#35 ラウムと執務
一人の兵士が大股にされど静かに廊下を進み、目的の部屋まで来ると扉を開け中へ入ってゆく。
兵舎の一角にラウム等の執務室がある。多くの兵士が鍛練場や街で巡回をするが、机仕事は必ずある。
無論、一人の兵に個室など与えられているわけでもなく、ラウムとて多くの兵士と共に机を並べペンを走らせていることになる。
ネムロスが特別訓練へ参加した翌日、今日も平時と同じく机に向かって書類と戦っているところに、件の兵士がラウムの元へ来ると敬礼し。
「報告いたします」
さて、昨夜は何か問題が起きたとは報告に上がってなかった。
急ぎでないなら報告書と言う形で上がってくる。直接ラウムの元へ報告が来るというならば、それラウムの管轄下で何か起こったという事であり、すぐに判断が必要な事柄という事だ。
走らせていたペンを止めて、彼に向き合う。
「えぇ、お願いします」
「件預かり品を今朝、確認したところ幾つか紛失していることを確認しました」
「忠告を受けていましたが、早かったですね。いえ、予定通りなのかもしれませんが……。それで何が無くなっていたのでしょうか」
「剣と投げナイフが一式です」
「他には」
「ありません。それだけです」
「了解しました、ありがとうございます。紛失物に関してはこちらで対応いたしますので、引き続き管理のほどお願いします」
「了解しました」
返答を聞いた兵は回れ右をして去ってゆく。
さて、不確定要素が動き出した。予想がついていただけに驚くことはなかったが、これからどうなるかは予想どころが想像すら出来ない。
普通に考えれば何事もなく帰ってくる可能性が高い。
街の治安を預かる兵士として平和なのが一番なのだが、それでは困ると思う自分がいる。決して憲兵隊が動くような事態が起こることを望んではいないが、その思いは矛盾している。
最悪の事態を想定して行動すべし。
それは先達者からの言葉。我々兵士の仕事はいつも事が起きてからしか動けない。ならばどのような事態が起きたとしてもすぐに対応できるよう、心構えではなく在り方を説いた言葉だ。
何も起こりはしないと高をくくり、いざ事に当たった時に慌てぬよう、準備をしておく。いつもの事をするだけ。
その範囲が予想できない為、どこまで根回ししておけば良いのか判断し難いが、自分が今までこの場所で培ってきた全てをつぎ込むだけである。
ならばまずは……。
「なかなか手古摺っているみたいだな」
「そうそう上手く行くことなどないのが世の常ですよ。逆に難解と思われたものがあっさりと説けたりするのですが」
ラウムと同じ兵服を着た兵士。灰色の髪は短く乱雑で、成端な顔つきは野性味をも帯びている。
思考に割り込むかのように話しかけて壮年の兵士に、ラウムは当然の様に返事を返していた。
「俺としては反対なんだが、決めるのは俺じゃない。例え……いや、お前の野望に組したのは俺の意思だからこの先に破滅が待っていようと文句はないが、それでも危険要因は少ない方が良い」
「破滅とは言いすぎかと思いますが。私の夢に賛同してくれたのは嬉しく思いますよ。ただ夢破れたとしても、それはいずれ誰かが実現してしまうでしょうが、私がその誰かになりたいと望むからです」
「ま、そのため金と人員を必要としているのは俺も理解しているさ。だが不確定要素の危険性を考えるとな」
「今、その不確定要素が動き始めました。そしてこのまま何事もなく終わるとは思えません。危険性を見極める良い機会なのです」
「どうするつもりだ」
「それは……」
「これはこれは、二人して悪巧みですか。私を仲間はずれにするとは酷いですよ。そのような楽しそうなことは是非、私も混ぜて頂きたい」
「ウィリデ、お前は……」
「これはこれは、申し訳ありません。そう言ったわけではありませんが。そうですね、ウィリデにも手伝ってもらうかもしれませんし……」
「もちろん、何でも言ってください。期待に応えて見せますよ」
壮年の兵にとってラウムは疎かウィリデすら、その微笑みが示す朗らかな雰囲気とは程遠いところにあることを知っている。二人の腹黒さは今までに嫌と言うほど経験しているからだ。
微笑みながら話す二人を横目に壮年の兵は片手で頭を抱えつつため息を吐いていた。
「まだ話は終わってねぇ。見極めるのはいいとして、どう動けばいい」
「実際のところ、事が起こらなければ手を出すことが出来ないところです。ですから網を張ります。そして関係各所に根回しですね。そちらの方は進めていますが、早々に網を張り街の状況を把握したいところです」
「何に対して網を張る? 不正侵入者、脱走、犯罪者。簡単に思いつくところはこんなところだが……」
「すでにこの街に入っていますし、ここから出て行くこともないでしょうが、どのように関わってくる予想が出来ません。まずは街の状況、不審者の情報を集めてください。そして貧困地区、地下街の動きも監視してください」
「犯罪組織に関わるとでも」
「一応ですよ。正直、地下組織などに関わってほしくないのですが」
「後半月ほどで彼の村から子供たちが避難してきますからね。管轄は違いますが何らかの要請が来るやもしれませんしね。忙しくなりそうです」
「そちらもつながりがない訳ではありませんからね。接触してくるやもしれません」
「要するに全てを見張れってか、あまりにも馬鹿げているぞ」
「ですが彼を引き込むための不確定要因が見せた尻尾。ここで掴まなければこちらに引き込む事が難しくなります」
「はぁ……分かった。ラウムがそうなると引かないのは知っている。なら俺は憲兵の方へ連絡をつけてくる。ウィリデは守備兵を頼む」
「了解しました」
「やはり頼れる部下を持つと頼もしいことこの上ありません」
「言ってろ。仕事だから手を抜くつもりはないが、俺は反対なのは伝えたぞ」
「私は彼を仲間というより、友達だと思っています。彼が仲間になってくれると楽しそうですからね。そうなるよう尽力をいたしますよ」
「動かせる人員は動かすつもりです。その方々とも連携を取り合ってお願いします。ウィリデ、そしてリュカン」
二人に言葉を告げると同時に敬礼するラウム。
ウィリデは笑いながら、青年兵……リュカンは嘆息をつきつつそれでも気を引き締めて返礼をした。
二人が去った執務室。多くの机が並んではいるがそこに座る人は少ない。
ラウムの机には積もった書類の他に木切れ、布に包まれた様々な物品。整理され置かれてはいるが雑多に物が多く、散らかっているようにも見える。
椅子に座り、机に向かって顔を顰める。つい禁止されている行為である、足を組んでしまう。
悩んでいる時間があれば、少しでも書類をかたずけるべく手を動かすべきであるが、思考は彼の剣から離れてくれない。
部下の前では毅然とした態度も、彼らを不安にさせぬための気遣いからであり、一人になるとこれで良かったのかと不安に駆られる。
二人にはこの街から出ることはないと言ったが、この街に居る理由もないはず。彼が戻ってくるに合わせて、舞い戻って来れば良いだけであり、そもそも不確定要素がどのような姿かたちをしているかも把握していない。
リュカンに頼めば即席ぐらいは追うことは出来るだろうが、彼はかなり恐れを抱いている。
安易に頼ってしまって何かあったならば切り札を失いかねない。それに街中で人狼の姿をさらしてしまう危険は冒したくない。
賭けに出るにはまだ早い。
それでも動き出している。指をくわえて見ているだけでは捕まえることなど不可能。闇雲に足搔いたところで影さえとらえることは出来ないだろう。
ならば狙いを絞るしかない。間違えていたならば全てが徒労に終わるだろうが、そうなれば諦めるしかない。
自身に先見がなかったという事だ。
これからの先の事を思うと懸念を抱かずにはいられないが、だからと言って止まることも出来ない。
ただ一つの光明は投げナイフ、彼に言わせれば棒手裏剣が同時に無くなっていたという事。
それは不確定要因が持って行ったと考えるられる。
ではどうやって持って行ったのか。人の形を成してないのであれば持てるはずもなく。あまりに荒唐無稽ではあるが、何らかの姿に変えて持って行ったと考えられる。
何らかの姿がもし人であったならば。
鍵のかかった扉から出ることは出来る。兵の駐屯所と言えども中から出る分に対しては警備も緩い故、出てゆく事は難しくはないだろう。
全ては想像だけではあるが、そこに焦点を絞り網を張る。
後は網に掛からずともその影だけでも見ることが出来れば……。
そこまで考えて、息を大きく吐き出す。
狭くなっていた視野が広がり、気が落ち着いて行く。
不意に机の上へカップが置かれる。
「貴方にしては珍しいですね」
「これは副隊長殿。お気遣いありがとうございます。ですが後手に回ることはいつもの事ですので御心配には及びませんよ」
「そうではなく、私が近づいていることが分からないぐらい集中していることです。貴方はいつも根を詰めるところがありますが、常に周囲には気を配っていましたからね。無理せぬよう体には気を付けてくださいね」
「仕事に支障をきたさぬよう、気をつかってはいるつもりですが、ご心配をおかけしてしまったようです」
「救助任務からあまり休んでおられないでしょう」
「そのようなことはありませんが。そうですね、一段落付きましたら少し休みを頂くとします」
「倒れられると私が困るので、早めに体を休めてくださいね」
「ありがとうございます。副隊長殿」
さっと身を翻し後ろでただ纏めただけの金の髪を揺らしながら去って行く。
その後ろ姿を見ながらカップに口をつける。
少し苦味を含むが清涼な香りが鼻に抜ける。お茶、最近巷で流行り始めた香草を乾燥させて作ったと言う高級品。
上流階級にしか卸されていなかったが、最近になり裕福層にも供給されたことにより好まれて飲まれるようになった。
苦味が意識を覚醒させ、香りが気持ちを和らげて行く。
良いお茶です、とその言葉に様々な意味をのせて、去り行く背に頭を下げる。
やはりまだ敵わないなと思いもながらも自身の仕事、副隊長補佐としてと割り当てられた書類に手を伸ばしていった。
本来ならば前話に少し入れようと思ったのですが、少し長くなったため分けました。
ラウム視点です。
一月に一話で申し訳ないです。
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