第1話: 魔王、起きる
◆よしこ視点
おしりが痛い。
これが、異世界の魔王としての、記念すべき第一声である。
もちろんそんなことは本人は知らない。
なんやこの椅子。石か? 石やな。冷たいし硬いし、おしりが割れる。
いや、割れとるのは最初からか。62年割れとる。
……62年?
ちょっと待って。
わて、田中よしこ。62歳。大阪府東大阪市在住。ひまわり保育園の園長を定年退職して——昨日、孫の顔見に行こう思て家を出て——
……あれ。
その後の記憶がない。
周りを見る。
暗い。天井が高い。体育館の3倍くらいある。紫色の炎がゆらゆら揺れとって、正面に何かがずらーっと並んどる。
人? 人やな。
みんな片膝ついて、こっち見とる。目が光っとるのもおる。角が生えとるのもおる。
……ここ、どこ?
「魔王様! お目覚めでございますか!」
正面のいっちばん前で、銀髪のシュッとした男が、片膝ついてこっちを見上げとる。
長身。背筋がぴーん。軍服みたいな黒い服。金色の目がきらきら。
シュッとした男、大阪のおばちゃんの分類ではAランクや。
……いや、今そこはどうでもええ。
「……あんた、誰?」
男がぴくっとした。
「ヴェルザでございます。四天王筆頭、三百年お仕えしております」
「三百年!? 元気やなぁ。わて——あ、いや」
ちょっと待て。
手を見た。
……白い。
細い。
若い。
若い?
62年間この手を見てきた。しわしわで、爪は短く切って、左手の薬指に結婚指輪の跡がうっすら残っとる——はずやった。
この手には、しわがない。指輪の跡もない。爪がやたら綺麗。何これ。ジェルネイルか。
「……鏡。鏡ある?」
ヴェルザが慌てて鏡を持ってきた。
映っていたのは——
「…………」
黒髪の。
長い髪の。
えらい美人の。
頭に角が生えた——女やった。
肌つやっつや。毛穴がない。62年生きてきてこんな肌一回も見たことない。
まつ毛が扇風機。
ウエストこんなん出産前でもなかった。
角をつんつんした。痛い。本物や。
正直、角よりも肌のほうが衝撃やった。
化粧水いらんやん。
落ち着け、よしこ。
状況を整理しよう。
わては今、でっかい城の、でっかい石の椅子に座っとる。体は若い美人になっとる。角が生えとる。目の前に「三百年仕えた」言う銀髪がおる。
「あの……ヴェルザさん」
「はっ」
「ここ、どこ? わて、誰?」
ヴェルザの眉が微妙に動いた。
「……ここは魔王城でございます。あなた様は——魔王様でございます」
魔王。
……魔王て。
保育園の発表会で園児がやるやつちゃうか。赤い布かぶって「がおー」って言うやつ。
いやいやいや。
ちょっと情報が多すぎるわ。
こういう時はどうする。——40年間、パニックになった新人保育士に言い続けてきた言葉がある。
まず、落ち着く。
次に、温かいもんを飲む。
それから、考える。
「ヴェルザさん」
「はっ」
「お茶、ある?」
「…………」
「あったかいやつ」
ヴェルザが三秒ほど固まった。
それからゆっくり一礼した。
「……かしこまりました」
◆ヴェルザ視点
新しい魔王が、お茶を要求なさっている。
私は四天王筆頭ヴェルザ。先代魔王に三百年仕え、魔王軍の一切を取り仕切ってきた。
その先代魔王が昨夜、急死した。
原因は不明。突然の崩御。
魔王城は混乱の極みにあった。四天王が招集され、魔王軍の幹部たちが玉座の間に集結し、継承の儀を見守った。
魔王の継承は自動である。「最も強い魔力を持つ者」に、魔王の力が移る。
魔法陣が光った。
玉座に、新たな魔王が現れた。
膨大な魔力。歴代最高と言って過言ではない。圧倒的。玉座の間にいた全員が息を呑んだ。
その魔王が、開口一番。
「……あんた、誰?」
……私は、三百年仕えたのだが。
先代魔王ならば——即座に魔王軍の状況を問い、戦線の報告を求め、人間側の動向を確認しただろう。
それが魔王というものだ。
私が三百年かけて仕えてきた魔王の姿だ。
この魔王は、お茶を頼んだ。
しかも「あったかいやつ」と言った。
先代魔王は冷酒しか飲まなかった。三百年、私が見た先代の飲み物は冷酒だけだ。
……まあいい。
魔力は本物だ。歴代最強。それは間違いない。
ならば従う。それが四天王筆頭の務めだ。
お茶を用意させた。
茶葉は上等なものを選んだ。魔王に出すのだから当然だ。
玉座の間に戻ると、魔王は石の椅子の上で正座していた。
「……魔王様。なぜ正座を」
「いや、この椅子な」
「はい」
「座面、もうちょっとなんとかならん? クッション的なもの」
「……クッション、でございますか」
「おしり痛いねん(^^)」
「…………」
……何だ、この「(^^)」は。
声に出したわけではない。だが、笑顔が——この魔王の笑顔は、なんというか。威厳がない。とてつもなく威厳がない。
「あ。いや」
魔王が咳払いをした。
「……玉座の座面を改善せよ」
急に口調が変わった。
「あ、お茶! ありがとな、ヴェルちゃん(^^)」
「……ヴェルザ、でございます」
「あ、ごめんな。ヴェルザさん」
また口調が戻った。
何なのだ。何なのだ、この方は。
三百年仕えてきたが、こういうのは初めてだ。
◆よしこ視点
お茶、美味しい。
なんの茶葉かわからんけど、ほんのり甘くて、香りが優しい。
一口飲んで、肩の力が抜けた。
やっぱりな。困った時は温かいもんを飲む。これは保育園でも魔王城でも変わらん。
ヴェルザさんから話を聞いた。
まとめるとこうや。
この世界には人間と魔族がおって、長いこと戦争しとる。わては魔族の親玉「魔王」になった。前の魔王は昨日死んだ。人間の側からは「勇者」いう子が送り込まれてくる。
「その勇者が、現在この城に向かっているとの報告がございます」
「何人?」
「三名と」
「三人で城に来んの? 子どもなんやろ? 迷わへん? この城めっちゃ広いし」
「……倒しに来るのです。我々を」
「あぁ、そういうことか」
お茶をすすった。
戦争。勇者。魔王。
正直、62年生きてきてこんな単語を真面目に考える日が来るとは思わんかった。
でもな。
40年間保育士やってきて、わかることがある。
困った時は、順番に片付ける。全部一気にやろうとしたらあかん。
まず、お茶を飲み切る。
次に、この城をちょっと見て回る。
ごはんが作れる台所があるか確認する——これ大事。
それから——
「勇者が来んのは、いつ頃?」
「早ければ明日にでも。遅くとも三日以内かと」
「ほな、ちょっと時間あるな」
お茶を飲み干した。立ち上がる。
——おっと。
背が高い。前の体より30cmは高い。視界が全然ちゃう。
ヴェルザさんとほぼ同じ目線や。62年間、見上げる側やったのに。
「ヴェルちゃん」
「……ヴェルザです」
「城の中、案内してくれへん? 台所どこにあるか知りたいねん(^^)」
ヴェルザが何か言いたそうな顔をした。
眉がぴくぴく動いとる。
けど結局——
「……かしこまりました」
と、頭を下げた。
うん。この人、根が真面目やな。40年保育士やっとったらわかる。眉の動きで大体わかるねん。困ってるけど、投げ出さへん人の眉や。
◆ヴェルザ視点
魔王様を厨房にご案内している。
三百年仕えてきたが、歴代魔王で厨房の場所を聞いた者はいない。
魔王城の廊下は長い。黒い石造りの壁が延々と続く。松明の炎が紫色に揺れ、兵たちがすれ違うたびに深く頭を下げる。
新しい魔王は、すれ違う兵のひとりひとりに「どうも(^^)」と会釈していた。
「魔王様。兵に会釈は——」
「あかんかった?」
「……あかんということはございませんが、前例がございません」
「ほな前例を作ろう(^^)」
「…………」
兵たちの顔を見た。困惑している者、おののいている者——だが、不思議と不満の色は見えない。
厨房に着いた。
「うわっ」
魔王が声を上げた。
「広っ! 体育館の二つ分くらいあるやん!」
たいいくかん、なるものが何かは知らないが、確かに広い。魔王軍数千の兵の食事を賄う大厨房である。
石造りのかまどが十基。天井から吊るされた鍋の数は数えたことがない。壁一面の棚に並ぶ食器や調理道具。
魔王がかまどの前に立った。
かまどの高さを確認し、火口を覗き込み、鍋を持ち上げて重さを確かめ——
目が変わった。
それまでの「きょろきょろと周囲を見回す困惑した女性」ではなかった。
鍋の並びを確認する。水場の位置を見る。食材の棚を順に開ける。
肉。根菜。穀物。調味料。
ひとつずつ手に取り、匂いを嗅ぎ、戻す。
その手つきは——何と言えばいいのだろう。
慣れていた。あまりにも慣れていた。
剣の達人が剣を抜く時のような——いや、違う。もっと自然な。
呼吸をするように、厨房を把握していた。
「……魔王様」
「ん?」
「……料理が、お得意で?」
魔王がこちらを見て笑った。
また威厳のない笑顔だった。
「40年やっとったからな。——あ。……料理は我が得意とするところである」
「…………」
「ヴェルちゃん、ここの鍋ちっちゃいのないの? この鍋、風呂桶より大きいやん」
「……ヴェルザです。また、そちらが最小の鍋でございます」
「最小でこれ!? 園児200人分くらいいけるサイズやで」
えんじ、というものが何なのかもわからない。
しかし。
先ほどの目つきが気になった。
厨房を見た瞬間の、あの——確信に満ちた目。
戦場を前にした将軍の目と同じものを、この魔王は鍋とかまどの前で見せた。
何者だ。この方は。
三百年で、先代魔王の厨房を見た回数は——ゼロだ。
先代は食事に興味がなかった。「栄養が摂れればよい」。それが先代の口癖だった。私もそう思っていた。食事とは、体を維持するための手段に過ぎないと。
だが今、この魔王は鍋を持ち上げて重さを確かめている。まな板の刃あたりを見ている。食材の匂いを、一つずつ、嗅いでいる。
——まるで、戦の準備をするように。
◆よしこ視点
厨房、最高。
広いし、かまどの火力もええし、食材も揃っとる。鍋がアホみたいにでかいのだけは困るけど、まぁ大は小を兼ねる。保育園のバザーで学んだことや。
よし。ここでなら何でも作れる。
シチューもおかゆもホットミルクも——この世界にある食材で、大体のもんはなんとかなりそうや。
厨房の片隅に、使い古された木のまな板があった。
手に取る。
ちょうどええ大きさ。刃あたりも悪くない。包丁もある。切れ味はまぁまぁ。砥石で研いだら使える。
不思議やなぁ。
さっきまで、魔王やら戦争やら勇者やら、訳のわからんことだらけやったのに。
包丁握ったら、落ち着いた。
62年間、何が変わっても、これだけは変わらんかった。台所に立ったら、わてはわてや。
「ヴェルザさん」
「はっ」
「明日か明後日、お客さん——勇者の子らが来るんやろ?」
「……お客、ではなく、敵でございますが」
「ほな、ちゃんとしたもん作ったるわ(^^)」
ヴェルザが眉間を押さえた。
「……何をおっしゃいますか」
「子どもが来んのに、ごはんの用意もせんかったらあかんやろ——」
あ。
「——客人を迎えるにあたり、食事の準備をするのだ」
「…………」
「……ヴェルザよ」
「はっ」
「その子ら、ちゃんとごはん食べとるんやろか——食事は十分に摂れているのであろうか」
ヴェルザが少し間を置いた。
「……勇者パーティの補給状況までは把握しておりません。しかし、三名の子どもが荒野を越えてここまで来たのであれば——十分とは言えないかと」
「…………」
お腹すかせた子が来る。
——それは、よしこにとって他の何よりも重大な事態やった。
「ヴェルザさん。わて、明日までに仕込みしたいんやけど——」
「……かしこまりました」
ヴェルザの返事は、もう慣れたように早かった。
さてと。
わては魔王になったらしい。
何もわからん。魔法も使えん。剣も振れん。
この世界のことも、この体のことも、何ひとつわからん。
でもな。
包丁は握れる。鍋は振れる。
お腹すかせた子にごはんを作ることなら、できる。
40年間、それでやってきたんやから。
「よし。明日の仕込み、始めよか(^^)」
「……出発ではなく、仕込みですか」
「せやで。戦いは知らんけど、仕込みならプロや」
ヴェルザが小さくため息をついた。
——でもな、ヴェルザさん。
あんたの眉、さっきよりちょっとだけ柔らかくなっとるよ。
保育士歴40年、そういうの見逃さへんねん。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
短編版をお読みくださった方は「知ってる知ってる」と思われたかもしれません。連載版では、短編では駆け足になった部分を一つずつ丁寧に描いていきます。
第1話はよしこの「転生初日」です。
魔王に転生したのに最初にやることが「お茶を頼む」「おしりの心配」「台所の確認」——よしこの強さは、どんな状況でもまず「日常」を作ろうとするところにあると思っています。保育園で40年やってきた人間は、パニックの対処法を体で知っているんですね。「まず落ち着く、温かいもんを飲む、それから考える」。
厨房に入った瞬間のよしこの「目が変わった」シーン——あれが、ヴェルザが初めて「この人はただの困惑した女性ではない」と感じた瞬間です。鍋とかまどの前で「戦場を前にした将軍」の目をする元保育士。魔法は使えなくても、40年の経験は嘘をつかない。
ヴェルザの困惑は、この先ずっと続きます。300年仕えてきた忠臣が、おしりの痛みを訴える魔王にどう付き合っていくのか。彼の眉のぴくぴくを楽しみにしていただけたら嬉しいです。
次回、勇者パーティが魔王城に到着します。
ボロボロの三人を見た瞬間、よしこの「保育士スイッチ」が入ります。
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