序曲
夜が俺の縄張りだった。
昼間は何もしないで、ただだらだらと時間が過ぎるのを待っていた。たいてい家にはいなかった。学校に行っていた記憶もない。
家を自分の居場所だなんて思ったこともない。考えただけで吐き気がする。俺の親が何をしているかなんて、どんな仕事をしているだとか、俺のことをどう思っているだとか、そんなこと俺には一切関係ない。
太陽が空にあるうちは、目的もなくただ街を歩いているか、知っている顔を見かけたらゲーセンで騒いでいるか、コンビニに入って適当にものをあさって、金が尽きれば誰かを捕まえて金をせしめるなりして、またゲーセンかコンビニに直行する。
そんなことを繰り返すだけだ。
楽しくない。面白くない。つまらない。
昼間は刺激がなくて、どんな娯楽も何か欠けていて、だらだらと緩やかに過ぎていく時間が、ひたすらつまらない。
昼なんて、いっそなくなっていい。太陽なんか、消えてなくなればいいだ。日常なんて、ぶっ壊しちまえ。
――俺たちはお前らとは違うんだ。
夜が俺たちの縄張りだった。
バイクに跨ってひたすら町中を駆けていく。町だけでなく、山の中や湖の近くに行ったり、隣の町までバイクを駆けずり回したり、とにかくどこでもいいからバイクを引っ張り回していたかった。
アクセルを吹かして、やかましいくらいの音楽を鳴らして、無茶苦茶な運転をして、俺たちは人間たちが寝静まる夜の中で滅茶苦茶に騒ぎまくった。
他人のことなんか、知ったことじゃない。俺たちは、俺たちのやりたいようにやるだけだ。文句を言う奴には、容赦しない。
夜は俺たちの居場所で、世界だ。夜じゃ、俺たちが支配者だ。誰にも文句は言わせない。誰の指図も受けはしない。
喧嘩もやった。族同士の喧嘩なんてしょっちゅうだった。
どっちかがどっちかに喧嘩を吹っ掛ければ、グループ全員で喧嘩が始まる。適当な因縁を作って相手側を小突いて、そうすれば相手も黙ってはいない。すぐに人を呼んできて、こっちも負けるわけにはいかないから仲間総出で相手になる。
喧嘩のときには、何を使ってもいい。バットを持とうが、刃物を使おうが、一向に構わない。勝つためだったら、手段は選ばない。どんな手段を使っても、勝てばいい。負けた奴の言い訳なんて、何の意味も持たない。
敗者には、それなりの制裁を受けてもらう。執行権は、全て勝者に委ねられる。
負けた連中全員を気が済むまで殴り続けるも良し。木に縛り付けてバットで殴るのも良し。木に吊るして一時間放置するのも良し。池に沈めるのも良し。バイクで引きずり回すのも良し。ライターで炙るのも良し。生爪剥ぐのも良し。高さ何十メートルもある鉄橋から川へ突き落とすのも良し。
リンチに手加減はない。
だから俺たちは命懸けで喧嘩をする。ビビッて逃げ出すような奴には、それなりのけじめをつけてもらう。族抜けは裏切りだ。裏切り者には、それなりの罰を与える。俺たちの手で、徹底的に。
警察に追われるのは慣れていた。騒げば必ず警察が出てくる。喧嘩やバイクで町中を駆け回っているときには、どこからか湧いて出てくる。
あのパトカー特有の喧しいサイレン音が耳に入ってくる。ハッとしたときには、音が周囲を取り囲んでいる。こっちに向かって近づいてくるのがわかる。だんだんと、追い詰められていく。
バイクに乗って、ときには車にも乗ったが、俺が好きなのはやっぱりバイクだ。バイクに跨って、エンジンを最大限まで吹かして、一気に駆け出す。
路上に出れば、赤いランプが夜闇を彩っている。サイレンの音が、喧しく騒いでいる。あの白い車の姿を見ると、俺の心臓は一気に高鳴る。
最高の瞬間だ。
胸が騒ぐ。胸が躍る。アドレナリンが体中を駆け巡って、俺を熱くさせる。体中のぞくぞくが止まらない。
捕まるのか、逃げ切れるのか、この勝負している感覚がたまらなく気分がいい。ギリギリのコーナーを曲がって、車の間を抜けて走って、車道も路上も関係なく速度を上げる。
捕まるなんて、思っちゃいない。降参なんてありえないし、取り押さえられるつもりもさらさらない。
待ち伏せされても、細い路地を通り抜けるか、無理矢理突っ込んで通り抜ける。バイクがダメになったら、別のバイクをパクればいい。
もっと重要なのは、集中力だ。
事故らないための集中力。
最高速度で、難しいコーナーを曲がる。凹凸の激しい道でも速度を上げるから、途中で転ばないように目を凝らす。
もしバイクの操作を誤ったら、そこで死亡。そんな命がけの勝負が、そのスリルが、無性に俺を掻き立てる。
――お前たちには従わない。
その夜、俺たちはいつものように夜の町を疾走していた。
理由は喧嘩だ。仲間が別のグループと小競り合いしているらしく、加勢するために、俺は先頭を走った。もちろん、俺たちがボコボコにして返り討ちにしてやるつもりだ。
仲間が言うには、山の中で始まってるらしい。俺たちは山道を走った。最近になって道路工事を始めたらしく、思うようにスピードが出せない。明かりもなくて、視界が悪い。俺はとにかく頂上を目指した。
小一時間は走っていったところで、急に視界が開けた。俺はバイクを止めた。
山の中心を切り崩したように、そこだけ広々としている。崖のように辺りを囲み、その上には木々がそのままの形で生えている。
俺はすぐに異変に気付いた。
誰もいない。
誰かが喧嘩をしているどころか、喧嘩をしていた様子すらない。誰もいない山の奥地で、バイクのエンジン音だけが唸りを上げていた。
「おい、どうなって」
振り向いて、俺は目を疑った。
誰もいない。
さっきまで俺の後を仲間が付いてきていたのに、いつの間にか誰もいなくなっている。分かれ道もなかったし、分かれるはずがない。
訳が、わからない。どうなっているのか、理解できなかった。何も頭に浮かばなくて、完全に思考が停止していた。
――カッ!
木々の間から明かりが点いた。
――カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、カッ!
辺りが急に明るくなる。
「!」
眩しくなって、俺は咄嗟に腕を翳す。あまりの光に、目を細める。
誰かがスピーカーで叫んでいる声が聞こえる。だが何を言ってるのかわからない。俺の頭には、何もかもがわからなかった。
何をしていたのかも、よく覚えていない。たぶん、バイクでメチャクチャに走り回ったんだと思う。回りを、ヘルメットを被った黒い連中が取り囲んで、何人か轢いたと思うが、記憶にない。
どこにも逃げ場がなくなって、バイクから引きずりおろされて、煌々とライトアップされた山奥の中で、黒いヘルメットが俺を取り囲んで、何度も何度も警防が振り下ろされて………………。
結局、俺は捕まった。牢屋と呼ばれる場所に今まで入ったことはなかったが、そこは薄暗くて、静かな場所だった。
意識を取り戻した場所が、ちょうどそこだった。目を覚まして、最初に感じた感覚が、ゴツゴツとした、冷たい石の感触。床にそのまま寝かされたらしい。起き上がろうとして、体中を鈍い痛みが駆け巡って、ようやく体を持ち上げて見えたものは。
――灰白色の鉄格子。
「……!」
俺は反射的に鉄筋棒を掴んだ。
――ガシャンっ!
重い感触が返ってきただけで、鉄格子はビクともしない。
俺は我武者羅になって檻を揺さぶった。
――ガシャンっガシャンっガシャンっガシャンっガシャンっガシャンっガシャンっガシャンっガシャンっガシャンっガシャンっガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンガシャンがしゃんがしゃんがしゃんがしゃんがしゃんがしゃんがしゃんがしゃんがしゃんがしゃんがしゃんがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがん…………………………!
ビクともしない。
「……………………………………」
俺は鉄格子から手を離して、狭い部屋の一番奥の壁に凭れかかたった。
訳がわからない。どうなっているんだ。何が起こった。どうして俺はここにいる。
「うるせーぞぉ!静かにしてろっ」
その声すら、耳には入ってこなかった。
「何だ。ようやく起きたのか」
誰かが牢屋の前に立っている。そいつの顔さえ、そのときの俺には認識できなかった。
「お前、捕まったんだよ。仲間に売られてな」
そいつが何を言ってるのか、俺には理解できなかった。
「聞こえねーのか、お前は、仲間に、捨てられたんだよ!」
そいつは鉄格子を蹴りつけて、俺のほうをじっと見ている。
「裏切られたんだよ」
そいつの嘲笑が聞こえて、次第に遠ざかっていく。遠くのほうで扉が閉まる音がして、それきり何も聞こえなくなった。
薄暗い石の壁に囲まれて、俺は冷たい床の上に腰を下ろした。
――うられた。
思考が上手くまとまらない。考えが浮かんでこない。自分が何を考えているのかもわからない。何から考えればいいのか、そもそも何を考えればいいのかわからない。
――すてられた。
真っ暗な頭の中で、さっきの男の言葉が反芻する。言葉の意味を理解するのに、少しばかり時間を要した。
――うらぎられた。
何故だ。何でだ。どうして。何で。
疑問ばかりが浮かんで、結局答えが見つからない。答えも出ずに、放心状態で、牢獄の中で丸一日を過ごした。
――裏切られた。
二日目になって、俺は全てを理解した。
「そうか」
奴らは、俺を裏切った。
族のトップを走り、誰にも縛られず、常に最強だけを目指して、いつも命懸けの刺激を求めていた。
「あいつら……!」
逃げやがった。あいつらは、俺から逃げた。
逃げは、敗北だ。恐怖に喰われたら、そこが死だ。
「今に、見てろぉ…………」
敗者には罰を、裏切り者には制裁を。
「絶対ここから出てやる」
力を手にして、俺の力で、奴らに報復してやる。復讐を、決行する。
「抜け出して、必ず……!」