#87 子爵家のステル
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男は意識を取り戻すと同時に自身の手の中に赤子が居ない事を確認すると、
辺りを見渡し始める。リティスに抱きかかえられているのを見つけるや否や。
「お嬢様を返せ! 卑怯者ども」
「なかなか元気なご老人ですね。其の調子ならば大丈夫でしょう」
吠える男の傍に立つフォスレスが睨みつけると一瞬強張り、そして蛇に睨まれた蛙の如く男は開いた口が塞がる事なく動けなくなった。
「何をした」
「暴れそうでしたので大人しく話を出来る様、少々威圧を」
「ただの威圧でこの様になるものなのか」
「自身の首が斬り落とされる映像を叩きつけただけですが、少しやり過ぎましたか?」
「状況が状況だけに其れはまずかろうよ」
「暴れる人を大人しくさせる方法など、あと一つぐらいしか知りません」
窘められた子供がそっぽ向く態度に似ている。
「ちなみに聞くが其の方法とは」
其れを聞きますかと言いたげに微笑むと、徐に拳を振り上げ勢いよく降り下ろした。
其れを見て考えるのを止めた。
老人へと向き合うと空気を貪るかのように喘いでおり、さらに困惑している様にも見える。
けれど此れで此方の話を聞いてくれるやもしれない。
「我々は貴方の敵では無いと言っておこう。赤子は無事だ、少々衰弱していたが離乳食を食べ今は眠っている。赤子は其方へと返すが其の前に身綺麗にしてもらおう。其のままでは綺麗な肌着に着替えさせた赤子が、また汚れてしまう故にな」
老人の目が目まぐるしく動き此の場に居る者たちを見、赤子へと注がれたと思うと最後に己の手へと落とした思うとしばし沈黙後に呻きだした。
「何処の、何方かは、存じませんが、助けて頂き、ありがとうございました」
呻き声は嗚咽であった。
泣き崩れるまま礼を述べる老人。落ち着くまでしばし待ち、その手に手拭きを乗せた。
湯で温めていたが、寒い時期の今は直ぐに冷めてしまう。しかし野盗から逃げる際に手や顔に付いた泥、汗に擦り傷の固まった血。其れ等を拭うには十分。
「まずは飯を食べてからだな。その前に汚れを落とすが良い。事情はあるだろうが全ては其の後だ」
老人は布に顔を埋めると顔汚れを拭い、手の泥を落とした。
「感謝いたします。汚してしまった手拭きは洗いお返し致したく。また助けて頂いたことを改めてお礼申し上げます」
丁寧かつ堅苦しい言葉。先ほどの馬車に乗っていたことを考えるに、やはりどこぞの豪商か貴族か。
得体の知れない通りがかりの俺たちに傲慢に出ないところは教育の賜物か別の思惑があるのか。
どちらでも構わぬが、手拭き布を預けるのが少々躊躇われる。無くて困るものでは無いが、手拭き布と言えど旅の間は簡単に補充出来ない。
たかが布一枚と言えようが、されど大切な備品。返せと謂うのは簡単だが。
「俺らは旅人だ、多くの助けがあって此処にいる。だから多くの人を助ける。受けた恩は其の者へと返せはせぬが、次の人たちへと返している。手拭き布然り、其方も気にする事はないと言った処で気にするのであるならば、此れから先困っている人へと返してくれれば其れで良い」
「お言葉に従います。ですが此度のご恩を忘れる事は無いでしょう」
深く頭を下げる老人。どう思うかは勝手であり、此方の邪魔になりさえしなければ其れで良い。
話を出来るまで落ち着いた。此方に敵意が無い事も理解してくれた。ならばと野菜粥を差し出した。
「まずは飯を喰ってからだな。自己紹介も其の後で良いだろう」
差し出された碗を礼と共に受け取る老人は、少し冷めた粥を食してゆく。
腹は空いているだろうが、その仕草は精練されており場所や状況が違えば優雅さも有ったろう。
何より元々赤子の為に作った野菜粥。味付けなどしておらず大人が食するに物足りない粥を、文句どころか顔色一つ変えもせずに食す。
仕えた主人が立派なのか、この老人が出来ているのか。そして状況を見定める思慮もある。
食べ終えたのを確認し。
「お代わりもあるが。赤子の分は気にする必要は無い、また作れば良いだけだ」
「ご配慮ありがとうございます。頂けますでしょうか」
僅かにだけ残されても困るのは此方。食べきってくれるのであれば要らぬ手間も省けるもの。其の意を酌んだ上での言葉かは知る術はなし。
「助けて頂いた上馳走まで、重ねてお礼申します。私はステルと申し、ミラル領が領主の使用人をしております。そして其方のお嬢さまが抱いておられる方こそ領主が御息女、クラス様です」
「俺はネムロス。クラス……様を抱いているのがリティスにリア、そしてフォスレスと言う。ただの旅人だ」
「旅人、ですか。申し訳ありません、疑っている訳では無いのですが、其の……」
「言いたいことは理解しているつもりだ。怪しい事此の上無いかと思うだろうし、状況からそう思われても仕方は無い。リティス、クラス様を」
リティスは黙って頷くと、名残惜しそうにステルへと赤子を渡すも。
「もうちょっと抱いてたかったわ」
誰に聞かせる事無い呟きは意外と大きかったのか、ステルにも聞こえていたらしく微笑みを返されていた。
「さて、自己紹介も終わったところ、此れからどうするかを決めたいが事情は話せるか」
「ご迷惑かと思いますが、私一人では山を越えるのは無理でしょう。お力をお借りいただきたくお話し致します」
「此処で見捨てるのも心苦しい故、出来ることはしよう」
ステルは礼をし僅かな間が在った後、口を開いた。
「ミラル領は小さな領土です。隣国との国境沿いと言っても険しい山や谷があり交易路は国内のみ。田畑を耕し質素ながらも領民と共に暮らしておりました。山から宝を見つかるまでは」
「宝……?」
「えぇ、山を切り開こうとしたところ、鉱石の中に銀が含まれていたのです」
「銀、銀鉱脈か」
「はい、領土内に在った山が銀山でした。埋蔵量はかなりの量かと判断されました」
「喜ばしい事だが難しい処か」
「素晴らしい見識です。領主様も同じような事をおっしゃっておりました。銀を掘り出すには大規模な坑道整備と高い精錬技術を必要とします。何より災いも引き寄せました」
「利権争いですね。子爵であれば周りからの圧力も強かったでしょう」
あぁ、其方もあるか。掘り出すだけの準備や技術だけでなく、小さな領土では人手が居らず何処からか集わねばなるまい。
得られる益に対して失う利は大きそうだ。
其方に関してはフォスレスの方が強い様であった。
「其れだけであれば良かったのですが、引き寄せられた厄介は領民にも被害が及ぶようになりました。荒くれ者も来るようになったのです」
「仕事を求めて来るのは分かるが」
「鼻のない傭兵団はいないって事ですね」
ステルも頷いていることからフォスレスが合っているのだろう。
「彼らは荒事だけでなくお金の臭いにも敏感なようで、募集どころか寄親に報告した途端に何処からなく集まって来ました。無論小さな領地では彼らを雇う事など出来ず、仕事に溢れた傭兵団は領民へ迷惑をかける始末。私兵など多くなく結果領地は荒れて行きました」
「対策を取らなかったわけではないでしょう」
「えぇ、信頼できる親戚縁者や寄親へ援助を頼みました。此れは銀を発掘するに当たり技術支援も含まれております。しかしながら予想外の横槍があり危険を感じた旦那様が奥方様とご息女を一時的に避難させるとともに直訴する為寄親の元へと馳せ参じる途中、今に至ります」
「襲ってきた野盗は、其の予想外の横槍と言う訳か」
「おそらくは」
「どなたか存じているのですか。その理由も含めて」
「推測は。しかしながら証拠がありません。何処で情報が漏れたのか把握せねばなりませんが、今はお嬢様だけでも助ける事が出来ました」
ステルは涙をこぼし悔しさに顔を歪めている。本当ならば皆が助かってほしかったのだろう。
此の国で傭兵を雇い下級と言えど貴族に刃を向けるなど同じ貴族でしかない。
傭兵団組合はあるが貴族殺しを請け負うような傭兵団なぞ正規に登録などしておらぬだろ。
いや、正規登録はしているやもしれぬが、汚れ仕事は別の名に偽っているやもしれない。
ならば何故貴族殺しなど頼むのか。領土は王が与える、大貴族と言えど勝手に奪う事など出来ぬはず。
逆に考えるのであれば、奪うための抜け道があり、すでに根回しをしている事となる。領主と受け継ぐ人がいなくなれば土地は王の下へと返還され、新たに手柄を立てたものへと与える褒美用地となる。
今回は銀が埋蔵されているのが分かっている。国とて放っておくことは出来ないはず。少々時間はかかるが、銀山の利益そのまま得る事が出来るのであれば、莫大な財産を築けることとなる。
横槍とは、今回の事で一番利益を得られる貴族が一番高い。
残念ながら出自国の貴族すら疎い俺が、隣国の貴族など一人とて知る訳もなく。証拠が無ければ口にするだけでも極刑の対象となるだろう。
この状況においては其の貴族をどうにかするのではなく、彼の寄親の元へと連れて行く事になる。
俺たちと向かう先と同じであれば同行するも問題は無いが、違うのであれば近くまで同行するのか。
彼が此処を通っていた事を考えると。
「其の寄親の元へと行けば良いのか。ジョクラトルの所へ」
「知っておられるのですか。えぇ、ルードゥス領が領主ジョクラトル様へとご助力を嘆願に向かう途中でした」
「ならば話は早い。我々の用もルードゥス領主にある。領主の街まで同行は出来るが」
「問題は野盗ですね。貴方が赤子を連れて逃げ果せたのは知れていますから、追撃があって然るべきでしょう」
「野盗は襲った相手が誰なのか知っていて襲って来たのだろう、ならば後ろに誰かがいると考えるべきであり、下級とはいえ貴族は貴族。其の様なことが出来るのは」
「心当たりは」
「ミネラ領地もしくは銀山か。此の様な事をして最も利を得られる方と考えるにお三方居られます。ただそのうち一つは可能性として低いでしょう」
「ルードゥス領主ですか」
「はい。確かに利益は大きいでしょうが、見返りに対して危険すぎます。ならば何らかの形で発掘作業に関与すれば多少利益は減りますが長期的に見るに安全で利益も多きからです」
「元々寄親であり、どの様な思惑が在ろうとも関係を強化するに銀山は良い手札になるでしょうね」
「もうお二方については、ご迷惑をお掛けするわけにも行きませんのでご容赦ください」
向かう先への最低限の情報。話した処で事態は良くなるわけでもなく、むしろ無関係な人を巻き込み悪化させる恐れがあるが故に語らず。
「ただの怨恨の線はないわけ」
あえて言葉にしなかった可能性はリティスから飛んできた。
「確かにあるかもしれません。人は知らぬうちに恨まれるなど多々ある事。銀山の発見は国への貢献度を鑑みるに多大な功績となりましょう、陞爵も視野に入れると恨みを持たぬ人を探すのが難しい。ですが家督を継ぐお方はクラスお嬢様だけです。婿入りをして繋がりを付ける方が利用価値は高いです」
「つまり怨恨はあるだろうが、貴族殺しまではしないと言う事だな」
「なら二つの何方かの可能性が高いと言う事。しかし此処で話した処で進展はない訳で、ルードゥス領主が居る街へと向かうと言う事で良いですね」
「途中襲撃を気にしながら向かう。リア、済まぬが頼りにさせてもらう」
「え……あ、はい。分かりました」
「さて、今日はもう移動するには少々遅い」
山の木々から覗く日は裾野へと差し掛かろうとしている。山の夜は早い、今は明るくとも日が落ちれば一気に暗くなる。野営準備は今からせねば、暗くなっては薪を拾う事も難しくなる。
火を焚けば煙で居場所を突き止められるやもしれぬが、食事をするに火を使わねば、赤子のご飯すら作れない。
其れにもう一度火を焚いている。場所を移動したい所ではあるが、大した距離を移動出来る訳も無く、此処で迎え撃つ準備をした方が良い。
来るとしたら夜襲だろうから。
「此の様な時ばかり頼むのは気が引けるが、フォスレスもお願いする」
「おや、遠慮する様な事は無いですよ。此れは此れで楽しんでいますから」
少し不謹慎では無いかと、ステルも少し苦言を呈しそうな顔をしていたが恩人に文句を言える訳も無く黙していた。
夜ならば煙はある程度は誤魔化せる。火を囲えば周囲に漏れる明りはある程度は制限される。
何方にせよ完全には程遠く、罠も警鐘も設置する時間は少ない。
「一つ覚えていたら教えて欲しい。野党はどれほどいた」
「三十人ほどかと」
「倒れていた野党と思しき人は八人でしたね」
心の中で善戦したなと、ステルの前で其の言葉は慰めどころか、侮辱されたと思われてしまうかもしれない。
決して多くない護衛で野盗を八人倒し、赤子だけでも逃げ果せたのだ。人数差を考えるに大金星だろう。
「夜襲とならば夜が更けてから、まだ明るいうちは安全と言えよう。今の内に少し眠って体力を回復させておけ。無い事を願うばかりだが、無理か……」
「ネムロスも寝て下さい。見張りは私が引き受けましょう」
「あぁ、お言葉に甘えさせていただくよ。野営の準備が終われば少し眠らせて貰おう」
野営の準備といえどやる事は少ない。薪を拾い石で火を囲う竈を作るだけ。
後は火に釣られてやって来る獣を狩るだけだが、冬故にその心配は要らぬだろう。
旅立ち早々、この様な事態になるとは予想外ではある。
しかし此れもフォスレスと旅に出るとした代償やもしれぬと思う事にして、薪を拾いに森の中へ足を踏み入れた。
いつも読んでいただきありがとうございます。
少しでもおもろいと思っていただけると幸甚です。
よろしくお願いします。