第7話
専用駐車スペースにジャガーを止める。スタジアムホテルの地下二階の駐車場だった。
車から降りてエレベーターに向かう途中、進藤翔はふと背後に殺気を感じる。
「キェェェェェー」
ドスが進藤に襲いかかる。アロハシャツを着たパンチパーマの若い男だった。
進藤はかろうじてよける。
パンチパーマの男はドスを構えたまま、進藤をにらみつける。
ドスがもう一度進藤に襲いかかる直前、進藤は前蹴りで男の右膝を蹴る。
「痛っ」
男はドスを落とし、右膝を抱えてうずくまる。
進藤が履いているジョンロブのビスポークシューズは仕掛けがしてあった。
足全体をクッションで覆い、その外側に真鍮を詰めてある。ナックルダスターをはめて殴るときと同様、この靴を履いて相手を蹴ると、破壊力が著しく強化される。
フランス外人部隊時代に進藤が修得したロシア生まれの軍隊格闘技、システマでは、格闘を開始するとき、まず相手の膝に前蹴りで攻撃して相手のバランスを崩すのが定石の攻め方だった。
だからこのジョンロブの仕掛け靴は、システマの上級者が使うと、白兵戦では無敵の武器になった。
進藤は男の片腕をつかんで投げ飛ばす。男は地面に仰向けになる。進藤は素早く背後から相手の上半身を起こし、腕をねじ上げる。
「やめてくれ」男が叫ぶ。「お願いだ」
「誰に頼まれた」進藤が男の耳元で囁く。「言わないと腕をへし折るぞ」
「誰にも頼まれてねえよ......」
進藤は腕を少し強くねじ上げる。すると男は悲鳴を上げる。
「お前のボスは誰だ。どこの組のものだ。しゃべったら命は助けてやる」
男はなかなか口を割ろうとしなかったが、そのうちに根負けしてしゃべり始めた。
男は広域暴力団、林冲会に属する鉄砲玉の大村という者だった。進藤を殺すよう組の若頭に命令された。若頭からは、「これは占部先生直々の命令だから、絶対しくじるな」と言われた......。
進藤は男の背中を軽く蹴って男を解放した。男はしくしく泣きながらその場を走り去った。
エレベーターでスタジアムホテルの一階に上り、カフェバー『ロンドン・カレー』で夕食を済ませる。久しぶりにマトンカレーを食べた。
その後、再びエレベーターで最上階、二十階のペントハウスに上る。進藤はここに一人で住んでいた。
スタジアムホテルは浦和美園の埼玉スタジアム2002に隣接したホテルだ。
最上階のペントハウスの窓から、スタジアムが見下ろせる。サッカーの試合はここから好きなだけ観戦できた。
ペントハウスは5LDKの間取りだった。
シャワ―を軽く浴びた後、書斎のデスクトップPCの前に腰掛け、ネットサーフィンしてみる。
自由共和党幹事長、占部順二という男は日本のフィクサーと呼ばれていた。ブログやSNSで占部に関する情報はまちまちだったが、総合すると占部は広域暴力団、林冲会の最高顧問と、大手宗教団体、愛国宗の名誉理事の二つに、非公式ながら就任しているらしい。
幹事長ながら自由共和党内での実力は絶大で、党総裁にして内閣総理大臣の村野凜太郎も、実質的に占部の部下でしかない。
さらに占部は株式会社コジローの特別顧問も務めている。
だとしたら合点がいく。進藤はそう思った。おれがコジロー社を乗っ取ろうとしたので、占部は林冲会に手を回して、おれを消そうとしたのだろうか。
それにしろ、コジロー社の沢崎社長を”カレー”のターゲットにしたと思ったら、いつのまにか日本のフィクサーまで敵に回していたというわけか。
どうも話がややこしくなってきた。こいつは思っていたより、”辛口”の仕事になりそうだ。
すると玄関のテレビドアホンが鳴る。
こんな時間に誰だろう。またしても第二のヒットマンがやって来たのかな。
しかし書斎を出てリビングルームに行くと、テレビドアホンのディスプレイに現れたのは、進藤がよく知っている女だった。
フリーアナウンサーの日下部紗枝。今年、三十歳だ。
ゴシップ系週刊誌につきまとわれるようになってからは、逢瀬の頻度を減らした。
ある週刊誌には二人の仲は破局したと書いてあったが、それは半分正しく、半分間違っていた。
会うたびにけんかしては別れ話になる。その後ですぐ仲直りする。仲直りするとまたすぐけんかする。
つきあっているとも別れているともつかない中途半端な状態がだらだら続いていた。
進藤は玄関に行き、ドアを開ける。
地味な服装ながら、ミディアムボムの知的顔立ちが男心をそそる。
「今晩、泊めて」紗枝が言う。「いいでしょう」
「わかった、わかった」進藤が言う。「今日はいいけどさあ、ここに来るときは、事前に電話しろっていつも言ってるだろう。そうじゃないと、他の女とかち合っちゃうよ」
「何ですって。あなたがあたし以外の女と付き合ってるのが間違いなのよ。他の女と全部別れなさい」
「無茶言うなよ」
紗枝が不機嫌な表情で玄関を上がる。
「あなたって最低な男......」