1-7
「むかーしウチの工作教室に通ってた子でね、モンジくんたちとは入れ違いかな? いま大学生? なんだけど、さっきお店の前ですれ違わなかった?」
「メガネの女のひとですか?」
そうそう、と頷き、「その子。タケちゃん。なんか特許? 取ったのかな? 新素材? 作りましたって持って来てくれたんだけど、使い道? 困ってるんだって」
「はぁ」どうにも疑問符の多い話で、明美自身、理解していないように感じた。
「で、彼女はもうクラフトもペーパーからも離れちゃってるから、ここのお客さんに配ってもらえないかって。なんか面白い使い道、見つかるかも知れないから、って」そこでファインペーパーの棚を見遣り、でもねぇ、とちょっと残念そうな口調になった。「どうしたもんだか。見ての通りここの棚、動きないからね。お客さんはちょっとお洒落な紙はモールの文具屋さんで買えるって認識だし、メーカーもパソコンのプリンタで使えるかどうかに移行しちゃってる感じだし、クラフト自体が元気ないからね。ペーパークラフト・キットの方なら、まーだ少しは需要あるけど」
「はぁ」確かにその嫌いがあるのを満も感じている。創意工夫型素材系オモチャより、簡易な組み立て式オモチャの方がイマドキ的だ。道具も安価でそれなりのものが出ているから、自分の好みに合ったモノを探す手間がない。とは云え、やはり良いモノに触れると道具は値段相応であることを知る。だが、その感覚は実際に体験しないと分かるまい。
工作教室に通っていた時分、満はハサミを忘れ、吾郎が仕事でも使っているそれを借りたことがある。持ち手と刃の重みのバランス、その切れ味に一瞬で虜になった。すぐにお小遣いの使い道が決まった。先生と、プロと同じ道具だ。自分のハサミだ。家に帰ると、父は、息子の買った下ろしたてのそれを興味深げに手に取り、「なんじゃこりゃッ」叫んだ。「母さん! 我々は今までナニで新聞を切り抜いていたのだ!」ザクザクと夕刊を切りながら、これは文具ではなく、道具であるとしきりに感心した。「それ、まだ読んでないんだけど」冷たく母が云い放つ。「いやでも」これ、と父の差し出したハサミを胡散臭げに手にした直後、母はハッと目を見開き、ザクザク未読の夕刊を切り散らかし、「なによこれッ」叫んだ。以来、六文字家のハサミは同じブランドで揃えられている。
クラフト紙の包みを開き、明美に促された満は一枚、手に取った。
薄い。乳半だがトレーシングペーパーよりも透けており、斤量もそれと同じの、薄手のくらいだろう。包みの中身は百枚、いや二百枚くらいありそうだ。質感はさらさらとした粉砂糖を思わせ、触っていて気持ちがいい。紙を摘んだ指の腹が裏から綺麗に透けて見えた。貼ると殆ど透明になるメンディングテープのようでもあるが、少しも乳白っぽさの被らない、不思議な紙だった。明美に許可を貰って角を少し折り曲げてみれば、白い線がさっと残る。
「トレペみたいですね」
ところが折りを戻すと、曲げの跡がすうっと消え、おや、と思う。折り筋が消えただけでなく、クセも残っていない。どうやらトレーシングペーパーより使い勝手がいいかもしれない。両手で持ち上げ、軽く曲げながらゆったり店内の明かりで透かし見ると、角度によって細かな紋様がキラキラと現われては消える。謎だ。パール光沢のようでもあり、しかしホロシールやラメ入りのようでもある。どんな原理だろう?
「モンジくんなら、どう使う?」
云われて、既に頭の中では作り掛けのペーパークラフトに使って見たいと思う欲求があるのに気が付いた。「マーメイド、貸してもらえます?」
「何色?」
「なんでもいいです」
明美はアトリエに引っ込み、マーメイドの切れ端を幾つか持ってきた。「これでいい?」
「どうもです」
満はそれの上に謎の紙を置いた。上からさっと撫でつけると、マーメイド紙特有の凹凸と質感が損なわれることないのを指先で感じた。それどころか、謎紙の触り心地が加味されて、もっと上質な紙にランプアップしたように感じた。発色も紙の色を曇らせることもなく、綺麗だ。
「……いいですね」
マーメイド紙は特性上、マット仕上げになるが、謎紙を貼り合わせるとセミグロス、半光沢となり、しかも角度によって不思議なメタル感が付加された。作り掛けのペーパークラフトのロボットたちで、新しい表現が出来ると思った。
「これ、かなり面白いですよ、使ってみたいです」
満の言葉に、「そっか」と明美は紙束をクラフト紙で包み直し、「持ってけ持ってけ」
「全部ですか?」
「いいっていいって」物凄く軽いノリで押し付けた。「お代はロハ。でも、何か突飛で面白い使い道、思いついたら教えてね。わたしからタケちゃんに伝えておくから」
「分かりました。ちなみに、これ、なんて名前の紙? ですか?」
「なにペーパーって云ってたかなぁ」明美は腕を組み、眉根を寄せて考え込んだ。「なんか試作途中はスマート・ペーパーって呼んでたんだけど、語感がスマペじゃ貧乏くさいからって、えっと、」ぱっと目を開け、キラキラとした視線で、「ジー・イー・ペーパーだ、頭文字とって、G.E.P.《ゲップ》」
分割払いのようなイントネーションで、どっちにしても酷い呼び方だと思った。ちょうどその時、トイチと吾郎先生がアトリエから出てきて、そっちの話も終わったとのことで、二人はお店を辞した。
並んで歩きながら、「何の相談してたのさ?」と満が問うと、トイチはちょっと片方のほっぺたを噛んで答えた。「ピンク・コング、これからもう一仕事あるって云ったら怒る?」
「なんで?」
「みんなもう完成気分だから水を差すかなって」
「何するか知らないけど、プロジェクトのリーダーはトイチじゃん、手伝うよ」
するとトイチは満を見て、「ありがとう」と云った。
「どのくらい手直しするん?」
「一週間あれば終わるかな。先輩たちにも手伝ってもらえるなら三日もあれば充分だと思う」
「なんか問題アリっぽく聞こえるんだが」
「予算がギリギリかも。追加申請も視野に入れてる」
「マジっすか」
「マジっすよ」
「オッケ。なんか俺に出来ることあったら遠慮なく云ってくれたまへ」
そんな満の物云いにトイチは笑った。「遠慮なくコキ使わせてもらいまっせ」
「おう、まかっとき」
そうして二人は、いつもの交差点でまた明日と手を振り、それぞれの帰途についた。
*
その晩、風呂から上がると、満はお店で預った例の不思議な風合いの紙をさっそく試してみることにした。
クラフト紙の包みをといて、一枚、摘んで引き出した。束にしたクラフト紙から真新しい一枚を引き抜こうとすると、それなりの摩擦を感じるものだが、するりと抜けるのは粉砂糖のようなこの肌触りのお蔭だろうか。デスクライトの明かりを受けて、柔らかに光る。単純なメタリック感でもパール感でもない。略称はイマイチだが、そんな思いを吹き飛ばす魅力がある。
不思議紙だ。
満は赤いマーメイドの切れ端に、小さなオイル差しに詰め替えた速乾性の木工用ボンドを少々出す。ぷっくりしたボンドの白い球を、ヘラの代わりにしたボール紙の切れ端で薄く伸ばした。速乾性ボンドは普通のものより水分が少ない。紙をふやけさせることも波打たせることもなく、名前の通り乾きが速くて作業も進む。逆に、もたつくと直ぐに乾燥してしまうが、それが難点になることはない。手早く不思議紙を重ね、指でしっかと撫でつけた。空いてる片手でオイル差しにプッシュピンを刺して蓋にする。それから一拍ののち、切れ端の接着具合を確認、カッターとカッティング定規で正方形を切り出した。二枚は見事に貼り合わさっていた。元からこの風合いのファインペーパーであると云われても信じてしまうだろう。
矯めつ眇めつ眺める。驚くほどに自然な仕上がりだ。お店で感じたように、作り掛けのペーパーロボットに使いたいとの思いを新たに強くした。
制作途中のプラム・エースと名付けたロボットの、まだディティールアップの施していないパーツ、足の裏に貼ってみた。ごつい登山靴を思わせるデザイン、その靴底にさっとボンドを薄く塗り広げ、不思議紙を貼った。乾燥を待たずして余白分を辺に添って切り落とした。
デスクライトの明かりを受け、不思議紙の貼られたパーツは今まで制作した作品のどれとも違う輝きを放つ。
これは想像以上だ。
満は確信した。間違いなく面白い作品になる。
しかし懸案すべきことがあった。既に作った分に貼り込むには、幾つかのパーツの分解が必要になる。
さて、どうしたものか。




