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「ミューズさん」顔を上げた少年は、真剣そのものだった。「拡張紙って、効果は持続するものですか。彼らは、ペーパーロボットたちは、ずっと動いていられるんですか」
ミューズは視線をついと窓の外にした。
「ねぇ、トイチくん」ミューズは横を向いたまま云った。「拡張紙なんだけど、それは貼った側の思いか、貼られた側の思いか、或いは貼った時の思いか、どれだろうね?」
視線だけ戻し、「あ、思いのウェイトの重さにひっかけたダジャレだから」
少年は困惑の表情を浮かべた。
「まぁいいさ」ミューズは云った。「これも観測できないことだから。うん、キミはなかなか優秀な生徒だ」
「ならミューズさんは優秀な非常勤の臨時講師ですか」
「キミはどう思う?」
少しの間、二人の間に沈黙が横たわる。
少年が口を開いた。「確かにミューズさんは嘘、云ってませんでした。でも語ったのは一部だと思います」
「ふうん?」
「モノリスを作っても、観測出来ない。同様に、制御できない技術はその利用を確立できない。けれども、それがうまくいった事例があれば? ぼくの懸念、分かりますか? すでに不確定要素満載の事態だと思っています。例えば、拡張されたオブジェクトはいったい誰の云うことを聞くのか。エースもジャックもミューズさんの言葉で飛び出した。ぼくも彼らと遊んだ。楽しかった。かなり自由です。でもスリープからの復帰はモンジでないと無理なんです。外部コマンド? どんな技術か分かりませんが、スリープしていたクラフトの機能を見事に使った。でも、充分じゃない」
「そうだね」ミューズは素直に認めた「今はまだね。加工の手間もある。スプレー式に塗布するやりかたなんかも考えてるけどいかんせん、研究費ってのは上限があってね、基本、貧乏なんだよ、どこもここも。ジャブジャブお金を突っ込んでくれない。基礎研究? なにそれおいしいの? ってのがどこの世界でも共通認識だからね」
「技術って軍事転用も多いでしょうけど、民間転用も多いはずです。GPSとか、インターネットも」
「ハイパーテキストは論文を参照しやすいようにってモノだったけどね。マークアップランゲージはホントに素晴らしいよ。口伝から文字による伝達。石、粘土板、パピルス、羊皮紙、そして紙。写本、木版、石版、活版印刷、DTP。何千年に渡り変遷はあったが、根本は変らない。言葉を使った伝達と云うある種のテレパシーは、HTMLによって手段がひとつ上の次元にシフトしたと云っても大袈裟であるまい。本を読みながら、左手が勝手にコントロールとFキーを探しちゃう。何でもかんでも電子化ってのはぶっちゃけ反対なんだけどね。クラウドもそう。併用ならいいけれど。まぁ──それは置いといて。実際問題、国防ってのは予算がつく。制約のオマケもつくけど。だからと云って、ホントの基礎の基礎はやっぱり難しいんよ。ニュートリノの重さが分かることで、それが何になるかを理解して貰うことは難しい。通信に使えるだろうとは云われているけど、だから何? だ。人間の想像力ってのは空や海のように広いわけじゃない。猫の額もあやしいもんさ。無限と思うのは勝手だが、詩人か夢想家、お間抜けさんが関の山。時間で云うなら頑張っても三〇年程度。ジェネレーション。ファッションもだいたいそのくらいで一周する。だから五〇年後の話をされたところでとんだナンセンス。その時自分は何歳だ? 何をどうして何処にいる? ましてや百年、二百年先の話なんて。十八世紀の人間が今日のテクノロジーをどう思うかだなんて自明だね」
「それでも研究を止めたりしないんでしょう?」
「未だやり残してるもん」ミューズはカップの中のコーラを啜り、「キミが挙げた制御の問題も、思いが転写されるなんてロマンチックな概念も、体系立てて次に繋げたい、課題は山積みだ。でもね」再び対面に座る少年に指を突きつけ、「克服できないはずはないとわたしは確信してる。だから、止めない。続ける」
「完成するまで、ですか」
しかしミューズは「ううん」静かに頭を振った。「飽きるまで」
窓の外、雨はすっかり上がっており、雲の切れ間から夕日が赤く射していた。
*
トイチは、カオリの態度から、友人がうまくやれたことを感じていた。しかし、当の友人は、と云えばどこか気もそぞろだった。
この温度差は何だろう。
衣替え。夏服の季節は眩しく切り替わる一方で、秋は来たるべき厳しい季節を予感させる──などと思うのは、時節の変わり目の所為だろうか。
トイチはいつも通りに友人と接し、放課後を待った。彼が、何か語ることがあるのなら、その時にじっくり聞いてやればいい。
文化祭ウェルカム・モニュメント、ピンク・コングの追加作業は終了した、と云って差し支えなかった。残りは、チームリーダーであるトイチがどこで完成とするか、云い換えれば満足するかにある。
放課後、トイチは美術室に顔を出し、部長のトシ子と副部長の美保子にもう手伝ってもらうことはなく、今までの協力に謝意を伝えた。二人はそれを受け、「いいって、いいって」にこやかに手を振った。二年男子組はもう暫く第二美術室にて作業したい旨を伝えると、「また人手が必要だったらいつでも遠慮なく頼ってちょうだい」先輩らしい言葉をくれた。
「ミューズさんによろしくね」
こうしてトシ子も美保子も、最後の文化祭、自分たちの出品作制作に戻った。トイチは第二美術室へ向かった。
「おつかれさま」
扉を開けると、満が顔を上げた。机の上に座り、両足をブラブラとさせ、手持ちぶさたにしていた。その横に蓋をきっちり閉めたままの工具箱、そしてA3ほどのクラフト紙の包みがあった。




