オカルトショップ・アナキティドゥス
二章 サディア
《雑貨 アナキティドゥス》
独特の飾り文字の看板。
時間帯なのか、人通りもない。店内にも、人の気配は感じられない。
遠子は、ドキドキしながら、その扉を開いた。
変わった音色の扉鈴とともに、不思議な香りが漂ってきた。
店内は、薄暗く、間接照明などで商品を照らしていた。皆が言うように、パワーストーンやアクセサリー、置物などのオカルトグッズが並べられていた。見て回ると、本格的な呪術の道具や占いセットの様なものまで、並べられている。どれも、気になる。興味津々で見つめていると、店の奥から澄んだ金属音とともに
「いらっしゃいませ。なにか、お探しですか?」
と、声がかかり、遠子は驚いて振り返って、また驚いた。
カウンターの奥から出てきたのは、細身で長身の男で、コスプレを意識しているのか、ヒラヒラの衣を纏っていて、口元はベールで覆っていた。
噂のコスプレ店主なのだろうか? しばらく、見つめてしまう。
「え、まあ」
遠子は、驚きを隠しきれなかった。気配には敏感なのに、まったく気配を感じなかった。それと同時に、何か特別なモノを感じた。
「―私、ずっと、ここに来てみたかったのです」
たどたどしい言葉になる。
「ここのアイテムで、どんな願いでも叶えられるのですか?」
何故、そんなことを尋ねるのか、自分でも不思議だった。叶えれるコトのない、願いなのに。
「まあ、願いの種類にもよりますが。願いを叶える、お手伝いは出来ますね」
ニッコリと笑って、答える。そして、遠子を見つめる。
遠子は、ドキッとした。なにか、見透かされている感じ。
「お待ちしていましたよ。ラムーのこと、美馬遠子さん」
笑顔を浮かべたまま、一礼した。
「え、どうして?」
びっくりして、問う。
「輪殿。―輪教授をご存知でしょう?」
問われ、頷く。
「彼とは、古い知り合いでね。なにかある度に、貴女の話を聞かされていて。それに、貴女とは初対面ではありませんよ。チャットでも、オフ会でも会っていますから」
誰だろう? 遠子は考えて
「……サディアさん?」
裏返る声で、問う。
「はい。サディアです。この店の店主であります。お見知りおきを。―ラムー、遠子さん、そんなに驚かなくてもいいじゃあ、ありませんか」
クスッと笑い、サディアは言った。
「どうして、解ったのですか?」
「カンです……と言いたいところですが、チャットや輪殿やルルイエから、聞いたのです。チャットでは、話せなかったコトを聞きたいのでしょう? 招願叶の事とか。それなりに答えられる範囲で」
サディアは、遠子を見つめて言う。
「いいのですか?」
サディアは頷き
「ここでは、なんですから。奥で、お茶でも飲みながら、話しましょう。私も、一度、直接、話したいと思っていましたから」
サディアは、店の奥へと、案内する。
店の奥には、小さな部屋があった。そこには、小さなテーブルと、占い用品が置いてあった。
アナキティドゥスの店主―サディアは、占いをしてくれると聞いていたので、遠子は、なるほどと思った。
「どうぞ」
促され、遠子は座る。
サディアは。ステンドグラスの様な模様のカップに、とても香りのよいハーブティーを注いだ。
「ありがとうございます。―あれ、これって」
その香りには、嗅ぎ覚えがあった。
「この、お茶って」
遠子の呟きに、サディアは
「私の店では、ハーブティーなども扱っていまして、皆さんに人気ですよ」
と、言った。
遠子は、頷いて、お茶を啜る。以前、友人に貰った、ハーブティーはアナキティドゥスで買った物だたのだろう。
「遠子さんは、今一番知りたいコトは、やっぱり招願叶についてですか?」
サディアは、唐突に問う。
色々と聞きたいが、すっきりさせたいのもあって、頷いた。
チャットでも、メールでも、このところ招願叶の話題が目にとまる。
知りたいのは確かだ。 話し聞く不思議な店主は、不思議だ。
そう思ってたら
「そうですね。もう気付いていると思いますが、招願叶の噂は本当ですよ」
声は優しいが、淡々とした口調。
「―それじゃあ、最近の変死事件は」
そう問うと、少し胸が痛んだ。サディアは、無言で頷く。
「でも、どうして。願いが叶って、死んじゃうの?」
チャットでも、皆の意見を聞いてくれるキャラ。悩みとかに、的確なアドバイスをしている。
「招願叶は。願いを叶えられるアイテムです。ある程度の知識と力を持った者が、それなりの素材を持って造られた。全ての人の願いを叶えられるワケでは、ありませんが。代償が命というのは、解せませんね」
サディアは、ベールを外し、お茶を啜る。
薄暗い部屋、照明の加減なのか、メイクによるものなのか、衣装の影響か。
何処か、人間離れしてみえる。銀髪は、かつらなか地毛かを、考えてしまう。
「やっぱり、何かあるのですか?」
サディアの素顔に、少し緊張する。
「知人の死や、あのアイドルの死も関係あるのですか?」
聞きたいことは、たくさんあるが、言葉に詰まってしまう。
サディアは、そんな遠子を見つめ
「―なるほど。遠子さんは、その辺りの謎を知りたいのですね」
と、穏やかな口調で言い、小さく息を吐く。
遠子は、頷いて
「エリカさん―私の知人は、三角関係みたいなものに悩んでいて、幸せになりたかった。江洲京子は、トップアイドルになりたかった。その為に、招願叶に願掛けをした。そして、叶って……」
「―はぁ。下品ですね」
ボソリと、サディアは呟く。遠子は、え? と、思って、サディアを見たら、サディアは静かに、お茶を啜っていた。
なにか知っているのは、間違いない。会話力があれば、もう少し話せるのに。
遠子は、内心、そう思う。
サディアは、一呼吸し
「話題は変わりますが、不老不死について、遠子さんは、どう思いますか?」
不意に話題を変えられ、遠子は、ビクッとする。
―不老不死
「歳をとることもなく、決して死ぬこともない。人魚の肉とか錬金術とかの……? 最近では、バイオテクノロジーとかで、限りなく不老になれるとか……の?」
突然、話題を振られて困惑してしまう。
オカルト界隈では、最低限話題になる話だ。
「興味は、ありますか?」
穏やかな口調で問われる。遠子を見つめる目は、なにをみているのだろうか。
見透かされている、考えすぎだろうか、と。
「……はい。でも、物理的に不老は可能でも、不死は不可能だとおもいます。死はあくまでも、死。人類の幻想に過ぎないと」
何故、このような問をするのだろうか。遠子は、迷いながら言葉を選んだ。
「そんなに苦悩するようなことでも、ありませんよ。純粋な願いであるモノなのだから。貴女のブログを読んで、不老不死願望があるのだな、と思いましてね。古から、人間は不老不死を追い求めていますから」
サディアは、新たなハーブティーを、遠子のカップに注ぐ。
「人間の夢……。叶えられない夢ですね」
お茶を一口、遠子は呟き。
「夢は叶えてこそって、いうから、招願叶みたいな物が流行るのですね」
と、言う。
「そういうことです。―これから話すことは、オフレコでお願いします、良いですか?」
穏やかな笑みから、深刻そうな表情になる。
その変わり様に、少し驚き
「は、はい」
と、頷いた。
「ここからは、貴女の知りたがっている、招願叶のコトについて、お話ししましょう」
そう一言おいて、サディアは、ゆっくりと話し始めた。
「招願叶の売り元、参神同念会は、無命正寿が昔から行っていた、占いや人生相談が広がり、ある種の宗教―新興宗教みたいになったものです。無命は、それなりに力があったから、昔から、テレビや雑誌に出演していました。一時期、心霊番組の御意見として、出演していたりと、界隈では名の知れた人物。彼ももまた、不老不死に異常な興味を持っていました」
ゆっくりと、一つ一つを解説するかのように、語る。
「不老不死」
遠子は、息を飲む。
「それって、無命は招願叶に不老不死の願掛けを自らしていたり? 招願叶と変死事件は、もしかして、呪法もみたいな……?」
「ありえなくもありませんね。古代から、他の生命を啜って不老不死目論む呪法はありますが、成功した者はいないですね」
サディアの答えに、遠子は胸に不快感を感じた。嫌なイメージが浮かんでしまった。
店に漂う香の香りが、和らげてくれているけれど、不快感は消えなかった。
「まだ、確証はありませんが。だけど、そう考えれば、招願叶は餌で、願いが叶えば贄にして、自分の願望を叶える。それが、招願叶と変死事件との接点だと、考えています」
やわらかな口調で淡々と語るけれど、その表情は険しかった。
その言葉に、遠子は思わず顔を歪めてしまった。
「大丈夫ですか?」
サディアは声を掛ける。遠子は、なんとか頷く。
「貴女は、感受性が他人より強いみたいですから、あまり考えない方が良いですよ」
と、言う。
「招願叶は。それなりに力のあるアイテム。ただ、下品な術しか知らない無明が造ったもの。まあ、魔術呪術には、血などは基本的なことですけれど。だけど、下品すぎますね。それも、人間の欲望に漬け込んだものですから、ああいったことになるのですよ」
部屋のキャンドルに火を灯しながら、サディアは語った。感情は消しているが、内心、怒っていることを、遠子は感じた。アロマキャンドルなのか、心地良い香りが漂い始める。
清浄な空気。いつの間にか、心にあった不快感が消えていた。
「サディアさん、色々と詳しいですね。やっぱり、業界ってものですか?」
「まあ。その様なかんじです、ね。……だけど、無命や他の者と一緒にしたり、同類にして欲しくはありませんね」
少しムッとした、答えたので、遠子は気まずくなってしまった。
「あ、気にしないでください。単に私が、無命の様な人間が嫌いなだけですから。彼のやり方が、倫理的では無い、下品な人間は、なまじ力や金を持つと、ろくなことをしないから」
遠子を気遣うように、淡々と落ち着いた口調で言ったものの、その瞳には怒りにも似た光が浮かんでいた。遠子は、そんなサディアを、おずおずと見つめた。
チャットでもメールでも、久しい人物。ネット上の憧れていた人。それが、ずっと行ってみたかった、店の主だったとは。その人物を目の前にして、今は、とても不思議な人だと感じていた。
「そんなに、無命って人は、下品なの? 見た目で判断してはいけいれど、成金って感じ」
「ええ。何が目的なのか、何を企んでいるのかは、まだ理解出来ていませんが……。ただ、不老不死願望を抱いている。そのために、餌である招願叶をばら撒いて、一連の事件を起こした。己が欲望を、他人の命を奪っているというのが、赦せないのです」
「そういう呪法って、やっぱり黒魔術みたいなもの?」
「さあ、その類とは少し違うのでは、とみていますが。呪術の世界では、独自の呪術を持っていますから。色々と呪術を混ぜ合わせ、自分の欲望を叶えられるモノを見つけ、その手段が招願叶だった」
サディアは、答えて、溜息を吐き
「願いを叶えるアイテムは、お金を集めると同時に、餌を集められますから」
と、言った。
遠子は、どうしても不思議に思ってしまう。
「どうして、そんなに詳しいの? 業界界隈だけで、そこまで解るの?」
「それは、まだ秘密ですよ。また、そのうち、ゆっくりと語りますから」
サディアは、遠子の問をはぐらかした。
「警察は、関係を知っているのかな? 共通点として、無命のことを知っているのかな」
「どうでしょう。まあ、流行しているアイテムだから、で終わらせている。そんな感じでしょうね」
サディアは、新しいお茶を注ぎながら言った。
「ねえ、サディアさん。聞いていいかな?」
カップを置き、遠子は、サディアを見つめた。
―なんだか、懐かしさ、がある。
遠子は、心の底で、思った。
「なにか、ありましたか?」
サディアも、カップを置いて、遠子を見た。
「もし、本当に、不老不死は存在するのですか? それに、古来より血肉を集めれば不老になれると、国の支配者は考えていましたが。日本なら、人魚の肉、八百比丘尼伝。世界各地に、不老不死伝承があります。それは、どうしてでしょう?」
遠子の問に、サディアは暫く沈黙し
「貴女は、その伝承を信じているのですか? ―まあ、血肉は命そのモノですから、それに惹かれるのでしょうね。最近のバイオテクノロジーでも、不老を研究しています。臓器移植も、命の受け渡しと例えられるし。古代からすれば、現代は最も不老不死に近づいた時代でしょうね。科学が無かった時代においては、なおさら血肉へのこだわりが強く、生贄を捧げたり、己が欲望に使ったりしていました。例えば、神に生贄捧げることで、安息を得る。それは、人間が他の命を食して生きているのと、同じなのかもしれません」
サディアの答えは、まるで講義のようだ。輪教授と親しいだけあるのかな、と、遠子は感じた。
「だけど、現代科学は、神々の存在も闇の眷属の存在、魔術や、そのようなモノを、全て否定し打ち消してしまった。今では、信仰というものでさえ、消されようとしている。万物の全てが、現代科学で片付けられてしまっているのが、なんとも淋しいものがありますね」
と、サディアは続け、遠子は一言一言に頷く。
「かつて、オカルトは科学でもありました。よりオカルトの方が、万物に対して純粋でした。錬金術などは、現代科学の祖でありますから」
サディアは、無数の小さな輝きを放つ赤子の頭ほどの、水晶に似た石を出してきて、机の上に置いた。
「キレイ。水晶ですか? 中に、なにか色々入っているみたいですけど」
水晶のような透明な珠のなかには、よく見ると、色々な光を放つ石が入っている。
遠子は、その珠に魅入ってしまう。
「これが、なんであるか、なにで出来ているかは、企業秘密ですが。言えることは、今の科学では解明することも再現することも出来ないモノ」
サディアは言って、そっと珠に触れる。
「オーパーツみたいなモノですか?」
珠を見つめると、部屋が暗いぶん、小さな光の集まりが眩しく思えた。
「似て非なるもの。説によると、これは、古代の錬金術で造られた……そうです」
サディアは、答える。遠子は、少し胡散臭いと思いながら、何処かで惹かれていた。
「錬金術、出来るのですか?」
「貴女は、もし出来るとしたら、やってみたいですか?」
問いかけに、遠子は頷いた。
「―輪殿の言う通りですね。まあ、私は嗜む程度ですが」
嬉しそうに微笑んで、サディアは言った。
遠子は、確かに魔術・錬金術には興味があった。その知識を得たいと思った。文献の類でしか、知らない話だから。実際に出来るとしたら……。
「時間がある時、ここへ来れば教えてあげましょう。それに、輪殿の方が詳しいから、今度、聞いてみるといかがとか。気が向けば、教えてくれるかもしませんよ」
柔和な笑みを浮かべて、サディアは言った。
その言葉は、遠子の心をくすぐった。
そのようなモノに、何故、心が惹かれる。まるで自分の魂が、求め望んでいるかのように。その先には、絶対的に叶うコトのない、抱く深い願望がある。もしかしたら、サディアや輪教授は、始めから見抜いていたのかもしれない。
遠子は、サディアの本心が何処にあるのかを、考えていた。
その時、店の方から独特の扉鈴が聞こえた。
誰か来たようだった。その音で、遠子は我に返った。
「サディア、いる?」
店の方から、若い男の声がした。
「はい。奥にいますよ。入って来てください」
と、サディアは答えた。
すると、ヴィジュアル系風の若い男が入って来る。
「いらっしゃい。翔。頼まれていた物を、用立てましたよ」
言って、サディアは、棚から、輝きを放つ小さな石を取り出した。
「ありがとう。ラムー……美馬遠子ちゃん、だよね?」
翔と呼ばれた男は、遠子を見つめて言った。
遠子頷き、少し考えて
「ルルイエさん。春菜の、お兄さん。翔兄ちゃん?」
と、問う。
翔は、頷き
「あらためて、よろしく。それにしても、妹・春菜から聞いたけれど、大変だったね。妹は、落ち込んでいるよ」
ルルイエのこと、桐翔矢は言った。
サディアは、翔に、お茶を出す。
「ありがとう。コレ、また別けて」
お茶を啜り、翔は言った。サディアは頷き、茶筒を取り出した。
「二人は、知り合いなの? チャットだと、仲良さそうな感じだけれど」
サディアと翔のやり取りを見て、問う。
「ええ。良き友人ですよ」
サディアは答え、包を翔に渡した。
「もともと、僕は学生の頃から、古代医学を研究していて、そこから錬金術や魔術に興味を抱いたんだ。で、サディアと知り合ったんだ」
「ええ。意外と気が合いましてね」
「今は、魔術医学と現代医学を比較研究しているんだ」
翔は、少し得意げに答える。
「そうなんだ……。えっと、翔兄ちゃんは、法医学・司法解剖をやっているとか、それで、招願叶と一連の変死事件に気付いたと、メールに書いていたよね」
遠子は、メールの事を問う。
「うん。僕の本業は、医師だけど。病院勤務しているけれど、法医学にも興味があって、医大の時の教授の知人に、法医学者がいてね。その人に師事し勉強しているんだ。その人は、変死……特に異常な遺体を専門に扱っているんだ。招願叶との関係性には、そこで気がついたんだ。これは、なにかあるなのと、思ってね。遡って、変死事件を調べたら、やっぱり遺体は招願叶を持っていたんだ」
と、翔は説明する。
昔は、地味な少年だったのに。明るくて友達もいた。なんだか、陰のある性格になったな。
遠子は、翔を見つめ、思った。
だから、気付かなかったのか。
「翔が気に病んでも、仕方ありませんよ。悪いのは、欲に溺れている無命ですから」
サディアは、溜息混じりに言った。
「でも、さ。不老不死を求めているといっても、どうなのかな? 本気で、信じているのかな、その人」
遠子は、テーブルの上に置かれている、不思議な珠を見つめた。
「では、遠子さん。もし、不老不死になれるとしたら、なにをしたいですか?」
サディアは、まっすぐ遠子を見つめて、問う。
「その答え、僕も聞きたい」
と、翔。
遠子は、二人を交互に見つめる。
「うーん。うまく説明出来ないけど。もし、永遠の時間があったなら、この世界・地球、万物の色々なことを探求できるし、その知識の全てが欲しい。宇宙の謎とか、紐解けそうだし……」
胸の奥底の思いを、初めて人に話した。遠子は、胸の奥に痛みを感じた。
「凄いね、遠子ちゃん。そんなコトを考えているんだ。大学で民俗学を専攻していたよね、それも関係あるの? それって、やっぱり、オカルト的なもの? それとも、別の?」
翔矢は、興味深げに問う。
「正直、自分でもよく解らない。だけど、その思いに一番ちかいのが、民俗学だったの。神秘学とか神智学とかなどがある学校は、なかったから。もしあるなら、魔術や錬金術を学びたいよ」
「ふふ、なるほど遠子さんは、どちらかというおと、そちらに向いているのでしょう。神秘や新地は、人間の叡智を超えた先にあるモノを、求める学問ですから」
サディアスは、頷くように言った。
「今は、少ない文献を読んでいますけれど。そういうものは、ファンタジー的でしかないし。見れるのなら、自分で見てみたいです」
答える、遠子の胸の内は嬉しかった。このような話が、普通に出来ることが。
「そうですか、なるほどね。―おや、もうこんな時間ですか」
頷いた、サディアは、時計を見る。それにつられて、遠子も、時計を見た。
時計は、午後九時過ぎを差していた。
「やばい」
遠子は、思わず立ち上がる。
「終電が……」
「ああ。申し訳ありません、つい話し込んでしまって。―大丈夫ですか?」
「いえ、私は時計を気にしていなかったから」
考え込んでいる、遠子に
「同じ方面だから、僕が送って行こうか?」
翔矢が言う。
「え、でも、悪いよ」
遠子は、遠慮がちに言う。
「送ってもらいなさい、どのみち終電には乗れないのでしょう?」
サディアは、ニッコリ笑って言った。翔矢も、気にしなくて良いよと、頷いている。
遠子は、内心、溜息を吐き
「それじゃあ、お願いします」
と、頷いた。
アナキティドゥスを出て、商店街の駐車場まで、サディアは見送りに来た。
「今日の話は、秘密にしておいてくださいね」
ニッコリと笑っていう、サディアだが、約束ですというオーラが滲んでいた。
「はい。―では、ありがとうございました」
「それでは、気を付けて」
サディアは、走り出す車を見送った。
車で、移動するのは久しぶりだ。他人との距離感が、苦手な遠子にとっては、幼馴染の兄、昔、よく遊んだ翔矢とはいえ、なんだか、もの凄く気を使ってしまう。
「……それじゃあ、翔兄ちゃんが、医者になったのは、小学校の時の事故が、きっかけだったんだ」
「うん。あれは、僕が小五の時で、春菜が小二だったから。あの頃ことは、あんまり覚えていないらしい。あの事故で臨死体験をしてさ、その影響か、見えないモノが視えるようになって。でも、誰も信じてくれなくて」
と、昔話をする。
両親の離婚前、何度となく、桐兄妹とは遊んだことがあった。
「そういえば、翔兄ちゃんが大変だとか聞いたことあった。でも、その後、私、引っ越したから。それっきりだったよ。春菜とは大学で再会したけれど、ぎこちなかったな」
遠子は、幼い頃を思い出し話す。幼い頃の思い出は、あまりいいものではないが。
「まあね。その事コトで、オカルトに目覚めたんだけど」
口数の少ない遠子だったけど、昔からの知人ということもあってか、話が弾む。
「遠子ちゃんって、昔から霊感強かったよね。僕も、その頃は、あまり信じていなくて。幼稚園の隣にある公園に、血まみれの人がいるって、よく泣いていたよね」
「あれは、怖かった。私にとって視えるコトは、自然なコトだったけど。他の人にとって、それは異常なコトだとは、解らなくて」
と、苦笑いを浮かべて、遠子は言った。
「僕は、そういうモノが怖かったから、信じなかったけれど。事故にあって、視えるようになって
……。でも、それは、事故のショックだと言われたし、そう思いたかった」
「それは、やっぱり臨死体験のせい?」
「解らないよ。でも、臨死体験をした人は、視えるになるデータもある。科学的にも議題の上がる。それも、また研究のひとつなんだ」
と、翔矢。
「何度か引っ越しをして、こっちへ来たのが中三の時だった。―それで、今はもう亡くなっているけれど、一人の老医師に出会ってから、臨死体験から視えるようになったことを、受け入れられるようになったんだ。風変わりで不思議な人だったけれど、悩みに真摯に向き合ってくれた。だから、僕は医者になろうと、決意した」
懐かしそうに、話す。
「その、老医師って、いわゆる視える人だったの?」
「本業は開業医。裏では、拝み屋をしていたんだ。色々な意味で、今の僕があるってこと」
翔矢の話に、遠子は相槌を打つ。
チャットやオフ会などでは、一度もローカルな話はしないし、春菜に言われるまでは、気付かなかった。
「サディアと知り合ったのも、その老医師繋がり。二人共、面白い人だから、色々と勉強になったよ」
「それで、仲が良いんだ」
「まあね。サディアは友人であり、オカルトの師でもあるんだ。招願叶の噂メールは、サディアと相談して、注意を兼ねて流したんだ」
と、翔矢。
「そうなんだ。―やっぱり、エリカさんに、無理してでも言った方が良かったのかな。大学でも、流行っていたみたいだし。その人達が、死んじゃったという話は聞かないから、生きているとは思うけど」
遠子は、溜息混じりに言った。
「たとえ、強く忠告しても、本人が受け入れるとは限らないし、エリカさんが命懸けでも、願いを叶えたいと思ってたら、無理さ。招願叶に、自分の欲望を掛けるのであれば、そういうコト。だから、あまり気にすることでも、ないと思うけれど。難しいか」
翔矢は、言った。
「妹も、言えなかったコトを後悔している。エリカさんの状態を、警察から聞かされ、ショックを受けていたよ。一般人に、話すような内容ではないのに」
溜息を吐く。
「妹は、幸いにも招願叶を手にしていないから、良かったけど。エリカさんの死後、何かに怯えているんだ。少し霊感があるのは解っていたけれど。黒い影が、エリカさんを殺したんだって、言っている。招願叶を持っていなければ、大丈夫と言い聞かせているんだけど」
と、続ける。
「まだ、日が浅いから、時間が経てば立ち直れると思う」
話しているうちに、遠子のマンションが見えてくる。
「―それにしても、無命正寿に、招願叶と一連の事件の関係を聞いてみたい」
遠子は、ぎゅっと手を握った。
「探求は、かまわないけれど。ヤバいことをしてはいけないよ」
車を停めて、翔矢は言った。
「うん、解っています。―送ってくて、ありがとう」
「はい。また、オフ会でもしましょう」
言って、翔矢は車を出した。
遠子は部屋に入り、肩で息をした。
電車だと、乗換時間とかで三時間はかかるのに、車だと一時間。
アナキティドゥスに行けたこと、店主がサディアだったこと。ルルイエが、春菜の兄だったこと。
驚きだった。
波長が合わない人とは、話せない。でも、二人とは波長があって良かった。
なんだか、久しぶりに充実した時間を過ごせた。
なにげなく、テレビをつけると、深夜枠のワイドショーみたいな番組が、流れていた。
チャンネルを変えようとしたとき、話題がかわり、変死事件の特集が始まったので、遠子は、そのまま番組を見ることにした。
深夜枠とあってか、昼の時間では流せないような話が飛び交う。
内容は、品がよくなかった。
【―食人ってことですか? このところの変死事件の死体は、欠損している、その部分はまだ発見されていないんですよね。そうなると、やっぱり】
【コレクションするとか、食べるとか?】
毒吐き系のコメンテーターが、顔を連ねている。
【ネット上、オカルト系のサイトや掲示板では、ある願いが叶うアクセサリーを持っている人が、共通点だと噂がありますね。そこに、新興宗教団体が絡んでいるとか。ほら、海外のカルト教団が、信者を切り刻んで神に捧げたという、大量殺人がありましたし】
うだうだと会話を続けているが、会話が噛み合っていないし、新しい情報も無い。
遠子は、テレビを消す。
エリカの事を考えると、複雑だった。
「招願叶。願いが叶うと、死ぬ。どういう仕組みなんだろう。そこまでは、聞けなかった」
遠子は、招願叶のチラシを見つめた。
「試してみるのも、ひとつの手段。無謀なことかな。それに、ちょっと高い、な。だけど―」
溜息を吐いて、遠子は目を閉じた。
翌朝、PCメールをチェックすると、サディアからメールが届いていた。
メールには、ファイルが添付してあった。
【招願叶と参神同念会について、詳しく知りたいのなら、素材屋デュマーという店へ、行ってみるといいですよ。そこは、いろんな意味で面白いですよ。一度、行ってみてはいかがです? 地図を添付しましたので、どうぞ】
ファイルを開く。地図を見ると、意外にも大学の近くだった。
「ここに行けば、招願叶について聞けるのか」
呟いて、地図をプリントアウトした。
真夏を過ぎたとはいえ、日差しが眩しくてたまらない。Uターンラッシュが始まっているのか、道路は混んでいる。大学が休みなので、大学図書館へは行けず、素材屋デューマが店を開けるまでの時間、少し辺りを歩いてみることにした。何度も通った道、その路地裏の入組んだ所に、素材屋はあった。言われなければ、解らないビルとビルの間。細い道の先に。
店の場所を確かめてから、駅前まで戻る。
その途中で、遠子はふと足を止めた。
『幽霊画展』
と、看板が出ていたから。
時期限定のイベント展示で、今日が最終日だった。
遠子は頷くと、迷うことなく美術館に入った。
幽霊画展で時間をつぶし、画集などを買う。それから、軽く食事をして、素材屋デューマを目指す。
大学とは逆方向、そちらにはあまり行かなかったけど、学生の間で人気のスイーツ屋があったので、何度か来たことがある。その店を通り過ぎ、ビルとビルの間を通り抜けて、裏路地に出る。
そこから、またビルとビルの間の細い道を進んだ先に、素材屋デューマはある。
小さいけれど派手な看板には、崩した英文字で、【デューマ】と書かれていた。
見かけは、隠家的なバーみたいだった。
遠子は、少し戸惑いながら、扉に手をかけた。
ゆっくりと扉を開けると、むせ返るような香の匂いが鼻を突き、一瞬目眩がした。
その香にも慣れ、店の中を見回す。雰囲気としては、アナキティドゥスと似ている。店主を求めて、奥へと入ると、アナキティドゥスよりも、さらに怪しく不思議なモノが漂っていた。
並べているものは、どれもみたことのないものばかり。素材屋というくらいだから、魔術の素材なのかもしれない。それを見つめていると、甲高い声がした。
「いらっしゃい。―何をお求めで?」
振り返ると、ぎょっとするほどの厚化粧と、派手なヒラヒラな服、全身に多くのアクセサリーをつけている、細身で背の高い女が立っていた。
「あ、あの」
その姿に、遠子は驚いてしまった。自分の中の常識から、かけ離れた姿に。
「えっと、アナキティドゥスのサディアさんに、ここを教えてもらって」
なんとか、声を絞り出す。
すると、派手な女は、フフンと鼻で笑い、遠子を見つめた。
見つめられると、なんだか気まずかった。
「ふーん。そういうことねぇ。なにか聞きたいコトあるんだねぇ」
長髪的な口調で言う。遠子は困惑しつつ、怖ず怖ずと頷いた。
「えっと、招願叶のことで」
苦手なタイプを目の前にして、なんとか声をだす。
すると、女はニヤリと笑い。
「どうして、知りたいんだ? それを知ってどうっするんだい?」
挑戦的な口調で言う。
「それは、変死事件との繋がりを知りたいから」
反射的に、答えると
「どうして?」
遠子のことが気に入らないのか、怒っているのか。そういう性格なのか、キツイ口調だった。
「……それは、きっと、好奇心と探究心、だと思います」
と、遠子は答えた。
はあと溜息を吐き、女店主は、じっと遠子を見つめる。遠子は、気まずくなって下を向く。
「―何年か前、ある男が、力を込められるようなアイテムを作れるような、素材を求めて来たの。ここには、あらゆる魔術やオカルトグッズの素材を売っている。一部の人達だけしか、知らない店。だけど、噂を頼りに来るんだろうけれど。多分、よくある願望成就のアイテムなどを、造って儲けようってヤツだと思って、深く考えなく、素材を売ったのさ。ここへ来るってことは、それなりに力のある物を作りたかったんだろう」
ふん、と、吐き捨てるように言った。
「素材って、どういう物ですか?」
なんだか、興味をそそられてしまう。
「呪骨粉・成呪色混石粉、ほら、コレとコレ。呪詛の類から願望に関する力を込めれるものさ。その様な力をもともと秘めているけれど。これらに他の様々な物を混ぜて成形し、仕上げに、術者が力を込めて封じればいいだけ、さ」
白い粉や色とりどりの粉を、見せて言う。
遠子は、興味深げに、その粉末に触れた。
見た目より、サラサラとしていて、指先に触れると、なんだか、ピリピリと伝わってくるものを感じて、遠子は驚いて、手を引っ込めた。
「その白い粉は、霊能力者などの骨を粉にしてもの。そっちの斑の粉は、パワーストーンを砕いて粉にしたもの。あんた、力あるみたいだねぇ。触っただけで、なにか感じたんだろ?」
女店主は、クスッと笑った。
「はい。なんだか、静電気みたいな感じが……」
遠子は、答えた。そして、霊能力者の骨って、何処から仕入れてるんだ。と、思った。
「ふ~ん。なるほどねぇ〜」
値踏みするように、遠子を見る。
「では、これで造られたのが、招願叶ですか?」
含み笑いを浮かべている女店主に、問う。サディアの知人というが、感じたのは正反対の性格。
「そう。あとは、アイツが何か別の物を混ぜ込んで作り上げたようだけど。まさか、アイテムだけでなく、それをダシに使うとは思わなかったよ」
忌々しく答える。
「それって、不老不死の呪法とか?」
遠子は、問う。
「ああ。お陰で、面倒なことになっちまったよ」
怒りのオーラが、滲み出ているのを感じる。遠子は、女店主が怒っている理由が解らない。
「アイツ、無命正寿は、招願叶を餌として欲望の力の強い者を探し出した。その者を贄として選んだ。うちの素材を使って、間接的な殺人をしてんだ。赦せないさ。これだから、なまじ力を持っている者は、タチが悪いのよ」
息を粗くし、答える。
「無命正寿は、なまじ力を持っているから、人を殺してまで不老不死を求めるの? なまじ力を持っている人って、そういうものなの?」
「さあね。そんなこと、私が知るワケないじゃん。それに、私が売った物のせいでもないし、私のせいでもない。無命は、欲望に目の眩んだヤツ。そもそも素材やアイテム自体に、おいそれと人を殺せる力を込めれるわけないし、アイツに、そこまでの力があるとは思わなかったから。―ただ、私が考えていた以上の力と知を持って、禁呪などを扱えていたら、また話は変わってくるけど」
「禁呪」
遠子は、呟く。
「ああ。ま、色々とね。それにどうも、そちら系での使い魔がいるみたいね」
「使い魔って、式神みたいな? それが変死事件に関わっているの?」
夢のコトと、エリカに付き纏う黒い影が浮かんだ。
「さあ。どうだかね。知りたいなら、自分自身で試してみれば?」
遠子を見つめ、女店主は、ニヤリと笑う。
「私には、そんな願望は無いから。アレは、願望に反応するのでしょう? それなら、試せないと思うけれど」
「―本当に、そうなのかい? あんた、何者よりも、大きく深い願望を抱いているように、視えるけど?」
女店主の言葉に、遠子は、ドキリとした。
「とにかく、招願叶と変死事件の謎について知りたければ、自分自身で試してみるんだね」
キツイ口調で言うと、掌で包めるほどの、血の色をした石を、遠子に差し出した。
「これは?」
血色だけあって、不気味に視えるが、石が放っているオーラは聖浄なので、不思議に思った。
「聖血晶石。招願叶を試すのなら、持っときな。ある程度の邪気などからは、守ってくるだろうから」
そっけなく、答える。
「おいくらですか」
「あげる。―なんで、サディアが、あんたのコトを気に入ったのかが、なんとなく、解ったから。それに、あんたのような人間は、嫌いではないし」
口調は乱暴だけど、女店主はニッコリ笑って言う。
そう言われ、遠子は不思議に女店主を見た。
「ふふっ。いづれ、あんたも、解ることだろうから、私は言わない。それに、サディアとは、、もっと話をするべき。サディアなら、あんたの探している答えを知っているかもしれないね。―さあ、もういいだろう? 私、これから出かけるんだよ」
促されるように、店を出される。
遠子は、お礼を言って店を出た。閉められた扉の向こうから、大きな溜息が聞こえた。
素材屋デューマを出て、駅前まで戻ると、いつかのように招願叶のチラシを、参神同念会の会員だか信者が、往来する人に配っていた。半ば強引にチラシを渡そうとしていたりする。その人達を避けて歩いていたが、行く手を遮るように、チラシを渡してきた。
「これで、どんな願いも叶うようになりますよ」
と、満面の笑みを浮かべて言った。そして
「会館に、専門ショップができましたの。今なら、特別品がお手頃価格ですよ」
遠子に、チラシを押し付けるように渡す。その手首には、胸元に、耳にまで、招願叶のアクセサリーがつけられていた。
それを見て、遠子は、心底ゾッとした。
電車の中で、押し付けられたチラシを見る。何か、手掛かりにならないかと。そのチラシには、新しくオープンしたというショップの地図が載っていた。
「参神同念会の本山って、やつか……」
内心、呟く。オカルト雑誌には、毎月広告が載っていたが、興味は無かった。
ショップは行きやすい場所にあった。
帰ってからも、招願叶と参神同念会について、ネットで調べる。
貰った、聖血晶石を見つめ、考え込んだ。
「試してみれば、関係が解るのか……」
呟いて、遠子は頷いた。
―思い立ったら、吉日。行動しか無い
参神同念会のショップへ向かうことにした。
雑誌などでは、社寺の様な建物だったが、実際は成金趣味的な建物だった。
山門に見立てた門には[参神同念会]と掲げられている。
最悪な悪趣味。
それが、感想だった。
新興宗教では無いと、チラシには書いてあるが、限りなく新興宗教。
もともとは、拝み屋と占い、呪詛とかも請け負っていた。数年前のオカルトブームで、メディアに取り上げられていた。
本山の一角に、件のショップはあった。
狭い店内には、数人の客。年齢も性別もバラバラ。皆、どれが自分に合っているかを、店員に聞いている。店内が空いたら、探ろうかと考えていると、女子高生グループが中から出てきた。
「本当に、こんな物で、思い通りの人生になるの〜」
アイドル江洲京子が持っていたから、女子高生が持っていても不思議ではないが。
「さー。でも、千円ほどだったから、そこそこだったら、いいじゃん。グレートな人生なら、もっと高い物じゃあないと、駄目かも」
とか、話しながら帰って行く。
通販の物なら、一万円はするが、ここには千円からあるらしい。
ここにいる客達は、招願叶の噂を知らないのだろうな、と、女子高生達を見た。
呼吸を整えて、店へと入る。狭い店内に人がひしめいていたから、空気が淀んでいた。単に、人がいたから空気が悪いのか、それだけではなかった。
―やっぱり、なにかがある。
そう考えていると、目ざとく店員がやってくる。
あれやこれがオススメです、と、色々と商品を見せてくる。
遠子は、それをあしらいながら、直感で選んだ物を一つ買うことにした。
ちょっと、イタイ出費だった。
店を出て、息を吐く。
あまり気が進まなかったけれど、真実を求めるには仕方がないと、ブレスレットを手首につけた。
手首につけると、ズッシリと重い。
「……やっぱり、ダサい」
遠子は、溜息混じりに呟いた。
2
「……きちんと、始末をつけたほうがいいですよ、デューマ。なにも、美馬遠子をけしかけなくても。まあ、彼女のことですから、どのみち行動したでしょうけど」
アナキティドゥスの一室で、サディアは淡々と言った。それに対し、派手な女は甲高い声で
「解っているさ。だから、聖血晶石を渡したのよ。あの子が、無茶をしても、ある程度のモノからは守れるだろうし、あの子の秘めた力を倍増させれるようにと。―それに、どういうつもりよ?」
「―そうですね。始めは、ただの好奇心でしたよ。彼女のブログやチャットでのやり取り。そこで、思ったのですよ、迎え入れる人間に相応しいかもしれないと。それが、ここで話をして、ソレを確信しました。輪殿は、教え子として接していたのですから、尚更ですよね?」
サディアは、お茶を啜っている輪に問う。
「はい。一見、ぼーーとしていますが、うちに秘めたるモノは、我々に近きモノ。それに、とても熱心ですし」
カップを持ったまま、輪は答えて、お茶を啜った。
「できれば、申込し早く、ここへ来てほしかった。美馬遠子、心の深淵より永遠なるモノを求める。魂すらを超えたいという思いには、驚かされましたよ。あれは……」
サディアは、なにか言いたげに呟いた。
「ふふ、確かにね」
と、輪。
サディアは頷く。デューマは面白くなさそうにして
「それよりも、二人共。もう、気付いているのでしょう? 無命のヤツが、不老不死の呪法を行うために、招願叶をばら撒いていることを。そして、それに肩入れしている存在がいることを」
と、言った。
「どうでしょうか? 尻尾はまだ掴めてませんが。それに、不老不死の呪法なんてものは、幻想に過ぎませんよ。招願叶と無命正寿の件が、デューマが責任もって始末をつければ、一連の変死事件は終わるでしょう」
輪は、穏やかな口調だけど、その目は厳しく、デューマを見つめた。
サディアも同じように、デューマを見た。
「ああ。そんなことを言われなくても、わかっているわよ」
ヒステリックに、デューマは派手な服を翻して部屋を出ていった。
「やれやれ。悪い人ではないのですが。どうも、ヒステリーっぽい人ですね」
サディアに、新しいお茶を注いでもらい、輪は呟いた。
「さて、サディア。美馬さんの、お手並み拝見とさせてもらいましょうか」
サディアを見て、輪は言った。
「はい。大丈夫だと思いますが、気にかけておきます」
サディアは、答えた。
「ふふ。この件で、美馬さんの力を試し見極めることが出来ますね」
輪は呟いて、お茶を啜った。
夏も終わりに近づくと、眩しい日差しの仲、空が高くなり秋らしさを感じられる。風がほんのりと涼しくなっているけれど、照らされたアスファルトからは陽炎が立ち昇り揺らめいている。
窓から見る街は、まだ真夏のようだ。
「本当に、こんなもので願いが叶うのか。皆して持っているけれど」
遠子は、手首につけた悪趣味で重いブレスレットを見る。
遠子は、近圏で一番大きい図書館に来た。ここは、他の場所には置いていないような、資料やマニアックなオカルト本まで揃っている。少し遠いので、毎日は来れない。
だから、ここへは開館から閉館時間までいることにしている。
日が沈むのが早くなり、閉館する時刻には薄暗くなっている。この時期は、毎年のことだけれど、なんだか、寂しくなってしまう。最寄り駅に着いた頃には、街は闇に沈んでしまっている、午後九時だった。
もう少し、早い時間に図書館を出たほうがよかったかもと、遠子は溜息を吐いた。
普段ならあまり通らない、近道を抜けて帰ることにした。
そこは、昼間でも人があまりいない、古い公園。
鬱蒼とした木々で囲まれているためか、昼間でも暗いイメージの公園。まして、夜ともなれば、なお雰囲気を増す。あちらこちらの茂みから、夏虫の最後の声と秋の虫が混在して聞こえる。常夜灯にてらされ、枝が揺れているのか、揺らめく影は不気味さを増した。
たまにしか、通らないのは、そういう雰囲気だから。
ふと、遠子は視線を走らせた。
周囲に、とても嫌な気配を感じる。視線を走らせても、特に何も視えない。ここは、心霊スポットでもないものの、、不浄霊や不成仏霊とは違うモノ。よくないモノなのは、確かだ。
息を殺して、その気配の正体を考える。
遠子は、自然と急ぎ足になる。その気配は、自分を取り巻いているかのよう。この気配には、覚えがあった。それは、
「―ヤバい。これ、あのショップに漂っていたモノと同じ」
そう呟いて、遠子は息を飲んだ。
その時だった。
ざわ……風もないのに、公園の木々だけが、唸るように揺れる。あれほど鳴いていた虫の声が、消える。
辺りは重くずっしりとした空気に包まれた。
遠子は、その様子に足を止めた。止めたというより、止まったと、言ったほうがいいだろう。
『使い魔が、いるかもしれないねぇ』
素材屋デューマの言葉が、頭を過った。
汗ばむほどの熱帯夜なのに、異様な寒気を感じる。なんともいえない、嫌な汗が背中をつたう。
書物とかで覚えた、退魔法は本当に効果があるのだろうか?
遠子は、貰った聖血晶石を握りしめる。
嫌な気配とともに、血の臭いと邪気の塊が、迫って来るのが解った。朧気な霊というより。まるで実態を持つ獣のような。
「どうしよう」
驚き怯えながら、遠子は気配を追った。視界の端を、黒い影が動く。
その影だけが、闇が深く空気が淀んでいた。それは、禍々しく蠢いた。ヒトのようにも、偉業の獣のようにも視える。
「こいつが? 変死事件の?」
エリカも、他の人も。この影に殺され喰われたの? その背後に、無命正寿がいる?
そう考えながら、その影を見つめる。
影は、ゆっくりと遠子を見つめ
「ニエ ヨクボウモツ モノ ニエ」
影は、空気が歪むような声で、呟いた。
その影は、確実に遠子を捉えて、剥き出しの殺意を向けていた。
それに対し、遠子はたじろいたが、思い切って、九字を切る。
呪いや悪霊に対して使われる、もっとも基本的な退魔法。
風が吹き抜けたような感じがした。
瞬間、闇の影が怯んだ感じがする。
―効いたのか?
そう思って、息を吐いた時だった。
ぬるっとした風かなにかが、こちらに吹付け、左腕にヒヤッとした。
左腕に違和感を感じた遠子は、左腕を見たら、上腕の辺りから、血が滴り落ちていた。
「え。なに、カマイタチ?」
傷を認識したら、痛みと恐怖が込上げてきた。
―どうしよう。
「ヨクボウ ニエ イノチ エサ あるじへのニエ」
闇の影は、何度も同じ言葉を繰り返していた。
遠子は、聖血晶石を握り締める。
『ある程度のモノからは、守ってくれる』
でも、腕の傷を見ると、その程度では無いと感じる。
―こいつに、エリカさんも他の人達も、殺された。
私には、まだ、やりたいことも、求めるべきコトもあるんだ。
だから、ここで、こいつに殺されるワケには、いかないんだ。
聖血晶石を握る手に力を込める。
遠子は、闇の影を睨みつける。
「あるじににえを、あるじのために、にえ。あるじ、ひがん……」
唸るような声。声といっていいのかは解らない。
禍々しいモノは、遠子を見つめる。それは、このモノの瞳なのだろうか?
遠子は、なんだか怒りが湧き上がっていた。
「不老不死だかなんだか、知らないけれど、自分の欲望の為に、他人の生命を奪っていいわけない。
こんな物の為に、こんな物を求めたばっかりに」
ブレスレットを外し、遠子は、力一杯に闇の影に投げつけた。
「ぎいい」
低い呻き声が響いた。闇の影が、苦痛に呻いているかのように視えた。
なにが起こったのか、解らなかったが、重く張り詰めた空気と不気味な静けさが消えた。
それと同時に、虫の声とともに音が戻ってきた。
公園の常夜灯に光が灯るとともに、闇の影は消えた。
「なに。なんなの? ―結界だったの?」
いつもの公園。あちらこちらで、虫が鳴いている。
―幻、だった?
そう思いたかったが、左腕に激痛を感じた。
明かりの下で、左腕を見ると、かなりの血が出ているのが判った。
ふと辺りを見回すと、投げつけた招願叶の玉がバラバラに散らばっていた。
やっぱり、現実。
遠子は、傷口をタオルで押さえながら、考えていた。
ポケットに入れていた、聖血晶石は流れる自分の血で、さらに紅くなっていた。
この石のお陰なのか、また別のコトなのか。
ベンチに座り、考える。
タオルで止血したものの、ドロドロとした血が滲み出てくる。タオルは、真っ赤に染まってしまった。
―病院に行かないといけない。でも、なんて説明しようか。
通り魔? 使い魔?
大きな溜息を吐く。
遠子は、ふと思い出した。
春菜の兄、翔矢が医師であることを。
この傷のことも、翔兄ちゃんなら、信じて理解してくれるだろう。
そう思って、携帯電話にかけてみた。
翔矢は、すぐに出てくれて、これから迎えにきてくれる。
『兄さんは、遠子のこと、気になっているみたいだよ』
春菜が、クスクス笑いながら言っていたのを思い出す。
そのようなこと、よくわからない。ただの幼馴染。
遠子は、ベンチに座って考えていた。親の離婚と再婚は、トラウマなのだろう。
だから、そのような話は嫌いなのだと。
いつの間にか、鮮血で染まったタオルは、どす黒くなっていた。
しばらくして、薄暗い公園内に、駆けてくる足音が響く。その方向を見ると、慌てた翔矢がいる。
そして、遠子の左腕に巻かれた、ドス黒いタオルを見て、翔矢は驚いた。
「だ、大丈夫、遠子ちゃん? めっちゃ血がでてる。とにかく、病院に」
言って、遠子を車に乗せた。
「どうせ、無茶なコトをしたんだろう? その色からして、かなりヤバかったんじゃあないの?」
凄く心配そうな顔をする。昔から、面倒見はよかったような。
そんな翔矢を見て、遠子はホッとする。
気持ちが落ち着くにつれて、傷の痛みが増してくる。
「―病院、なんて説明しよう」
遠子は、痛みに顔を歪める。
「そんなこと、気にしなくていいよ。知り合いの病院だから。そこは、理由は聞かないから。かれ……彼女は、変わり者だから、気にしないさ」
と、翔矢。言葉の意味を考えて不思議に思ったが、聞き返す気力はなかった。
翔矢の知人の病院に着いた時には、身体がダルくてしかたがなかった。歩くのも力が入らず、翔矢に支えられるようにして、病院へろ入る。病院というより、小さな診療所だった。
真夜中にもかかわらず、灯りがついている。
その灯りが、とても眩しくかんじた。あの公園が、暗かったせいもあって、目が慣れるまで時間がかかった。
「あら、大変。電話より、酷いじゃん。早く、こっちへ」
妙に高い声がする。その声の方へ目をやると、大柄な女医が、目を丸くして立っていた。
よくよく見ると、女性ではないようだ。
車の中で、翔矢が言っていた意味を、理解する。
明るいところで、傷口を見ると、自分でも驚くほど傷は大きかった。ザックリ、パックリとした傷口。未だに、ドロっとした血が垂れていた。
「まぁ。凄い傷ねぇ。カマイタチにあうと、こんな感じの傷になるんだ」
と、その女医は目を丸くして言った。
遠子は、妙にハイテンションな女医を見つめた。
「大丈夫よ。傷は大きくて深いけれど、血管も神経も傷ついてないよ。指も肘も動くでしょう? これだけの傷なのに、運が良かったね」
と言いながら、手際よく処置をする。
麻酔のせいなのか、出血のせいなのか、倦怠感が凄かった。
「ま、出血が多かったから、遅ければ、ちょっとヤバかったね。でも、半月ほどで治るわよ。傷跡が残るかもしれないけれど。不便だけ、お風呂には浸けないでね。―えっと、後は桐に診てもらうといいね」
妙な女医は言って、翔矢の肩を叩いて、ニッコリと笑った。
妙な女医は、素材屋デューマよりも、化粧が派手だった。
遠子は、その界隈の人間を始めて接して、ちょっと驚いてしまった。
「ありがとう、ございます」
掠れる声で、お礼を言う。
「どーも」
ニコニコ笑う。
「手間をかけたな、亜田」
と、翔矢。
「べつにいいよ。有名人に会えたんだし」
亜田は、遠子を見ていった。遠子は、不思議そうにする。
「オカルト界隈では、有名なのよ貴女。アナキティドゥスのサディアと桐との三人は。まあ、サディアがアナキティドゥスの店主だとは、オフレコだけど」
亜田は
「―顔色悪いわね。ちゃんと、桐に送ってもらいなさい。薬出しておくから、しっかり肉を食べて、薬飲んでね。―はい、あとは桐、あんたが」
と、言った。
「ああ。そのつもりだ」
翔矢は、照れくさそうに頷いた。
「さて、と。次が来たから、後はよろしく。―それと、医学的には問題なけれど、念の為に、サディアに視てもらいなさい」
亜田は、二人を処置室から見送りながら、忙しそうに言った。
外の待合室には、いつのまにか、色々な人が待っていた。
「じゃ、きをつけて」
と、言って、亜田は戻っていった。
アナキティドゥスへ向かう、車の中。
「いくらなんでも、好奇心とかで、謎解きだって。無謀だよ。招願叶の無命正寿は、かなりの使い手だという情報もあるのだから―」
翔矢は、世話焼き口調で言う。
「……はい。ごめんなさい、迷惑かけて。でも、私、知りたかった。招願叶との関係を」
遠子は、包帯でグルグル巻の左腕を、擦る。
痛みは、薬で落ち着いているが、違和感がある。
「死んでしまったら、意味がないよ」
翔矢に言われ、遠子は申し訳なさそうに、苦笑いするしかなかった。
アナキティドゥスの近く、商店街の駐車場で車から降りると、不意に声をかけられた。
「美馬さん、では、ありませんか」
振り返ると、輪教授が立っていた。
「どうしたのです? その腕と服」
驚いた顔をしたのは、輪の方だった。遠子は、なんて答えればいいのか解らず、下を向く。
「ちょっと、失敗して」
遠子は、たどたどしく答えた。
輪は、何か言いそうに見つめる。
「ところで、そちらの殿方は?」
輪は、翔矢を見た。
「桐翔矢です。彼女とは、幼馴染。ところで、貴方がオカルト関係で有名な、輪教授?」
翔矢は、言って一礼する。
「はい。ああ、君があの、玄白の―」
「玄白先生は、恩師です。なんどか輪教授の話を聞いたことがあります」
翔矢は言った。
「彼も、変わり者でしたから。―ところで、こんな時間になんですか? アナキティドゥスへ行くのなら、ご一緒しましょう」
真夜中に差し掛かった、商店街には人気がなく、裏路地は静まり返っていた。三人の歩く足音だけが響いていた。かすかに、秋を感じる風が時折吹く。
アナキティドゥスの扉からは、かすかに光がもれている。
輪が扉を開く。以前より、鈴音が大きく聞こえた気がする。
「いらっしゃいませ、輪殿。―遠子、翔?」
輪に続いて、入ってきた二人に、サディアは視線を向けて驚く。
「遠子、どうしたのです? まさか、好奇心にまかせて、本気で試したのですか」
血塗れの服と包帯の巻かれた左腕を見つめ、呆れたような口調で言った。
遠子は、無理やり笑みを作り、申し訳なさげに頭を下げた。
サディアは、三人を見つめ、大きく肩で息をした。
「何事も、試してみたり挑戦してみるのは、いいことですが。自重も大切ですよ」
輪が言った。
遠子は、答える気力はなく頷く。身体はダルく、熱っぽかった。
「大丈夫ですか? フラフラですよ」
サディアは、遠子を座らせると、翔矢を見た。
「亜田が、サディアの意見を聞けと。医学的には、傷自体は問題ないんけれど。なにか邪悪なモノに負わされた傷だから、そちらの方が気がかりなんだ」
翔矢は、傷の事をサディアに説明する。
「おや、やはりそうでしたか。申込し、慎重かと思いましたが」
やり取りを見ていた、輪は言った。
「デューマも、けしかけるような事を言うから。―まあ。デューマを紹介したのは、私ですが」
溜息混じりに呟き、サディアは、包帯の上から、そっと触る。
「大丈夫、邪気や穢れは憑いていませんよ。聖血晶石は、持っていたのでしょう?」
問われ、遠子は頷く。
「デューマも、さっさと自分が動けば、コトは大きくならなかったものなのに、ね。美馬さんも、好奇心だけで行動するのも、時に危険ですよ」
と、輪は言う。
「すみません。―教授も、あの店主とは、知り合いなのですか?」
「ええ。彼女もまた、古くからの知人ですよ」
輪は、ニッコリ笑って答える。
「あの聞いていいから?」
「はい、なんでしょう?」
「あの使い魔? に、招願叶を思いっ切り投げつけたのだけど、そうしたら、一瞬、怯んで呻いて消えていったの。招願叶に、そのような力があるのかな?」
そう問う。痛み止めが切れてきたのか、痛みが徐々に出てくる。でも、聞いておきたかった。
「アレは、もともと力や念を込める素材で出来ているはずですから。投げつけたことにより、破邪の力に変わったのかもしれません。遠子には、そのような素質があるようですから、一度、学んでみてはどうです?」
サディアは答えて、傷に効き、心を落ち着かせるというハーブティーを、淹れた。
そのお茶を啜る。少しだけ、気分が落ち着いた気がした。
「現代医学を否定するわけではありませんが、どうぞ。邪気を払い、気力を回復させるのに使われた薬草です」
サディアは、不思議な香りのするハーブティーの袋を、遠子に渡した。
「ありがとう」
遠子は、お礼を言い受け取る。もっと、サディア達と話したかったが、身体が凄く重く感じ、早く横になりたかった。
「今日はこのくらいで。美馬さん、かなりしんどそうだから。桐君、早く送ってあげなさい。もう、三時が過ぎていますし」
腕時計を見て、輪は言う。
「そうですね。もう、そんな時間。―大丈夫、遠子ちゃん?」
翔矢は、遠子の顔を見る。照明の影響なのか、怪我のせいなのか、遠子の顔は青白く見えた。
「顔色がよくありませんよ。何かあれば、メールや電話ください。―翔、気を付けて」
駐車場まで見送りに来た、サディアは言った、
上弦の月は、すでに西にあり、かすかな夜明けの気配がしていた。
「ああ、また。今度は、ゆっくり来るよ」
言って、翔矢は車を出した。
翔矢に送ってもらい、遠子が自宅に戻ったころには、空は白んでいた。
血塗れの服を処分し、包帯の上からゴミ袋を被せて、シャワーを浴びる。
流れていく水の色は、血の色だ。
パジャマに着替えて横になると、全身の力が抜けていき、そのまま眠りにとはいかない。
疲れすぎて眠れないといった感じ。
それに、今になって恐怖心が出てきて、遠子は震えた。
サディアに貰った袋を手繰り寄せ、中を見る。
ハーブティーとお香、メモが入っていた。
『このお茶と、お香には、破邪とリラックス効果があります』
遠子は、よろよろと立ち上がり、お香を焚き、ハーブティーを淹れた。
すると、アナキティドゥスの店内と同じ香りが、部屋を漂う。
「なんだか、皆に迷惑かけたな」
再び、横になる。香りのおかげか、気分は落ち着いてきた。
「不老不死、かぁ」
呟いてみたが、ソレ以上は考える気力は、なかった。
数日もすると、傷の痛みも治まり、少し痒みが出てくる。
まもなく、夏が終わる。9月の半ばまでは、休みだけれど。
遠子は、カレンダーを見て、溜息を吐いた。
この先のことを、なにも考えていない。考えなかった。
ほとんどの学生は、進路が決まっている。
学部やゼミと関係のない、会社へと就職していく。
自分は、一般的な社会には馴染めない。
自分が希望する道は、あまり現実的ではない。
心の奥に秘めたものは、とても人には話せない。
ごく当たり前に生きることが、難しい。
遠子は、自問自答し、大きな溜息を何度も吐いた。
翔矢の病院に、傷の処置に行くだけの日々が続いた。
毎日、サディアから届くメールが嬉しかった。
翔矢が勤務する病院は、三駅先だった。
総合病院の待合ロビー、昼のワイドショーが、秋物先取りとか流していた。
興味ないので、遠子は本を読んでいた。
すると、画面の向こうが急に騒がしくなった。テレビを見ていた人は、見合わせる。
そして、報道センターに切り替わった。
アナウンサーが、焦りをあらわにして、原稿を読み始めた。
『番組の途中ですが、今入ったニュースです。岡田大臣が、個人的に参拝している宗教施設で、そこの職員、数人に斬りかかりました。大臣は、錯乱していて―』
テレビ画面のテロップには
【岡田大臣が、殺人未遂の現行犯で逮捕】
と、表示されていた。
「はあ?」
遠子だけでなく、その場でテレビを見ていた人皆が、そう思った。待合ロビー全体が、ざわざわする。
西岡大臣は、公金を私的利用しただの、セクハラだの、売国行動などで、世間を騒がせている。
「―なんで、よりによって、神前で、そのようなコトを」
遠子は、本を閉じて、テレビを見つめる。
あたりからは、驚きや、冷笑している人がいた。
病院から戻るなり、遠子はテレビをつけた。
どこのチャンネルも、岡田大臣の事件を扱っていた。テレビに映る、岡田大臣の姿は、お世辞にも良いとはいえない。だらしなく太った体は、スーツと合っつていなく、スーツも着崩れてシワシワ。
顔もまた、脂ぎって不衛生。人相で例えれる、金欲まみれの悪人面。
政策も何も無い人間なのに、大臣。
マスコミは、ここぞとばかりに、叩いている。
テレビには、色々な角度から、岡田大臣を写していた。
それを見ていた、遠子は息を呑み、固まった。
「招願叶、この人も、か?」
嫌な汗が滲み、腕の傷が痛みだした。
自分自身、そうでもないと思っているけれど、実はトラウマなのかもしれない。
それを、振り払うように、遠子は大きく深呼吸した。
テレビでは、岡田大臣のこれまでのことと、事件の事を繰り返し放送している。
PCを立ち上げて、大手の掲示板サイトでは、すでに、岡田大臣の事件スレッドが出来ていた。いろいろとあるサイト。岡田大臣の情報を探す。不祥事に関するものはあっても、この殺人事件と招願叶を結びつける情報は、無かった。
夜のニュースでは、情報が整理されたのか、事件の状況が解ってきた。
参拝していた施設で、急に錯乱したかのように、神職に飛びかかり、御守刀で斬りかかった。付き人や神職達が止めようとしたが、斬りつけると、他の参拝者にも斬りかかった。
なんとかSPが、押さえつけたが、それでも暴れていたという。
「ああ。そうだ」
遠子は、思いたってキーボードで
【岡田大臣 招願叶 無命正寿】と入力し検索をかけた。
すると、とある掲示板に辿り着いた。
そこに書き込まれている文書は―
【今、話題の願いが叶うという招願叶の、参神同念会・会長の無命正寿は、宗教法人を目指しているらしい。かつて、招願叶で願いが叶った人は、信者になった。このところ、一気に売上が上がったのも、願望成就の術らしい。その金で、政治家を取り込もうとしている。理解不能。】
【無命正寿と岡田大臣は、同郷らしい。二人は、つるんでいた。無命は、岡田を取り込んで宗教法人になろうとしている。】
それが、唯一、無命と岡田の接点。
遠子は、無命に関する真偽不明の書き込みを読んでいく。
そのなかで、ゾッとする書き込みを見つけた。
【無命正寿は、不老不死の呪法を行っているのは、本当。現に、あの使い魔は、主のために、生贄を探している。その呪法では、百の命を捧げれば成就するとあるらしい。このところ、続いている変死事件と関係しているのか?】
無命正寿が不老不死の呪法を、行っている。これは、本当だ。
現に、あの使い魔は贄を求めていた。
では、岡田大臣は? どうして、神職や参拝者を襲ったんだ?
招願叶は願掛け。しかも、二人は同郷繋がり。ただの、同郷なのか?
遠子は、考え込んだ。腕の傷が痛む。
自重しろと言われている。襲われた恐怖もあるが
だけど、どうしても、その考えが頭に浮かんで離れない。
「真実を求めるのに、かまってられない」
遠子は、呟き頷いた。
3
ニュースもワイドショーも、岡田大臣の錯乱事件ばかり報道している。
海外メディアまでもが、事件を伝えていた。政界はおろか国中が、現役大臣の起こした、殺傷事件に揺れていた。
遠子は、参神同念会の門の前に立ち、じっと見つめる。
いつもなら開いている門。入ってすぐのところにある、招願叶の店に出入りしている客や、会員なのか信者がいるはずなのに。今日は、門は閉ざされ人の気配は無い。
「変だな。年中無休だといってたのに……。それに、悪い気が更に悪くなって、淀んでいる」
辺りの様子を伺いながら、遠子は考えた。
インターホンを何度か押したが、応答は無い。
―無理か。
と、諦めて帰ろうとした時、門が開いた。
「何か、御用ですか?」
血色の悪い小柄な男が出てきた。
遠子は、息を整えて
「あの、突然で申し訳ありませんが、私、大学で民俗学を専攻していまして。占いとかを研究していて、こちらの招願叶について、お話を聞かせていただきたく。会長さん、会えますか?」
と、言った。こういうの、苦手だ。
男は、ちらっと、遠子を見て、
「―どうぞ」
と、招き入れた。
「主様は、奥院にいらっしゃいます。私は、そこまでは行けませんので……」
売店を横目に、本館を通り抜けた先にある、廊下まで来て、男は言った。
遠子は、案内されたように、その廊下を進み、厳重に注連縄の張り巡らせた扉の前まで来た。
嫌な臭いは、強烈になっていた。
遠子は、もう一度、呼吸を整えると、扉を叩いて押した。
扉は鈍い音を立てて開いた。
開くと同時に、異様な臭いと空気が吹き出してきた。
「入りたまえ」
部屋の中は暗く、赤い蝋燭の炎が揺らめいていた。
「失礼、します」
胸がドキドキする。傷はズキズキしていた。
「あのー、お話を聞かせていただきたく―」
平静を装いながら、遠子は言う。息苦しい。
「なんの話をだね? むしろ、こちらも聞かせてもらいたいわ―使い魔を撃ち返して、小娘よ」
揺らめく祭壇の炎、その奥から、低い声が響いた。
―バレてるな。罠なのか。
遠子は動揺してしまいそうになる。平静を装うのが精一杯だ。
ポケットの中にある、聖血晶石を握り締める。
そして、自分を奮い立たせた。
揺らめく炎しか灯りはないせいか、無命の姿は視えない。
はっきりとは見えないが、確かに無命本人。姿は見えないけど、視線は向き合っている。
「招願叶と、一連の変死事件。どうして、そんなことしたのですか?」
負けん気を奮い立たせ
「どうして、他の命を奪ってまで、不老不死を求めるの?」
強気に踏ん張っても、嫌な汗は背中をつたう。
「我は神に近い―等しい者。いずれは、神となるものだ。人間の欲望は、根源的な力。そして、血肉は生命。招願叶は、その力を引き出し集めるもの。それによって、手にした者の力を強めたり、引き寄せたりし、願望を叶える。そして、金と贄を。使い魔が、儂のもとへ。アレは、道具だ、釣り餌だ」
くくくと、忍笑いを含み、無命は答えた。
「……人間が神になれるわけない、不老不死も幻想。なれるわけない」
遠子は、悔しく悲しかった。そして、無命を赦せなかった。
「そうかな、伝説でも幻想でもなく、呪法は存在し伝わっている。誰よりも、強い願望を抱きながら、ソレを否定するような、お前には解るまい」
吐き捨てるように、無命は言う。
祭壇の炎が大きく揺らめいた。
パチパチ、篝火の音。祭壇の炎は、大きく揺らめく。
だけど、部屋の中は闇に沈んでいる。
異質な臭いと空気は、祭壇の奥から漂っている感じがする。
無命は、その篝火に何かを投げ込む。その度に、炎は大きく揺らめく。
呪符なのか、別の物なのか、臭いが強くなっていく。
無命の言葉を考えると、このような人にも、自分の願望を見抜かれてしまうのかと、なおさら、悔しく悲しいモノがある。
「―解るわけない、きっと。不老不死も神も、人間にとっては、久遠永遠の幻想に過ぎないもの」
言い返すと、涙が滲んだ。
「ふふ、何度でも言うがいい。あの時、何故か使い魔を返されたが、今度はそうもいかんぞ。まさか、ここへ来るとは、な。ちょうどいい。そのまま、贄として喰ってやろう」
部屋の中に、無命と、無命とは別のモノの、忍笑いが呼応するように、こだまする。
凄まじい邪気が、忍笑い呼応するかのように、わきあがる。
あの時と同じ、闇の影が、部屋の闇の中から現る。
嫌な汗は、服を湿らせる、胸の鼓動は激しく打ち付け、左腕の痛みは増してきた。
「たいした術を持つこともなく、ここへ来るとは。神となる、この儂に喧嘩を売るとは」
相変わらず、忍笑いだけが響いている。
祭壇の炎が、高々と燃え上がる。炎の向こうにいたはずの、無命の姿はそこにはなく、とても言葉にしにくいカタチのモノがいた。
その、たとえがたいカタチのモノは、忍笑いを続いけている。
「―オマエのような、贄は、もっとも我の、糧だ」
その姿に、遠子は思わず息を呑み、数歩、後ずさった。足もとに、違和感を感じる。
なにか、やわらかい、目を凝らし足元を見たあ。同じ色の塊は、同じ色の水たまりに沈んでいる。
ソレがなにかであるのかを、頭で理解するまでに時間がかかった。
「みな、わし、が、喰って、やった。ぐふふ」
なんとも、たとえがたいカタチの無命は言った。
「さいこうのにえ」
と、ニヤリと笑う。
遠子は、再び死を感じた。そこへ、背後から、使い魔が来る。
部屋に散らばっているものは――考えたくなった。
―ヤバい。もう駄目、か。だけど、誰がなんと言ったとしても、私は追い求めていたい。だけど、ソレは……。ああ、ここで喰われうのか。コイツラに―
もう駄目かと、思った時
異様な臭いの中、きき覚えのある強い匂いがした。
その香りは、異質な臭いを打ち消すほど、強い香りだった。
「――ったく、おバカなコだねぇ」
溜息混じりの甲高い発的な声が、背後の方でする。
「で、デューマさん?!」
驚いて、振り返ると、そこのには、素材屋の女店主が、思いっ切り不機嫌な顔をして立っていた。
いつの間に、来たのだろう。
それが、遠子の感想だった。
「まったく。アンタみたいな、向こう見ずは見たことないわよ。その性格、どうにかならないの?―まったく、わかってるの? 相手は、人間であることを辞めて、イッちゃってるバケモノなのよ」
と、吐き捨てて、デューマは、既にヒトではなくなってしまった無命を見た。
「おまえ、は」
唸るように言う。
「落とし前をつけないと、いけないと思ってたけど、その必要は、もう、しなくていいみたいねぇ」
デューマは、クスッと笑う。
「なんだと」
無命が、唸ってかかる。
「神にも、不死にもなれないって、ことよ。あんたの呪法は。無意味だったみたいね。大失敗って、こと。まあ、血肉を喰い漁って、不老不死になれるワケないさ」
「なーんだ」
なにかを言い、デューマに迫ろうとしていた、無命の動きが止まる。
遠子も、無命を見つめる。
ぼと・べチュ・
重い湿り気を含んだモノが落ちる、音がする。
遠子は、思わず目を逸らして、口を覆った。
「もう、オマエは腐り崩れていく、醜塊な肉。命を弄んだ、代償さ」
デューマは、淡々と言った。
無命は。崩れ落ちていく。自分でも信じられないと、いう感じで。
「人間は、力や富を求め、自滅する種みたいだね」
デューマは、ポツリと、呟いた。
呻き声だったのか、肉が崩れる音だったのか、無命正寿は完全に崩れ落ちてしまった。
「ふー。馬鹿みたい。これで、一応、片付いたのか……。はあ、臭くなってしまったよ」
わざとらしい、溜息を吐く。
「なんで、ここへ?」
おずおずと、遠子は問う。
「言っただろう、落とし前をつけに来たと。それより、さ。あんた、早く帰りなよ。もう、大丈夫だし。他の誰かが来る前に、さ」
デューマは、呆れたように言った。
「でも……」
「私は、後始末しないといけない。邪魔だから、さ、出た出た」
デューマは、戸惑う遠子を、部屋から追い出し
「いいね? サディアに貰った、香とかでしっかり禊するんだよ」
と言って、扉を閉めた。
誰もいなかった。人の気配は、まったくしなかった。
明るい場所で、足元を見ると、黒いズボンに黒いシミが付いている。
黒いズボンと黒い靴で良かった、と思う。臭いは纏わりついている感じがして、早く帰りたかった。
電車には乗らず歩いて帰る。歩けない距離ではなかったので、少しでも臭いを落としたかった。
一方、残った、デューマは、大きな溜息を吐いていた。
「やれやれ。私達の痕跡は消したけど。コレは、どうしようもないね。―まあ、いいか。それにしても、あの使い魔、主が死んだのに、消滅するどころか、笑って消えた感じがしたけど。関係ないか……。私の仕事ではないよ。あの子も、大丈夫だし。あーあ、ヤダヤダ。臭くてたまらないよ」
吐き捨てると、デューマは部屋を後にした。
遠子は、人目を気にしつつ、部屋へと戻る。靴もズボン、着ていた服も処分した。
それでも、臭いが気になりシャワーを浴びる。左腕の傷が気になったけれど、とにかく洗い落としたかった。臭いは落ちたようだけど、思い出すだけで吐きそうになる。
サディアから貰った、香をいつもより多めに焚く。あまり多く焚くと、火災報知器が反応するので窓を開いていた。部屋中に、香の香りが充満し、そこで、ようやく一息つけた。
あの時、デューマが現れなければ、どうなっていたのだろうと、ゾッとする。
不老不死の代償で、ヒトはあのようになってしまうのだろうか。
現実に目の前で、起こったことなのに、現実ではないと思うのは、自分が無知だからなのか?
遠子は、天井を見上げて考えていた。
痛み止めを飲んだけれど、痛みは止まらなかった。
傷自体の痛みなのか、警鐘なのかは、解らない。
素材屋デューマでは、いつもより強い香を焚きしめていた。
「まったく。まだ、臭っている」
不機嫌をあらわにし、デューマは、さらに香を焚く。
「別に、臭ってませんよ。むしろ、お香の方がキツイですよ」
衣の袖で口元を覆って、サディアは言った。
「私は、気になるのよ。―それより、アイツの使い魔。ただの使い魔とは違うみたいだったよ。本当は、使い魔の方が黒幕で、無命正寿は操られていた、そんな感じがしたよ」
デューマは、化粧を直しつつ言う。
「それで、どうしました。そのモノの正体は?」
「とりあえず、私の式神に追わせている。で、どうする? 正体を見切って、始末するのかい?」
デューマの問に、サディアは
「今は、放っておきましょう。私達は、セイギノミカタではありません。そのモノの正体しだいですね。招願叶の件は、私達の素材が絡んだ呪法が使われ、その為に人間の生命が喰われてしまったから。それだから、干渉した……それだけ」
サディアは、素材の一つを手に取り言った。
「ふーん。ところで、サディア、あんた、あの娘をどうするつもりだい?」
「美馬遠子のコトですか? さあ、どうでしょうね」
デューマに背を向けて、サディアは興味なさそうに答えた。
「私は、てっきり」
デューマは、クスッと笑う。
「……まだ、決めていません。そのことは、もう少し彼女を見つめてからでも、遅くはありませんよ」
「あのねぇ、サディア。そんなこと言っていると、他の男とくっついたり、あっという間に死んでしまうわよ」
デューマは、説教じみた口調で言った。
サディアは、小さく息を吐き
「それは、それでいいのです。それよりも、使い魔のコトをよろしくお願いします。なにか、判れば教えてください」
と、顔を合わせることなく言い、サディアは素材屋を出た。
「……馬鹿だね。迷っている時間なんて無いのに。人間は限られた時間しか、生きれないんだよ。―サディア」
一人店に残った、デューマは溜息混じりに呟いた。
「……うん。我ながら、上手いわね。これなら、傷痕も殆ど残らないでしょうね」
亜田は、満足そうに言って、抜糸を終える。
「ありがとう、ございます」
「いいえ。私、これでも形成外科を専門にしてるのよ」
亜田は、クスッと笑って
「私は、オカマだけれどね。だからさ、女と男の心が入れ違っている人達の、力になってあげたいの」
と、言った。
「へー。では、性転換手術とかもするのですか?」
「うん。でも、それはカタチだけにすぎないけれど、心がソレで救われるのなら……。とこで、桐とはどこまでの関係なの?」
問われ、遠子は戸惑いながら
「小さい頃、、遊んでいた幼馴染のお兄さん。それだけです」
あたふたと、答えた。
「ふ~ん。そうなんだ」
つまらなそうに答えて、看護師にカルテを渡し、次のカルテを受け取った。
「じゃあ、これで終わり。なにかあったら、桐に頼みなさい」
ニコニコ笑い、亜田は遠子を見送った。
亜田の診療所を出て、遠子は大きく息を吐いた。
亜田に問われたことが、照れくさかった。
「そういうコトって、よくわからないよ」
呟き、空を見上げた。
高くなった空には、いくつもの羊雲が流れている。
「……わからない」
それなのに、胸の奥が痛かった。
ネットでは、岡田大臣の錯乱殺人事件の背景が、話題になっていた。
ワイドショーも、こぞって取り上げていたけれど、参神同念会の神殿内から、大量の白骨が発見されたことが表に出ると、そちらへとシフトしていく。それが、一連の変死事件の被害者だと判るまでに、そう時間はかからなかった。
信者を騙して殺害したとして、無命正寿に捜査が向いたが、無命もまた死体で発見された。
その話題もやがて、芸能人のスキャンダルが発覚すると、そちらへと移っていく。
盛り上がるのは、オカルト界隈だけだった……。
「自分の夢は、その様なアイテムで叶えるのではありません。そのような物で幸せになれるのであれば、地球は今頃、平和で幸せ一杯でしょう。だけど、ソレを手にして幸せになれた人は、どれくらいいるのでしょうかね? 狂った呪術と宗教家によって、何人も殺害されてしまったのです。それが、願いが叶った行く末だとしたら、それは本当の幸せなのでしょうか?
輪教授は、質問に来る者に、そう応えていた。
「道は見つかりましたか?」
輪が問う。
遠子は、溜息を吐いて首を振る。
「……それはいけませんね。―そうですね。きっと、ここならば、美馬さんにも向いていると、思いますよ」
と、求人表を渡す。
「どうです? ここの編集長は、古い知り合いでしてね。学生を一人、紹介してほしいと」
輪は、ニコニコ笑って言う。
「ここって」
「はい。界隈で有名な、出版社ですよ」
遠子は、求人票を見つめて
「お願いします」
と、言った。
「よかったです。これで、私のゼミは全員、決まりました」
輪は、満足そうに頷いた。




