第15話
『ロンドン・カレー』で夕食を済ませ、松山警部と別れると、進藤翔はエレベーターで最上階のペントハウスに上る。ここが進藤の自宅だった。
シャワーを浴び、Tシャツとジーンズに着替える。
リビングルームのテレビをつける。DVDプレーヤーにブルーレイディスクを差し込む。ボーズのスピーカーから音楽が流れる。
バイロイト祝祭管弦楽団によるワグナーのオペラ、『パルジファル』だ。
テーブルの上にはワイングラスとロマネ・コンティのボトル。さらにその隣にはダイヤを散りばめた金のドミノマスクが置いてある。
進藤はリクライニングチェアーに腰掛け、ワインをグラスに注いで一つ口飲む。
このドミノマスクは二〇一一年初、進藤がヨーロッパに長期出張したときに買ったものだ。
パリ、デュッセルドルフ、ミラノ......ヨーロッパ各都市のIT企業と業務提携し、シンドバッド社のショッピングサイトの充実を図った。
ミラノでの仕事が終わったとき、ヴェネチアまで足を延ばして旅行した。そこでこのマスクを民芸店で買った。十八世紀頃、ヨーロッパ貴族が仮面舞踏会に使った骨董品とのことだった。
「これはねえ。あの有名なカサノバがかぶっていた仮面じゃよ」
店主の老婆が言い、同行した現地通訳が即座に英語に訳した。
「昔は富豪がオークションで争って手に入れたお宝なんだけど、持ち主が不幸になるという噂がたってからは値が下がったんじゃ。
なんでもカサノバは錬金術や魔術に通じていたから、仮面に呪いをかけたらしい。この前の持ち主はサイコキラーだった。仮面をかぶって無差別に通りを歩いていた五人の人をナイフで殺し、最後は自殺したんじゃよ」
進藤は老婆からねぎって、五百ユーロでドミノマスクを手に入れた。
ところが三月十一日、東日本大震災が起き、進藤は急遽、帰国した。
実家の岩手県気仙沼は壊滅状態だった。実家は食品工場を経営していて、工場の二階に両親と兄夫婦が住んでいたが、建屋ごと流されてしまった。
東京の大手新聞社に勤める弟の潤と現地で再会した。
両親と兄夫婦の遺体は別々に二週間以内に見つかった。進藤は潤と現地で簡単な四人の葬式を上げた。他の被災者と同様、毎日、毎時間ごとに大勢の遺体と合同で行う葬式だった。
「兄さん。この東日本大震災が人工地震だって知ってる?」
葬式を終え、ホテルに帰る途中、潤が奇妙なことを口走った。
「ネットで調べてごらん。これはただの自然の地震や津波じゃないよ」
潤の話はこうだった。
米軍の指示で海底採掘船が太平洋の海底に三つの核爆弾を埋め、爆破した。これにより海水が地底に浸み込んでマグマに接触し、核融合反応を起こして巨大地震が起きた。
この地震が海流と共鳴して巨大津波を引き起こした。
「どうして同盟国の米国がそんなことをするんだい?」
進藤が尋ねると潤は、
「同盟国じゃないよ。宗主国だ。日本は米国の植民地。独立国家じゃないよ」
米国が人工地震と人工津波を起こして、東北の人々を殺したのは二つの理由がある。
一つはドルを防衛するための経済的理由だ。
米国の財政赤字は十七兆ドルでほとんど国家デフォルト状態だ。軍事力と経済力の二つで世界の覇権国家だった米国にとり、ドルが世界の基軸通貨でなくなることは、覇権国家の座を失墜することを意味する。
そこで日本円の価値を下げ、相対的にドルを強くしなくてはならない。日本が大災害に見舞われれば、ドルの価値を維持できる。
もう一つの理由がアジア・アフリカ人の人口削減計画だ。
アジア・アフリカ人の人口が増えすぎると、白人支配が崩壊してしまう。
そこで定期的に戦争を起こしたり、災害を起こしたりして有色人種を間引きしなくてはならない。
「でもおれの知り合いのアメリカ人は」進藤が言う。「日本人を間引くなんてこと考えてないと思う」
「日本人も米国人も九十九パーセントの人は真実を知らされていない」潤が言う。「わずか一パーセントのエリートがわれわれ九十九パーセントの庶民を家畜のように管理してるんだ。牧場の農夫が家畜を買ったり、売ったり、屠殺したりして家畜の数を管理するのと同様、彼らはわれわれの生殺与奪を管理してるんだ」
実は日本政府は真実を知っている。知っていながら庶民にそれを教えない。
つまりここで大事なのは、われわれ庶民は自国の政府と海外の政府の両方を警戒すべきだ。片方が善玉で片方が悪玉ということはありえない。
両方を悪玉、両方とも”敵”と疑ってかかるべきだ。潤は熱心にそう語った。
だが、そのとき進藤は潤の言葉がよく理解できなかった。
東京に戻った後、ある日、潤がスマホに電話をかけてきた。そのとき進藤は会社のビル内にいた。
「兄さん、おれ今、命をねらわれてるんだ」
「えっ、誰に狙われてるんだ?」
「わからない。多分、大物政治家がヤクザの殺し屋を雇ったんだと思う」
「何で潤が命をねらわれなくちゃならないんだ」
「実は新聞に311が人工地震であるという記事を書いたんだ。新聞は一部印刷された後、別の原稿に差し替えられた。これは最高機密だから、やつらはおれを消そうとしているんだ」
そこで不意に電話が切れた。
進藤は妙な胸騒ぎがした。
翌日の夕方、警察から電話がかかってきた。
弟の進藤潤の死体が東京湾で発見された。残された唯一の遺族である自分に本人確認をしてほしい、とのことだった。
中野の警察病院の霊安室で進藤は潤の遺体を確認した。警察の話では潤は他殺だという。首に絞殺された後がある。
「どうしたんだ、潤。どうして死んだんだ」
進藤は死体の上に泣き崩れた。
その後、潤を殺した犯人は捕まっていない。
進藤はドミノマスクをかぶり、洗面台に行って鏡を見る。
そこには自分とは別人格の男が立っていた。
その男の名はターメリック。
それは死神の化身だった。地獄から来た血に飢えた死刑執行人だった。
潤は殺し屋に殺された。雇ったのは大物政治家と思われる支配者層。雇われたのはヤクザの殺し屋。
だったらその逆の殺し屋はいないのか。被支配者層たる庶民が雇う殺し屋。殺す標的が支配者層の殺し屋。
おれはあのとき誓った。
庶民を家畜のように殺す連中は悪魔だ。彼らのような悪魔を倒すには、それ以上に邪悪で残酷な悪魔を自分の体内に召喚するしかない。
進藤は鏡を殴る。
バリッという音。鏡が割れ、ガラスの破片と血が飛び散る。