夜明け
002
まずは、体の確認を。けが、欠損は感じない。ナニかが増えてる気はするが。
目も見える、音も聞こえる、においもわかる、落下時に熱いとか痛いとか感じた分も含めて、五感もそろっているようだ。とにかく、五体満足ならば行動に問題はない。
次。
細部を確認してみよう。
じっと手を見る。よーく見る。穴があくほど見る。両手を目の前に広げて、表裏をなめるように見る。うん、鱗にかぎ爪、凶悪な形相で実に結構。
じゃない!
手の甲、腕、肩、脚、膝、腹、脇、首をまわしてみれば、背中、腰、そして、「しっぽ」の先まで余すところなく大小の鱗に覆われていた。背骨の上は、やや大きなこぶのような鱗になっている。
氷弾が全身隈無く叩き付けたにもかかわらず、傷ひとつなく、漆黒の鱗がみっしりと覆っている。どの鱗も、角度によっては銀色にも見える。構造色というやつかもしれない。
「つばさ」も、あった。気のせいじゃなかった。ちゃんと背中についていた。コウモリの構造とほぼ同じようで、異なるのは、翼前の骨のあるところにも鱗が備わっていることと指先に当たる部分に爪が1本ずつあること。翼膜にも傷はなく、柔らかな短毛が一面にはえそろっている。 ・・・あの絨毯爆撃をうけていながら、よく穴があかなかったな、柔軟性と強度もあるのか? 左右のつばさを交互に上下させたり、曲げ伸ばししてみる。おおお、動くぞ〜。
「しっぽ」も振ってみる。深くは考えない。 ・・・いま、「ブンッ」「ビュン」て音がしなかったか? たしかに先端は細身の鞭のようにも見えるけどねっ。
今度は、頭を下げて、手のひらで頭の形をなぞってみる。強いてみれば、オオカミに似ていて、鼻はアリゲーターっぽい。鼻の穴が大きすぎなくてよかった。耳の付根は筒型、外側は鱗張り、内側には毛が生えている。おでこの上には小さな角が2本。歯も触ってみる。爪に似た、三角形の何かがズラーリと並んでいる。ぶっちゃけ、牙あるいは犬歯だらけ、といってもいい。
はい、おめでとうございます。人間やめました。
両手で頭を抱えたまま、しばらく硬直してしまった。
どこで、どうしてこうなった?
そう、何もわからない。
誰も答えてくれない。もっとも、今、目の前に神様などというものが登場したら、それはそれでパニクるかもしれない。つかみかかって、ぎゅうぎゅうに絞り上げていただろうな。
頭の中で、「どうして? なんで?」という言葉がぐるぐる回り続ける。
岩の上に寝転がる。
夕暮れ時、名前もわからない動物たちが鳴き交わしている。樹冠は夕日をはじいて金色に輝いている。見上げれば、大小の月が2つ姿を現していて、覚えのない星座を示す星々が瞬きを始めている。
[また]、生きている。
それならば、生き延びる。できることなら、今生は、のんびりと穏やかに。
前世で地球には帰らないと覚悟を決めた。今の容姿では、なおさら戻れない。死にかけた直後に引きずり込まれた「あの世界」にもすでに用はない。痛いのもあくせくするのも、今日を含めて十分すぎるほど経験した。現状、何かしら切羽詰まった状況でもなさそうだ。
・・・ハードな前世のおまけでもらった余生と思えばいいか。
「人生」ならぬ「竜生」とでもいうのかね。
もう一度、大きく深呼吸した。そして、「よろしくお願いします、この世界。はしゃぎすぎない程度に、エンジョイさせてくださいね」と、心の中でご挨拶。うん、前向きでいこう。思考停止では何も始まらない。
どうやら、この岩山にはほかの動物は近寄らないようだ。空で見かけた鳥頭獅子などは、周りの山に降りていったし、山裾から動物が上ってくる様子もない。
腹這いになってみると、雷が当たった後のようなポカポカした感じがして気持ちがいい。危機一髪な初日だったけど、間近にみた雷光のど迫力に感動したな、とか、明日からは何を始めようかな、とか、そんなことを考えているうちに、いつの間にか眠っていた。
おはようございます。日の出前です。
樹冠よりも頭一つ高いところに「いる」ので、暁闇の払拭されつつある空を、遮られることなく展望できる。朝日が射したとたんに、思わず合掌して拝んでしまった。某世界遺産の山頂でもやってみたかったな〜。
押忍、心機一転、がんばるぞー。
初めての野天でも、ぐっすり眠れたし、体も痛くないし。背伸びして、首をまわして、手足も曲げ伸ばして、ぐーぱーぐーぱー、脱力感もなし。本当に丈夫だなぁ、この体。
いや、丈夫? 元気? 体力みなぎってる感じが、このワイルドライフに適合しているというかね、野獣じみてるっていうか・・・
あああ、ワタクシ、ドラゴン様でしたね。問題ない、問題ナイ。
ん? 昨日よりも体が大きくなった? ご飯も食べてないのに。気のせいかもしれない。が、いかんせん、ドラゴンの生態など、これっぽっちも知りませんがな。
正常か異常かを判断するためには、まず記録する。客観的データが集まったところで仮説を立てて比較検討。それまでは、判断保留! うむ、理系女子はデータが基本。いや、一個体の数値だけでは、判断もへったくれもないけどさ。記念にはなるでしょ?
そこ! 「何の?」とは突っ込まない! ・・・セルフ突っ込みしてしまった。
でこぼこの少ない場所を選んで、岩の上に太めの一本線を引く。もちろん、道具は自前の鉤爪。がーりがり。そこにしっぽの先端を会わせてから、おもむろに腹這いになる。腕は両脇にそわせる。鼻先の位置を確認して、そこにもう一本、線を引く。まあ、一人で計測するには多少の誤差は目をつぶらざるを得まい。横に、「0001」と書き込む。がりがり。カウントは、日数にしておこう。今日が一日目。カレンダー代わりにも使えるか? その横には、手のひらのサイズも記録してみよう。
なんてことをしているうちに、水が飲みたくなってきた。この体、感覚が優れているのか、「水」に意識を向けたとたんに、水の湧き出る音、沢の音、岩の間ではじける音などが識別できる。ちょっと離れた川の流れる音も把握できた。周辺の空飛ぶ動物たちが気になれば、ぎゃいぎゃいわめいているやつらのいる方向と彼我の距離をそれぞれ認識している。便利すぎ?
ところで、現在地の状態も確認してみよう。岩山のてっぺんはほぼ平坦で、皇居ぐらいの広さがある。平地の形は、円に近い楕円形。草一本も生えていない。真っ平らすぎて、ちっぽけな水たまりを数個見つけられるだけ。昨日のようなスコールを待つか? しかし、毎日降るとは限らないし。
岩山の山裾から少し離れたところまで、大きめの木がまばらに生えている。その先は緑まぶしい密林だ。熱帯雨林の樹高はおおよそ100メートル。樹冠よりもさらに高いところにこの岩山の崖っぷちがある。まるで、ギニア高地のテーブルマウンテン。
・・・わぁ、高いなぁ。こちらの方が、低いけど。それでも。
そう、「垂直」な崖。断崖絶壁。所々に小さく突き出しているところもあるが、ほぼつるぺたんな岩肌。掴まりどころ? ナニソレ、オイシイノ?
・・・どうやって降りればいいんだ?
・・・・・・・そうだ、ワタシには、つばさがあるじゃないか!
昨日は、もっと高いところから無事にちゃんと問題なく降りられたし。イケる! はず!!
つばさをはためかせてみる。もちろん、平地の真ん中で。うまく飛べない状態で、端から転げ落ちてみました〜なんて、コントは、やりたくない。たとえ、誰もみていなくても。
昨日の落下初期にはおもちゃのように見えたつばさが、今日は、やけにやる気になっている、ような気がする。自分の体の一部なんだけど。「オレはやるぜ、やってやるぜぃ!!!」といっている、気がする・・・。大丈夫か?
ぐいーっと広げてから、おもむろに「バッサバッサ」と振り下ろす。つばさは気持ちよく空気をつかむ。いや、ほんとに。昨日のエアー三角翼よりも「つかんだ」感じがするのよ。データも大事、だけど感覚も大事。
軽く体を浮かせられる。慌てることはない。時間はある。振れば振るほど、つばさは力強さを増していく。なんか、巣立ち前の小鳥になった気分。わくわくする。
かなり日が高くなる頃まで、羽撃きの練習をした。岩山の上下を移動する程度なら、いけそうだ。山裾に降りる前に、岩山の周辺で飛行訓練するのも忘れずに。さあ、女は度胸! いっきまーす!
・・・いやあ、びっくり。思った以上のスピードが出た。勢いつきすぎて、危うく別の岩山に突っ込むかところだった。体をロールさせて、上空に退避。
その山を住処にしているらしき、大きなライオンもどきに見つかって吠えかけられてしまった。ごめんなさい! と、声にしたつもりが、「ぐわらがおぉぉぉん」とわめくはめに。ライオンもどきさんは、私の声の大きさにビビったのか、岩山の影に引っ込んでしまった。逆ギレしたと思われたかなぁ。そんなつもりはこれっぽっちもなかったのに。重ね重ね失礼しましたぁ。早いうちに発声練習も組み込まなくては。
それはともかく、うちの岩山(マイ マウンテン、略して「まーてん」と呼ぶことにした)の山頂への帰還に問題はなさそうだ。よかったよかった。
スピードコントロールもなんとか身につけたところで、まーてんの麓を目指す。あ、水場を発見。湧き水だね。水底まで透けて見える。周りは大きめの岩がゴロゴロしている。離着陸の邪魔になりそうな樹木は近くにない。湧き水から少し離れたところに岩の裂け目があり、ここからは、肉食系の動物が隠れている様子はない。
しかし、よく見えるなぁ、この目。上空100メートルオーバーから水底の水草が揺れる様子がはっきり見えるとは。どこまでいくんだ、この体。まあ、みえないよりは見える方がいいに決まってる。スペック確認も徐々にやっていくということで、よし、着地。
もう一度、水の中をよくみる。水底の砂地からこぽこぽとわき上がっている。ワニとか蛇とかピラニアとかのヤバそうな生き物は見つけられない。
では、いただきま〜す。両手ですくって水を飲んだ。冷たすぎないのがいい。するりと、のどの奥に流れていく。もう一口。んは〜、生き返るぅ〜。がぶ飲みはしない。万が一、腹を壊したら大変だもの。医者も薬もないんだから。
まばらに生えている木は、植林された杉に似ていた。樹形だけ。杉は、あんな木の実は付けない。松ぼっくりとは似ても似つかないアボカドに似た楕円形のブツが、クリーム色した幹や枝からニョキニョキとぶら下がっている。高いところほど、ブツは大きくなっている。
実の色は、とってもカラフル。黒いの、赤いの、黄色いの。探せば七色そろうんじゃないか? 鳥さん熊さん、よりどりみどりだ、さぁ取って食え! と言わんばかりの売り込みをかけている杉もどき。
なんか、逆に怪しく思えてしまう。だってさぁ、障害物がほとんどないところに生えていて、なのに全身実だらけということは、捕食者がほとんどいないってことでしょ? 毒か? それともフェイクか?
森に近い方の木も観察してみる。形は杉もどきだが、森に近いほど幹の色が濃くなっている。実の色も、ほとんど赤系統になっている。
ん? 鹿っぽいのが出て来て、リンゴ色した実にかじりついた。二股の太い角を左右に二本生やした、私の倍くらいの体躯をした鹿もどきは、なんか夢中になって次から次へ丸呑みしてる。おお、食べられるんじゃないか。
あれれ、様子が変だ。腹の辺りが妙にぷよぷよしている。食べ過ぎて胃が膨れたのとは違う。足下がふらついたと思ったら、へたり込んだ。勢いで、腹が地面に当たったとたんに、はじけた。中身は、液体。「べしゃっ」頭部も地面に落ちた。見る間に嵩を減らしていく。
鹿もどきは、中身をすべて垂れ流し、こうして消えていった。
今度は、別の杉もどきの上の方にある実を食べた蟲が落ちて来た。ひゅ〜う、べちゃ。外殻も粉々に砕けた。あっちの森の奥の方では、三本尾の狐が、もう少し小さめの実にかじりついた、が、善戦虚しく溶かされた。
・・・怖ぁ。杉もどきは食虫植物のたぐいだったのか。たぶん、果実に超強力分解消化酵素のようなものが含まれていて、液状にした獲物を根元にばらまくことで栄養にしているのだろう。食わせて喰う。何というか、グレードが違うぞ、この世界。
しかし、色の薄い杉もどきに食いつくやつがいない。どこが違うんだろう。より強力なのか? それとも、動物たちは森から離れたくないのか? この場所に何かあるのか・・・
もうしばらくは、観察を続ける必要がありそうだ。
・・・くすん、手の届くところに美味しそうな物がたっぷりあるのに食べられないなんて。いつか絶対に食べてやる。食べ物の恨みは恐ろしいんだぞ。
主人公の性別が判明しました。女性です。そして、ただの食いしんぼでした。