こそ泥の話
殆どの人々の寝静まった深夜。狭い路地を走る痩せた男の姿。腕を前に組んだまま隠すように走りぬける。
何度も後ろを振り返り、まるで何かから逃げるようにぼろい小さな家へと逃げ込んだ。
「おとうちゃん!お帰り!」
「うわー、リンゴ!」
帰った途端に足にしがみついてくる二人の子供達。男は荒れた息を整えながら、子供たちに声をかけた
「おう、坊主ども、今日の晩飯だぞ」
ワーっと歓声を上げ、無心にリンゴにかじりつく、幼い頃に母を無くし、男手一つで育ててきた。この貧困街にあって腹の黒い人間に捕まることもなく、ここまで育ってくれたことは奇跡に等しい。
例えこの身がどうなろうとも、この子等だけはまもらなければならない。
子供たちの頭に手をのせ優しくなでてやる。
その指先は自分でも情けなくなるほどに、細くひ弱に見えた。
「コラ!立て!誰が休んでいいと言った!こっちはボランティアでお前を雇ってるんじゃねぇんだぞ!」
まだ朝日の昇りきらない町に男の怒声が響いた。怒鳴られた男はすぐに立ち上がろうとするが、抱えた荷物の重さに足がもつれる。ニ、三歩進んだところでまた転んでしまった。
「チッ、もういい、お前は帰れ明日から来なくてもいいぞ」
落とした荷物を他の者に運ぶよう指示し、男はその場を去ろうとする。
「ま、待って下さい!家には腹をすかした子供が待ってるんです。どうか働かせてください!」
男の懇願を気にした様子もなく、男はその場を去ってしまった。呆然としたまま痩せた男はその場にいつまでも座っていた。
日も暮れだし、辺りが朱色に染まりだした頃
「こんなところ座っていたら、馬車にひき殺されても文句言えませんよ?」
男は声をかけられ、ふと顔をあげた
一人の少女がこちらを見下ろしていた。夕日を受けて輝く金色の目に男は一瞬見入ってしまった。買い物の帰りなのか、手には紙袋を抱えている。
その中の食べ物が男にねたましく見えた。
「………あんたには関係ないだろう」
「あります。目の前で馬車に人が轢かれたら気分が悪いです」
「あぁ、それもそうだな。帰って坊主どもの面倒もみねぇと」
男はとぼとぼと歩き出した。とはいってもこのまま帰ったら子供達はがっかりするだろう。少しでも食べ物を持って帰らなければ。それに明日からの働き口も探さないといけない。
おぼつかない足取りの男を見送り、少女は帰路に着いた。
夜半まで歩き回って、男はため息をついた。どこもこんな痩せた頼りない男など雇ってはくれないのだ。食べ物を盗もうにも、逃げ足の遅いやせ細った自分には簡単には盗めない。
また自暴自棄になりかけた男の目の前に一つの家が現れた。家と言うには少し大きい。屋敷と言うには少しさびしい、そんな感じの家だった。
男の脳裏にある考えが浮かぶ、今まで食べ物以外を盗んだことはない。生きるために仕方のないことだと割り切ってきた。だが今は金が必要だ。これほどの家なら金目のものが少しはあるだろう。幸いこの辺りは人通りが少なく、他の民家もない。家の明かりも既に消えている。
迷っている暇は無いのだ。
男は意を決し、やっとの思いで門を超え屋敷の敷地に入り込んだ。
運よく開いている窓を探し出し、屋敷へと入る。
素早く手近な棚を開け、中を物色する。心臓は早鐘のように打ち、嫌な汗が流れた。何もないと見るや、キッチンに移動して棚を開ける。思わず食料に手が伸びそうになったが今日はそんなことをしていられない。特にめぼしいものも見つからず、焦りが募る。
一階を探し終え、二階に移動しようとして少し戸惑った。
寝室も当然二階にあるだろう。もし家主が起きたらそれで終わりだ。
男が悩んでいると突然家の明かりがついて、男は飛び上がった。
階段に目を向けると、漆黒の髪の青年がこちらを見ていた。その背後から一人の少女も顔を出す。
「あら、あなた?」
泥棒に入った男をイスに座らせ、その青年はその向かいに座った。役人に引き渡そうとしたが
、少女が引きとめた。ちょっとした知り合いなんだと言った。
彼女が男に話し掛けると、しばらく黙っていたが、すぐにぺらぺらと話し始めた。仕事を首になってしまったこと、子供が二人いること、どうしても金が必要だったこと。
話し終えると、今度はその場で泣き崩れてしまった。
「それで?」
「え?」
涙でゆがんだ顔をこちらに向け、何が?といった感じでこちらを見る。
「こんなところで泣いている暇があったらさっさと帰れ。同情を誘っても食べ物を分けたりするほどお人よしじゃないからな」
「私を捕まえないんですか?」
「捕まえて何になる?賞金でもかかってるならまだしも、時間の無駄だ。」
男はさらに感極まったように泣きだした。
男は少女に散々励まされて、何度も頭を下げて帰っていった。
「かわいそうですね」
「何がだ?」
「決まっているじゃないですか。何とかしてあげたいですね」
「俺には関係ない。自分のことは自分でなんとかするさ」
男は、さらに重い足取りで家へ向かっていた。役所に突き出されなかっただけマシだが、収穫がないことには代わりがない。子供達になんと言ったらいいだろう。家の見えるところまでくると,異変に気が付いた、家の明かりがついている。火は貴重だから滅多なことでは使うなと言ってあるはずだ。さらに近づくと家の中に大きな人影が見えた。瞬間全身の血の気が引いた。もしや強盗に入られたのでは、家の中に飛び込むと、酔っ払った大男が家の中をうろうろしていた。見るからにガラの悪い男は頬から顎にかけて大きな傷があり、だいぶ飲んでいるのか真っ赤な顔にうつろな眼をうかべ、足元もおぼつかない。
こちらに気付いた様子もなく、まるで夢を見ているかのような足取りで家の中を歩き回っている。
そしてだんだんと、子供たちの眠る部屋へと近づいていく。
「う、うわぁーーー!!」
戸締りに使っていたつっかえ棒を手にとると、男は大声をあげて殴りかかる、細腕から放たれた威力のまるでない一撃は後頭部に直撃し、大男は一撃であっさりと崩れ落ちた。
「え?」
あまりのあっけなさに男が困惑していると、いきなり武装した警官が家に飛び込んできてさらに困惑した。警官たちは倒れた男を見ると口々に驚きの声を上げる。
「一人で倒したんですか?」
「お手柄ですね!」
「一体どうやったんですか?」
騒ぎに目を覚ましたのか、子供達が出てきた。目の前の警官に驚きしがみついてくる。
「なにがあったの?」
不安そうに聞く子供の一人に、警官の一人が屈んで答えた
「君のお父さんが、悪い賞金首を捕まえてくれたんだよ。我々が束になっても敵わなかったのにたいしたもんだ」
驚いたように目を丸くした子供達が、父親を見上げてすぐに笑顔になった。
お父さんすごい!と歓声を上げ左右の手にしがみついて振り回される。何がなんだかわからないまま、男は曖昧に笑っていた。
「結構優しいところあるじゃないですか?」
「別に何にもしてないさ」
「お酒に薬を持ったり、こっそりあの家に誘導したりするのもなんにもしてないですか?」
くすくすと少女は笑う。
「もし、あのお父さんが負けちゃったらどうしたんですか?」
「さぁ?そのときはそれまでさ」
優しいんだか薄情なんだか、と呟いて少女は青年の横に並んだ。はるか後ろの民家では子供達の嬉しそうな歓声がいつまでも挙がっていた。