確信
グレゴとエリンは出発した日から数えて、ラハト山を三日かけて下山し、セントヴァーニア領の村、サノーに到着した。
サノーはアルムやフェルトと違い、農耕を営む普通の農村である。そのため、村を見渡せばあるものは家か畑。そんな光景が広がっている。
道中はセントヴァーニアの方向の向かっていたせいか、フェルト族と遭遇することは無かった。グレゴとしてはいくらエリンが剣の腕が立つといっても、もし、多くのフェルト族が現れた場合、こちらに勝ち目が無かったのでとても都合が良かった。
「グレゴ君。今日こそはちゃんとした宿に泊めてさせてもらいましょう!」
エリンはサノーの土地に足を踏み入れるが否や、ラハト山まで一人で旅を続けてきたという言葉が嘘に聞こえるような発言をしたのであった。
「そんなに山での野宿が嫌だったんですか? 」
グレゴはため息を吐いて、エリンに問いかける。
「虫とか鼠とかいっぱい出てきて気になって仕方が無かったんです。ラハト山までは道中の村に宿があったので大丈夫だったのですが……」
エリンは口を尖らせて文句を言うと、泊めて頂けるような親切な家があるか探してきます、と早足で村の中へと入っていった。
エリンはこの三日間でグレゴが変身することや彼の性格にかなり馴染んだようで、今では軽口も言えるようになっていた。未だに敬語のままであるが。
グレゴはその後を追おうと一歩を踏み出した。
その瞬間、グレゴは自分が狼に変身する時と同じ左腕の熱を感じたのであった。
グレゴは驚いて自分の左腕を外套の袖を捲り上げて確認するとしっかりと変身の時と同じように狼の刻印は浮かび上がり、熱を帯びている。
しかし、体からは狼が出てくる気配は無い。
「この村には俺の呪いに関係する何かがあるのか……」
グレゴは一人、そう呟くと、袖を元に戻し、より注意深く村の風景を観察しながら、歩みを進めた。
狼の刻印が村に反応してから少し経ってからのこと。村の中心に入ってきたグレゴをエリンは見つけると駆け寄ってきた。
「泊まれる宿、見つけましたよ。関所の人に宿屋があるかどうかを聞いたとき、あまりいい顔をされませんでしたが 」
エリンは複雑そうな表情を浮かべながらグレゴに言った。グレゴはありがとうございます、と礼を言った後、狼の刻印が現れたことをエリンに伝える。
「さっき、俺の腕の印がまだ昼間なのに熱くなったんです。どうしてなのかはわかりませんがもしかしたら、この村には俺の呪いの手がかりがあるのかもしれません」
エリンはグレゴの言葉に対して、疑わしそうに言った。
「手がかりがあるかどうかわかりませんが、先を急ぐのではなくこの村に少し居座ってみましょうか」
エリンはサノーに少しの間、滞在することを決めると、こっちに宿があります、とそのある方向へと歩き出した。
グレゴは田舎にある宿屋だからあまり設備は良くないだろう、と高を括っていた。しかし、実際にはグレゴの想像を遥かに超えた高級そうな屋敷のような宿であったので、グレゴは度肝を抜かれてしまった。
「本当にここ宿屋なんですか? 」
グレゴはサノーには自分の村と同じような村だと想像していたが、それよりも前衛的で都会にありそうな建物であったことに驚いて、急いでエリンに確認を取る。
「はい。グレゴ君の分の代金も払ってあげるので安心してくださいね」
エリンはそう言って微笑みながら宿の中へと入り口の扉を開けて入っていった。
さすがは王都の人間だな。
グレゴは感嘆し、宿の敷居を跨いだ。
宿屋の中はグレゴが狩人の大人たちの話からしか聞いたことのないような大きな木製のカウンターが構えられ、その近くにはいくつかの木のテーブルが配置されている。また、上を見上げれば、たくさんのランプ、下に目を移せば、本物の屋敷のようなじゅうたん。
グレゴは初めての光景に退屈することなく目を輝かせていた。
その内にエリンはカウンターの奥にいた宿の主人を呼ぶ。
「すみません。同伴者を連れてきました」
「おう。部屋は同じ部屋か? 」
主人はグレゴの姿を目に止めると、訝しげに目を細めた。
エリンは顔を少し朱に染めながら答えた。
「はい。同じで」
「え? 別々の部屋じゃないんですか? 」
グレゴはエリンの言葉に間髪入れず反応すると、エリンは後で説明します、と小声で彼を窘めた。
主人はおうよ、とだけ言うとカウンターの奥に一度引っ込んだ。しばらくすると、一人の給仕服を着た、グレゴよりも年が下のような少女と共に現れた。
「ベルタ。お客様を部屋まで案内して差し上げろ」
「わっかりましたー! 」
少女は元気良く主人に返事をするとお客様こちらでーす、と宿の階段を登り始めた。エリンとグレゴは急いでその後に着いていった。
部屋は一階のホールと同じように酒落た作りをしていた。
しっかりとしたベッドにクローゼット。それらは部屋の上質感を醸し出すのに一役も二役も買っていた。
グレゴはベッドに腰掛け、気になって仕方がなかったことをエリンに聞く。
「何で一緒の部屋にしたんですか? エリンさんは俺の狼の姿には慣れたかもしれないけど、俺はエリンさんに近くで寝られるの全然慣れないんですけども」
グレゴが顔を真っ赤にしてまくし立てると、エリンも先ほどと同じように顔を少し赤くして言った。
「私も出来ればそうしたかったんですけどね。部屋は分けるよりも同じにした方が値段が安かったので。節約です」
グレゴは払ってもらう立場、いわばヒモであったためエリンの言い訳に渋々了解した。その間にすかさず、エリンは話を別の方向へと切り替えた。
「なんで旅人だと言ったら嫌な顔されたのか知りたいのであの給仕さんに聞いてみたいのですが」
「それ、俺も気になっていたんで聞いてみますか
二人は自分の荷物を部屋に置くと揃って扉を開けて部屋から出る。
すると、部屋まで案内してくれた給仕服の少女が隣の部屋から出てきたのを見かけ、エリンは声を掛ける。
「お仕事中すみません。この村では旅の人間はあまり好かれていないのですか? 」
少女はここでは話しにくいのですが、と前置きすると声を潜めて話し始める。
「旅人さんが嫌われているんじゃないんです。今、この村はちょっとした事件が起きていて、それで外の人を敬遠気味なんです」
「事件? 」
グレゴはその言葉に引っかかりを覚え、反覆すると、少女はそうなんです、と言葉を続けた。
「一週間前、頭は牛で体は人間の怪物が白昼堂々、ウチの村の領主さんを襲ったんです! 幸い、領主さんは軽い怪我で済んだんですけど……」
少女の言った牛の魔物という言葉にグレゴとエリンは顔を見合わせると、グレゴは少し興奮気味に少女に問う。
「牛の怪物って人間が変身した怪物でした? 」
いきなりグレゴが声を大きくしたため、エリンは唇の前に人差し指を構え、静かにのサインをグレゴに送った。少女の方も驚きの表情を浮かべていたが、すぐにグレゴの問いに答えてくれた。
「よくご存知ですね。誰かはわかりませんが、人の影がその怪物の影に変わるのを見たという人がいたみたいです」
グレゴはそれを聞いて自分の状況との差異に疑問を覚えた。それでも、腕に浮かび上がった狼の刻印が自分と似た存在がこの村にいるというグレゴの確信を強めていた。
「ありがとうございます」
グレゴがそう言うと、少女はどういたしまして、と会釈した。すると、カウンターの奥から少女の名を呼ぶ宿の主人の声が聞こえた。その声に飛び上がり、すぐさま、少女はカウンターの奥へと走っていく。
グレゴはその後ろ姿を見届けると満足そうな表情を浮かべ、宿の扉を一気に開いた。
「どこへ行くのですか? もうすぐ日が暮れますけど」
エリンは突然外へ出ようとするグレゴを心配そうに呼び止めた。グレゴは振り向き、苦笑した。
「エリンさんは虫の出ない宿でお休みになっていてください。俺はその牛の怪物を探してきます」
グレゴはエリンが私も行きます、と言おうとすると、扉を勢いよく閉め、それを断ち切り、宿から出ていった。