第13話
株式会社コジローの社長室のドアをノックする。
「失礼します」
田村静江はソファーに腰掛けている来客と社長にアイスティーを配る。
来客はシンドバッド社の社長、進藤翔。テレビで見るより、やや背が高く、理知的な顔立ちだ。
間近で進藤を見た静江は思わず胸がときめき、一瞬、茫然とする。
静江が部屋を出ようとすると社長の中島正雄が呼び止める。
「田村君もちょっとここに来てくれないか」
「はあ」
「議事録じゃなくていいから、メモとってくれないか。私一人だと何話したか忘れるんでねえ」
まだボケる歳でもないでしょう。静江はそう思ったが、メモ帳を出して開いている場所に座る。
「メールでもご説明いたしましたが」進藤が言う。「今日お伺いしましたのは、御社の買収の件です。と言いましても、御社を丸ごと買い取るのではなく、選挙サポート事業部だけを私どもに買収させていただきたいのですが.....」
参議院選挙ではコジロー社の信用は地に落ちた。
総務省のサーバーと同社の集計システムにウイルスが入ったことが判明し、開票作業はもう一度最初からやり直した。すべて手作業で行われた。
その結果、テレビ開票速報のような与党候補全滅にはならなかったが、与党は前回より大幅に議席を落とした。野党はほぼ横ばいの微減。泡沫候補とされる無所属議員が飛躍的に議席を伸ばした。
内閣総理大臣にして自由共和党総裁、村野凜太郎の去就が注目される中、辞任は固辞したが九月の総裁選では再出馬しないことを明言した。マスコミはこれを村野内閣の”緩やかな辞任”と評した。
政府は今回の自体を受けて、今月末の都知事選ではコジロー社の集計システムを一切、使用しないことを明言。また今後の選挙でも、選挙サポートサービスを委託する民間企業の選定基準について、大幅に見直す意向を明らかにした。
「君ねえ......」中島が言う。「選挙サポート事業はうちの主力事業なんだよ。他の事業を売却するのはともかく、これだけは売るわけにはいかないねえ」
「ですが社長」進藤が言う。「今回の参議院選で、御社の株価は急落しました。上場も廃止されましたよねえ。実は現時点で弊社が御社の株式の四十パーセント弱を保有しています」
「......」
コジロー社は選挙サポート事業部の他に、産業機器、民生機器、医療機器など様々な事業部を抱えていた。
「御社の決算書を拝見させていただきましたが、選挙サポート事業部以外の事業部は、ここ数年、売上や市場シェアも堅調に推移しています。ですから、今や最大の不採算部門となった選挙サポート事業を売却することが、御社にとっても大きなメリットがあるはずです。
実はもう、新しい社名まで考えてあるんです。シンドバッド・パブリックサポート社。いかがでしょうか。
貴社が選挙サポート事業部をうちに売却していただけたら、すぐにこんな社名に変更しようと思います」
「とにかく、だめなものはだめだ。今日は帰ってくれたまえ」
「わかりました。今日のところはひとまず退散いたします。しかし、どうかもう一度ご検討ください。私どものこの提案は、中島社長にも必ずご理解いただけるものと信じております」
進藤は無表情のまま、一礼して立ち上がる。
「こちらです」
進藤が出口を探している様子だったので、静江はドアを開けて出口を示す。
「どうもすいません」
部屋を出るとき、進藤はふと一枚の名刺を床に落とす。静江はそれに気づいて急いで拾う。
「落ちました」
静江は進藤を呼び止めようとする。だが進藤は気づかず、廊下のエレベーターに乗り込む。
「待ってください」
しかしエレベーターのドアはすでに閉まっている。
静江は吐息を漏らす。ふと進藤が落とした名刺に目を落とすと、そこに奇妙な商標を見出す。角なし四角で囲まれた茶色い文字だ。
――『空飛ぶカレー本舗』
松山孝三は朝から埼玉県警本部刑事部捜査一課のデスクに詰めていた。
「警部」部下の刑事、雨宮昌文が言う。「一通り、調べてみました」
「ご苦労。で、どうだった?」
雨宮の話では、東京拘置所に取材に来た三つの通信社の本社サーバーは、進藤が出所した直後ぐらいから、いずれも何者かに不正侵入されたという。
このためマスコミ数百社に送るはずだった、進藤が拘置所から釈放されたニュースのプレスリリースは消されてしまい、ほとんど送信されてないということだった。
またマスコミ各社のサーバーにも同じ頃、何者かの不正侵入が相次いだ。
いくつかのポータルサイトのネットニュースで、進藤が拘置所から釈放されたニュースがアップされると、すぐに消されたという。
新聞、テレビでは通信社のプレスリリースが届かなかったため、一切、報道されなかった。
「ところで雨宮君、誰がマスコミ各社のサーバーに不正アクセスしたのかな。進藤自身は時間的にハッキングは無理だろう。拘置所から自宅に向かう途中ぐらいの時間にハッキングする必要があるだろうし......」
「はい、サイバー犯罪対策課に調査依頼したところ、IPアドレスは秋葉原のメイド喫茶からだとのことです」
「じゃあメイドがハッカーなのか」
「いえ、喫茶店に通う客の可能性もあるとのことです」
「進藤のことだ。シンドバッド社のプログラマーかもしれないし、フランス外人部隊で知り合ったサイバー工作員かも知れない。おそらく仲間がいるんだな。そいつがメイド喫茶でハッキングした。
おれの推理はこうだ。
進藤はアリバイ工作のためにまず東京地検に捕まった。そしてマスコミ各社のサーバーをハッキングして、すぐに出所したことを隠した。世間にはまだ自分が拘置所にいると思わせて、沢崎を殺害。そして、ほとぼりが冷めた頃に記者発表を開いた。表向きは新製品の発表だが、そのついでに、発表の二日前、つまり沢崎が亡くなった後に自分が出所したという嘘の情報をアッピールするためだ」
「手の込んだことをやりますねえ。そういえば、この前の参議院選挙で話題になったコンピュータ・ウイルス事件も関係してるんでしょうか」
「さあな」
今晩、進藤に会って”ゆさぶり”をかけてみるか。松山は胸の中でつぶやく。
進藤の私生活は十分、調べ上げた。今夜、あの店で夕飯を済ませるだろうことも調査済みだ。




