8-6.5
●エピローグ
ノックもせずにいきなり部屋に入ってきたのは黒人と白人の異人コンビだった。
デスクの上に足を投げ出し、鼻に指を突っ込んでいた竹尾美神はメガネのレンズ越しにその闖入者を見つめた。背丈も幅も規格外の大男。つまりこれがヤード・ポンドの国からの来訪者か。国際基準であるSI単位系を頑なに受け入れない輩である。揃いのダークカラーのスーツにネクタイ、同じ形のサングラス姿が妙にチャーミングで、無言の威圧感を滑稽さに転換させていた。
二人はさっとそれぞれ首を左右にし、天井の一画を見つめると、顔を見合わせ軽く頷き、扉を開けたまま出て行った。
なんぞ。
と思いながらも、竹尾はにやっと口元を曲げた。
三号館の片隅。陽当たりの悪い空き教室。占拠し、改装した竹尾ひとりの院生室は、資料に書類、参考書、そして分厚いフォルダーで埋もれていた。ファイルラックにはビキニ姿のアニメ女の子フィギュアと、素組みのプラモデルが並んでいる。足の踏み場は獣道としか呼べない有様だ。
竹尾は二人が戻ってきた時もまだ鼻に指を突っ込んだままだった。取れそうで取れないのがもどかしい。
モップを手にした赤毛の白人男が天井に備え付けた防犯カメラの真下に立ち、ゴンッとその柄で突き壊した。ドーム型のプラスチックの塊が砕け落ちる。満足気に一瞥したスキンヘッドの黒人男は、竹尾の眼前で両手を後ろにし、見下ろすように云った。「わたしはアラン・スミシー」こわそうな口髭を蓄えたそこから発せられたのは流暢な日本語だった。
「偽名ね」
アランは愉快そうに口元を曲げた。「あっちはトマス・リー」
「偽名ね」
モップをうっちゃり、勝手にファイルフォルダーをひっくり返していた白人男は、顔も上げずに、軽薄なナンパ男のように片手を上げた。
アランが云った。「鼻、どうかされましたか」
そこで竹尾は初めて気が付いたように鼻から指を抜き、キムワイプ(紙ウエス)の箱から一枚取り出し、指先を拭った。「まぁいろいろと」
両足をデスクから降ろし、立ち上がってスカートの裾を叩いた。
ボタンを留めぬままのだらしなく着た白衣のポケットに両手をつっこみ、つま先立ちで胸を反らし、なるたけ尊大に云ってみる。「なんのご用で?」
「もうお分かりかと」
「まぁね」
トマスと呼ばれた赤毛男は次から次へと竹尾の研究資料をひっくり返し、狭い部屋の中身を右から左、左から右へと移動させる。程なく、ガラガラと音を立ててキャスターつきの荷台と男たち──どう見ても日本人だったが、これまた驚くほど規格通り、同じ鋳型から作られたのかと思うほどそっくりな連中だった──がわらわらと集まり、無地の段ボールを組み立て、トマスの渡す書類だのフォルダだのを無言のまま詰め込み始めた。
「強盗にしてはハデね」
「極めて善意と良識の元に於ける供与です」
「見返りは?」
「ニホンゴ、ムズカシイデスネ」
いきなりカタコトになった。愉快なやつだ。
ほんの数分で竹尾の研究室は空にされた。研究資料、パソコン、メモから外付けハードディスク、メモリカードに半裸のフィギュアに至るまで全て持ち去られた。あの子、お気に入りだったのに。
部屋はもともと局地的大型颱風が居座っていたような有様だったから、男たちが箱詰めして持ち出した分、綺麗になった。それはまさに颱風一過。
「金を出し、口を出さぬが一流よ?」竹尾が云う。
「そんなこと、思う間は三流さ」白い歯を見せ、アランが応える。
「ちぇっ」竹尾は降参、とばかりに手を上げて、「ちっちゃい方は回収できた? プールに無かったでしょ。でも安心していいわ、濡れて壊れてもうダメね。残念だけど、ゴミだわよ」
「ほう?」
「騒ぎ、大きくしたくないでしょ? わたしも同じ」
「何が云いたいので?」
「子供ってのは柔軟ね。すっかり忘れてたわ、わたし。あなたもそうだったでしょ?」
「確かに」アランは頷いた。「ならばそちらの心配はありませんな」
「Yes」
「しかし、あなたに対してはどうでしょう」
「Seriously?」
「イエース」
「Nice joke」
「チッチッチ」アランは人さし指を振って見せる。竹尾は大仰に肩をすくめる。
「また近日中に」とアラン。
「オーケー牧場」と竹尾。
「ねぇ」去り際のアランの背中に声を掛けた。「これの苦情ってどこに云えばいいの?」
振り返った大男は、にやっと笑う。
「Just kidding」竹尾は云った。「聞いてみただけ」
嵐の過ぎ去った部屋の中、残された竹尾は、「はー……」どさっと椅子に座り込み、コーラのペットボトルを手に取った。開封してぐびぐび飲んで、盛大なおくび。「やってらんねーわなぁ」
しかし、言葉とは裏腹に口元には楽しげな笑み。そう、彼らが持ち去ったのは既に「開示されてしまった」古い資料でしかない。別名、搾りカス。しかも、未完。これからの一切合切は、全てこっちの頭の中。しかも、未定。
去り際の言葉通り、遠からずあの雲を衝くような大男たちは改めてコンタクトしてくるであろう。この来襲は牽制だ。有り体に云えば勝手をするな。逆に云えば泡を食った。ハハッ。ザマァないね。お呼びが掛かるのは時間の問題。その時は大いにふっかけてやったろうじゃぁないか。正当な権利だ、そうだろう?
いずれくる未来の皮算用をしていたので、窓を叩く音に気付くのが遅れた。「なんじゃい」声に出しながらブラインドの羽根をぐいと引き下げ、外を見れば──ひょこっとペーパークラフト・ロボットが顔を出した。
おやまぁ。竹尾は驚きながらも窓をそっと引き開けた。「あんた、あの子たちと一緒じゃないの?」
その丸い身体のペーパークラフトは、よっこらせっと、窓枠を乗り越え入ってきた。蛍光灯にさらされた姿に、竹尾は違和感を憶えた。あの少年の作品には違いないが、色も形もチグハグだ。彼の作風は随所に見受けられるが、組み合わせが、らしくない。右手左手、右足左足、それぞれ別々に作られた部品を無理にくっつけたようで、色も赤だの青だの黄色だのとハデな原色ばかり。作品としての統一感はカオスでビビッドな海に沈んでいる。
竹尾の視線に気付いてか、それは口を開いた。「おいらはジョーカー」ざらざらとした、名に違わぬどこか意地の悪そうな声音だった。「余り物のパーツでどうにか体裁整えたってところだから、そこんとヨロシク」
ほうほう。なにをどうヨロシクなのか分からないが、竹尾はそのペーパークラフト・ロボットを抱きかかえた。「ようこそ、ビビッド・ジョーカー」自分で自分を組み立てるまでになったそのペーパークラフトに云った。「歓迎するわ」
「あいつらと一緒いても面白くなくてよ」やれやれと芝居がかかったように肩をすくめて見せる。「アレするな、コレするなって、小うるさいばっかだあの小僧」
「まぁそうだろうな」ペーパークラフトをデスクの上に座らせ、ふむふむと竹尾は小柄な少年を思い、「それで、ここなら楽しいことあるって?」
「すでにあったようじゃん?」
「まぁね」
「おいらもご覧の有様、未完成だからさ」ジョーカーは小狡そうに竹尾を見た。「あんたに頼めばもうちっとは見栄え良くしてもらえるかい?」
「おうよ」竹尾は得意げに小鼻を膨らませた。「任せとき」
─了─
13、15, 352




