邂逅
「ラハト山に守護霊……ですか」
そう呟いた長い艶のある藍色の髪をした、旅人の格好の少女。その腰には女性が振るうには少し長いと感じさせるような剣を差している。
少女はラハト山を越えるための準備をしようと山の麓の村アルムに訪れていたのだった。そして、彼女は立ち寄った露店の商人に奇妙な話を聞いたのだった。
アルムの村の露店の商人の女性は麻布の上に並べられた商品越しに少女に向かって言った。
「四人のウチの見習い狩人たちがいなくなってから二ヶ月経つんだけどね。最近、山でのウチとフェルト族との争いとか旅人が襲われることが少なくなってきてるのよね」
露天の商人はそう言うと少女が手に取った干し肉の塊を指差して、それは25ライだよ、と商談を始める。
「つまり、彼らの霊が守護霊となってフェルト族を追い払っている、ということになるのですね」
少女の方も腰から下げた袋から5枚の5ライ通貨を取り出すと商人に手渡した。
商人は大きい植物の葉で干し肉を包みながら言った。
「そ。ボロボロの服を着た人とは思えないような顔をした奴に助けられた、ていうウチの狩人も多くてね。だからといってラハト山の中じゃウチ側の狩り場でもフェルト族の連中が現れるかもしれないから気をつけてね」
少女は微笑みながら心配していただきありがとうございます、と丁寧に礼を言うと、少女は干し肉の塊を背負っていた袋の中にしまうと、露店の前を去っていった。
グレゴはラハト山の洞窟内の大きめな穴から漏れる陽の光を浴びて目を覚ました。
その顔色は生気を失ったかのような土気色を示している。
猟技の儀を失敗し、それどころか仲間を失い、自身は人間ではなくなってしまったあの夜。
グレゴは朝になり、人間に戻れた後、せめて友の亡骸を弔おうと、再びあの洞窟を訪れたのだった。
だが、そこはもぬけの殻であり、フェルト族の死体さえもなかったのであった。それを見たグレゴは行くあてもなかったのでそこに住み着くことにした。
いつか彼らに会えることを信じて。
グレゴは自分の寝床の目印としている岩に今日が山籠りを始めてから何日経つか、という傷を剣でいつも通り刻み込み、剣を腰に差している鞘へしまった。そして、その傷の数を数えるとグレゴはあの時からもうすぐ二ヶ月になることに気がついた。
「こんな生活を始めてもう二ヶ月も経つのか……」
人間として活動できる昼間はアルムの狩り場で狩りをしようと侵入してくるフェルト族との戦闘や夜に食べる食料や矢を作るための材料の採取を行う
四足歩行の狼になった夜間は昼間に採った食料を貪り食う。それを終えた後は散歩をしたり、そのまま草に抱かれて眠りに落ちる。
また、ある時、グレゴは食料を調達し忘れて、生きている野ウサギを食らったことがあった。
その時、グレゴは狼になっても人間としての自我は残っており、人の言葉も使えてはいるが、人間の時よりもなぜだか、躊躇いや情けを掛けることが無くなっているように感じていた。
グレゴはそんな獣同然の毎日を過ごしていたのだった。
だが、同じことの繰り返しの日々にも自分の体に対する収穫はあった。
例えば、戦闘や狩りには傷を負うことが付き物である。しかし、グレゴの体に狼が宿り始めた頃から彼の体は異常な回復力をみせるようになっていたのだ。浅い傷ならば瞬時に、多少深い傷でも数時間もあれば完治するようになっていた。
回復力だけでは無く、グレゴは人間の頃よりも五感や基礎的な身体能力が優れているような感覚を覚えていた。
狼の体へと変身するのもグレゴ自身の肉体が変化していくのでは無く、あらかじめ狼の肉体が体の中へ内包されている状態。すなわち、変身時に自分の体から狼の筋肉が飛び出し、自分の体が覆われた後、狼の体へと変化していく感覚をグレゴは感じていたのであった。
グレゴはこの現象をあの夜に出会った男にかけられた呪いだと考えた。
あれが闇の魔術だとすれば夜に自分の意思とは関係無く狼になってしまうことと辻褄が合うからだ。
闇の属性の魔術は夜になり、月が強く輝けば輝くほど力が増すことをグレゴは知っていたのだ。
なぜグレゴを呪ったのか、という理由はまったくわからなかったが。
また、山の中での生活によって、狼へと変身するのは夜だけの間ということがわかり、グレゴは山を下り、村へと戻ろうと何度も思った。だが、夜になると村人の前から姿を消さなければならないというのは村で生活するにはあまりにも面倒で生活する上では不都合であった。
そして、それよりもグレゴにとって村に帰れない理由の一つに家族も同然だった仲間を失った喪失感が大きかった。村に自分1人で帰るということは仲間を山に置き去りにしているような気分になってしまうからである。
そのため、未だに村へと帰れぬまま、グレゴは変貌してしまった体で狩り場を侵すフェルト族と戦い続けていた。
グレゴがこれからどうしようか、と自分だけでは到底解決できないことを思いながら夜に備えての食料採集に出掛けようとした時であった。
「嬢ちゃん。その腰に差している物騒なモン置けば逃がしてやってもいいぜ」
アルム族の狩り場の方角からフェルト族の今にも誰かに襲い掛かろうとしているような下衆な声。
グレゴは強化された聴覚でこの二ヶ月間に何度か聞いた声を聞き取った。
「また入ってきやがったのか……」
グレゴはうんざりした調子で呟いた。そして、ボサボサとした髪を掻き上げると樹木に立てておいた使い込んだ猟弓を手にとって同じ樹木の木の枝に掛けてあるボロボロになってしまった外套を羽織り、矢筒を背負いこむと、その方向へ一気に駆け出した。
グレゴは山の斜面をスピードを落とすことなく下り続ける。狼の身体能力が人間の体にも反映されているかのような鋭い反射神経を見せて木と木の間を上手くすり抜けて行く。
「いやです。貴方方こそ、そこを退いていただけないでしょうか? 」
グレゴは渓流に近づくとすぐさま木の陰に隠れる。すると、フェルト族の狩人が三人、そして、たった今彼らに反抗した旅人の服装をした藍色の髪の、グレゴよりも少し歳が上のような少女がフェルト族の前に立っているのが見ることができた。少女はフェルト族を睨みつけると、腰の鞘からすっとグレゴの持つ剣よりも長い剣を引き抜きフェルト族へとその切っ先を向ける。
「嬢ちゃん。そりゃ面白え冗談だな」
少女が剣を向けたことにより、フェルト族の狩人たちは不気味な笑みをその顔に浮かべると、互いに顔を見合わせながら剣をその手に取った。そして、三人で一気に少女を取り囲み始める。
グレゴは三人がかりはさすがにまずい、とすぐに物音を立てずに弓の弦を短く引き、木の枝と鉱石から作り上げた手製の矢を突進する狩人の肩を目掛けて射る。
矢は狂いなく、狩人の肩に命中する。その突然の痛みにフェルト族の狩人は剣を取り落とした。
「はあっ! 」
少女はその隙を逃さず掛け声と共に剣で斬り伏せようとした、とグレゴには思えたが、なんと当たる寸前で止め、硬直状態の狩人の顎に剣の柄頭でアッパーを食らわせた。当然、男は気を失って後ろへと倒れこむ。
グレゴはその一連の流れに感嘆していたが、すぐに注意を残りの狩人の方に移す。やはり、フェルト族も正真正銘の狩猟民族のようで矢が放たれた、グレゴが木の背に隠れてる方向を見つめ、矢をつがえ、グレゴを狙ってくる。
グレゴは弓の弦を引き絞りながら木の陰から飛び出し、棒立ち気味の一人の狩人の右足を狙い、矢を放つ。
今度は不安定な状態での射のせいか、矢は正確に当たらず矢は狩人の足の甲に突き刺さった。だが、それでも効果はあったようで狩人の動きが一瞬止まる。
それを見越していたかのように、よもや剣士とも呼べるであろう少女が先ほどと同じように柄頭で狩人を殴打し、気絶させる。
同時期に最後の一人となってしまった狩人は焦りを覚えたようで同じ高さへと降り立ったグレゴへ矢の乱れ射ちをし始める。
グレゴは弓を手放し、剣を抜くと、いつかのアランの面影を追うように、以前はできなかった剣で矢を弾くという荒技を強化された動体視力の助けを借りて発揮する。
しかし、相手は弓の名手なようで何発も射たれる内に次第に狙いが安定するようになり、グレゴには弾く限界が訪れようとしていた。
「せい! 」
そこへ、弓を射る狩人へ二人の狩人を気絶させた少女の背後からの一撃。どうやらグレゴへ集中し過ぎて、少女の存在を忘れていたようだった。おかげでグレゴは助かったのだが。
「助けていただきありがとうございます。守護霊さん」
三人のフェルト族の狩人を全て気絶させてしまった少女は小規模な戦闘といっても差し支えないようなことをおこなったのにも関わらず、涼しい顔でこの場に似合わないようなおかしなことをグレゴに向かって言った。
「守護霊? 」
グレゴは耳慣れない言葉を聞き、思わず、少女へと聞き返す。
「幽霊なのになぜ喋れるのですか!? 」
少女の方もグレゴがいきなり口を開いたことに驚いて疑問を呈する。
これは信じてもらえるかどうかは別として、一から話さないといけないくらいこの少女は大きな誤解をしてるな、とグレゴは思い、呪いのことを彼女に説明することにした。
その頃、日は既に傾き始め、夜になりそうであったためグレゴは少女に自分の身に起こったことを説明すべく、自分の住んでいる洞窟に案内するのであった。