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満はモックアップを「適当なサイズ」で作成したが、トイチは作業環境、資材や予算を加味し、図面に落とす段階でそれを十六分の一スケールとした。前倒しスケジュールのお蔭で、夏休み返上で制作は進み、予想外の進行具合で二学期を迎える前にほぼ完成となった。すでに顧問はもとより、校長、生徒会、まだ本格活動を始めない文化祭実行委員の制作確認も済んでいる。そして文化祭当日は、満の作ったモックアップや制作風景写真をパネルにし、工程や図面、ラフ画と模型からどのように組み上げたか、そのメイキングも美術室での一展示とする予定だ。
「せっかくのノウハウだからね」トイチは云った。「来年以降の制作に役立てないと」
ところが、本番当日までまだ二ヶ月もある。スケジュールを立て、中心となって制作したトイチは時間を持て余し気味のようだ。それは満も同じだった。自分でデザインした以上、思い入れはトイチに負けない。本当にこれで完成としていいのかと、自問する気持ちがどうしてもある。
作品作りに於て完成とは何か。トイチと語り合ったことがある。
二人の結論は、「完成はないが、締め切りはある」
実際、トイチは不思議な機械のある風景と女の子のモチーフを繰り返し描いている。満もまた、過去に作ったペーパークラフト・ロボットの表情やポーズ、モールドや装備などを変え、制作している。それは作り直しや作り替えとは異る新たな制作だと認識している。そして作れば作るほどに、ペーパーロボットたちのキャラクター特性や世界観が固まっていくのだった。
*
うだうだ悩んでいても仕方ないと、満はトイチに部活の切り上げを提案した。外の空気を吸えば幾らか気分も変わるだろう。帰りに画材店にも寄りたかった。
図面から顔を上げたトイチは少し考え、うんと頷き、満と共に帰宅準備を始めた。それを期に、なんとなしに他の部員も画材を片づけ始め、美術部の二学期初日の部活動は終わった。
通学鞄を肩にかけて、トイチと二人並んで廊下を歩きながら満は云った。「帰りに替え刃の仕入れするつもりだけど、来る?」
トイチは奇遇だとばかりに、「先生に相談しようと思ってたんだ」
満は笑った。「ならちょうど良かったじゃん」
その時、たたたっと小気味良いリズムが人気のない廊下に響いたかと思うと、
「きゃッ」
「おっと」
女子の悲鳴とトイチの声が重なった。
振り返ると一人の女子が床の上に尻餅をついていた。「いたた」
巨体を思わせぬ身軽さでふわっとトイチがそばに屈み、「大丈夫?」
女子生徒は頬を赤くし「大丈夫です」とトイチの差し出した手を借りて立ち上がると、スカートの裾をはたいた。「ごめんなさい」くるりと背を向けダッシュで廊下を突っ切り、ヘアゴムでまとめた髪とプリーツスカートの裾を翻し、角を曲がって姿を消した。
「……三人目」ぽつりとトイチが呟いた。
「なにが?」
「今日。ぶつかってきた一年女子」
「一年全員網羅してんのかよっ」
「まさか」トイチは否定した。「そんな趣味ないから」
もちろん満は友人の言を信じた。むしろ全員網羅してたらちょっと怖い。けど面白いとは思う。だが今後の付き合いを再考せざるを得ない。
「名札だよ」トイチは指先で自分のそれをコツコツ叩いた。
なるほど、胸のアクリル製ピンクリップのネームプレートには学年別に塗り分けられたラインが入っている。本年度は一年が青、二年が赤、三年が緑。学年カラーは持ち上がり制なので、来年度の一年は卒業した三年の緑を引き継ぐ。
「その図体の所為じゃね?」と云いつつも、足音を脳内再現するにどう考えても「ぶつかってきた」ように思えた。「当たり屋?」
「弱ったなあ」ケガされたら困るよと、トイチは自分の大きなお腹を撫で、なにやらもにょもにょと歯切れ悪く応えた。満は、何か知っているか、今年入学した妹に訊いておこうと思った。
校門を出て、学校敷地のフェンス沿いに歩いていると、美術室から見えたプールに差しかかった。
こちらも早仕舞いか、上から見た時より人数が減っているようだった。妹はまだいるのかと探してみれば、いた。必要もないのにレモン色の腕浮き輪を両腕両足に嵌め、ぷかぷか優雅に浮かんでいた。満に気付いて、手を振ってきたので、満も手を振り返したその次の瞬間、水を割って一人の女子が高くジャンプした。
濃紺の競泳水着には鮮かなオレンジ色のライン。ついと背を捻り、爪先で空を蹴るようにして再び水の中へと戻っていった。
ミチ子に面識の在るトイチも手を振り返しながら、「今の四方田さんだね」
満は頷き、歩き出した。はたして、今し方見事なジャンプを披露したのは同じクラスの四方田カオリに他ならない。水面を飛び出した彼女の滞空時間は一瞬だったけれども、舞うような優雅さですらりとした上体を反らし、飛び散った水滴は宝石のように煌めいて、まるで人魚みたいだった。