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空飛ぶカレー本舗  作者: カキヒト・シラズ
第2章 若い女とカレーには目がないんだから......
14/20

第14話

 週末の夕食は、いつも『ロンドン・カレー』で済ませることにしていた。

 自宅のスタジアムホテルの一階にあるカフェバーだ。

 フォン・ド・ボーを出汁に使うイギリス風カレーは、進藤翔のお気に入りだった。

 いつも多くの女に囲まれていながら、いまだ自分が独身なのは、この店に通っているからではないか、と思うことがある。

 まずくて食えないカレーしか作れない女とは、一緒になる気になれない。だがこの店に通ううちに舌が肥えた自分は普通のカレーでは満足できない。理想が高いのだ。

 女の理想が高いのでなく、女が作るカレーの理想が高い。それもすべてこの店のカレーが絶品過ぎるせいだ。

 いつものように奥の席でビーフカレーを食べていると、人が近寄ってくる気配がある。

「ここに座っていいですか、進藤さん」

 顔を上げると松山孝三だ。

「こんなふうに突然おじゃまするのは失礼でしょうか、進藤さん。今日はぜひともあなたにお話したいことがありましてねえ。

 いつもは美人とデートされてる進藤さんですが、今日だけ特別に、私のようなおやじのお相手でもしてもらえないでしょうか。それともカレーがまずくなりますか」

 進藤の驚いた顔を見て、松山はしたり顔になる。不意をつかれると、どんな強靭な相手も途端にもろくなるものだ。

「あなたは確か......」進藤が言う。「埼玉県警の松山警部でしたっけ」

「ほお、覚えていただいてましたか。光栄ですねえ」

「まあ、座ってください」

 松山は進藤に向かい合うように座る。

 ウエイターが近づくと、松山は進藤のカレーを指して「同じもの」と言う。

「アリバイ工作、見事でしたねえ」松山が言う。「だまされるところでしたよ」

 松山は進藤が逮捕されてから、三日後に既に拘置所を出所していること、通信社やマスコミのサーバーに侵入して、進藤が出所したニュースを世間に流さなかったこと、そしてまだ進藤が拘置所にいると思わせておいて沢崎を殺害したこと、新製品の記者発表の席で、つい二日前に出所したと嘘をついたことを説明した。

「警部さんはまだ私が『空飛ぶカレー本舗』事件の犯人だと疑っているのですか」

「なぜ嘘をついたんです。あなたは七月十二日ではなく、六月三十日にすでに出所していた。その間、どこで何をやっていたんですか」

「実は休みたかったんですよ。社長をやってみるとわかりますが、激務なんです。拘置所から出所したとき、すぐに会社で働かず、いい機会なんで一週間くらい休みをとったんです。毎日、自宅でごろごろしていました。そして七月十二日に出所したことにして、次の日から会社に出勤しました」

「あなたは社長でしょう。好きなときに休んではいかがですか」

「そうはいきません。社長が仕事をさぼっていると、社員が真面目に働かなくなります。だから一週間、休んでいたのでなく、拘置所にいたことにしたんです」

「沢崎小次郎が殺された七月四日の午後四時から八時くらいの間、あなたはどこで何をしていましたか」

「自宅でごろごろしていたと思います」

「それを証明する人はいますか」

「いいえ」

「ただわからないことが一つあります。

 あなたは拘置所から出所するとき、保釈金を三百万円払いましたねえ。それだけじゃありません。この他、弁護士料も支払っているはずです。

 ところがあなたは一袋三十万円でレトルトカレーを販売し、それで”殺し”を請け負っている。完全な赤字じゃないですか。

 どうやって”殺し屋”ビジネスで商売をやってるんですか?」

 進藤は松山の顔を見て、勝ち誇ったように不敵に微笑む。

 一体、この男、何を考えているのだろう。松山はいぶかる。自信に満ちた落ち着いた表情。まるで自分の手の中ですべてが回っているとでも言わんばかりの余裕じゃないか。

「もし仮に」進藤が言う。「あなたが言うようにもし私が『空飛ぶカレー本舗』の犯人だとしたら......こんなふうに考えます。

 おそらく、”殺し”サービスは犯人にとって生活費を稼ぐ仕事でなく、慈善事業のボランティアなんです」

「えっ?」

「犯人は仕事は別に持っている。その上で、世のため人のために利益を度外視して”殺し”をやっている。だって『空飛ぶカレー本舗』はネットの噂では、”殺し”を依頼しても審査があるということですよ。

 単なる個人的怨恨の”殺し”はだめで、社会的に世直し目的の正義の”殺し”だけしか請け負わない。これが『空飛ぶカレー本舗』です。

 だから赤字でも犯人は”殺し”を遂行できるんだと思います」

「私のような警察の人間から言わせれば、”世直し目的の正義の殺し”なんて表現自体が鼻持ちならないですなあ。悪人を懲らしめるのは警察の仕事です」

「......」

「でも進藤さんが言うようにボランティア活動で”殺し”をしているとしたら、なぜ最初に三十万円取るんですか。無料でもいいじゃないですか」

「依頼人の本気度を知りたいんです。確かに無料にした方が貧乏な人にとって、より簡単に”殺し”の依頼ができるようになります。だけど無料だとふざけて依頼をする人が出てくる。

 ところが三十万円払わないと依頼ができないとなると、依頼する方でもみんな真剣になります。真剣に考えた上でそれでも依頼すべきだと判断した人が、”空飛ぶカレー”を買う。

 だから犯人としてもこれはふざけた依頼ではないと信じられるんですよ。

 もちろん、赤字とは言え、少しでも依頼人から予算の一部を援助してもらいたいという経済上の気持ちもあるでしょう」

「なるほど。でも、もう一つわからないことがあります。犯人はなぜ”殺し屋”サービスを始めたんでしょう。ボランティアとは言え、犯人が”殺し屋”をやらなくてはならない動機がどうしてもわからないんです」

 進藤はまたしても不敵な笑みを浮かべたまま何も答えない。進藤の上から目線がどうしても気に入らない、と松山は思う。

「進藤さん答えてください。”殺し屋”をやり始めた本当の動機は何ですか」

「さあ......どうしてでしょう。よほど特別な事情があるんじゃないですか」

 ウエイターがビーフカレーを運んでくる。

 松山は一口スプーンですくって口に入れると、「辛っ」と言って咳き込み、コップの水をがぶ飲みする。

 それを見て進藤は噴き出す。

「警部さん、この店のカレーは辛口なんですよ」

 いつか近いうちに、必ずお前をお縄にしてやるぜ。松山は辛口カレーを食わされた恨みをこめて、心の中で激しく毒づいた。


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