灰色の世界から
万人に笑顔をもたらすその光は私には眩しすぎる。かといって、混沌の闇の中に身を沈めるほどの勇気もなく、私は灰色の世界へと逃げる。
それなのに、私を引きもどそうとする者たちがいた。
冗談止めて欲しい。私は今の生活に十分満足し、幸せだったのに。なんて、そんな主張、彼らには受け入れられない事が理解できてしまう自分がいる。
結局私はあちら側の世界の人間なのだ。認めたくないけど、彼らの同類である事実は烙印のように消えず。所詮、こちらとあちらは別世界で、あなたたちにとっては私こそ異分子であり、私はへこへこ頭を下げて元の世界へ帰るべきだってね。
◇ ◇ ◇
闇の中に光が見えた。一筋の希望の光が。……だと、思ったのよ。
「……おや、目が覚めたか?」
深い眠りをこえて、覚醒する意識の中、どこかで聞き覚えがある声が聞こえてきた。
――やばい。これ、絶対目開けない方がいいパターン。
眠れー、眠れー、と自己催眠術を必死でかけるも、願いとは別に意識はハッキリと醒めていく。
「起きたよな? これ?」
「さあ。わたくしにはよく判断つきませぬが」
「藪医者め。よく診ろ」
診なくてていい。
「では……」
願いとは別に、すぐそこに人の息遣いと気配が感じられた。
私は必死の思いで、なるべく自然に見えるよう目をつぶったまま、浅い呼吸を繰り返す。ザ・狸寝入り。
「……まだ眠っているものと思われます」
「馬鹿。これは、寝たフリだ。起きろ」
その言葉と共に鼻をおもいっきり指でつまれる。
――げっ!?
「へ、陛下? 何を」
「お前はクビだ。ヘイタス」
「なっ?」
「ヘギっ!?」
おもわず変な鼻声が出た。
だって、ヘイタスですと?
「……あっ」
そして、自分の失敗を悟る。
どのみち、あのまま鼻をつまれ続けたら起きないわけにはいかなかっただろうけど。
「ほーら。起きてた」
私の顔を覗きこみ、にっこり笑うその顔に見覚えがあった。
記憶より随分老けて……、いや押し出しのよさそうな立派な中年男になったけど、そのにやけ面は間違いなく。
「……レガシー」
「おお。俺が分かるか」
レガシーこと、レガシオンが破顔する。
「じゃあ、こいつは?」
ぐいっと傍らに立っていた男の髪を大きな手でつかみ、私に向けてぐいっと顔を寄せてきた。
レガシー、相変わらず忙しない奴だな。こいつ。
今さながらに、こんな筋肉馬鹿にヤラれた自分に腹が立つ。ああ、一応言っておくけれど、ヤラれたというのは性的な意味ではないということをここに主張しておきたい。
しかし、いくら性的なものでないとしても、積年の恨み辛みは今だおさまらない。
それどころか、だんだんと苛立ちがつのってきたけれど、不安と期待で揺れる瞳で私を見つめる男の視線に負けた。
どうやら、だだっ広い部屋の一角に置かれた寝台に寝かされていたらしい私は半身だけ身を起し、レガシーに頭を捕まれた男に視線を合わせる。
起きたばかりでまだ意識がちゃんとしないし、記憶では女の子みたいだったけど、今は一応男に見えるムカつくほど整った顔は間違いなく……。
「ヘイタス」
途端に、ヘイタスの水色の瞳からうるっと涙が零れ落ちた。
相変わらず、泣き虫の奴。
記憶の中のヘイタスは泣き虫の少年だったけど、二十年ほど年齢を上乗せし、一人の成人した男と成長した今も、それは変らないらしい。
「……っ」
声にならぬ声を上げ、ガクッと膝から崩れ落ちるので、おもわずレガシーも手を離す。
パラパラと金色の髪が数本抜け落ちるのを見て、私は少し残念に思った。だって、あの髪は以前の私がこよなく愛したのものだったから。
一方のヘイタスはそんな事を気に止める様子もなく、ハラハラと涙をこぼし続ける。
大の男が顔を両手でおおい、嗚咽を漏らしながら泣く様子はあまり美しくない。私もレガシーもドン引きで、ヘイタスを見守る。
――どーすんの、これ?
レガシーの無言の声を受け取るな、私よ。
しかし、おいおいと泣き続ける男を放っておくわけにもいかず、私は頭をがしがしとかきながら、唸るように声を絞る。
「あ~。ヘイタス」
何言おうかな?
「え~っと……」
すぐに詰った私を見て、レガシーが持ち前のバリトンを張り上げる。
「ほら! いつまでも泣いてる場合か? お前の前のご主人様が帰ってきたんだぞ」
いや、帰るつもりはなかったし、未だに不本意だし、意味が分からないんだけどね。
「……前ではないです」
「へ?」
レガシーと声を揃えて、首をかしげると、ヘイタスが未だに涙で濡れる顔をようやくあげた。
「ご主人様は永久に私のご主人様です!」
「……はあ」
気合の入ったヘイタスとは違って、私の口から申し訳ないほど間の抜けた声が漏れる。
「なんだよ? じゃあ、ずっと俺につかえてる間もそう思っていたわけ?」
レガシーが口を尖らし非難するも、ヘイタスは気にする様子を見せない。
「当然です!」
「じゃあ、お前クビな」
「ええっ!?」
そこで動揺するなら、いらんこと言わなきゃいいのに。
――こんなんで、この子今まで大丈夫だったの?
ヘイタスの変らぬヘタレっぷりを憂いていると、第三者の男がスッと私達の前に音もなく進み出てきた。どうやら、ずっと二人の背後で控えていたらしい。
「陛下。わたくしとてヘイタスと同様の気持ちでおります」
ただ、と背の高い男は、ヘイタスとレガシーを無表情で見比べる。
「真の主人が帰還された今、陛下の元を去る心積もりはつけています」
「ああ。お前は最初からそう言ってたよな。でも、お前をクビにするつもりはないぞ。ユ」
レガシーの言葉に、私のつぶやきが重なる。
「ユイーザ」
今までの無表情はなんだったのかと不思議に思うほど、ユイーザが目を細めて深く微笑んだ。それは、とても幸福そうな笑みだった。
「お帰りなさいませ。ずっと……、ずっとお待ちしておりました。ご主人様」
その場で片膝をつき頭を下げると、極自然な仕草で私の手をとり、甲に己の額を合わせてから一つ口付けを落とした。それは、貴婦人への最上級の挨拶だった。
おお。ユイーザ。少し気障だけど、いつの間にこんな事ができる男になっていたのね。ヘイタスとは違い、この成長ぶりはなんだか眩しい。そういえば、昔から早熟で、機転がきく少年だった。
今や、スマートな男くささの中に甘さが調和する立派な男だ。さぞ、世の女性達を騒がせていることだろう。ユイーザの笑みに釣られ、私もおもわず微笑んだ。
「ユイーザ。成長したな。余は、我が事のように嬉しいぞ」
ユイーザを含め、残りの二人の男も固まったが、私も固まった。
お、恐ろしい。未だに、こんな言葉づかいがスラスラ出るとは!
反射的に口を手で覆った私をしばし呆然と見ていたユイーザだけど、すぐに甘やかな笑顔を作る。
「恐れ多いお言葉でございます」
そのまま言葉を続けようとしたみたいだけど、私と目が合うと表情が一瞬固まった。
すぐに口元を引き締めたものを、その表情はまるで思春期の少年のようにはにかんだものになり、ついには下を向いてしまう。ど、どうした? ユイーザ。そんなに私、変顔してた?
両手で頬っぺたを押さえ、上に下にと動かしていると、ユイーザがぼそっと呟いた。
「……まさか、こんなお姿に変られていたなんて」
こんなお姿ってどんなお姿よ?
平均的な女子大学生だと思うんだけどな、今の私って。
「うむ。そうだな。ずいぶんと前とは違う」
レガシーも顎に手をあて、視線を上下に動かしてしげしげと私を観察しだす。
な、なんだ。いたたまれないぞ。でも、確かに私の姿は前とは違うだろう。何せ、前は……。
「……もっと、おじさんでした」
ごらあ! ヘイタス!! それだから、お前はいかんのだ!
「それに、もっと怖かった」
度重なるヘイタスの不敬に、私が心の声を音に出してキレようとすると前に、ユイーザの鉄拳が飛んだ。
「ヘイタス! この馬鹿者が!!」
「……ご、ごめん」
軽く二メートルばかり飛んだヘイタスが頬を押さえながら起き上がったものの、すぐにその頭をユイーザに押さえつけられる。
「この者のご無礼、何とぞお許しください」
ヘイタスの頭を床に押し付けながら、ユイーザも一緒になって土下座せんばかりに頭を下げる。
「うむ。よい。悪気がないのは分かっておる」
右手を上げて鷹揚に頷いてから、私はまたも固まった。
――だから、なんでこのバージョンになっちゃうの!?
石化した私を見て、レガシーが面白そうにニヤニヤとしている。この野郎。
「……いや、その。うん。別にいいのよ」
レガシーを睨みつけながら、私はなんとか声をしぼりだす。
「い、今の私はあななたちのご主人様ってわけでもないしさあ」
うん、うん。この調子。
「そ、そんな!!」
ようやく自己をとりもどしつつある私の言葉に、ヘイタスとユイーザが仲良く顔をあげた。
「貴方様はわたくしたちの主人でございます!!」
うっせーな! いくら双子だからといって、ハモんじゃねえよ。
「……や。もう違うでしょ? あんたたちのご主人様はもう死んだじゃない。ね?」
外見はまったく似てないものの、時々妙に息の合う二卵性の双子は、へらへらと笑う私を見て、同じタイミングで顔を青ざめさせると、またハモる。
「いいえ! ご主人様は永遠でございます!!」
何それ? キモイ。
「た、確かに……、以前のご主人様はお亡くなりになりましたが」
思い出したのか、ヘイタスがまたも泣きそうになる。
「今また、貴方様はわたくしたちの前に復活なされました」
真摯な口調のユイーザには悪いけれど、私的には二度とあんたたちの前に復活する予定はなかったんだけどね。
「あんたの力が必要なんだよ」
レガシー。お前の仕業か。
ギロッと睨み付けるも、このにやけ面の馬鹿男には通用しない。
「何で?」
声が強張るのが自分でも分かる。
私はねえ、平和にやってたのよ。極々一般的な女の子として、学生生活を謳歌してたの! それをなんで……。
「それがさあ、あんたの息子、魔王になっちゃたのよ」
「…………はあっ!!?」
うっすら滲んでいた涙が吹き飛んだ。
「む、息子って、あの……」
「うん。あんたの忘れ形見、カルザス」
「カ、カルザスが……」
ああ、私の可愛い息子が。
「そうそう。なんか急にね、新魔王に俺はなる! とか言っちゃってさあ」
馬鹿じゃないの?
「俺としても、結構優遇して我が子同然に接してたつもりだったんだけどねえ」
はあっとレガシーが溜息をつく。
私もつきたい。馬鹿だ。馬鹿すぎる。魔王なんてろくなもんじゃないのに。
ぐっしゃぐしゃに頭をかきむしっていると、私を見つめるレガシーとふと目があった。にやけ面の中に見える油断のない野生動物のような鋭い眼光。
「それで、あんたの協力が必要になったわけ。元魔王様」
私、立花美里とは地球とは別世界での記憶を持って生まれた。
いわば、それは前世の記憶というべきものなのだろう。私は、その世界で魔王として君臨していた。そして、討たれた。この目の前にいる筋肉馬鹿男こと、勇者レガシーの手によって。
大学二年生。二十歳。前世の記憶を持つこと以外、極々普通の人生を送っていたというのに。
「……で?」
「で、って?」
喉の奥から、獣のような唸るような声がでるのを感じる。
「そのために、私を呼んだ? つまり、召喚したってこと!?」
「そーいうこと」
あはーっと笑う男の顔面をおもいきり殴りつけてやりたい。
ほんと、なんでこんな男にヤラれちゃったの? 前世の私?
「貴方様のお力が必要なのでございます」
ヘイタスが澄んだ瞳で言うけれど、私はもう普通の人間なんだよ? そこんとこ、分かってる?
「……ご主人様が以前のお力をお持ちかは、正直なところ分かりかねますが」
おお、分かってるね。ユイーザ。
「カルザス様はきっとお父上をお待ちのはずです」
ああ、カルザス。私の可愛くて馬鹿な息子。
まだ幼いあなたを置いて逝くのは、前世の私も辛かった。
「でも、まさかこんな可愛らしいお姿になられていたとは……」
私を見つめる、ユイーザの瞳に居心地の悪い熱が加わる。
「ご安心くださいませ。困難な道のりになるかもしれませぬが、必ずやわたくしがお守りいたしますゆえ」
ちょっとそれ、もう私があんたたちに協力すること前提なの?
ツッコミたいところだけど、騎士道精神に輝いているユイーザが眩しくて言えない。あんた、本当に魔族?
「わ、わたくしも! わたくしも地の底までお供しますとも!」
負けじとヘイタスも手を上げるけど、正直なところあんたには何も期待してない。
「まあ、よろしく頼むよ」
あくまで軽いレガシーに殺意をおぼえる。
ああ。お母さん、お父さん、お兄ちゃん。
ごめんね。一緒に過ごした歳月は決して忘れない。すっごい幸せだったよ、私。
立花美里として、二十年間あなたたちの家族の一員として過ごしていたけど、結局私とは生きる道が違ったみたいだね。これから、私は馬鹿息子の尻拭いをするべく、元部下二人を率いて旅立つことになりそうです。
馬鹿息子カルザス。そもそも、あんたのせいよ。お父さん悲しい。変な風にぐれちゃったみたいで。元父親の威厳ってやつ見せてやるんだから。ヘイタス、ユイーザ、その熱視線止めろ。暑苦しい。
レガシー。全てが終わった暁には首洗って待ってろ。前世と今世の落とし前つけてやる。
これもそれも、元魔王のケジメってやつ?
今の私には到底納得できない生き方をしていた前世の自分。ずっと目をつぶっていたけれど、ついに潮時が来たのかもしれない。そして、灰色の世界はとても楽だったけれど、刺激が足りなかったのも確か。
……この後、元妻との感激の再会があったり(淫魔なんだよね)、昔の宿敵に命を狙われたり(最初私が誰か分からなくて口説かれた)、いまや女王となった元お姫様にいびられたり(昔、誘拐しちゃったんだよね)、その息子が馬鹿息子の後を追うべく旅の仲間に加わっちゃたり(仲良しだったみたい)、色々大変な旅のはじまりになったんだけど、この辺りであなたたちの世界から退場することにするわ。
さあ、一つお辞儀をして灰色の世界から、元の世界へこんにちは。
今度こそ、白黒ハッキリつけてやる。