OP
■
夜明け前。
空と大地の境界が闇に曖昧にとける時刻。
――――草原を冷たい風が撫でる。
人里離れた山間の地にて、宵に包まれた下界を見晴かす小高い丘が一つ。
丘には野生の勁草が花々を咲かせ生い茂り。
程なく払暁を迎えようとする野の原に降り立ったその少年――両腕には少女をそっと抱きかかえたまま――何かを探すように辺りに目をやる。
やがて、彼は草原の真ん中――白百合の咲き乱れる辺りに踏みいでる。
少年は恭しい手つきで、抱えた少女をそこに横たえた。
花の床に身を横たえる少女。
目を閉じた少女の、美しくもあどけない顔立ちはまるで心地良い夢にまどろんでいるかのよう。
少年の背後に控える機兵―――佇立するその姿は夥しい傷を刻み色あせ朽ちた古の聖像に似る―――は主の心を代弁するかの如く、一人でに発振器を微震わせる。
それは滅びの魔獣と呼ばれる機兵が奏でる、静かなる慟哭、拙く辿々しい鎮魂の唄。
自然が象りし野生の花園。
咲き誇る花ぶりはかつての「あの頃」とは比べるべくもない。
いつか、かけがえのない者を連れていくと約束したこの場所。
此処に少女を運んできたのは。
同じ「ソフィアの娘」である彼女に対する彼なりの手向けだったのかもしれない。
間もなく、少女の御魂を迎えるが如く、地平が金色に輝き始める。
すると、鮮やかな黎明の輝きに照らされた少女の四肢は次第に光を帯びていく。
程なくして光の粒子へと変わっていくその身体。
少年は風に靡きながら地平にはしる一筋の暁光に散じていくフィーラ・アンフィルエンナの光塵を、いつまでもただじっと見守っていた――――。
■
悉皆を必然と嘯く神なる号と業の下。
日没を明かす篝火に誘われた行軍の鉄蹄が赤に染まる廃都を震わせる。
戦塵を纏う土。
砲火に彩られた穹窿。
殺戮に魅入られた使徒どもの跋扈。
漆黒の地獄。
緋に染まり罪業を灼き天へ向けられた噴炎はしかし、ただ一つの命によって白の此方に導かれ。
盲目の正義。
汚れなく偽りなく燦然と光輝に塗れた剣刃はしかし、ただ一振りの過ちで昏く黒き血色に濁り果て。
かくて魔も聖も諸共に堕つる刻――――――。
飽かず繰り返す闘争の大地に。
人は死に、血をまき。
人は死に、肉を零し。
人は死に、骨を残し。
血は名前を。
肉は愛児を。
骨は魂魄をそれぞれ意味と信じ求め―――。
―――――人が人であるゆえの罪紡ぎ無窮の連環を成す。
―――過ちは問われ、糾されねばならない。
罰を烙印する大鎚はいつしか双肩に重く食い込む。担い手の四肢さえ引き裂くほどに強く強く。
―――罪は問われ裁かれねばならない。
救済を求むる叫喚はいつしか血に染みて喉を潰す。以って絶えざる連鎖の円環にあるとしても。
―――――――人はそれでもなお、生きねばならない。
そう。今一度、希望は織り直され、語られねばならない。
少女の祈りは未だ届かず。少年の彷徨は未だどこにも辿り着かず。
世界の悲惨は、人の争いは決して止むことはない。
されど。
――――耳に残るその歌声。
声は未だ消えずにいる。
鼓動は未だ胸に響く。
その手が握り繋いだ熱は、凍える夜をさえ奪い去れはしない。
少年の奥底に眠る火は解き放たれる時を凝然と待っている。
―――――願わくば再び立ちあがる者の為に。
―――――願わくば再び空をゆく者の為に。
幾千を越え幾億を繋げる翼ある祝唄――――――――――其の名は「歓喜」。
今はまだ予感に過ぎぬ其は人しれず風に舞い、塵の一片を虚宙に舞いあげる。
一心に。只管に。此の夜の先に在るはずの黎明をただ信じて―――――。
カントゥアデウス。
――――――天へと至る死人の唄。
カントゥアデウス。
――――――神にも挑む塵の唄。
カントゥアデウス。
その火はいまだ消尽ることなく―――――。




