Scene6:レクイエムの観測(遠隔)
王城最奥。
窓のない玉座の間は、常に静かだった。
風の音も、鳥の声も届かない。
分厚い石壁の内側に張り巡らされた抑音結界が、あらゆる振動を遮断している。
音のない空間。
その中央に、王は座していた。
レクイエム・ゼロ。
漆黒の長衣を纏い、瞳を閉じている。
まるで眠っているかのように、微動だにしない。
だが彼は眠らない。
彼は“聴いて”いる。
国土全域に張り巡らされた感応陣を通じて、
あらゆる音律魔法の発動を、振動として感知している。
規則正しい波形。
登録済みの旋律。
管理された魔力。
それが、この国の秩序。
――そのとき。
ぴくり、と王の指先が動いた。
ほんの僅かな揺らぎ。
通常ならば雑音として切り捨てられる程度の波形。
だが。
それは、既存のどのパターンにも一致しなかった。
玉座の間の扉が静かに開く。
足音はほとんどしない。
側近が膝をつく。
「陛下」
レクイエムは目を閉じたまま問う。
「報告を」
「王都、王立音律学院大講堂にて――異常振動が発生しました」
言葉は慎重だった。
「詠唱登録外の波形。増幅水晶が自律反応を示しています」
沈黙。
重い、静寂。
王はゆっくりと瞼を開いた。
その瞳は、深い灰色。
感情の起伏が見えない。
「規模は」
「局地的。ですが、共鳴拡散の兆候あり」
「原因は」
「断罪式の最中、ヴァレンシュタイン公爵令嬢が――」
側近は一瞬、言葉を選ぶ。
「……詠唱なしで歌唱を開始したとのこと」
玉座の間の空気が、わずかに冷える。
レクイエムの視線が、虚空に固定される。
彼の前には、可視化された振動波形が淡く浮かび上がっていた。
通常の音律は、美しい幾何学模様を描く。
均整。対称。秩序。
だが今映し出されているそれは、
乱れている。
自由で、不規則で、予測不能。
なのに、崩れていない。
むしろ――
自然だ。
王は低く呟く。
「……未登録周波数」
その声は小さい。
だが玉座の間の静寂を完全に支配している。
「暴走の兆候はありません」
側近が付け加える。
「しかし、理論体系外の振動です。既存の抑制式では――」
「干渉できぬか」
「現時点では」
再び沈黙。
レクイエムの指先が、玉座の肘掛けを軽く叩く。
こつ。
その音さえ、部屋に吸い込まれる。
王は知っている。
秩序なき振動が何を生むか。
かつて一つの都市が、
制御不能な共鳴により崩壊した。
歓喜は増幅し、
悲鳴は重なり、
魔力は暴走し、
すべてが砕けた。
だからこそ彼は王となった。
音を止めるために。
揺らぎを抑えるために。
だが。
今観測している波形は、暴走していない。
むしろ、静かに広がっている。
意志に従わず、
命令もなく、
ただ、自然に。
「対象を監視下に置け」
レクイエムが告げる。
「危険度は」
「暫定、保留」
一拍置いて、続ける。
「だが――」
灰色の瞳が、わずかに細められる。
「放置はせぬ」
側近が深く頭を垂れる。
「御意」
学院での断罪騒動は、本来ならば貴族社会の醜聞に過ぎない。
だが今、状況は変わった。
詠唱なき共鳴。
未登録周波数。
抑制不能の可能性。
それは、単なる令嬢の暴走ではない。
国家音律体系への挑戦。
秩序への揺さぶり。
断罪イベントは、この瞬間。
国家安全保障案件へと昇格した。
玉座の間に、再び静寂が戻る。
だがその静寂の奥で。
ほんの僅かに。
王の鼓動が、いつもより強く鳴っていた。




