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鬼族の村の祝福

目が覚めると、村全体の空気がいつもと違うことに気づいた。朝露が光を反射し、鳥たちのさえずりはいつも以上に軽やかだ。遠くから子どもたちの笑い声が響き、柔らかい陽光が窓辺を染めている。村がまるで命を祝うかのような賑わいを帯びていた。


俺は小さな体を揺りかごから起こし、窓の外をじっと見つめた。


「もう1年経ったのか……。」


声にならない思いが胸に湧き上がる。科学者としての人生を送っていたあの日々から、今や新しい体で「ヒカル」という名前を与えられ、この鬼族の村で家族として暮らしている。温もりを感じたことのない孤独な研究者だった俺が、こんな日々を迎えられるとは、想像さえできなかった。


この1年でエルダとガルドに囲まれた生活は、静かで穏やか、そして驚くほど温かかった。魔法や人の情けが息づくこの世界での生活に、少しずつ慣れつつある。だが、科学者としての理性を残したまま過ごす俺には、まだこの世界の多くが理解不能のままだった。


家の中では、エルダがいつになく忙しそうに立ち回っていた。台所からは、包丁がまな板を叩く音や、鍋の中で何かが煮える匂いが漂ってくる。時折、エルダの楽しげな鼻歌が聞こえるのが不思議だった。


「今日はヒカルの大切な日だもの。特別な準備をしなきゃね。」


そんな声が台所から届く。エルダの表情は、普段よりもさらに柔らかく、そして嬉しそうだった。彼女が心から祝おうとしてくれているのが伝わってくる。その姿に、思わず胸が温かくなった。


家の外からは、ガルドの豪快な笑い声が響いてくる。窓から覗き込むと、大きな樽を抱えた彼が、村人たちと酒宴の準備をしているのが見えた。鬼族特有の赤い肌と角が朝陽を浴びて輝いている。彼らは声を合わせて笑い、重そうな木材を運びながら広場の飾り付けを進めていた。


「これが……村全体が祝う特別な日というやつか。」


こんな光景を見るのは初めてだった。俺は驚きと照れくささを感じつつも、どこか嬉しい気持ちでそれを眺めていた。


鬼族の村では、誕生日が村全体で盛大に祝われるのが習わしだ。それは年齢や立場を問わず、どんな人でも家族の一員として扱われることを意味している。俺がその一員として祝われるのは、これが初めてだった。


「ヒカル、準備はいい?今日は村中があなたを待っているのよ。」


エルダが優しく声をかけてきた。彼女の微笑みを見ていると、この1年間、彼女たちがどれほど俺を受け入れてくれたのかが伝わってくる。


前世では、俺の誕生日を祝ってくれる人はいなかった。家族との関係も疎遠で、仕事に打ち込む孤独な日々だった。それが今――村のすべてが俺のために動いている。その事実に、嬉しさと恥ずかしさが入り混じり、頬がほんのり熱くなるのを感じた。


窓の外を見ると、広場ではすでに準備が進められていた。長いテーブルが並べられ、その上には豪華な料理が所狭しと並べられている。焼きたてのパン、香ばしい肉料理、色とりどりの果物――どれも村人たちが手作りしたものだ。


子どもたちは広場を駆け回り、大人たちは酒を片手に飾り付けの仕上げをしている。誰もが笑顔を浮かべ、楽しげな鬼族特有の民謡を歌っている。この村がどれほど団結しているのか、その光景だけで感じ取れる。


「俺もこの村の一員なのだろうか?」


ふと心の中でそんな問いが浮かんだ。この1年でどれほど彼らの一部になれたのだろうか。この祝福が、その答えになるのかもしれない。


「これが……俺の新しい人生の始まりか。」


これまでの孤独な人生とは正反対の光景。だが、ここでの生活が「新しい人生」として根付き始めたことを確信した瞬間だった。


今日は俺の1歳の誕生日。だがそれ以上に、この村での生活が「俺の一部」として認められる日――新しい人生の扉が完全に開かれる瞬間だと感じた。


俺はまだ小さな手を握りしめながら、この特別な日を胸の中で静かに迎え入れる準備をしていた。


「ありがとう、ガルド、エルダ……そしてこの村全体に。」


科学者だった俺が、今ここで、新たな希望を見つけた日――それが今日の物語の始まりだ。


そんな希望を与えてくれたこの村には、驚くべき習慣がある。それは、すべての村人の誕生日を盛大に祝うというものだ。子どもから大人まで、そしてどんなに些細な年齢でも、鬼族にとって誕生日はその存在を称える特別な日とされている。その結果、村ではほぼ毎日が何かしらの誕生日祝いであり、まるで祭りが日常に溶け込んでいるような光景が広がっていた。


村の広場は毎朝新たな飾りで彩られ、長いテーブルにはその日に誕生日を迎えた鬼のための食べ物と酒がふんだんに並べられる。煙を上げる大鍋からは芳醇な香りが漂い、焼き立ての肉や香ばしいパンが次々と運ばれていく。陽気な歌声と楽器の音色が響き渡り、子どもたちは走り回り、大人たちは杯を重ねて笑い合う。


この村では、誰かの誕生日を祝うことが単なる風習を超えた「絆の象徴」となっていた。一人の喜びを村全体で共有することで、鬼族たちは家族以上の結びつきを感じていたのだ。


俺は、この文化に初めて触れたとき、その特異さに戸惑いを覚えた。科学者としての人生を送っていたあの頃、誕生日を祝うという概念自体が俺の生活には存在していなかった。だが、この村では違う。誰かが生きているという事実そのものが、村全体の喜びとなる。


「この村の団結力は異常だ……。」


俺は、酒を片手に陽気に踊るガルドや、周囲に料理を配りながら笑顔を振りまくエルダを眺めながら、内心でそう呟いた。科学の法則で説明できない「鬼同士の強いつながり」が、この村を成り立たせている。普段なら眉をひそめてしまいそうなその温かさが、ここでは心地よいとさえ感じる自分がいた。


だが、今日は違う。今日は俺自身が、その祝福の中心に立つ日だった。


広場に設けられた席の中央――村全体の視線を受けながら座るのは、俺だ。次々と声をかけてくる村人たちの「おめでとう!」という言葉が、次第に俺の心をざわつかせていく。


「俺が……祝われる側なのか?」


生きているだけで、ここまで祝福される。それを素直に受け入れられるほど、俺の心はまだ柔らかくはない。だが同時に、この村の純粋な喜びに抗えるはずもなかった。


「温かさには抗えない魅力がある……まったく厄介な村だ。」


苦笑しながらも、俺は村人たちの輪の中にいる自分を認め始めていた。どんなに自分が異質だと感じても、彼らはその事実を気に留める様子もなく、むしろ当たり前のように俺を受け入れてくれている。


この村では、誰もが「生きていること」を祝われる。それが、この場所の文化であり、俺が新しい人生を始める中で最初に知った「喜び」だった。


祝福の声が次第に高まり、陽気な音楽がピークに達する中で、俺は静かに思った。


「ここでなら、俺も自分の居場所を見つけられるのかもしれない……。」


こうして俺の1歳の誕生日は、戸惑いと嬉しさの中でこの村での新しい日々が始まったことを、静かに教えてくれるようだった。


村の広場は、普段の静かな雰囲気から一転して熱気に包まれていた。夜空には無数の星が瞬き、周囲を囲む木々の隙間から漏れる月光が、宴の光景を柔らかく照らしている。広場の中央には、長く連なる巨大なテーブルが置かれ、その上には溢れるほどの料理が並べられていた。


豪快に焼き上げられた肉の塊、香ばしい香草が香るスープ、鮮やかな果物の山――すべてが鬼族の力強さと陽気さを物語っているようだった。その傍らでは、酒樽が次々と空けられ、琥珀色の液体が勢いよく注がれている。鬼族たちは大きな杯を手に笑い合い、声高らかに夜まで乾杯を繰り返していた。


俺は、長いテーブルの中央に座らされていた。周囲から浴びる視線が熱く、次々と掛けられる祝福の声が耳に心地よく響く。


「ヒカル、おめでとう!」

「さあ、もっと飲めよ、今日はお前が主役だ!」

「こいつ、1歳になったばかりとは思えない顔つきだな!」


村人たちは豪快な笑い声とともに、次々と俺に声をかけてくる。普段の研究者としての冷静な自分を思えば、こんなに注目される状況は居心地が悪いはずだった。だが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。むしろ、心の奥からじんわりと温かいものが広がっていくのを感じていた。


やがて、宴の熱気はさらに高まる。鬼族たちが一斉に立ち上がり、特有の陽気な歌を歌い始めた。力強い声が広場に響き、太鼓のリズムが足元から心臓にまで響いてくる。それに合わせて、大柄な鬼たちが大地を踏み鳴らしながら踊りだした。


その踊りは力強く、荒々しいが、不思議な調和を持っていた。大地を打ち鳴らすようなステップに続き、空を突くような手振りが加わる。そのたびに酒樽や料理が揺れ、広場全体が生き物のように動いているように見えた。


子どもたちもそれに混ざり、笑顔を浮かべながら真似をする。大人たちはそんな光景を見て笑い、さらに声を張り上げて歌い踊る。この村全体が、一つの家族として繋がっていることを示しているようだった。


俺はその光景を見つめながら、杯を片手に静かに考えていた。


「彼らの笑顔や声は、まるでこの村全体が一つの家族であることを示しているようだ。」


この村には、家族の垣根を超えた団結があった。それは単なる血縁や利害を超えた、人と人とのつながりだ。俺がこの村に来て1年――彼らの絆の一部になれたのかどうかはわからない。だが、少なくとも今この瞬間、自分がその輪の中心にいることを強く感じていた。


「俺が主役……か。」


前世では考えられなかったことだ。あの孤独な研究者だった俺が、こんなにも多くの人々に祝福され、喜ばれる存在になっている。言葉にするには照れくさく、ただ笑顔を返すしかできなかった。


ふと、エルダが俺のそばに来て、そっと肩に手を置いた。彼女はいつもの柔らかい笑顔で囁く。


「ヒカル、あなたは私たちにとってかけがえのない家族よ。今日は、あなたの生まれた日をみんなで祝うの。どうか楽しんでね。」


その言葉が、俺の中で小さな灯をともすようだった。


大地を震わすような踊りの音、笑い声、そして祝福の言葉――そのすべてが混ざり合い、俺を包み込んでいた。この村の文化、絆、温もり。そのすべてが、俺の中に新たな居場所を与えてくれるようだった。


「さあ、次の歌を始めるぞ!今日はヒカルの日だ!」


笑いながら応える俺は、どこかで静かに思っていた。


「ここが……俺の新しい人生の始まりだ。」


宴が最高潮に達した頃、ガルドが大きな声で皆の注目を集めた。


「おい、静かにしろ!今日はヒカルの特別な日だろうが!大事なもんを渡す時間だ!」


その豪快な声に、鬼たちのざわめきが一斉に止む。ガルドは無骨な笑みを浮かべながら、俺の前にずかずかと歩み寄ってきた。そして手にしていた包みを、まるで宝物のように慎重に持ち直して渡してきた。


「これがいいんじゃねえかと思ってな。」


その包みを開けると、現れたのは分厚い革表紙の本だった。古いが丁寧に扱われてきたのがわかる。表紙には「魔法と歴史のはじまり」と題された金色の文字が刻まれていた。


「……本?」


驚いた顔をする俺に、エルダが穏やかに微笑みながら言葉を添えた。


「ヒカルは本が好きだから、きっと気に入るわ。ずっと興味津々でいろいろ読んでたものね。」


彼女の言葉には、俺が気づいていなかったほどの観察眼と優しさが感じられた。俺が村での生活に慣れるために熱心に読んでいた本の内容――魔法や歴史――そのすべてを見抜かれていたのだ。


「俺の趣味が完全に見抜かれている……。だが、これほど的確なプレゼントをもらうのは悪くない。」


胸の内でそう呟きながら、俺は素直に「ありがとう」と言葉を返した。その瞬間、エルダが少しだけ目を潤ませて嬉しそうに微笑んだのが印象的だった。


そして次に、まだ言葉を話せない幼いリラが、ふらふらと俺の元に歩いてきた。彼女は小さな手を差し出し、俺の頬に触れるような仕草を見せる。その瞳には純粋な喜びが溢れていた。


「リラ……。」


彼女は何も言わなかったが、その仕草だけで充分だった。彼女が俺を家族として受け入れてくれていることが、痛いほど伝わったのだ。


宴が終わりに近づくと、広場には少しずつ静けさが戻ってきた。鬼たちは酒を飲み疲れ、テーブルに突っ伏して眠る者もいれば、明るい声を抑えつつ談笑を続ける者もいた。俺は片隅で、プレゼントとしてもらった本を膝に置きながら、静かに広場を見渡していた。


「拾われた日から、俺はこの村の一員になった。今、それを実感している。」


ガルドの豪快さ、エルダの優しさ、リラの純粋さ、そして村全体の団結力。俺がこの村で経験したすべてが、まるで一つの絵画のように頭の中で繋がり、明瞭な感謝の念を呼び起こしていた。


「この温かい村での生活が、俺に必要な何かを与えてくれているのは間違いない。」


その「何か」が何なのか、まだ言葉にはできなかった。それでも、これまでの人生にはなかった温かさやつながりが、確かに俺を支えていることを感じていた。


俺がなぜここに存在するのか。その答えを見つけることこそが、俺がこの世界で生きる意味であり、この村への恩返しになる――そんな気がした。


鬼の村で過ごす日々は、俺にとって新たな使命の幕開けだった。

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