見せる鱗をじっと見つめていた私に一言残してから、リカイは高さ数階ある部屋の窓から飛んで行った。
後には静寂が戻る。
君と一緒にいたいから
誰がどう見ても冗談にしか思えない。私だって冗談とひと蹴りする。
されど、その言葉は頭の中でずっと反芻していた。
&&&
リカイと初めて会ったあの日から、リカイは宣言通り、毎日のように研究に協力してくれた。
あの伝説にも謳われている龍の生態系を調べれるのだ。私の生活は、あの日とは別の意味で興奮の最中にいた。
龍をじっくり調べれるなんてどれだけ贅沢なんだ。ここまで詳しく調べることができるのは世界私くらいしかいないんじゃないのか。
ある日は鱗の成長速度や皮膚の観察を
ある日は龍の攻撃魔法を
あの日は龍の細胞を
今日まで昼夜問わず研究してきたが、その内容のどれを取っても謎が深まるばかりで、本人であるリカイに聞くも、自分の生態を理解しているのかしていないのか分からない曖昧な笑みを返してくるのみ。
仕方ないがそちらの方が俄然やる気がでるというものだ。
ちなみに仲間には秘密にしてある。リカイが私以外に調べられることを嫌がったのだ。ますますこの龍の心理がわからなくなった。
今日も今日とて研究室を貸し切り、研究に熱中していた。
今日は鱗に潜む細胞やら魔力やらを徹底的に暴き出してやるつもりだ。
顕微鏡と横に置いてあるメモ用紙を往復していると、机の反対側でニコニコしながらこちらを見ているリカイが口を開く。
「どうだい?何か進展はあるかい?」
「発見ならたくさんあるわよ。まず鱗はコントラスとブルガンっていう細胞が多量を占めていてラピストも少なからずあるわね。けれど一つだけ見たことのない細胞があるわ。赤色をしているから仮に赤細胞とでも名付けましょう。でね、赤細胞は一定感覚の決まった位置にいるのよ。数はラピストと同じくらいかしら。それでこのアルファ溶液を垂らすと、ああ、アルファ溶液っていうのは垂らすと反応によって魔力の量と質が分かるやつね。これを垂らすと何と結果は青色になったの。これは量、質それぞれ一番高いってことなのよ。そしてそれが一定間隔にあるんだから私の予想ではこの赤細胞こそが鱗をコーティングして強化している役割を果たしていると思うのよね。他にも......」
「............うんうん、そうだね、その通りだ」
今のところ私の実験は順調だ。謎が深まるばかりとは言え、進んでいることには変わりない。それこそが研究の醍醐味とも言える。
次の発表会までに新しく資料を作成しなければいけないのだが、そんなことをしている暇などない。最悪仲間に任せっきりになる可能性も歪めないが、それもまた仕方なし。
大体、魔導研究会とは趣味の上に成り立っているものであり、趣味とは好きなことだから趣味と言え、私がこっちの研究をしたいと思えばこっちをしても良いのだ。うん、何言ってるのか自分でも分かんなくなってきた。
ていうか今何時だ?もう既に一日を回ってないか?どうりで研究の害虫が襲ってくると思ったのだ。流石に頭の回らない状態でやるのは非効率と言えよう。少し休睡を取ろう。
「私は少し寝ることにするわ。貴方は?」
「そうだね、僕は君の寝顔を拝むことにするよ」
「......龍という生物は何刻寝てなくても平気なのかしら?」
「何刻でも。起きようと思えば何年だって起きてられるし、寝ようと思えば何年だって寝てられる」
「ふむふむ、龍に睡眠はいらない、と。何でかしら、そんな役割を果たす細胞は見つからなかったのだけど。てことこはやっぱりさっきの赤細胞が原因?......ダメね。また考え込んでしまったわ。それじゃあ私は隣の部屋で休んでくるから」
気のなったことを放ったらかしにするのは性に合わないんだが、今は猛烈に襲ってくる害虫をどうにかするのが先だ。
頭もぼんやりして今考えていたことすら忘れそうになる。足速に簡易ベットがある隣室に行くと、ベットにダイブした。
簡易と言えども柔らかい材質で作られ、広い面積があるベットに沈むと睡眠物質が解き放たれたように爆発して、夢心地な気分になる。
そして私は意識を手放した。後ろから付いてくる跡にも気付かずに。
&&&
意識が虚ろな中はっきりと浮上していく。まだ眠たげな目を開けてみれば目の前にある瞳に写っているうとうとした自分の姿が見えた。
金に輝いた瞳に銀に煌めく長い髪。周りは私の髪を羨ましがるけれど、私にはよく分からない。
そんなことを思いながら自分と睨めっこしていると違和感に気づく。
ん?自分?
冷静に意識を覚醒させると、目前には瞳があるだけじゃなくその周りにリカイの顔があった。
「......何で?」
「何がだい?」
思わず口を開くと嬉しそうにそう返してきた。
またか。
内に秘めた心でため息を吐く。そう、実を言うとリカイがこうして私が睡眠を取っている時に横で寝そべっていることは初めてじゃない。
何回めだろうか、こいつは度々私のベットに潜り込んでくるのだ。理由は分からない、心理が全く読めない。龍と人間の価値観はここまで違うのか、今はそれが恨めしい。
ベットに手を突いて起き上がり、訛った体を伸ばしてスッキリさせる。
思い出したようにリカイが言った。
「そういえば来客が来ていたよ」
「誰?」
「赤い髪と金の髪をした女の子」
どうやら私が寝ている間にエイリスとカイラが訪ねて来たらしい。
......ちょっと待て。
ていうことはリカイとカイラ達が会ったということだ。
「貴方、自分のことはなんて言ったの?」
「ああ、大丈夫さ。龍とは明かしてない。瞳の色も変えたからね。まあ問い詰められはしたから、ユキネとは一緒に寝る間柄とは答えたよ」
「......貴方バカなの?バカなんじゃないの?!」
ああもう、このバカは何てことをしてくれたんだ。あの噂好きで口の軽いカイラのことだ。このバカと恋仲だと勘違いしたカイラは既に多くの人に言いふらしているに違いない。
これも価値観の違いなのか、龍の世界では、一緒に寝ることイコール普通の関係ということなのか!?
内が読めない表情をしているリカイに避難の目を向ける。
「どうかしたかい?」
私の視線をニヤニヤとした笑みで受け取ったリカイに私は確信を抱いく。
「......貴方、本当はわかってるわね?それを分かってないふりして......何て外道なのかしら」
「嫌だなぁ、分かっていないふりをしている訳じゃないさ。ただ聞かれなかったってだけで」
「はあ、もういいわ」とため息混じりに呟いて彼女らが来た要件を聞く。
「彼女達、夜会に行くみたいだったよ。それのお誘い。勿論君も行くんだろ?」
パーティーに貪欲なカイラ達に誘われるのはいつものことだ。
ただ、キラキラとした豪華な装飾品が飾られている会場はどうにも性に合わない。
本音を言えば行きたくないのだが、今日は寝ていたことを理由に行かなくても済む。もう始まっているだろうし。
その節をリカイに伝えると信じられないような顔をされた。
「ユキネ、それは認められないな。行かないとこれから協力しないよ」
何と!それはダメだ。どういう理由で行かせたいのかはいつもの如く分からないが、行かないと協力を打ち切られるらしい。
仕方なしに夜会へ行く準備をする。
最悪準備に必要な物はここに全て揃っている。が、その準備とやらが大変なのだ。男ならまだしも女にはやることがたくさんある。
まず湯浴みをして身を綺麗にする。これをするだけでも髪の長い私に取っては一苦労だ。その次に長い髪を乾かす。使用人がいればとても楽になるのだが、生憎私は雇っていない。
適当にかけられたドレスのどれを選ぶか迷っていると、リカイが一着の上下が、黒と赤に染まったミニドレスを持ってきた。
上が黒、下が赤となっているそのミニドレスはカイラがプレゼントに送ってきたものだ。しかし一度も使ったことはない。
何故なら、きつくコルセットがしまったそのドレスの胸元は大いに開けているからだ。
こんな恥ずかしいもの着れるか、とその場で床に叩きつけたのを覚えている。
手触りの良い材質でできたスカートをすりすりしながらリカイが予想通りの言葉を言った。
「これにしなよ」
「......嫌って言ったら?」
「研究はお預けかな」
最早これは脅しではなかろうか。百人が百人頷くであろう案件だ。と言っても龍の研究という甘い餌に釣られる私には頷く以外ありえないのだが。
仕方なく、本当に嫌々仕方なく着たミニドレスの下にタイツを履き準備を完了する。
一時的に部屋から出て行ってもらっていたリカイに、もう大丈夫と伝えるため、扉を開けると、そこにはタキシードを着たリカイの姿があった。
「えっと、なに、やってるのかしら?」
「ん?今着替え終わったとこで何もやってないけど......」
「その服は何?」
「これかい?良いでしょ、今学長のとこに行って貰ってきたのさ。君もその服、とても似合っているね、可愛いよ」
「......」
もうどこからツッコンで良いのか分からないんだが。
まさかこのバカも行くとか言わないよな?
「え?勿論行くよ?」
......もう呆れ過ぎて言葉も出ない。こんな経験初めてだ。
「さ、早く行こう」と言いながら呆然としている私の手を引っ張って部屋を出る。
会場の場所を知っているのかその足取りには迷いがない。
学園内にあるその会場には半刻もしない内に着いた。
中はリラックスできるような音楽が流れており、天井に吊るされた豪華なシャンデリアによって会場は明るく照らされている。
広々とした部屋に散らばるようにして何人もの上品そうな紳士淑女がいた。
前方にはカイラの姿が見える。ブリンダと楽しそうにお喋りをしていたが、私の姿に気付くや否や「あっ!」と声をあげ近寄ってきた。
あんのバカはっ!
静かな雰囲気の中で突然叫び声があげられ、何事かと声のした方に視線が集められる。
注目を浴びているカイラがこっちに進んで来るのだから必然的に私にも注目が向く。
極力目立ちたくない私としては、早く視線が散るのを願うばかりだ。
だが一向に視線の数は減らない。むしろ増えるばかり。
「いやぁ、まさかユキネがそれを着てくれるとは思わなかったよ。どう?気に入った?」
ニヤニヤした表情で、このドレスを私が進んで着たのだと思っているカイラは話しかけてきた。
しかし、私の後ろにいたリカイの存在に気がつくと、その表情をより深め私にだけ聞こえるように言った。
「ちょっとちょっと。何で言ってくれなかったのよ。できたならできたと素直に話してくれれば良いのに」
そう一方的に告げてから私が話す暇もないまま、使用人からワインを貰っているリカイに話しかけた。
「こんばんはぁ、これで二度目ですね!ユキネを連れてきてもらってありがとうございます!」
「こんばんは。別に大丈夫さ、そのぐらい。僕もユキネのドレス姿を見たかったことだしね」
リカイの返答に感極まったようにきゃあー!と口に出したカイラは「ではではぁ、邪魔者はこれで......」と言いながら、誤解を解く暇もない内に去って行った。
まるで嵐だ。
しかし、カイラがいなくなったのにも関わらず、視線は絶えない。それどころか鼻を伸ばしている奴や、私をガン見している奴すら出てくる始末。既に私を囲むようにして軽い輪ができていた。
「......ねぇ、もう満足した?来て早々に悪いんだけど帰らない?」
「そうだね、じゃあ帰ろうか。目的はもう達成されたしね」
思わぬ許可を貰えた。まさか駄目押しで言ってみた言葉が本当に叶うとは。最後の目的なんたらは気になるが、こいつの言うことが分からないのは毎度のことだ。
そんなことより今はこの穢れきった視線から脱出するのが先決だ。
「その前に。ユキネこっち向いて」
若干リカイとはずれた向きになっている私の体を、疑問に思いながらも言われた通り、リカイに向ける。
リカイが一歩私の方へ近づき、その距離は人が一人入れるだけのスペースとなった。
リカイは一体何をするのかとじっと見つめていれば、私の手を自分の顔の前まで持っていく。
そして自然な動作で私の手の甲にキスをした。
その瞬間、頭が真っ白になり、フリーズする。今何をされたのか理解ができない。
リカイが私の手を軽く噛む。それと同時に少しの痛みが襲ってきたが、それに気を回すだけの余裕はなかった。
今、何をした?
そればかりが頭を駆け巡り、まともな思考状態にならない。
ようやく冷静になった時には、私を見ていた観衆に騒めきが広がっていた。
それもそうだ。何せ異性の手の甲にキスをすることは、その人に絶対の忠誠を示すと同時に敬愛の証でもあるのだ。
この行いは異性への告白の時によく使われる。つまり、リカイは今私に告白してきたということで......。
再び込み上げてきた熱みを冷やすため、大きく深呼吸する。
そうだ、よく考えろ。これはいつもの価値観の相違というやつだ。
人にとっては一世一代の重要な時に使う手法だが、龍にとっては軽く親しい仲になった相手にはその証として、手の甲にキスをするんだ。きっと、たぶん、メイビー。
その証拠にバカは顔は清々しい様子で私を見つめてくるだけで、恥ずかしい様子など微塵たりともない。
ほら見ろ、このバカ龍め。どうせお前はこの事実を知っていて面白半分でやっているんだろうが、そう簡単に騙されてなるものか。
どうだ、これで分かっただろう。だからいい加減に顔を真っ赤にするのをやめてくれ私よ。恥ずかしいくて俯くことしかできないじゃないか。
リカイが私の頭を優しい手つきで撫で、私の考えなど見通しているかのように問うてくる。
「信じれないかい?」
「............ええ、信じれないわ」
信じれない。どうやったって信じることなどできない。
だって、だって、伝説の龍が一介の人間である私に恋をするなんて
そんなのおかしいじゃないか。
&&&
リカイが私の手にキスをしたあの日、リカイは私の前から姿を消した。
最初はリカイとの関係性を聞いてくる奴らも結構いたが、今ではだいぶ減った。それなりの月日が流れたのだ。
「愛しの人と離れることを強いられたリカイ!そしてそれに苦しむユキネ!さあ、二人の命運は如何に!?」何てアホほざいていたカイラも、リカイが消えた五日目くらいからは、おふざけではない状況に気づいたのか、親身になって励ましてくれてる。
龍という研究対象がいなくなった寂しさはあれど、リカイがいなくなった寂しさはない。ないったらない。
それをいくらカイラに伝えても、悲しい瞳で見られるだけだった。今は何も言わないようにしている。
エイリスもカイラ同様に、何かと気を使ってくる。
二人が私を想ってくれるのは嬉しいが、少しは私の話も聞け。
まあ?流石に微塵も寂しくないと言えば嘘になる。一ヶ月の間、授業時間を除けばほとんど共に過ごしたといっても過言ではない存在が、別れの言葉もなく突然消えたのだ。それに名残惜しさを感じないほど私も薄情ではない。
しかし、しかしだ。何故何も言わずに消えた薄情者であるリカイに対して寂しいなどと公言できよう。
消えた理由は分からずとも、パーティーでの出来事を客観的に見たら自ずとこういう答えが出てくるだろう。
私に振られたから次を探しに行ったと。
いや、別に次の女を探そうが何しようがリカイの勝手なのだが、私が言っているのは何も言わずに消えたことに対してだ。
仮にも一ヶ月共にいたのだ。一言ぐらい何か残してくれても良いじゃないか。
......まあ、さしもの私も、そう思ってしまうくらいには引きずっているのだ。
とはいえ、いつまでもそう引きずっていられる訳ではない。元々の研究もあるし、学業に関しても成績トップという座を守らなければならない。
まずはこの課題共をさっさと蹴散そう。早く終わらせるに越したことはない。
......集中できない。最近までは反対の椅子に座ってニコニコとこちらを見ていたリカイの顔がやけにちらつく。
ああもうっ
外に行って頭を冷やしてこよう。そうすれば幾分かはマシになるだろう。
目指すは校舎の屋上。本当は生徒立ち入り禁止の場なのだが、成績と信頼から特別に私だけ許可してもらった。
ここは密かなお気に入りになっている。誰も来ないところが良い。一人で安心して寛げるのだ。
地面は芝生や花壇に囲まれた色とりどりの花が咲いており、寝っ転がっても何の問題もない。
風通しがよく、涼しい。今みたいなジメッとした蒸し暑い季節なら最高に快適だ。
空を見上げると透き通るような暗闇に綺麗な星々が色鮮やかに浮かんでおり、私を癒してくれる。
けれど空だけじゃない。前方を見渡せば、人の営みが見て取れる。地表の高いとこに建てられた学園からははこの街をほとんどを一望できるのだ。
穏やかで美しく光っている景色を見ていると、ところどころに立てられたお祭り用の提灯が目に入ってくる。
そうか、明日は祭りか。
昨日あたりにエイリスが教えてくれたような気がする。
年に一度開かれるこの祭りの規模はとても大きい。いつもならワクワクと楽しみにしているのだが、生憎と今はそんな気分ではない。
人々が楽しそうに準備に取り掛かる様を見ていると、胸にぽっかりと空いた空間がズキズキと苦しい。
これじゃただの醜い嫉妬じゃないか。
来た時よりもさらに落ち込んだ心持ちで、屋上を後にした。
&&&
「ユーッキネ!祭り行こっ!」
壁越しにくぐもった声に引きつられるようにして扉を開けると、そこにはカイラとエイリスが立っていた。服は綺麗な着物姿で髪も編んである。準備万端のようだ。
二人が来ることは半ば予想していたが、私は碌に準備などしていない。そもそも行く気がないのだ。こんなもやついた気持ちで楽しめるはずがない。
二人もそのことは理解していたようだが、そんなの関係ないとばかりに私の手を引っ張った。
「だーめ。行かないなんて許さない。もし行かないなら意地でもここから動かないから」
「そうですよユキネ。貴方の気が紛れるように行くんですから。アラク達も今日は連れてきてません」
うぐっ、そんなこと言われちゃ、行かないと私が悪いみたいになってしまうではないか。
あまり乗り気ではないが、せっかく二人が私を気にかけてくれているのだ。それを拒絶したら罰が当たるというものだろう。
軽く断りを入れてから、ささっと髪や荷物を整えて、玄関で待ってくれている二人のところへ向かう。流石に着物まで着ては二人に迷惑がかかるだろうから止めておいた。
だがラフな格好で行った結果ダメ出しを喰らった。しっかりと着物を着てこいとのこと。
それでは時間が少なくなってしまうと反論した私だったが、カイラの有無を言わさぬ口調で押し切られてしまった。
仕方なしに急いで着物を着る。
それから祭りへ向かったのは半刻後だった。
&
祭りは賑わっていた。見渡す限りずっと連なっている屋台には、娯楽から食べ物と、色だくさんだ。
五年前のこの日に悪魔との大戦が終わった。終戦の日だ。
当時は国中が感激に包まれたものだ。祝いとして開かれ、自由騒ぐだけだった祭りも今ではすっかり様になっている。
劇や踊りなど、いろんな余興がある。それらにはしゃぎ回っている子供の一人が、私の足にぶつかってきて、ぺたんと尻もちをついた。
「大丈夫?」
顔をその子供に近づけ、怪我をしていないか確認する。だがそれが恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして走り去ってしまった。
あれだけ元気があるなら怪我の心配もないだろ。
そう思い、少し先を歩いていたカイラとエイリスに小走りで追いつく。
さっきまでは忌避していた祭りだが、実際に来てみれば案外心も和んだ。
楽しそうにきゃっきゃうふふしているリア充共にも今だけは許そう。
射的の景品に飾ってある鏡がちらりと目に入いる。
すぐに通り過ぎ、一瞬しか視界に入らなかったが、そこに写っていた私の表情はとても楽しそうだった。
ふと思い出してみる。
パーティーのあの日から笑うことなどあっただろうかと。
頭に浮かび上がるのはどれも浮かない顔をしている自分で、楽しそうにしている姿は一つもない。
「ふふっ」
それが何故かおかしくなってしまい、思わず笑ってしまった。
あんなに気落ちするぐらいならこの二人と過ごせば良かったのかもしれない。一人で悩むよりずっとマシだ。何せ今はこんなにも楽しいのだから。
何もないところで笑った私に驚きつつも、カイラとエイリスは嬉しそうに微笑んだ。
「何でか知んないけど、やっと笑った!」
「ようやく、ですね。私達の苦労が無駄に終わらなくてよかったです」
カイラとエイリスが私を元気付けようとしていたことは知っていたが、まさかたったの一回ほんの少し笑ってみせただけでここまで喜ばれるとは。
「今日は嫌なこと全て忘れて楽しむぞぉ!」
カイラが一目を憚らず叫ぶ。
そうだな、ぐちぐちしていたってしょうがないんだ。あんな奴のことなんか忘れて楽しもう。でなけりゃ損だ。
カイラが先陣切って玉投げをしている屋台に向かう。
今さっきようやく吹っ切ることができ、心から楽しもうと決めたその時、
「久しぶり、ユキネ」
声がした。
久しく聞いていない、けれど少なからず待ち望んでいたその声が耳の奥に入った時には、世界がとてもゆっくり動いているように感じた。
反射的に、スローで動く私の視界を声がした方へと向ける。
長い髪をお団子状にまとめたにも関わらず、まだ肩ぐらいまで伸びている銀髪に遮られた視界が開ける。その向こうには人はたくさんいたはずなのに、一際長身が大きい体躯をした人物しか目に写らない。
「リ、カイ?」
無意識に足が動く。疎らに散っている、密度の高い人混みを避けながらも、片時も目お離さずに走る。勢い余って止まること忘れていた私はリカイに抱きついた。私に連動するようにリカイも胸の中にいる私に手を添える。
「この、バカッ!今までどこにいたのよっ!?急にいなくなるなんて酷いじゃない!私がどれだけさびしかったと......」
溜まった鬱憤が爆発したかの如く怒涛のようにリカイにぶつけた。そして無意識にずっと思っていて、けれど絶対に言わないと誓った思いが口から出かけた時にはもう遅かった。
「うん?寂しかったと、の続きは?」
「ッ!な、何でもないわよ!この、バカっ!」
胸の中で顔をあげてみればリカイが意地の悪い表情で、私を見下ろしていた。堪らずすぐ再び顔を胸に埋めた私に、リカイは優しく頭を撫でた。
思わぬ不意打ちでビクッと体が震えたが、度々撫でてくるその感触に目を細める。
ずっと前にアラクに撫でられていたエイリスの心境がようやく分かった。
撫で撫でというのはこんなにも気持ちいいものなのか。
周りで野次を飛ばしてくる輩や、きゃーと可愛らしく叫んでいる声が聞こえるが、そんなの今は蚊ほどにも気にならない。
もっと気にすることが別にあるのだから。
リカイの感触に満足した私がいくつか質問を投げかけようとしたが、少しだけ焦りが見えたリカイの言葉に遮られた。
「悪いけど時間がないんだ。飛んで行くから舌を噛まないように口を閉じといてね」
えっ、と呟いた私を無視し、私を抱えたまま龍ならではの怪力で天高く跳躍すると、何も遮蔽物がない空間で、幾度か見せてもらった「龍化」をした。
およそ全長十数メートルまで大きくなると、物語に受け継がれている龍そのものの姿となった。
何度か龍化は見せてはもらったものの、途方もない威圧感がある龍に空で抱えられる経験など初めてだ。 唖然と空を見上げている人々の注目に恥ずかしがる余裕もない。
恐怖と混乱が頭を占めている。だが、ほんの少しだけの高揚感が脳の片隅に感じることができた。
「えっと、どこへ行くの?」
龍の腹で抱きかかえられている状態で、気持ち上を向けながら迫り来る暴風に負けじと声を張り上げる。されど帰ってくるのは無言のみ。
もしかしたら龍化している状態だと喋れないのかもしれない。思えば龍化した状態の声は聞いたことがない。
吹き荒れる颶風に目を瞑り、手をぎゅっと握りしめて耐える。そして風の勢いが弱まったかと思うとゆっくりと降下していった。
ちょぼちょぼと、固まった瞼をほぐして目を開けると、そこには見慣れた芝生と色だくさんの花がある。学園の屋上だ。
ガラスに触れるような丁寧な手つきで私を降ろすと、数歩後ろに下がったリカイは龍化を解き、見慣れたリカイへと戻った。
「何しにここへ?」
不意に視界の端で一筋の閃光と、ドカンという音が鳴った。音のした方を見ると、その一本の閃光はどんどん天高く登っていき、ついには色鮮やかな火花と共に弾け飛んだ。
「わぁぁ、綺麗ね」
思わず呟いてしまうほど、その火花の集合体は綺麗だった。全体的に赤みがかり、ぱあっと円状に開かれた火花の軌跡はこの世のものとは思えないくらい美しく、つい見惚れてしまう。
「あれはね、花火って言って火薬っていう粉から成っているんだけど、火薬を採集するのはちょいとばかし面倒でさ。君にあれを見せるために時間がかかったんだ。......ごめんよ」
少し間の空いた謝りの言葉に、口を出さずにはいられない。
その間にも火花は次々と弾け飛んでいて、依然として綺麗なままだ。
「一言、何か言えなかったの?」
「まさかあんなにてこずるとは思わなくてね。最初はパパッと取って終わろうとしたんだけど......まあ、この綺麗な花火達に免じて許してはくれないかい?」
茶目っ気たっぷりの表情で、リカイはそう言った。
別に怒ってる訳じゃない。私の前からいなくなろうが何しようがリカイの勝手だ。
ただ少し......ほんの少しくらい、相談して欲しかっただけで......。
だが、何も全てがリカイだけのせいって訳ではない。リカイの信頼を勝ち取ることができなかった私にも負い目があるのだ。
では信頼されるのはどうすれば良いか。私は、自分を曝け出すのが最も効果的だと思う。ソースは経験だ。
「......別に起こってる訳じゃない。ただ、その......少しは、頼って欲しかったってだけで......」
私の言葉にリカイは、茶目っ気な表情から一転目を丸くしている。
どうだ、驚いたかリカイ。私だって今の結構恥ずかしかったんだからな。
「それは本当に悪いことをした。次からは君を頼りにさせてもらうことにするよ。まあ、今は、僕が頑張って作った花火を楽しもうか」
「......うん。ねぇ、これ、本当に貴方が作ったの?」
「ああ、そうさ。遠い東の異国から製法を教えてもらったんだ。といっても随分昔の話だけどね」
パチパチパチ、と細かく繊細に響き渡る音が空に消え、次の音が生み出される。
只々ひたすらにその光景に魅入る。壮大な迫力があり、されど鮮麗さを失わないその様は、まるで月輪そのものだ。
花火にはいろんな種類があり、横目に流れているリカイの説明によると、
バランス良く大きく開く花火が「割物」
白銀の火花が長く垂れ落ちていく花火が「銀冠菊」
それ以上に長く垂れ下がり、花火の割れ方が弱い「錦冠菊」
真ん中を中心に光が点々として、疎らに輝いている「牡丹」
その為諸々、実際の花火に合わせて教えてくれたおかげでさらに花火を楽しむことができた。
ふと、あんなに連なって打ち上げられていた花火が、何の前触れもなく突然途切れる。
輝かしく照らされていた辺りには静寂が息を巻き返す。
もう終わってしまった、という虚無感はまるでなかった。
あれだけ綺麗な光景なら未練がましく思いそうなものだが、私の心には未だ満ち足りた余韻がのこっている。
「終わった、今そう思ったでしょ?」
「違うの?」
「ああ、違うね。本番はこれからさ」
リカイの余裕綽々とした声が音無の空気に響く。
これが終わりでなければ他に何が出てくるというのか。今までが前菜だと言い切れるほどのものがまだ残っているとは到底思えない。あれに勝るとしたらそれこそ流星群くらいなものだろう。
そしてその予想は容易く裏切られた。
次は何がくるのかと半信半疑で見ていた空には、少し間隔をずらしたいくつもの閃光が眩い光を放ちながら走る。それだけで他とは一線を画すものだと直感的に悟った。
最初に限界高度まで打ち上げられた花火がパァーンという音と共に弾け飛ぶ。そこから先程通り生み出された花火。だが、違う。規模、音量、色、迫力。何もかもがさっきまでの花火とは天と地ほどの差がある。
一つだけでも太陽を真似たがごとく輝き、いつまでもどこまでも垂れ下がる花火に重なるようにして、第二の花火が姿を現わす。
ところどころ透けている空間を、次々に弾け飛ぶ花火達はいっぺんの隙間もなく、徹底的に埋め尽くす。
文字通り私の視界全土に写され、綺麗な光を生み出している花火は、まさに圧巻の一言だ。
私は言葉を、思考をすることを忘れてひたすらに見惚れた。
ちらり、と横を見ると私と同じく花火に熱中............しておらず、恐らくずっと私の横顔を見ていたであろうリカイと目があった。
ふと脳裏に「恋人」というワードがよぎる。
夜、着物姿で異性と二人っきり。尚且つ綺麗な風景を共に楽しんでいる。これはまさしく私が思う「恋人」そのもので、それに気づいた途端、頰に熱が帯びる。
今まさに私とリカイは見つめ合っており、花火に照らされた私の顔は、夜にもはっきりと見える。つまり赤くなっている私の顔もリカイに見えているという訳で。
すぐさま俯いてしまいたい気持ちはあれど、目前の瞳が私の心ぎゅっと掴んで離さない。
リカイが口を開く。
花火の音が大きいにも関わらず、リカイの声は強い意志を持っており、私の耳に入り込む。
「ねえ、ユキネ。好きだ」
穏やかに微笑みながら言われたその言葉は妙な鮮烈さを持っていた。
分からない。リカイの考えが、思考が、リカイが、そして何より、私の心が分からない。
何故リカイはこんなことを言う?
その言葉は本当?
私はどう思っている?
答えをまとめようにもドクンドクンと花火の音がうるさい。いや、この音は私の鼓動か。
熱を持った頭が上手く回らない。リカイの言葉だけが脳内を反芻する。
横様に聞こえる爆音がこの場を支配しており、まるで私の答えを急かしているように鳴っている。
「そんなに驚くことかい?一応アプローチはしていたんだけどね」
人に想いを明かすことは恥ずかしい筈だ。十人が十人緊張するだろう。にも関わらず楽しそうに笑っているリカイと、恥ずかしさで頭が破裂しそうな私の立場は本来逆なんじゃないか?
そう、恨みがましい視線を送ると、さらに嬉しそうな表情を深めるばかり。
凄まじい迫力と神秘の美しさがある花火は未だに止む様子はない。広範囲に打ち上げられた花火の光は、リカイの反面だけを照らし、それがまた私の恥ずかしいさを駆り立てる。
長いこと見つめ合った末に、三歩ほどの間があった距離をリカイが詰める。
相も変わらず私の頭はヒートしていた。
「好きだよ」
顔の真横に構えられたリカイの口から再度愛の言葉が出る。
おい、ちょっと待て。これ以上私をいじめてどうする気だ。許容量をとっくに過ぎた私の心をパンクさせるつもりか?
私の肩に軽く置いてあったリカイの左手が、流れる動作で私の耳に持ってかれ、ツーっと首沿に下へ流れた。
いつぞやを思い出させる光景だ。
かくいう私は、蛇に睨まれたカエルの如くされるがままになっている。否、そこには恐怖だけではなく、期待もあった。
「ユキネはどう思ってるんだい?」
何のこと、と言えるほど私は愚者ではないし、ここまでされてどう思っているのか察しもつかないほどバカでもない。
だが、それでも
「......分か、らない、の」
この高鳴る気持ちに察しはついても、名前は分からない。高鳴る理由はつけられても、意味は分からない。
それは、今まで私とは無縁のものだったから、
それは、初めて経験する感情だったから、
理解ができない。
然れども、
「分からない、ね。じゃあ分からせてあげるよ」
不敵な笑みを浮かべたリカイがぐいっと私の顔を持ち上げ、ゆっくりとその柔らかそうな唇を私に近づける。
そして、直感的に何をするのか悟り、目を閉じた私の口に触れた時、理解した。
ああ、どうやら私も悪魔の呪いにかかってしまったようだ。