変身の呪い
グレゴがフェルト族の相手をアランとネロの二人に任せ、岩窟を急いで出ると先ほどまではっきりと明るかったはずの外はいくら山の中と言えども暗い、と感じるほどの不気味な闇を湛えていた。
グレゴは自身を奮い立たせ、暗闇の中へと走りだし、まっすぐ本物の狩人達のいる村へと向かおうとした時であった。
「逃すわけねえだろぉ。ガキがぁ! 」
突如、グレゴの背後からフェルト族の狩人の雄叫びが上がると共に彼の周りに矢が降ってくる。
アランとネロが倒されるという状況が自分の脳裏によぎるが、グレゴは振り返って警戒態勢をとる。
男はどうやら怪我を負っている様で肩に一本の矢が刺さっている。
グレゴは文字通り彼らが一矢報いたことを確かめると余計にこの男は自分だけで振り払わなければならないという重圧がその肩にのしかかる。
「あのガキ共、中々やるじゃねえか。俺の部下二人と相打ちにまで持ってくとはなぁ。だが、お前はここで俺が殺す」
男はそう宣言すると矢が切れたようで弓を捨て、腰から下げていた剣を一気に引き抜いた。
グレゴがそこで想像していた最悪の状況が今、現実のものとなったことを理解した。
「嘘だ……」
仲間の死と猟技の儀の失敗。
フェルト族との遭遇は偶然であったのだろうか。
自分が林の中で怖気づいた心が彼らを呼び込んだのではないのだろうか。
グレゴは自分の先の行動を呪わずにはいられなかった。
だが、同時にグレゴには男への殺意が芽生えていた。
グレゴにとっては猟技の儀を失敗してしまったことはもはやどうでも良くなっていた。
長く共に狩りの訓練に励み、同じ釜の飯を食った家族に等しい者たちであった仲間を失ったことこそ、今のグレゴに村へ逃げ延びることよりも男への復讐心を持たせる理由となっていたのだ。
空を切りながら男の剣はグレゴに向かって素早く勢いに乗って振り下ろされる。
グレゴははっとその剣を紙一重で回転して躱すと瞬時に弓に矢をつがえ、狙いを付けずにすぐさまそれを怒りに任せて放つ。グレゴは狙いをつけなかったものの、彼の放った矢は運良く男の左足に命中し、男のバランスを崩させることに成功する。
そして、その一瞬の隙を突き、グレゴは間合いを取り、今度は男の頭に狙いを定め、矢を射る。
しかし、男の方もグレゴの矢が突き刺さる寸前に腰から短剣を抜き取り、グレゴに向かって投擲してきたのだった。
グレゴの矢はしっかりと男の頭に、男の短剣はグレゴの腹に命中した。
男は断末魔もあげず、絶命したが、グレゴもその痛みと衝撃から意識を失った。
狩人になりたかったという悔恨を残して。
「お前の望みはなんだ? 」
グレゴが目を覚ました時に聞いた第一声がそれであった。
グレゴはその声の正体が見えないため、当初は夢だと思っていた。
だが、目が慣れてくるとグレゴは気を失った岩窟の前に居り、腹に短剣が刺さったままの状態であったことから、現実であるということがわかった。
「お前は何者かになりたいから、私を呼んだのだろう? 」
姿なき声は再度グレゴに問いかける。
すると、グレゴはハッとした表情を浮かべ、思っていることをその問いかけにぶつける。
「俺が狩人になるなんて無理だったんだよ。仲間を助ける力を持たない俺には! 」
「ならば、お前の望む力、狩人になれる力を与えてやる」
姿なき声は間髪入れずにグレゴの叫びに対してそう告げると木と木の間から姿を現した。
グレゴはその声の主が全身を黒のローブで覆っていたため、今まで彼の姿を視認することができなかったのだということを理解した。
「望む力ってなんだよ」
グレゴは突然現れたそのローブ姿の男に驚き、その異様な雰囲気に圧倒され、震えながらも精一杯の声を出して言った。
仲間を見捨てずに残って共に戦う勇気か? それとも敵を圧倒する程の武力か?
しかし、ローブ姿の男はグレゴのその言葉に対して答えることは無く、二言三言なにか呟いたかと思うと、グレゴの前から再び姿を消し、山林の暗闇に紛れてしまった。
そして、グレゴの周りからローブ姿の男の気配ははっきりと消えたことをグレゴは感じ取った。
だが、異変は収まらなかった。
姿なき者が消えると同時にグレゴの左腕に熱と共に激しい痛みが走ったのだった。
–––ここにも傷ができていたのか。
グレゴは腕の痛みに顔をしかめながら、傷の深さを確認しようと右手でそこに触れようとする。
そして、グレゴは自らの体に起こっていた異変に気がついた。
彼の腕はもはや人間のそれとは違っていた。
それを言い表すならば獣の前足と呼ぶのがふさわしい。
強靭そうな隆起したどす黒い筋肉。そして痛みを発する傷はまるで焼き付けられたような、狼を模した刻印の形をしていた。
触れようとした右手も鋭い爪を生じており、人のように物を握ることよりも、大地を握って駆けることを得意とするような形状をしている。
グレゴはまさか、と思い、アルム族とフェルト族の狩り場の境界線として活かされている渓流に自らの姿を映してみようと、無意識的におのれの予感を確立するかのように、四肢を使って走り出した。
やはりその体は二足歩行よりも、四足歩行の方が適していることを裏付けるようにぐんぐんと渓流に向かい進んでゆく。
月明かりに照らされた穏やかな川は山を駆けめぐり、獲物を狩る獰猛な獣、狼の頭部をその水面に映し出していた。