11話
表紙を開いたまま固まっている俺に気が付いた主任が近寄って来る。
「どうしたんだい?
読めない文字で書いてあったかい?」
俺は体勢を変えずに首だけを主任に向け、
「いや・・・
タイトルだけしか見てないけど、読める。
ただ、この本パンの作り方っぽい。
古文書ってさ、何て言うか、こう・・・古代の歴史とか、戦争の記録とかそんなんじゃないの?
食い物の作り方をさ、今の言葉に変えるって何の意味も無いと思うんだが。」
と、本の内容と解読の必要性があるのかを説明した。
それを聞いた主任が顎に手を当て、
「ふむ。
古文書なんてもんは、昔の文字で書かれた書物全般の事を指しているんだ。
おまえさんが思っている様な歴史だの戦争だのの記録もあれば、こう言う身近なものだって、古文書なんだよ。」
主任が俺を諭すように説明を始める。
「それに・・・
今、あたしらが食べているパンと、1000年前のパンが全く同じ材料で、全く同じ製法で作られているとは限られんだろう?
もしその本に、今では使用しない材料を使い、想像もしない製法が書かれていたとしたら?
あたしらの仕事はね、歴史だろうが料理の作り方だろうが、昔の誰かの知識を今に知らせる仕事なんだ。
全部が全部、実りがある訳じゃないがね。」
何を勘違いしていたんだろう、言われてみればそうだ。
古文書だからって、全てが歴史的な事柄だの偉人の紹介が書かれている訳じゃないんだ。
こういう、生活を支える内容だって古文書だったんだな。
「そうだよな。
内容がどうであれ、読めない本を読めるようにする事に意義があるんだよな。
何か俺、勘違いしてたよ。」
俺の返答に主任が頷き、席に戻っていく。
「まぁ、パンなんて今も昔も作り方なんざ、変わらないだろうけどね。」
余計な一言を呟きながら・・・
主任によって上がったやる気を、主任によって限界まで下げられた後、俺は翻訳を開始する。
タイトルの書いてあるページの内容を翻訳して書き写し、ページを開く。
なになに・・・
この本を読む者へ
パンを作るのに愛情など必要なく、必要なのは良い材料である。
その事を忘れる事無く、精進する事を切に願う。
タイトルと言い、前書きと言い、この作者はパン屋の娘に振られでもしたのだろうか。
1000年前の色恋沙汰なんてどうでもいい、必要なのは内容だ、さっさと始めよう。
---
初出勤から三日目の朝礼。
クリスの報告が終わり、俺の番。
「パンの材料買って来る。
で、作ってみる。 以上。」
特に問題なく、愛情のいらないパン作りの製法の翻訳が完了して、主任に報告したところ、
「んじゃ、パン作ってみるか。
これも研究の一環さ。」
と、さらっと仕事を増やしてきた。
材料を買いに出かけるタイミングで、「ギルドに発注書も渡してきて」とさらに仕事を増やされ、辟易しながら商人ギルドに到着し、受付のテーブルに発注書の束を置きおばちゃんに話しかける。
「すんませーん。
帝国博物館です。
発注書ってここで出せばいいんですかー?」
俺を見たおばちゃんが俺の出した発注書の束を受け取り確認を始める。
「えぇ、発注書の受付はここで大丈夫よ。
お嬢ちゃん、随分若そうだけど見習いかい?
博物館に見習いが来るなんて久しぶりだねぇ。
それじゃ、注文受付書作るから、30分位待ってて頂戴ね。」
おばちゃんに返答を貰い、待ってる時間で小口売り用の物販コーナーへ向かいパンの材料を見繕う。
「俺」の好物だった豆が売ってるので思わす一緒に買ってしまったが、きっと経費で落ちるはずだ。
購入した材料と豆を入れた袋を背負いつつ、豆のスープで頭がいっぱいになりながら受付に戻るとおばちゃんが声を掛けて来る。
「博物館のお嬢ちゃん、注文受付書の作成終わったよ。
はい、これが注文受付書ね。
・・・それと、この発注書はうちじゃなくて冒険者ギルドになるね。
ほら、ここに冒険者ギルド宛って書いてあるでしょ。」
注文受付書と一緒に発注書を一枚返してくる。
書類を受け取りながらおばちゃんに、
「冒険者ギルドって何?」
聞いた事も無いギルドの名前を質問した。
俺の質問におばちゃんは少し驚きながら、説明してくれた。
「お嬢ちゃんはまだ、学生さんだから知らないかな?
冒険者ギルドは、魔物の討伐や町の外へ出る人の護衛、指定した物を採集したり、
まぁ、簡単に言えば何でも屋をまとめるギルドだね。」
・・・なるほど、「俺」の時代はそれを「傭兵ギルド」って言ってたんだが、名前が変わったのか。
場所を聞いたら結構近場だったので、ついでなので足を延ばすことにする。
10分もしないうちにギルドの前に着き、見上げるとギルドの紋章は「傭兵ギルド」のものだった。
早速中に入り商人ギルドと同じ要領で発注書を出し、注文受付書が出来るまでギルド内を回ることにする。
身なりの良い奴から、その日暮らしの柄の悪いのまで屯しているが、「傭兵ギルド」で感じるような何時でも小競り合いが始まるようなピリピリ感が無い。
平和な時代になったもんだぁと思いながらうろついていると、
「あら、こんなところで何をしているのかしら?
女の子が一人でいると危険よ。」
優しく微笑み、清楚だが胸元だけは女の色気を出すように強調した服を着た女が話しかけて来る。
娼婦と異なり清楚さを出しながらも、女の色気は放つ女。
鼻の下を伸ばす男にも、節度を守れる男にも、同性にも、子供にも受けの良さそうな笑顔と喋り方の女。
「俺」は知っている、このタイプの女は必ず裏がある。
周りを見ると案の定、俺がカモにかかったと思いあざ笑う奴らが目に入る。
・・・そろそろ注文受付書が発行される時間だから無視するか?
・・・いや、その強調されたバインバインを揉みたい!
俺は振り返り、微笑みながら世間知らずの小娘を演じる。
「そうなんですか?
私こういうところに来るの、今日が初めてなので知りませんでした。」
微笑みを崩さないが、俺が釣れたと勘違いした女の瞳が爛と輝き話しを続ける。
「そうよ、ギルドの中でもここら辺は怖いお兄さんたちがいっぱい居る処なのよ。
さ、私が安全なところまで連れて行ってあげるわ。」
俺に近づき、案内をする様に肩に手を掛けつつ受付の方へ意識を向けさせた瞬間、女の手が俺の懐に近づいて来る。
・・・もにゅん。
俺の懐に女の手が届く前に、俺の手がバインバインに届き揉み始める。
バインバインさいこー。
我に返った女が小さい悲鳴を上げて一歩遠ざかる。
それなりに堪能した俺は、
「ごめんなさい、お姉さん。
私、お姉さんみたいな素敵な体が羨ましくて・・・つい。
お姉さん、安全な場所へ連れて行って頂けませんか?」
余韻の残る手を差し伸べ演技を続ける。
突拍子もない行動に毒っ気を抜かれた女が俺の手を取り、受付に引いて行ってくれる。
「も、もう、女の子一人であっち側に行っちゃだめよ。」
立ち去ろうとした女の手首をつかみ俺は女の掌にあるモノを握らせる。
自分の手の中にあるモノを見た女が驚きの声を上げる。
「え? な、何で私のお財布が・・・」
俺は、微笑んだまま女に顔を近づけ小声で呟く。
「やるならもっと上手にやらないとだめだよ。
おねーさん。」
呆然としている女を置き去りにし受付で注文受付書を受け取り、ギルドを出る。
さ、帰って豆のスープ作ろう。
・・・じゃなかった、パンを焼こう。