黒猫の話
真っ黒な猫。尻尾が鍵爪のように曲がった猫。すらっとした猫。目つきが普通よりちょっと鋭い猫。一匹でいるのが好きな猫。一匹の猫。孤独な猫………
黒猫は夕焼けを背にうけて、ゆったりと佇んでいた。日の暮れ出した公園は沢山の親子連れで溢れている。その誰もが楽しそうな顔で黒猫の目の前を通り過ぎていく。黒猫はベンチに一匹乗っかっていた。
「ねこさ〜ん♪」
突然、黒猫は気配もなく後ろに忍び寄っていた少女に抱き上げられた。
黒猫は、身を捩って暴れ、その鋭い爪を突き立てた。
「あ、痛っ」
痛みにとっさに手を離す少女、爪を立てられた指からはうっすらと血が滲んでいた。
黒猫はそのすきにさっさと逃げ出してしまった。
「あんなことしたら引っ掻かれるに決まってるだろう……」
少女の背後に黒猫と全く同じ髪の色をした青年が立っていた。金色の瞳の少女は、目に涙をためながら振り返る。
「だって、いつまで経っても触らせてもらえないんですよっ」
「ははっ、あの子は気難しいですからね」
青年の、さらに後ろから声が発せられた。脇にスケッチブックを抱えた若い男。
男は、三脚を立てると、そこにキャンパスを立て掛けた。青年が猫のいたベンチに座ると、
黒猫が戻ってきて、スッとその横に腰かけた。
「絵描きさん。どうやったらそんなに猫がなついてくれるんですか?」
う〜ん、と男は少し考えてから自信なさげに答えた。
「なにもしないことですかね」
「……むずかしいです」
夕日の絵を書きながら、若い男は笑った。その隣には黒猫がちょこんと座っている。
「黒猫なんてほっておけばいいだろう。物好きな奴め」
青年に手を引かれ、少女は名残惜しそうに帰っていった。
絵描きの男は、絵を書き続ける。公園をただ通り過ぎる人々、遊具で遊ぶ子供達、
ベンチに座る老人。夕日の色に染まったその世界を手元に書き写す。
男は首を廻らせ、隣に座った真っ黒な親友を撫でた。
黒猫は一匹だった。無邪気な子供達は、その無垢な心のままに黒猫に石を投げつけた
いつも孤独に生きてきた。むしろ、それを望んでいた。
他人を気遣うのが煩わしかった。がむしゃらに生きて、そして傷ついた。
足の一本さえ動かすのも辛くなったころに、誰かに抱き上げられた。
死を覚悟した時に、黒猫にかけられた声は何よりも優しかった。
「こんにちは。カワイイおちびさん」
黒猫は必死にもがいてその手から逃げ出した。罵声を浴びせられ、石を投げつけられるより、初めてかけられた優しさの方が怖かった。
自分に優しい言葉をかける人間がいることが信じられなかった。
青年はよたよたと逃げる黒猫を再び抱き上げ、その目を覗き込んだ。身体と同じように真っ黒なその瞳には、その心を反映するように複雑な色が浮かんでいた。
変わり者と出会って二度目の冬が来た。
彼のスケッチブックはほとんど黒一色で書かれていた。
あるとき彼はこう言った。
「君にも名前がいるな」
そう言って、顎に手を当てて考えた。
閉められた窓から空を眺め、満天の星をたたえている空を見上げる。
そして唐突にこちらを振り向いた。
「よし、ホーリーナイトがいい」
黒猫は、名前には少しふさわしくないそれに首をかしげた。
彼は笑ってこう答えた。
「聖なる夜、という意味さ。君にはぴったりだ」
嬉しかった。
今なら世界中の人間を愛せるかもしれないとさえ思った。
黒猫は初めての親友に心からの信頼を寄せた。
首輪に名前を彫った。それは彼との信頼の証になった。
『HOLY NIGHT』
貧しい生活は彼から体力を奪っていった。
毛布に包まり、荒く息を繰り返す親友。
彼は最後の力を振り絞るように手を動かし、書き上げた手紙を黒猫の首輪にはさんだ。
黒猫の頭を撫でてやりながら、苦しそうに言葉をつむぐ。
「これを、届けて欲しいんだ。ぼくの帰りを待っている人へ……」
それきり彼は口を閉ざし、横になって眠りに着いた。
黒猫は親友の願いを叶える為に走り出した。暗闇の中を、まるで一陣の風のように駆け抜けた。自分を抱き上げてくれた。自分に名前を、そして生きる希望を与えてくれた人間。
それに報いるために、黒猫はただ走った。
まるでそれをあざ笑うかのように、いつものように石を投げる子供達。
運悪くそれは足に当たり、黒猫は地面に倒れこんだ。細い足からは血が流れた。
すぐに立ち上がり、自分に走るように言い聞かせて走った。
後ろから自分を呼ぶ罵声が聞こえる。なんとでも呼ばせておくがいい。
―――――――自分には消えない名前があるのだから
足を引きずり、何度も転びながら走った。
そう自分に言い聞かせて、黒猫は走り続けた。
そして彼は親友の故郷にたどり着いた。目的の家まであと数キロ。
走りながら転んで、転びながら走った。背後から聞こえるはずもない青年の苦しそうな声が聞こえた気がした。
それを振り払って立ち上がり、彼との約束を守るべく、ちぎれそうな手足を引きづって走りぬけた。
目的の家を視界に捕らえ、彼は飛び込んだ。家の女性が驚いて駆け寄り、ぐったりと横たわる黒猫を拾い上げた。そして首輪にはさんだ手紙に気がついた。
黒猫は親友と三度目の冬を迎えていた。その首には首輪が巻かれ、名前が彫られている。
『HOLY KNIGHT』
Kという文字が足されたそれを眺めて、絵描きは目を細めた。そして夕焼けに照らされながら、横で眠っている猫に語りかけた。
「ありがとう、聖なる騎士君」
黒猫は満足げに、喉を鳴らした。
涼ですけど、何か問題でも?
これは、BUMP OF CHICKENの「K」という曲を元に(というかそのまんま)小説にさせてもらったものです。
いい曲ですよね〜。こんなんじゃない!という人もいるかもしれませんけど私の技術ではこれが限界です(泣
それでは、このへんで〜