六話
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窓枠から暗い屋内を照らし出す閃きを追うように響く轟音。
男はひときわ響く霹靂に顔をしかめながら窓の外を忌々しげに見やり、それから一脚卓を挟んで対面に立つイマハム・ロンマに視線を戻した。
荒天のせいか室内は真昼というのに薄暗く、場に漂う陰鬱な気を更に増大させている。
古風な造りのうらびれた一室は専用の別室とはいえ、仮にも組織の長に充てがわれたものとしてはあまりにも見窄らしい。
しかし、古めかしい座椅子に腰掛けた男には些かの不満の色はなくむしろ空間に望んで埋没し、一人俯きがちに酒杯を傾ける。
イマハムはそんな男の様子に僅かに眉根を寄せ。
「こんな時間から酒場とは関心しませんな」
「僕が何時何処にいようと何も変わらないよ。僕の裁定が必要な事案など一つもない」
そう、ADAM長官メルガス・ツィツェンドルフはくたびれきった顔で笑う。
すでに白く染まりきった髪は薄くなりはじめた頭頂を隠すように撫でつけられ、垂れ始めた頬に幾つも刻まれた苦渋の跡は疎らな無精髭と共に風采のあがらぬ相貌をいっそう見窄らしいものにしている。
ゲフェンノーム強奪事件を切欠に、GRDNに実働部隊の殆どを奪われたADAMは組織としての任務遂行能力をほぼ失していた。
以来、ADAM長官の座は前にも況してお飾りに成り果て。
「こうして日中から酒をあおろうと誰も何もいいやしないのさ」
メルガスの自嘲めいた呟きをイマハムは聞き流した。
「先日、<デッカデウ>が陥落しました」
「どうやらそのようだね」
戦闘は両軍相食む激しいものであったと聞く。
「禁弾の使用跡が確認されたそうです」
「…あれは人間相手に用いるようなものじゃあない。そんな事は誰もが分かっているだろうに」
「常識など、今のGRDNには存せぬようですな」
「一時の乱心と思いたいが」
「…デッカデウ周域は即座に廃棄指定がなされましたよ。都市基幹部を損なった彼の地はもう使い物にならんでしょう」
魔に対してさえ使用を憚られるべき禁忌の兵器を同胞に用いようとは。これまで辛うじて内部抗争に留まっていた紅軍と翠軍の争いはここに来てついに一線を超えてしまった感がある。
人も都市も省みぬ戮争の極み――「彼ら」のやり様はいかな同胞といえど到底容認しうるものではない。
だからといって――メルガスは手酌で杯を満たす。無聊をかこち酒に浸るような男が一人憤った所でどうなるものでもあるまいが。
たった一年ほど前のことが、今では遠い過去のように思えてくる。
両陣営の局地的な小競り合いは瞬く間に急坂を転げ落ちるがごとく本格的な戦闘へと発展し、今では真世界全土にも及びつつある途上。
それに伴い、各都市域の惨状も日増しに多く伝わってくるようになった。諸都市への聖府からの指令も滞り流通の分断も相俟って都市機能の維持さえ困難な有り様ときては無理からぬ話ではある。
神民の中央から周辺区域への逆行現象すら認められている現状だ。紅と翠――この先どちらが勝利するにせよ、その時に勝者を迎えるのはかつて真世界であったものの残骸の山であることだろう。
無意味な争い。
無力な己。
「…話はそれでおしまいかね」
メルガスは憂いを振り払うように無愛想な声で話を打ち切ろうとした。
「どうでしょう、私達は同じ憤懣を共有していると思いませんか」
男は杯の底に残った酒を飲み干す。
「憤懣ね。君が自分の胸の内を明かすのをはじめて聞いたようだ」
本心か否かはさておいて。
「ゲームの盤上から外された者同士、今更隠し立てもないと思いましてね」
「率直でいい。私も見習いたいよ」
イマハムの不躾さを笑う一方で、そんな彼に一抹の羨望を抱くのも事実だった。断罪者を断罪する役目はかくの如き人種にこそ相応しいのかもしれぬとメルガスは思う。
「元から我々は似たもの同士ですよ」
「君と僕が同じねえ…?」
不審そうに目を細めるメルガスにイマハムは意味ありげに軽く頷く。
「ADAMは内側の敵と戦う。神智院もまた同様です」
ADAMの主任務は治安維持、よって敵対象は主として同じ人間である。 一方GRDNのそれは魔であり、真世界の、ひいては人類の純粋な外敵である。
であればGRDNは称賛を、ADAMは忌諱をもって語れることは自明の理。GRDNが光なら、その下部組織たるADAMは常にその影に甘んじていた。
他方またGRDNを含む聖府機関の監査を司る神智院も影の職務には違いない。
「――お互い鼻つまみ者で通っている身であれば相通づるものもありましょう」
「土台、恐れられるのと蔑まれるのではわけが違うさ。私がなんといわれてるか知っているだろう」
冗談にもなるまい。
真世界の鼎たる三院が一つ、神智院とGRDNの下部組織に過ぎぬADAMでは組織としての格が違う。更にいうなら神智院きっての切れ者で通るイマハムと、内外問わず暗愚と誹られるメルガスとでは比肩のしようもない。
「いいたいものにはいわせておけばよろしい。私は貴方の力量を正しく把握しているつもりです、もしかすると貴方自身よりもね」
いずれ阿諛追従の類に過ぎぬとしても、メルガスには意外な言葉と感じられた。
「貴方が傅いてきたのは聖府でもGRDNでもない、真世界が体現するその秩序と安寧であると。うんざりするような誹りを受けながらも節を曲げずその地位を堅持してきたのは、誰が為か。他ならぬメルガス・ツィツェンドルフ自身の信念ゆえ―――」
言葉ほど綺麗なものではない。だが、聖府に蔓延る腐敗と堕落――常態化した権力抗争が生む大小の軋轢を、男が無能の冠をあえて戴く事で平穏理に乗りきってきたのは紛れもない事実だ。
「――しかしそうまでして貴方が守り抜いてきた秩序は今、滅茶苦茶に踏み荒らされている。それも同胞同士の争いによってだ。聖府両派は貴方の、ひいてはADAMの築いてきたものを最悪の形で破壊した」
いよいよもってメルガスの当惑は深まる。目の前で滔々と語り続ける男は彼の知るイマハム・ロンマではない。
平生の彼が秘密めかした策略家なら、今のイマハムは拙劣な扇動家だ。
いったいどちらがこの男の素顔なのだろう。
「――彼らの背信を冒涜を侵犯を貴方は赦せるはずがない」
「…知ったふうなことをいうね」
「先程いったでしょう、私もまた同じ憤りを共有していると。…<デッカデウ>は私の故郷です」
それまでのいっそ無機質とさえいえる抑制の聞いた声がわずかに上ずっていたのをメルガスは聞き逃さなかった。
「ADAMの人間は犬を自認しますがね、どんなに温厚な飼い犬とて口中には牙を秘めているものです。己が領分を侵した者へとつきたてる獣の刃をね」
「イマハム公。やはり僕は君のようにはやれやしないよ。とうに萎みきった意地とやらの為に、たった一つ残った命までフイにするような真似など到底僕には出来はしない」
権謀術数が渦巻く聖府内の隠微かつ周到な策謀の網をひたすら口をつぐんで平伏しただやり過ごしてきた男にとって、虚栄とは常に身を滅ぼす毒杯に他ならなかった。
「なるほど、貴方はそれでいいかもしれない。しかし…死んでいった者達はどうなります」
心中を苛む刺に触れられメルガスは僅かに目を伏せる。
彼はゲフェンノーム追撃に対し優秀な部下を送り出し、結果その大半をみすみす失った。
彼らは何の為に戦い、そして死んだのか?
「貴方には、我々には「義務」があるはずだメルガス・ツィツェンドルフ」
さにやあらん。
彼はその問いに答える義務があった。少なくとも、答えようと努める義務が。
「(そういえば、あの男は下戸だったな…)」
彼が思い出すのは冷ややかな目つきの男の顔だ。
メルガス自らが中央に引き上げ特に目をかけていた部下の一人。
ゲフェンノーム追撃部隊への随行を告げたあの日、男は黙して何も語らずに無愛想な頷きで返し、それから煙草を一本求め、旨そうに紫煙をくゆらせた。
それが、メルガスが記憶する男の最後の姿である。
「『GRDNは魔敵を滅し以って世に安寧をもたらす真世界の剣なり。されば、ADAMは人敵を誅し、以って世に秩序をもたらす真世界の盾なり』……でしたか、確か」
即ち、人乱を治めるはADAMの存在理由そのものだ。
「『我々』は義務をまっとうせねばならない。そうでしょう?」
暗く静まり返った室内に遠く響く雷鳴は、沈滞する男たちの時間に瑕疵めいた亀裂を入れた。
「……君はつくづく酒を不味くしてくれるねえ」
ついに根負けしたようにメルガスが呟く。
「僕に何が出来るというんだ。いいや、違うな…僕に何をさせたいんだね君は?」
イマハムは交渉成立とばかりに、卓上の酒瓶をとり慣れた仕草でメルガスの杯に注いでやった。
「とりあえず貴方が独自に入手し、且つ秘匿した<白のゲフェンノーム>についての調査報告を一通り読ませて頂きたいのですが」
「何もかも承知の上というわけか…」
ほんのしばしの呻吟の末。
この杯は自分を殺すことになるだろうかと自問しながら、メルガスは言の葉にのせられた毒を苦い酒とともに飲み下した。
■
なだらかに連なる丘陵を所々断ち割るように聳えた結晶樹林が人の目を引く土壌。エリア・ガミルは、真世界外縁とも接する第八世界の玄関口の一つだった。
肥沃な土地とはお世辞にもいい難い荒涼の地にもまたオアシスと呼べる場所は少なからず存在しており、とりわけ今ダネルが目前に立つ湖はその最たるものといってよい。
青く透き通る水面が陽射しを反射して燦爛を揺らし、湖畔を取り巻くように生い茂る濃い緑と鮮やかな生彩を加える。
高地がゆえの不便を差し引いても、自然のままにおかれているのがなお訝しく思えるほどの土地だ。
日は高く昇り、照りつける陽射しに手で遮りながら眺めれば、眼前には湖水の深々とした青がすぐそこにまで広がっている。
「みろよキリヤン、向こう岸があんな遠くだ・・・こんなでかい湖が放置されてるだなんて信じられないな」
「周囲の造形からして設計者の手は入ってるとは思うがな。何かしら事情があってこの場を放棄したようだ」
「事情?」
「忌み地ってさ。第八世界じゃ代々昔っから近づいちゃいけないっていわれてる場所が色んなとこにあるんだ。いい伝えを律儀に守って、そういう場所は大概手つかずのまま置かれてたりする」
「よく分からないな。ここにいると何かマズイ事でも起こるってのか?」
「さてね。しかし、もしもバチが当たるってんなら精々楽しまなけりゃ、損だな」
キリヤンは岸辺に向い歩き出す。
「って、本当に行くつもりなのかキリヤン」
「だーからお前もさっさと来いって。もう俺達だけだぞこんなトコでぼさっととしてんの」
艦長の許可を得た他の者達は既に、降って湧いた余暇を満喫しようと水辺に散開しており、岸辺には<オルビスの枝>の機兵達が取り残されたように居並んでいた。
「俺ら護衛がみんなして機兵から離れてどうするんだよ。可能性は低いかもしれないけど、もしかしたら戦闘になるかもしれないってのに」
「戦いなら、もうじはじまってるさ」
キリヤンは湖畔の中程にある小島を指さす。
「お頭はジェロームの野郎と対決の真っ最中だ。残念ながら俺達が手を出せるような類の戦じゃないが」
「ジェローム・ディクスン…」
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水陸艦「カルテジウス号」は丸々とした船体を水上に浮かべ悠然と此方へ進む。その巨鯨のようなフォルムにはきらびやかな装飾が施され、対岸の一行の所にまで目にもまばゆく煌く。
「――みているだけで目眩がしてきそうだ」
ダネルの脇腹を傍らのバニが肘で軽く小突いた。
「ボケッとするでないぞ。儂らは出迎えに来ているのじゃからして」
陸上艦の長であるバニとその護衛である<オルビスの枝>の面々は既に先方に指定された場所に立ち招待者の到着を今や遅しと待ち構えていた。
「それにしてもバニよく怒らなかったな。「人を招いておいて出迎えさせるとは何事じゃ~!」とか」
「そーしたいのは山々なんじゃが、何分相手が相手じゃからしての」
「バニにそこまでいわせるなんてよっぽどの人物らしいなジォ…ジェ……ええと」
「ジェローム・ディクスン。前歴は不明ながらもほんの十年ちょいで行商組合の顔役にまで上り詰めた男じゃ」
「陸上艦も世話になってるんだよね」
「というかおよそ交易に関わるもので奴の世話になっとらんものはおらん。大につけ小につけな。経路を辿っていけば必ずどこかしらで奴の息のかかった者につきあたることになる」
「へえ」
「ウチで買い入れた機兵だって元を正せば奴さんの商会が流した品なんだぜ」
と、キリヤンが補足する。〈羊飼い〉とは各地を往還する行商隊を羊になぞらえ、その元締たるジェロームに冠した異名である。
「とまれ奴の影響力は商隊にとどまらん。SINをはじめとする山賊モドキ共にも奴の一声で動く者は大勢おろう」
「つけ加えていや、そういう連中を使って邪魔者を排除してきたなんて噂もある」とキリヤン。
ダネルは先日の夜襲を思い出し、ほんの少し顔をしかめた。
「そういう人物が、俺達に敵意を持っているかもしれないと」
「んむ。なんにしろ用心はすべきじゃろ。先ずは相応の注意をもって出方を伺わねば」
「……俺、居残り組に回ってた方が良かったかも」
「お主に多くは望まぬゆえ、なるべく静かにしておれ」
「なんかあっちいた頃にもこんな風に釘刺されて失敗したことがあってさ」
「ふむ。聖霊手のお主が気をつけねばならん相手とはかなり厄介な御仁だったとみえる」
「うん。威張りくさってるひねたガキんちょだった」
「……」
バニは少年のスネを勢い良く蹴った。
「っててて……あ、船からなんか出てきたぞ」
ダネルが指差す先、水陸艦の甲鈑より降ろされた一隻のボートが湖に着水する。
湖岸に向かいゆっくりと近づいてくるボートは次第にその白鳥を象った輪郭を露わにしてゆく。
「あれに乗ってるのがジェロームなんだよな?」
「そうだと思うがの」
「にしちゃあの小舟、ずいぶん安っぽい造りにみえるんだけど」
「ううむ、なにかしら不安になる挙動をしておる」
ふらふらと微妙に蛇行しながらなんとか岸にたどり着いた白鳥型のボート。
そこからよろよろと這い出てきたのは、上は着崩した黒シャツ一枚に、下は大きめの短パンというラフな出で立ちの痩せぎす男。
「―――おまたせして申し訳ありませんでしたッ金枝宝珠の皆々様!我がジェローム・ジェイド・レイクへよぉこそおいで下さいましたッ!」
肩で荒い息をしながら額に張りついた前髪を払うその男こそ、誰あろうジェローム・ディクスンに間違いなく。
「(すっごい汗かいてる…)」
「(膝が笑ってるぞあいつ…)」
「(足漕ぎだったんだあのボート…!)」
当然というべきか、ジェロームの様子を伺うダネル達の間には微妙な空気が流れていた。
「……バニ。一ついっていいかな」
「いわんでいい。大方察しがつくわ」
周囲の白眼もまるで意にも介さず、ジェロームは両手を大きく広げ笑顔で歓迎の意を表する。
「さて、本日は皆様にお近づきの印として、ささやかではございますが歓待の場を用意させて頂きました」
ジェロームが指をぱちりと鳴らす。それを合図に小球艇が水面から浮上し、中から侍女の一団が次々に現れた。
「それでは、どうぞお楽しみを」
ジェロームの目配せで、女達は上衣を脱ぎ捨て肌もあらわな水着を披露し――。
・
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「――けど、ホイホイ相手の誘いに乗っかってよかったもんかな」
「こうみえても俺達ゃプロだぜ。傍目には遊び呆けているようでも、いざとなりゃいつでも戦闘態勢に入れるよう心構えは出来てるもんだ。あえて隙を窺わせることで相手の油断を誘うっていう戦術なのさ」
いわれてダネルが辺りに目をやれば、湖にて浮世を忘れはしゃぐ仲間達の姿が多数。
泳ぎ。日光浴。球技…等々、侍女を連れ思い思い気晴らしに没頭する彼らの満悦に染まった表情からは、任務のことなど抜け落ちているかのようである。
「…オレにはとてもそうはみえないよ」
キリヤンは肩をすくめる。
「こいつはちょっとした示威でもある。アウェーで余裕綽々な所を見せつけて俺たち〈金枝宝珠〉の、ひいてはお頭の度量の大きさを奴等に示す為のな。そういう訳でここは一つ、どっしり構えて様子見と洒落込もうや」
「なんだかんだ理屈つけてるけど、遊びたいだけなんだろキリヤン」
「まあ否定はしねえ」
両側の侍女たちの肩に手を置くキリヤンの後ろ姿をダネルは思いきり白い目で見送った。
「あーあホントにいっちゃったよ…まったくもう」
ダネルとて一行の盛りあがりに水を差すのは本意ではないから、これ以上強くいうのも憚られた。
湖岸に整列する機兵たちと共にその場に取り残された彼はやれやれと天を仰いで、流れ出る汗の一筋を掌で拭った。
「ったく、ウチの男どもときたら揃いも揃ってバカみてえに鼻の下のばしやがってさ。みっともないったらありゃしねーな!」
少年の横でふんと鼻を鳴らすのはカチナ。
どこからか貰ってきたのか、片手には熟れたバナナを一房抱えている。
「わざわざ着替えてきたのか」
彼女が身につけているのは黒のワンピース水着。
飾り気のない意匠がかえって少女には似合っていた。
「そりゃね。こっちゃオルビスの代表だもん、あーんな色香だけの女共に負けてたまるかっての」
カチナは腰に手をかけ胸を張る。
「(別に張り合わなくてもいいんだけどな…)」
あえて言葉にしない程度の分別は身についてきたダネルである。
「アンタ、なんでアニキについてかなかったの?」
「ああ、ここでなにかないか見張ってるよ、機体にイタズラされでもしたら困るしな」
「心配いらないと思うけどな。ここなら皆の目につくだろうし」
「それでも誰か一人くらいは残ってた方がいいだろ」
「ふうん…ま、羽目外しすぎるのも問題だけど、あんたはもちょっと力抜くべきかもね。ここんとこあれこれ忙しかったし、少しくらい羽伸ばしたらいいじゃん」
「だから今は仕事中だっての」
「ならば私が代わりましょうか~?」
聞き慣れた声に、ダネルとカチナは顔を見合わせる。
「カチナはダネル様の御身を気遣っているのですよ~」
「…いや、というかどうして此処にいるのですかシスター」
振り向けばいつもの如くに上機嫌なシスターの姿――ただし肌もあらわな水着姿は普段の格好とはまるで異なる。
「どうもこうも~みなの笑顔と笑い声あるところ、私はどこにでも現れますよ~」
「うん、相変わらず話通じないわこの人は」
シスターは手頃な場所を見つけ、担いできた遮光傘を地に突き立てると手を振って後方に合図をする。
「二人共~こっちです~」
「二人ってことは、もしかして…」
「あったりぃ~!」
「おわっと!」
ダネルの背におぶさりかかる少女。
「えっへへー、来ちゃったよ!」
「イェズノ、それにイェズラも、お前らまで」
――双子の少女、イェズラとイェズノ。
髪を纏めあげてより活発な印象のイェズノ。セパレートの水着を着こみ浮き輪を肩にかけた姿は準備は万端といった様子でいつもより一層幼く映る。
かたや、シスターの影に隠れるようにしているイェズラの方はワンピースタイプの水着に目深に被った日除け帽の下から覗きこむようにこちらをじっと伺っている。こちらも普段の大人びた仕草はなりをひそめ、しきりに周りの目を気にする様は歳相応の少女らしい趣がある。
「ね、ね、イェズラとイェズノどっちのが可愛い~?どっちが好きー?」
「どっちも。」
「わー愛がなーい!」
ダネルの周りをぴょんぴょん飛び跳ねて回るイェズラ。
大湖畔を前にしてかいつにも況して無闇矢鱈にテンションが高まっている。
「だいたいお前たち今日は後詰めに回ってるんじゃなかったのかよ?」
「えっとね、「」じいちゃんに頼んだら後は全部任せろって」
「(ウルダウさん、甘やかしてるなぁ)」
ウルダウが双子をまるで実の孫のように可愛がっているのは周知の事実だった。
「やっぱり迷惑だったかしらダネル。私は気が進まなかったのだけど姉さんがどうしてもってきかなくて…」
いつになく歯切れの悪いイェズラの様子にダネルは気づく。表には出さないが着なれぬ装いに照れているらしい。
「だってさあ、みんなして楽しそうにしてるのにイェズノたちだけ仲間外れなんてひっどいよぉ」
「いやな、みんなああして遊び呆けているように見えてだな……」
「むー…!」
少女は不満そうに頬を膨らませる。
「……うん、遊び呆けているよなどうみても。…ああもうわかったからそう睨むな、あんまり遠くに行っちゃ駄目だからな!」
「おっけー!いっくよおおおおイェズラもっ!」
強引に腕を引かれるイェズラ。
「待って姉さん…待ってってば…」
じゃれ合うようにしながら水辺へと走っていく幼い姉妹を後目に、ダネルはやや非難めいた口ぶりをシスターに向ける。
「…あの二人シスターから誘ったんでしょ」
「はい~、アゲリ様にも声をかけたのですが断られてしまいました~」
「そりゃ来ないでしょうよ、あの人新しい自分の機兵にかかりきりだから。今日だって朝から改修途中の機兵を上機嫌でいじリ回してましたし」
「そうだ、アゲリっていやさ聞いてくれよダネル!」
カチナは声を急に荒らげた。
「あのおっさんあたしの予備パーツ勝手に自分の機兵に組み込んでやがんの!文句いったら『資材の有効活用だ』とかぬかしくさってあの薄らハゲ野郎ッ!」
「分かった、アゲリさんには俺からもいっとくからさ」
「アンタあいつを庇う気」
「いやそうはいってないだろ…」
宥めるもカチナの鬱憤はなかなか収まらない。
「正直いや来た時から気に食わなかったんだよねえ、あの斜に構えた感じとかさ。他所でどんだけ苦労してきたかしんないけど、なんでああも捻くれた物の見方するかね」
「……そうだなぁ」
カチナの言は尤もだ。
アゲリの周囲から常に一線を引くような態度はダネルも密かに懸念視していた。
ADAMという前歴を顧慮すれば、そうすんなりと打ち解けることはあるまいと予期はしていたのだが、アゲリの場合どうも強いて自らを嫌われ役と任じているフシがある。
あるいは未だオルビスを己の居場所と決めかねているのかもしれないが、いずれ当人にその気がなければ周囲とのしこりは拭えまい。
「…気持ちはわかるんだよな。俺だって似たような身だったし」
「バカいえ、あんたはあいつなんかとは違うさ」
「だとすりゃそれはカチナのお陰かもしれないな」
「ふぇっ…あ、あたし?」
不意に向けられた眼差しにカチナは少しばかり顔を赤らめる。
「カチナや、それにオルビスの皆が良くしてくれたから、俺だってどうにか立ち直ってやってけてる。だからあの人だってきっとさ」
人差し指で頬をかくカチナ。
「…わーったよ。あいつとだってなんとか上手くやってくさ。ったく」
「ああ、悪いな」
「別に、あんたの為にやるわけじゃないっつーの」
「うん。けど、ありがとう」
それと、とダネル。
「何さ?」
「その水着さ、似合ってると思う」
今度こそ顔を真っ赤にし、水辺へ一目散に駆けていくカチナだった。
■
「――いや今日この時を待ちかねておりましたよ。辺土に降り立った反逆の野薔薇、或いは反骨の小公女バニ・サウル・ツェフェンヤとでもお呼びしましょうか?」
「世辞の類はありがたくうけとっておく主義じゃが、貴公はもう少し修辞を学ぶべきじゃな」
「バニ様の武勇伝はかねてより聞き及んでおりましたが、いや、我が身の不明をお許し頂きたい。なにせ御身の見目麗しき事ときたらとても噂では伝わりませんからね、ハハハハ」
男の歯の浮くような賛辞にバニは白けた顔を返す。
湖畔には岸辺から少し離れた所に小さな島が一つ浮かんでおりバニとジェロームはそこにいた。
バニの脇にはヨラムが控え、ジェローム側も取り巻きは一人だけ。人払いをしたのは友好の証左である反面、周囲に気兼ねなく会話できるようにとの配慮もあるのだろう。
「何か果物は如何です?よく熟れた甜瓜を冷やしてあります。お付きの方も、ささ」
細い木々が形作る天傘の下――藤の長椅子に浅く腰掛け、手に硝子の杯を揺らす男をバニは横目に眺める。
男、ジェロームについての彼女の第一印象は到底芳しからぬものだったのはいうまでもなく。
経歴からは想像だにしえない若さであるのはまあいい、バニとて他人のことをとやかくはいえない。しかし、さながら軽薄が服を着て歩いているようなその外見だけでいえば、この男を一方ならぬ人物と推定しうる材料はどこにもみあたるまい。実際、バニは最初に面前の男を影武者か何かかと疑った程だ。
それでも最終的にこの男をジェローム本人と断ずるに至ったのは、むしろ男の胡散臭さの所為。
「(――この男は、どうにも掴みどころがない…)」
いかに表面を取り繕ろうとその裏にある性根を看過できる自負がバニにはあったし、事実その点においてバニの洞察力はかなりのものだ。
そのバニをして、己の見立てに疑念を生じせしめる程に目の前の男は得体が知れない。
何かを隠しているような様子は一切ない、どころか自らの浅薄、軽薄を糊塗するでもなく、表裏を使い分ける機智すらないのではとさえ思えるジェロームの底を何故か彼女は計りきれないでいる。
たとえるなら、手札を晒した相手の役をなお推測できずにいるようなものだ。
それが少女には猛烈に気に食わない。
「(まったく忌々しい輩じゃ…あの男を思い出してしまったわ!)」
バニの脳裏をよぎるのは彼女の前でパルオーシュと名乗った男の顔。印象はまるで違うにもかかわらず彼女を散々に出しぬいた男と同質のものを少女は目前の男から感じとっていた。
そんな彼女の胸中など素知らぬ様子でジェロームは夢中になって話に興じている。
「慣れぬ世界とあっては、さぞや筆舌に尽くしがたいご苦労をなさったことでしょう」
「…そうじゃの。なにぶん外は勝手が分からん。知らず恨みを買うようなこともしたやもしれん」
思案の挙句、バニは率直に本題を切り出す事にした。
「まずは先日の<鷲>一党の件について、申開きをする気があるなら聞かせて貰おうかの?まどるっこしい探りあいはあまり好かぬのでな」
オルビスらの趨勢を左右し得る力をもった男に対して、少女にいささかも物怖じした様子はない。
もっとも後ろに控えるヨラムは内心気が気ではなかろうが。
ジェロームの反応は至極穏やかなものだった。
「そうそう忘れるところでした!まずもってくだんの一件は私にとって心外であったことを心に留め置いて下さい。アレは些細な行き違いの結果でして、私には貴艦を傷つける意図はありませんでした」
「お主の意向ではなかったと?」
「それはもう。顧客と取引はしたのは確かですが、彼らが何を成すかまではこちらの与り知らぬ所でしてハイ」
「いささか無責任なものいいではないかの」
「余計な詮索はせぬのが取引相手への信頼というものです。お互いへの信頼がなければ商いというものは成り立ちません。しかし、もしも彼らが貴方がたを襲撃することが事前に分かっていたなら彼らとの取引は見送っていたことでしょう」
「あくまで彼奴らの独断だといいはるのじゃな」
「だからこそ事実を発覚し次第、すぐさまこうして誤解を解く場を設けさせて頂いたわけです」
「ふうむ。まぁ、一応の筋は通るか…」
バニは追求を躊躇った。無論ジェロームのいい分を信じたからではない。どころか白々しい口ぶりのせいも相俟ってバ二の中で疑惑はほぼ確信へと変わっている。
論拠となるのが捕虜の自白しかない以上、ジェロームの主張を突き崩すのは難しい。つけくわえていえば、この上真偽を問うことが果たしてバニたち金枝宝珠に益するか否か。
―――余計な詮索はせぬのが取引相手への信頼、とはともすれば言外にこちらに向けられた言葉にもとれる。
「(あくまでシラを切り通すつもりならそれもよかろ)」
となれば問題は唯一つ。
口をつぐむバニをよそにジェロームは謝罪の言葉を早口にまくしたてた。
「――どうか知らぬこととはいえ御身を危地に晒し、あらぬ誤解を招いた事をお許しください小公女。あ、よろしければ親愛の証として私のことはJDとご気軽にお呼びください!」
「心遣いは感謝するが、心底御免こうむる」
鷲を差し向けたこの男の真意―金枝宝珠に向ける「関心」が一体どのような種類のものであるかをどうにかして探り当てねばならないのだが――。
「(いったいいつまでこやつのニヤケ面にたえられるものか…?)」
この軽薄な薄ら笑いを浮かべる男の埒もない戯言につき合う事は、彼女にとって多大な労力を費やす苦行といえる。傍らに付き添うヨラムは浮かない顔をする主の横顔を心なしか気の毒そうに見守っていた。
■
「――よぉーっしそこだぁッ!」
かつり、と木棒が地の土を打つ。
「おうっ」
降りおろされた木刀が打ったのは西瓜の半歩手前。
「だーッ、チキショー惜しいっ!後一歩だったのによ!」
カチナが目隠しを外して無念そうにいう。
「それでは次は私がもう一度~」
「頼みますからご遠慮下さいシスター。次こそは本当に死人が出ます」
ダネルは散々に穿たれ、荒れ果てた地面を見ながら首を振った。
わざわざすぐ傍で西瓜割りに熱中する彼女らをダネルは半ば呆れつつ眺めるよりなかった。
ひとしきり泳ぐのに飽きた少女らにシスターが提案した風変わりな遊びだ。
「まったく妙な遊びを考えついたもんですね」
「妙とは心外な、これは古来より伝わる由緒正しき伝統儀式なのですよ~。昔、悪い領主に命じられたある盲目の達人が、我が子の頭に載せた西瓜を子供の声だけを頼りに真剣で見事真っ二つにしてみせたとか」
「西瓜を頭に・・・?」
「以来このような水場ではかつての英雄に習い、目隠しをした剣士が木剣で西瓜を叩き割ることで己の武勲を祈願したのです~」
「なんで水場でやるのかはよく分からないんだけど」
「伝統とはそういうものですよ~、後世のものから見たらおかしなことばかりで~」
「そういうものですか」
「そういうものです~」
こっそりと耳打ちするイェズラ。
「シスターの出鱈目な聞きかじりをいちいち真に受けるものじゃないわ。さもなきゃおかしなことになるのは貴方の頭よ」
「辛辣だなあイェズラ」
「これでもごく控えめにいってるの。あれさえなければいい人なのだけど」
「ちがいない」
ダネルは苦笑した。
「しかし、暑いなあ…」
汗で肌に張りついた衣服の不快感に顔をしかめながら、眼前の水面にたゆたう人々の姿をぼんやりと眺めるダネル。
時刻は正午を過ぎて日も盛り。晴れ晴れと雲ひとつない青空とて今日ばかりは恨めしくさえある。
機兵の足下に張った即席の日除けも気休め程度。
「しかし、暑いなあ…」
「脱げばいいじゃんそんなクソ暑い上衣なんて。ついでに水浴びてくれば?」
「いーから放っといてくれ」
カチナのそれとはなしの誘いをダネルはつっけんどんに突っぱねる。
「…みんな楽しんでるよねえ」
「「」が留守番組でいないから、誰も抑える人がいないんだよな」
見渡せば誰もが騒ぎあいはしゃぎあい、何らの緊張感もなく只管遊興に没頭する様が否応なく目に入る。
たった一人で自分は何をやっているのだろうかと段々と馬鹿馬鹿しくなってきたのも事実。
―――だが、それでもダネルにはあえてこの場に留まる理由があった。
「うへっ、兄さん茹だってるみたい!真っ赤!ねえ、一緒に泳ごぎいこーよ、気持ちいいよお~?」
「気持ちは嬉しいけど、ゴメンな」
すげなく断るダネルにイェズノは執拗に食い下がる。
「ねぇいこうよー、遊ぼうよー、ねー」
「無理なんだってば」
「いー・くぉー・おー・よおおおお」
「こら!裾が伸びる!ぶら下がるのよしなさい!」
「姉さん、あまり無理強いしない方がいいわ。彼、どうも水に近づきたくないみたいだから」
「……」
イェズノが小首を傾げ黙る少年に一言。
「もしかして、兄さんて泳げなかったり?」
「ハハ、なにをいってるんだイェズノ。そんなことある訳ないだろ」
カチナが両手でダネルの顔をがっちりと押さえる。
「ちゃんとこっち向いて、もっかいいってみ?」
「ごめん、嘘ついた」
「よろしい」
ダネルは観念し告白する。
「…しょうがないだろ、故郷じゃ水場なんて村の傍の浅い小川くらいしかなかったし。泳ぎなんて必要もなかったんだ」
「じゃさ、あたしがちょっと泳ぎ教えたげー」
「結構だ」
間髪入れずの即答。
「うん、あんた水場自体駄目なんだろ」
「――――成程、事情はおおよそ飲み込めたぜ。お前等も話はきいたな!」
「へえ隊長!」
「キリヤン!…と、みんなも!?」
いつのまにやらキリヤンが他の面子とともに背後に立っている。
両腕を組んで神妙な面持ちでうなづく。
「よっしゃ者ども!これよりダネル隊員の特別水練を敢行するぞッ!部隊の仲間を一人前の男にしてやろうじゃねえか、なあ皆!」
「はあああああ?!」
あっというまにダネルは仲間たちの中でもとりわけ屈強な男共に有無をいわさず取り押さえられてしまった。
「ちょっと何の真似だよ!」
「おっと、みなまでいうな。済まなかったなダネル。お前が泳げねともしらずに俺たちばっか楽しんじまってて。さぞかしつらい思いをしたに違いねえ。けどもう大丈夫だ、俺たち総出で必ずお前を泳げるように手ほどきしてやるからな!」
「オー!」
「キリヤン!?話ちゃんと聞いてた?オレは水が…って、おいッ!」
男たちの一糸乱れぬコンビネーションにより上体から衣服をはぎ取られしかる後かつぎ上げられるダネル。
「ま、大船に乗ったつもりで俺らに任せろや。今日にも泳げるようにしてやっからな」
キリヤンは親指を立てて片目をつむってみせる。
「余ッッ計なお世話だよっ!?おいっ離せっ、頼む、離してくれえええええッ―――!」
寄ってたかって必死に抗う少年を担ぎ上げて運んでいく一団は湖中へと進み。出来るだけ湖の中心めがけて、少年の体を力を合わせておもい切り放り投げた。
「あああああああ!?」
派手な水音ととも無慈悲に水中に投げ落とされたダネルが無我夢中で足をばたつかせる。
「うわッぷ!足がっ!!足がつかないッ!」
「わははー兄さんお顔が真っ赤から真っ青ー!」
楽しげに抱きつくイェズノと焦るダネル。
「イェズノやめろ、しがみつくな!ちょっと今は洒落にならないから!本当に本気でっ!」
ダネルの窮状をみかねたカチナが文字通りの助け舟を出す。小さなゴムボートを駆り、もがくダネルに手を差しのばすカチナ。
「まったくみんな悪ノリしすぎだっての。ホラ、ダネルつかまんなよ!」
「す・すまないカチナ…」
溺れるものはなんとやら。ダネルは声のした方へ向けてがむしゃらに手を伸ばし。
―――力一杯それを掴んだ。
「あああああああ!どこ鷲掴んでんだアホぉぉぉッ!」
「お゛ぐぇッ!」
―――鋭い蹴りが素晴らしい角度で決まる。
「ああっ、兄さんの首が面白おかしな方向に!」
「……気の毒にね…」
パラソルの下、シスターの近傍にて。
水辺の狂騒を遠目に、イェズラは岸辺に腰掛けぱしゃぱしゃと足で水を蹴る。
「シスターは行かないの?」
「私、泳げませんから~」
「私も・・・ちょっと悪いことしちゃったわね、彼には」
「大丈夫、強~い子ですからダネル様は~」
「けれど彼……さっきから一向に浮かんでこないんだけど」
「……あら~」
■
「――あんのクソバカどもめ、いくらなんでも浮かれすぎじゃ……」
ジェロームに気付かれぬよう顔には出さなかったものの、鼻先といっていい距離で繰り広げられる些か度が過ぎた悪ふざけをバニは呆れつつ眺めていた。
平生は苦笑いで済ませるであろう部下の放埒も、ジェロームの手前とあれば気まずい事この上なし。彼女は皆に自由行動を許可した事を少しばかり後悔した。
ジェロームの笑い声に少女は唇を噛む。
「(そらみたことか、嘲笑れておる…)」
ところが、続くジェロームの言葉は侮蔑とは正反対のものだった。
「―――エクセレント。素晴らしい…!」
あろうことか目前の光景にいたく感じ入ってる様子のジェローム。
「飽くなき蕩尽、果てなき解放…オルビスの皆様は人生の何たるかをよくもご存知のようだ。これこそ人本来の姿」
「…儂にはただ赤っ恥を晒しとるようにしかみえなんだがの」
「はは、体裁などというものは群なす弱者を囲う檻に過ぎませんよ。みなそこからはみ出さねば安全だと愚かにも思い込んでいる。しかし、ご覧の通り快楽は恥辱に勝るものです!」
知らず知らずのうちに誰もがジェロームの、この男のペースにのせられているようだ。
それが証拠に、警戒心を隠そうともしなかった傍らのヨラムにしてからが、今は和んだ様子で時々視線は水面を遊んでいる。
一見してなんらの力も持ち合わせぬようにみえるがその実、この男の作り出す地場はまるで酒気のように人を酔わせ堕落させる。
恐らくはこれがジェローム・ディクスンの「力」の本性であり彼が第八世界にのさばる故なのかもしれない。
「バニ様。こちらに来てからまだ年が浅い貴方に問いたいのですが、貴方にとって我々「下天」の者はどのようにうつるでしょう?」
意図の不可解な問いにバニは言葉を選びながらいう。
「…以前から噂には聞いておった、蛮族の住まう地の果て、荒涼の土と砂塵に塗れた魔境とな」
「実際ご覧になってみて、イメージは変わりました?」
「いんや。残念ながら概ねその通りじゃったよ。粗野で欲深で下品で不潔で騒々しくもまとまりがない」
「ははは、これはまた辛辣な感想だ」
ジェロームの含み笑いがいっそう深くなるのに少女は気づく。
「されど……同時に、勁草の如き直ぐな逞しさ、清濁を合わせて容れる懐の深さが同居しておる。儂が思うにこの地は…第八世界は、凡そ人が生くべき場として真世界とは対極にありながら、決して劣らぬ、否、ある点においては優りうる確たる一つの世界の有り様といえよう」
バニの言葉に男は我が意を得たりとばかりに、口の端を吊り上げた笑みで応える。
「…あぁ。どうやら貴方を見込んだ私の目に狂いはなかったらしいっ…」
「追従を口にしたつもりはないが」
「ええ、ええ、よっく分かっておりますとも」
ジェロームはどうしてかバニに一方ならぬ関心を持っている。それは確かなのだが。
「念のために聞いておくが、貴公ほどの人物が巷に流布する馬鹿げた噂の類を信じている訳ではあるまいの」
「噂話は大好きですよ。途方もない虚言とて裏に一抹の真実を秘めているものですからね」
ジェロームは指に挟んだ投影球より視覚補助映を展開する。
――中空を飛び、交錯しつつ火花を散らす幾条もの流光が湖面に広がり徐々に底へと浸透していきーー。
「――俗に〈第八世界〉とは神に見捨てられた地といわれております。それは、取りも直さず統一人類圏〈真世界〉から外れた地域だからです」
――たなびく流光は水底を仄かに照らして深層のそれらをぼんやりと浮かび上がらせる。
「しかしよくよく考えればこれは奇妙な話ではありませんか。広範な人類圏を統括維持する真世界であれば、残余の版図がいくばくか増えたところで治めるにたやすいはず」
「そうせぬ理由があるというのじゃな」
ジェロームの言には確かに一理ある。真世界が成立して以来、第八世界を含む空白領域はついぞ手つかずのままであった。
「そう。真実はまるで逆様なのやもしれません。「彼ら」は自らにとって忌むべきものをこの地に封印したのではないか…」
――水中の巡光は直進し曲折しやがて立方体を形作り。
「御覧なさい。この地は彼らがむざむざと切り捨てた<可能性>が埋もれているのですッ…!」
彼の意に呼応するように光の格子に重映が貼り連ねられその形状を克明に表す。
「これは要塞…いいや、街か…?」
「翡翠の都、か」
ほんの一時、バニは全てを忘れ水底の光景に暫し見入った。
――深蒼に浮かび上がるのは翠の輪郭が紡ぐ都市の勝景。
湖に沈む遺跡。
前世紀よりこの地に眠る過去の遺物。翠光は浮島の真下にまで及んでいる。
バニはふと気づき辺りを確認する湖畔とそれを取り巻く景観に比してこの浮島だけが人工的な印象が強い。
察するところどうやら浮島は水底の建造物の最上部で、塔頂にあたる部分が水面に突き出ているものだったらしい。
「――――私の夢は革命なのですよ小公女。この枯れ果てた世に文化という血肉を取り戻すのです!」
熱を帯びた口調で語るジェローム。
「旧世紀、人の腕が星々にさえ届いた時代――人が真の意味で自由でありえた時代」
人文主義。神代にあっては異端とさるべき思想。
熱病のごとき夢にうかされる男。この上なく正気でありながら狂っている男。
己に渦巻く漠たる不安と反感の正体にバニは気づく。
浅はかな立ち居振る舞い。大仰な台詞。突拍子もない妄想。乱雑な思索…しかしそのどれもが同一の方向に根ざしたもの。
老練な企図と子供じみた夢想の出鱈目な混交―――この冴えない男の皮膚の下には諸々の矛盾した力が混沌のまま息づき秩序なき秩序を形成しているかのよう。
――享楽も侵犯もこの男は総て別け隔てなく、肯定の一語を以って一つに飲み込む免罪の符。
詰まる所は。
バニにとってのジェローム・ディクスンという男は、彼女が恐れ抱き、また惹かれもする外なる世界の権化ともいうべき人間だった。
「……しかし。貴公も知っておろう、貴公の称揚する旧文明はその果てに星そのものをすら滅ぼしかけ長きに渡る暗黒の時代を招いたのじゃぞ?」
「然り。己が行いに怖じけた人々は自ら逆行への道を歩み始めました。しかしどうです?文明を捨て神を奉じた人類は未だこうして争いを捨てられずにいるではありませんか。文字通り世界を割る戦いの渦中にある」
「…なれば真世界は貴公の望み通り変革の直中にあるのではないかな」
「ご冗談を!あのような苦役の如き闘争など更なる退行以外の何物も産み落としはしません。彼らのどちらが残ったとしても私の望む世界からはいっそ遠ざかるばかりです」
ジェロームは一笑に付す。
「彼らは私をいたく失望させました。禁弾――何ら闘争の愉楽を生じ得ない沈黙の兵器を用いたことで」
「愉しみとは異なことをいう」
「では痛みといいかえましょうか。命を刈り取る覚悟も責ももたぬ醜悪極まる兵装など・・・。人が成す殺戮は、なべて神聖なものでなければならぬのですよ小公女」
「「闘争」とは善悪の彼岸を目指す狂おしいまでの生の希求、苦痛に等しい愉悦、惨劇に等しい至福がなければならない。なればこそ我々は神への供犠たる闘争に用いる機兵は人の似姿をとっているのではありませんか?」
いよいよもってこの男がまともかどうか疑わしくなってきたバニだったが口を挟むのは差し控えた。
「忌むべき神軍の闘争により世界は、そして我々はまた途方もない危地にあります。貴方もお気づきのはずでしょう?いや増すばかりの流入民、脱走兵、離反者は遠からず此方の許容を超えるでしょう」
「・・・そして両陣営の矛先がいつ此方を向くともしれぬ状況、か」
第八世界全体でみても動員しうる軍事力などGRDNに比しては寡勢とはいえ、両軍が拮抗している以上、均衡の天秤を崩しうる重石には違いないのだ。
味方につかないのであれば、敵方につくより前に駆逐しておこうという考えも強ち極端とはいいきれまい。
「貴殿は真世界と戦うつもりなのか」
「そうは申しません。少なくとも、今はまだ」
ジェロームは両手を広げ、訴えかけるように語る。
「今、この世界には救世主が求められているのですよ。この混迷を打ち払い古き世界に立ち向かうシンボルが」
「そのような大層な役回りは貴公のような人物が適任であろうよ」
「いやいや私などではとてもても。なによりも人から恨まれすぎていますしね。率直にいえば小公女、かような役回りは貴方にこそ相応しいと思っているのですよ」
「オルビスは、あるいは第八世界と真世界という二つの歯車の間に挟まれた石粒やもしれません。あえなく圧し潰されるか、それとも歯車の暴走を止め得る楔となるか?もしも後者であるのなら私は協力を惜しまないでしょう」
「…それで儂らを試したのだな。お主の期待に見合うかどうかを」
バニの直観は確信に至る。やはり<鷲>をけしかけたのはこの男に違いない。
「しかし…まだ分からんなジェローム卿。そもそも何故儂なのじゃ?新興の小勢力、それもむざむざと封土を潰した神民崩れの小娘風情にいったい何が期待できるというのか?」
「理由は正にそこなのですよ小公女」
唱うように陶然とジェロームは語る。
「貴方の領土を襲ったゲフェンノーム――魔獣の荒々しい狂墳、何もかもを灼かずにはおれぬかの力は、暴力的な生そのもの!あれこそは虚飾に満ちた現世還すツァラトゥストラの火かもしれません」
少女の表情がいっそう険しくなった。
「そしてバニ様、貴方は破滅の魔獣と対峙し生き残った方だ。或いは魔獣に生かされ、見初められた方なのやも、とね」
「…ゲフェンノームについてどう考えようとそれはお主の勝手じゃ。しかし分かっておろうがな、あの魔獣は儂の住処を散々に破壊しおったのだぞ。儂の生まれ故郷を散々に食い荒らし打ち捨てた!」
「ですが同時に、雛鳥の檻をも打ち壊し雄飛の機会を招来した。違いますか?」
「……!」
「―――貴方は彼の者に救われたのではありませんか」
少女の瞳が怒りに染まる。
バニの逆上は必至だった。
であればこそ、ヨラムの所作は的確といえた。
「―――お止めください」
主の怒りを代弁するかのように、ヨラムが一歩前に出る。この物静かな男には珍しく感情を露わにして。
「些か冗談が過ぎるのではありませんか?ジェローム卿、これ以上の我が主への愚弄はとうてい看過致しうるものではございません」
少し意外そうに眉をあげたジェロームはすぐに元のいやらしい笑みを取り戻す。
「成る程、これは失礼いたしました」
既に我を取り戻したバニは、臣下を短な哄笑で鎮めた。
「よいヨラム、口を挟むな」
「は、差し出がましい真似を失礼しました。ジェローム様にもご無礼を」
「いえいえこちらこそ申し訳ありませんでした。興奮すると些か周りがみえなくなるもので」
バニは愛想笑いを浮かべながら傍らの腹心に呟く。
「どうじゃ、今、儂はとてつもなく不愉快な顔しておろうな?」
「は、畏れながら…」
バニは改めてジェロームを見据える。
「…ジェローム・ディクスン。お主が儂をどう見積もっているかはこの際問わぬ。お主の夢とやらもどうでもよい。しかしな、儂と金枝宝珠はお主に従うつもりはない・・・どうやら儂はお主が好かぬらしい」
拒絶の意を顕にする少女に対し、男は依然にやけた薄ら笑いで応ずるのみ。
「無理強いはいたしませんが…もしも私の傘下に加わっていただけるなら、当座の安全は保証できましょう」
「火の粉を払う「枝」くらいはあるわ」
「枝では大火に焼きつくされるやもしれませんよ」
「ほう。それはお主が放つ火かえ?」
ジェロームの薄ら笑いが消える。両者の間に張り詰めていくじりとした空気――それを破るのは水音と悲鳴じみた情けない声。
「…お前かダネル…」
「ぷぁッ!」
息も絶え絶えながら素早く小島にあがるダネル。
「いったい何やっとんのお前」
「はあっ、た、助かった…今回ばかりは本気で死ぬかと思った…なんかこうピカピカする幻影がみえたもんな、水の中に…」
青鼻を垂らす蒼白の少年をがっかりした目でみるバニ。
「またいいタイミングで話の腰をぼっきり折ってくれよってからに」
「うん?お邪魔だったかな」
「あったり前じゃバカモノが。シリアスな空気が霧散してしまったではないか」
「――――――ハハハハ!」
弛緩した場に再びジェロームの笑いが木霊する。
「あなた方は本当に愉快な方々だ――――いいですとも小公女。あくまでも我が道をいくというならその証を、その意を貫き通す力をみせていただきましょう――」
そういうとジェロームは天へ向けて指を鳴らす。
「おおうっ?!」
「機兵か!」
と、小島の面前、巨大な水しぶきをあげて鋼鉄の尖頭が飛び出した。
■
「いいか、奴さんたったの一機だ!数で囲んで取り押さえりゃあいいっ!」
既に各々の機体に乗り込んだ<オルビスの枝>は湖岸に陣取って、上陸した正体不明の機兵を迎えうっていた。
がーー。
所属不明の機兵ーーその身に陽炎をまとう不気味な機体。
右肩には縦長の小盾を丁度マントのように並べたバインダーを纏っておりその腕を隠している。
機躯の踝辺りから立ち上るもやが全身の輪郭をぼんやりと滲ませているのだ。
尖闘兵の数にたのんだ攻勢は悉く阻まれてしまっていた。
正体不明の機兵が露出した片腕だけで、次々と襲いかかる尖闘兵を難なくいなしあしらっていくにつれ、部隊に動揺が広がっていく。
「こいつは機体ともども並じゃねえ相手だぞ・・・!?」
「流石に単機ででばってくるだけの事はある」
「感心してる場合か!俺たち丸ごと手玉に取られたとあっちゃとんだ赤っ恥だぜ!」
「ちげえねえ!」
獲物を構えた二機の尖闘兵が同時に仕掛ける。
左右両側より繰り出された銃剣突はしかし陽炎を空しく貫くに留まり、代わりに交錯した二機の尖闘兵は腹ばいに激しく転倒し木々を揺らす。
「ザック!メイス!…こんのぉぉッ、虚仮にしてくれやがってぇ…!」
とうとう業を煮やしたカチナ機が銃口を敵機へと向ける。
「駄目だカチナ!周りには人がいるんだぞっ!」
「ちくしょっ……!」
カチナが怯んだ隙に陽炎の尾を引く敵機は素早く尖闘兵の懐にもぐる。
次の瞬間、カチナ機が仰向けに宙を舞った。
「投げ飛ばしただあっ!?!」
鮮やかな弧を描いて地に突っ伏すカチナの機体。
「ちッ、あんのバカタレ…!お前らは手ぇ出すんじゃねえッ!」
敵機は前面の執金剛の接近を見透かしていたかのように即座に向き直った。
陽炎をまとう敵影がゆらめいた。
音もなく距離を詰める流外娑羅。
腰の後ろに提げた細身の曲刀を抜き放ち様に執金剛と重なり。そして離れ。
「こいつ…オレの執金剛より捷いってのか?!」
掴んだ直刀を取り落とし地に片膝をつく執金剛。
「――いや。執金剛が出遅れた」
呟くダネル。
執金剛だけではない。尖闘兵各機の動きにもダネルの目には奇妙なラグを感じていた。
敵機は確かに俊敏極まるが、部隊の練度も決して低くはない。
少なくとも機動性の差だけでは、揃いも揃ってあの機体に触れることすらかなわないない理由としては不十分だ。
「だとすると多分アレか…」
察するところあのたちのぼる陽炎の気が対峙した機兵の視覚系統を惑わせているらしい。
既存のフィルタリングでは対処できない特殊な迷彩だろうか。
しかし今は解析に足る時間も準備もない。なにしろ今この場にて万全な機体はダネルの灰騎士のみなのだ。
灰騎士をようやく起動させたダネルはすぐさま敵機兵の前に進み出る。と―――。
「そこな機兵!中々に面白そうな気を発しているな、名はなんという?」
「(この声…女か?)」
突然の誰何に戸惑うダネル。
「ああ、こちらは機兵・流外娑羅という。君らに恨みはないが雇主の差配だ、尋常に勝負させてもらう」
「…オルビスの灰騎士が相手になるっ!」
「いい声だッ!せいぜい楽しませてくれよッ」
「来るなら来いッ!」
両者の名乗りを合図に灰騎士と流外娑羅と名乗る機兵との一騎打ちが始まった。
正対する両機は互いに一定の距離を保ちながら時計回りに歩を進め。
打ち込む隙と機を伺いながら。
一歩、ニ歩、三歩―――――、
流外娑羅の曲刀に比して、灰騎士の長剣は間合いにして一歩分リーチに優る。
流外娑羅が一足一刀の間合いに入るのを待ち構えて迎え撃てば良い。
それも敵が並の相手であればの話。
―――敵の動きを見てからでは出遅れる。
そうなれば陽炎に惑わされ散々に翻弄された僚機の二の舞いになるだろう。
ところが――。
先手をうって仕掛けたのは流外娑羅。
機を伺う灰騎士に対する流外娑羅の仕掛けはあまりに自然であった。
流外娑羅の影がふと揺らぎ、次の瞬間揺らめく陽炎が面前へ傾ぐ。
間合いの優勢を消し去る流外娑羅の瞬発機動。先程並みいる僚機(尖闘兵)を翻弄したあの淀みない体捌き。
そして――。
対応手の知覚に僅かな、そして致命的な偏差を生じさせ錯視を誘発し錯視誘影―――。
長剣を避けて左側から踏み込む流外娑羅は屈みこんだ姿勢から腰の刀を抜刀しつつ斬撃へと移行する。
低い位置から斜めに切り上げる一刀―――執金剛相手に見舞った一撃と寸分違わぬ疾風の太刀。
弧を引く閃きが灰騎士の首を捉え――――触れる寸前で停止した。
流外娑羅の刃は灰騎士の右腕部装甲を貫いて動きを止め。代わりに、鈍色の大剣の穂先が流外娑羅の兜を突いていた。
「―――肉を切らせて骨を断つか。見事な手並みだ」
回線越しに伝わる女の声には称賛の響きが強い。
刹那の攻防だった。
灰騎士が咄嗟に右腕を盾代わりとして流外娑羅の刃の軌道に割り込ませる。
結果――流外娑羅の刃は灰騎士の掌から肘辺りかけて深く食い込みその勢いは削がれ、灰騎士は残った左腕で流外娑羅の頭に剣刃を突きいれた。
「まさか隠形を初太刀から見切られるとは思わなかったよ」
「全然見切ってなんかいません」
怪訝そうな声が回線より届く。
「自慢ではないが、磨きあげた必殺の一刀、運賦天賦でどうにかなる技ではないはずだがな」
「だから西瓜割りの要領で……ええと、目隠しですよ。感知機構の視覚野入力を一旦遮断したんです。どうせ惑わされるくらいならみなきゃいいやって」
女はしばし絶句したようだった。
「……そんなことで…いや、そんなことをやってのけたのか!私の最速の太刀をただ気配圧のみで対応してみせたと…?」
「それが出来る機体なんですよこいつは」
若干誇らしげにダネルはいう。
「恐れ入るよまったく、呆れた思い切りの良さだ」
「執金剛へのと同じ太刀筋でくるって、なんとなく分かってましたし」
「試していることも見抜いていたか」
「本気だったら両手できたはずでしょう。左手一本分の差でこちらの勝ちでした」
「返す返すも……参った。今日のところは私の完敗だよ――」
「まったくもって素晴らしい限りです…!いや、<鷲>の残党を一騎でしとめたあの流外娑羅をかくも呆気なく退けてみせるとは。いやこうでなくては面白くない…」
「ジェローム卿、機兵をけしかけるなど戯れが過ぎる・・・!」
「失礼しました、あなた方の力を疑った事を。やはり貴方がたこそ私の待ち望んだ通りの存在らしい!今後オルビスの往く道は出来うる限りの支援をさせていただきましょう」
己に向けられた怒りなどどこ吹く風のジェロームに、バニは諦めたように溜息をつく。
「話にならんわ。・・・否、こちらの意なぞはなから全く顧慮する心算はなかったか」
「時に小公女。流外娑羅を倒したあの灰色の機兵はいい。どこで彼の者を?」
「とっぷしーくれっとじゃ」
「流外娑羅をくだした手並といい素晴らしい。操手と合わせてうちに欲しいくらいだ!」
「あまりオススメはせんがの。ヤツの質はなにかと厄災を招き寄せる」
「例えばジェローム・ディクソンのような?」
「その通りじゃ」
二人の君主は皮肉げに顔を見合わせくつくつと笑った。
■
陸上艦に物資全ての搬入を終えたのはとうに夕刻を過ぎての事。ジェロームの「お返し」は正に破格といってよかった。おかげで運び込んだ積み荷の山は貨物区画の収まりきらず、ここ格納句区画にまで溢れかえっている。
「大変だったみたいだな、ジェロームとの会談」ダネルがいう。
「うむ、ある意味めちゃしんどかったわ。いっとる事にはつていけんし」
「そりゃお疲れ様。で、首尾は上々?」
「よく分からんがこちらを気に入ったようじゃし、少なくとも当面妙なちょっかいはなかろ」
「みやげも山ほど頂いちまいましたしね。これでしばらくはやってけそうですよ」とキリヤン。
「ただほど高くつくものもないとはいうがの。おまけに余計なもんまでつけてきおって」
機兵格納庫。バニとダネルらの視線の先には庫内の一角に陣取った機兵・流外娑羅とその足下にて胡座をかく女が一人。いい調子で手に提げた酒瓶から酒を注いでは黙々と呷る彼女。
座り込み上体だけをぴんと張った姿勢からでもそれとみてとれる女らしからぬ長駆。
その奇異な装いは彼女の乗機に負けず劣らずといったところか――まず目に留まるのは、太い腰帯でとめられたゆったりした上衣の、幅広の裾からのぞく左義腕。
鈍く光るそれは細かな調たくを施した年代物のようだ。一方生身の右腕は細身ながらもよく引き締まり、肘まである長手袋に包まれていても力強さを感じさせる。
赤の結い紐で纏めた後ろ髪は広い背に長く垂れ、黒い眼帯と合わせて一種異様なまでの精彩を放つ。
「おおキミか。確かダネル君だったね」
彼女はダネルを認めるなり徐に立ち上がって歩み寄り、涼しげだがそれでいて射抜くような鋭い視線を浴びせかける。
「……うん。よい目をしているな、キミは」
年の頃は定かではないが容貌からは妙齢の色香が漂う。ほんのり紅潮した頬に上機嫌であることが伺わせる微笑。ダネルも思わず見惚れてしまったにちがいない―――鼻をつく猛烈な酒臭ささえなければ。
「おそらく修羅場をくぐったのも一度や二度ではあるまい…そう、つい先刻も危うく溺れ死にかけたという瞳だ」
「それはさっき現場でみてたでしょう?」
冗談さ、と彼女は笑い、右手を差し出す。
「改めて、機兵乗りのコウダ・ラハラルだ。仲間内じゃ<先生>で通っているが、まあなんなりと好きに呼ぶといい。聞いての通り今日からこちらの厄介になる。よろしく頼むよ」
「はあ、こちらこそよろしくお願いします」
握手もそこそこに、挨拶とばかりに平たい丸盃を突き出すコウダ。赤らんだ微笑みでも隠せぬ眼光覇気と、強く漂う酒気に思わずダネルは後退る。
「や、俺のみませんので!」
「つれないなぁ。酒食にふけるも英雄の嗜みだぞ?」
突き返された盃を一息に飲み干し、コウダは吐息を漏らした。
「ゲフゥ」
「うわっ!酒臭ッ!」
「またぞろ珍奇な人間をおしつけられたもんじゃわ」
苦しむダネルを尻目にバニは肩を竦める。
「腕に関しては保証済みですがね」とキリヤン。
「ならば、ただ手放すには惜しいはずじゃがな」
「彼女、スパイだってんですかい?しかし間者の類にしちゃあ目立ちすぎやしませんか」
「そもあの男の人脈を以ってすれば気取られもせず間者の一人や二人を紛れ込ませるなど造作も無かろうな。しかし…」
「ねえバニー。センセイは悪い人じゃないよ?」とイェズノ。
「お主なに頬張っとる」
「ん。アメもらった」
彼女はコウダを指さした。
「飴玉ごときで籠絡されおってからに…」
ダネルに絡んでいた彼女がバニに向き直る。
「案ずることはないよ主殿。貴方方の力になるようJDからようくいいつかっている」
「(生憎そのジェロームが信用ならんのよ)」
「とはいえ信頼は己が働きで勝ち取るよりあるまいね。仕上げを御覧じろだ」
「左様か。んではまあ、せいぜい期待しておるぞ」
「いいのかバニ?」ダネルがいう。
「しょーがあるまいよ。怪しい者ならいっそ目の届くとこにおいた方がまだましじゃろ」
「悪くない判断だ、気に入ったよ主殿。どうかな一献?」
「儂ゃお子様じゃ!」
差し向けた一杯をすました顔であおるコウダ。
「そうそう手土産代わりに一つ忠告しておこう。直にこの船は大きな嵐に見舞われるよ」
リンジイは事もなげにいった。
「そいつはジェロームの入れ知恵かの」
「あれに聞くまでもないよ。あの男がわざわざ私を遣わしたという事は、きっとそういうことなのさ――」
注ぎ足した盃を手に。
「まあ何だ、なにはともあれ……我々の栄えある出会いと剣呑極まる前途を祝して乾杯ッ!」
そういうと、彼女は酒を旨そうに飲み干した。
果たして彼女の不吉な予言は程なく現実のものとなった―――――。




