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●第六章
いっときより見物人は減った。そもそも第二美術室は、目的なくして訪れるような場所でない。校舎のいっとう端っこは、何かのついでで通りかかることはない。
ミューズは黒板を背にして、教卓の上にノートパソコンを設置し、横付けにした机の上に荷物を置き、第二美術室を快適な居場所に変えていた。タカタカとキーボードを叩き、なにやら作業してたかと思えば、白衣の裾をひるがえしながら教室内をぶらぶら歩いて作業を見て廻ったり、たまに手伝ったり、また教卓に戻って学部生のレポートをぶぅぶぅ悪態つきながら採点するが直ぐに飽き、立ち上がって廊下側の窓枠にもたれかかり見物に来ている生徒と談笑したりする。
放課後限定非常勤は、美貌とフランクさで依然ちょっとした人気者であるのは違いない。
「何か問題でも?」トイチが訊ねた。「手が止まってる」
「あ、ごめん」満は貼り付けたマーメイドを、辺に添ってすいっとカッターで切り落とした。端材もあとで使う可能性が在るので皺にならぬよう、丁寧に作業用にくっつけた机に置く。
「悩みなら聞くでよ」
「いや、」満は苦笑して、「ミューズさんってファッション変だよな」
今日のミューズは、明るい緑青色に変な模様が乱舞しているブラウスに、すっかり色の抜けたデニムのジーンズ、そして白衣だ。ブラウスはいささか丈が短いようで、身体のひねり具合で素肌がちらちら覗き見える。
「あの柄、なんだっけ?」満が問うと、「ペイズリー」トイチが答える。
「ゾウリムシに見えるな」
「思っても口にしちゃダメだ」
「ファッションと云うより、……おざなり?」
「確かに」同意するトイチ。「なんか手直にあったモノを取り合えず着てる風に見える。チグハグと云うほどでないけど、髪は束ねるだけだし、時々寝癖で跳ねてるし、来賓スリッパだし、極め付けはあの白衣」
ミューズは廊下の窓に近づき、見物に来ていた数人の女子生徒たちと談笑し、互いに手を振り合って分かれた。
トイチが囁くように云った。「工学部で、教員資格は理科だからおかしいことはないけれども、放課後まで白衣はやっぱり妙だね」
見物人がいなくなったので、ミューズは教卓についてノートパソコンを開き、カタカタとキーを叩き始めた。傍らの机には立てた小さな段ボール箱、中には満の作品が入っている。茶色を基調としたやさしい色合いの、ショコラ・クイーンと名付けられた、かわいらしいペーパークラフトだ。その姿は黒板を背にして教卓に座るミューズからしか見えない。
「壊さないから」と云う約束で、触れるときは白手袋するから、とそれを見せられ、渋っていた満も最後は貸与を了承した。
なにしろ不思議紙──拡張紙の発明はミューズなのだ。その発明あってのペーパーロボットなのは認めざるを得ない。それにミューズ自身がかって吾郎先生の工作教室の生徒だったことを加味すれば、ペーパークラフトの取り扱いは十二分に分かっているはずだ。
ショコラ・クイーンを選んだのは、問題を起こしそうにないからである。エースやジャックだったら、暫くは箱の中で大人しくしていても、すぐに飽きて、なにやら騒ぎを起こすかもしれない。
満からは段ボール箱の底側しか見えない。ミューズは箱の中をチラチラ見ながら、カタカタとキーボードを叩き、くすりと笑ってまたキーを叩く。何が楽しいのか気になる。教室の後ろに置かれた工具箱は、蓋が僅かに開いている。中には三体のペーパーロボットがスリープモードで待機している。閉じこめっ放しでなく、少しでも外の空気を吸わせてあげたかった。
「ミューズさんって榊先生と中学の同級生なんですよね?」トシ子が訊ねた。
「高校も一緒だったとか」一緒に作業していた美保子が追従する。「どんな生徒だったんですか? 榊先生って」
するとミューズは教卓に頬杖を突き、「サッキーかぁ」馴れ馴れしい物云いの中に、懐かしさが滲んでいた。「うん、ぶっちゃけ乾分だった。よくパシらせてたなー」
「ホントですかっ」三年女子二人が驚く。
満は、その光景を容易に思い浮かべることができた。榊教諭をパシらせるミューズ、その力関係は今でもそっくりそのまま当てはまっていた。トイチを見遣ると、その顔から同じことを考えていることを知った。
ミューズは続けた。「でも好きな子に意地悪するって青春っぽくね?」
トシ子がきゃぁ、と黄色い声を上げた。「榊先生のこと好きだったんですか!?」
「なぜ過去形とする」
美保子が驚き訊ねる。「今も……好きなんですか?」
「さぁて? ご想像にお任せしますよ」




