表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/75

父の部屋への冒険

 最近少しだけ世界が違って見えるようになった。


 理由は単純だった。「歩けるようになった」のだ。


 自分の足で床を踏みしめ、好きな場所へ移動できる。それだけのことが、こんなにも楽しいとは思わなかった。

 観察の枠を超え、世界に“関われる”ようになったことが、俺の中に小さな変化を生んでいた。


 なにより――リラの存在が大きい。


 俺の妹。血のつながりはないが、そんなことは関係ないと自然に思える存在。


 俺の日課は決まっていた。朝、目覚めたら真っ先にリラのもとへ向かう。


 よちよちと不安定な足取りでベッドの縁にたどり着き、彼女の小さな手に、自分の人差し指を差し出す。それをリラがきゅっと握り返してくれるだけで、不思議と胸の奥があたたかくなった。


 そして俺は、お決まりの“変顔”をする。目をむき、舌を出し、眉を寄せて大げさにひねる。

 科学者としては到底やらなかったような行動だが、リラのくすくす笑いが、それを報いて余りあるものにしてくれる。


 それを何度も繰り返す。ひとしきり笑いあったあと、俺はリラの頭をそっと撫でた。


 「また、後でね」とリラに手を振り、俺は家の探検に向かった。


 陽の光が静かに差し込む廊下を、小さな足で一歩ずつ確かめるように進む。


 その先で、今日も変わらず――魔法のほうきが無言で床を掃いていた。

 黙々と、淡々と、いつも通りの動きで。


 「サーッサーッ」と音を立て、無感情に、部屋の隅々まで正確に。

 ――それがヒカルには、ずっと不思議だった。


(魔法って自動でこんなにも持続する?)


 この世界の魔法は基本的に“魔力を込めて”発動するもの。

 使えば消える、放てば終わる。それが常識のはず。


 なのにこのほうきは、誰の魔力も受けずに一日中、黙々と掃除をしている。

 しかも疲れ知らずで、やたらと精密だ。


「エルダ、このほうきってどう動いてるの?」


「掃除用だからよ。……それより絶対に触っちゃダメよ?」


 エルダの返答は、あまりにも雑だった。


(それ、“触れ”って言ってるのと同じだぞ)


 元 科学者として、ヒカルの探究心は燃え上がった。


 ――数日後。 はいさぎょう


 (……秘密作戦D。今日こそ、目的を果たす時。)


 ヒカルは心の中で、勝手に命名した作戦名を唱えた。

 廊下の隅で息を潜め、慎重に状況を確認する。


 エルダは台所で、鍋の蓋から立ちのぼる香りに鼻歌まじりのご機嫌な様子。

 ガルドは書斎にこもり、難しい顔をして書類を読み込んでいる。

 つまり――監視の目はすべて逸れている。


 「チャンス……今しかない!」


 そのつぶやきに、脳内の静寂を破るように応答があった。


 《秘密作戦D、再起動を確認。状況:監視ゼロ。行動ウィンドウ、およそ12分と推定》


 コーシー。脳内に響くこの人工知能サポートは、かつて科学者時代の研究支援AIだった。今では完全に“心の相棒”だ。


 「ターゲット:自動掃除ほうき。目的:魔法機構の構造解析および制御アルゴリズムの推定。」


 《補足:前回の接近試行、逃走パターンB“スピンターンによる障害物回避”により失敗》


 「いちいち記録に残すな……!」


 小さな体に全神経を集中させ、ヒカルは忍び足で廊下へ進み出る。


 目前に迫るターゲット。だが、掃除ほうきはまるで察知していたかのように、ふいっと方向転換して離れていく。


 《予測通り。自律回避機能。前回の行動記録より、一定距離を保とうとする性質あり》


 一定の距離を保ち、障害物をうまく避けている。

 しかも、こちらが行く手を塞ぐと……


 ビュッ! 上に飛ぶ!?


 ヒカルは頭脳をフル回転させた。


 「でも今日は違うぞ……策はある!」


 ヒカルは階段下の物置の構造を利用し、ほうきを回り込みながら少しずつ追い詰める。

 角を塞ぎ、死角をつくり、脱出ルートを封じる。まるでチェスのような駒運び。


 やがて――。


 (……入った!)


 「ふっふっふ……お前の逃げ道は、もう無い!」


 狭い天井。壁に囲まれた物置。

 ほうきは軽く浮き上がるように跳ねるが、低い天井に阻まれて飛べない。


 「勝った……!」


 ヒカルがほうきに抱きついた、その瞬間に声が聞こえた。


「警告。侵入者接触。自律操縦、起動」


 次の瞬間、物置の扉が木っ端微塵に吹き飛び――

 暴走モードのほうきが床や天井にぶつかりながら廊下を突き進む。


 ヒカルが柄にしがみついた状態で、リビングへ一直線。

 その勢いのまま、豪快にテーブルに激突。料理が宙を舞った。


 鍋、スープ、皿、ケーキ、果物、そして粉チーズの嵐――


「うわあああああ!?止まれぇぇぇ!」



「おいおい、何の騒ぎだヒカル!……って、なにしてんだ!?ほうきに乗ってんのか!」


 ガルドが笑いながら突っ込んできた。


 暴れるほうきからヒカルをひょいと抱き上げると、粉まみれの頭を笑顔でワシャワシャ。


「まったく、俺に似て冒険好きになっちまったな!はっはっは!」


 だが、その背後から――静かに足音が響いた。


 ギィ……バタン。


 ゆっくりと扉を閉めるエルダ。

 足元には吹き飛んだ夕食。壁には穴。ヒカルはチーズまみれ。


「……ガルドォ」


「……え、いや、これ、たぶん俺じゃ――」


「魔法装備のロック解除したわね?」


「ち、違う、あれはちょっとだけ動作確認で――」


「確認したいなら、せめて動かすな。ヒカルに触らさせるな。」


 ヒカルがそっとガルドの後ろに隠れる。


 エルダはほうきに近づくと、冷ややかに呟いた。


「この“ポンコツ”のせいで、夕飯が台無し……」


 ズバァン!


 一閃。手刀一発で、ほうきは真っ二つになった。



 静まり返った部屋に、ガルドの乾いた笑い声だけが響く。


「へ、へへ……今夜は、俺がご飯作るか……」


「三日分ね。もちろん掃除付きで。」


「へぇぇぇい……」


 ヒカルは笑いを堪えながら、チーズまみれの頭を撫でられていた。

 この家での日常は、今日もまたにぎやかだった。




 数日後、歩くのにも慣れてきた。

 今日もリラを笑わせてから、冒険開始だ!


 すると――家の奥、いつもは静かに閉ざされている、重厚な木の扉が目に入った。


 ガルドの部屋。普段は決して開かないその場所が、今日はわずかに隙間をあけていた。


 (開いてる……?)


 体が自然と引き寄せられる。床板がきしむ音すら慎重に消すように、俺はその扉の隙間に手をかけ、音を立てぬように押し開けた。


 中に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。木と革と古い紙の匂いが混ざった、濃密で静かな気配。俺はそれを「知の空間」と名付けたくなる衝動に駆られた。


 本棚――壁一面を覆う分厚い書物たちが、静かに並んでいた。魔法理論、魔力構造、自然魔力変換、自動制御……

 その背表紙の並びに目を走らせるたび、ヒカルの胸に熱がこみ上げてくる。


 (体系がある……これは、再現性がある学問だ)


 前世、科学者として未知を追っていた頃の熱が、赤子の小さな胸の中でゆっくりと再燃していく。


 けれど――目当ての本は高い位置にあった。


 「くっ……届かない……」


 ヒカルは歯ぎしりするように、じっと棚の上段を見上げた。そして静かに踵を返し、部屋の隅――いつもガルドが腰かけている椅子の方へと歩み寄る。


 (仕方ない。あの椅子を運べば……)


 椅子の傍に立った瞬間、ふと頭に思い浮かんだのは、あのガルドの姿だった。


 普段は陽気で豪快で、くだらない冗談を飛ばしてはエルダに小突かれているあの男が――この椅子に座るときだけは、まるで別人のような顔をしていた。


 (……眉間に皺を寄せて、唸りながら何かを……)


 机の上をそっと覗き込む。

 そこには、ページが開かれたままの書類の束。その中央に載せられた一枚の表紙が、ヒカルの視線を釘付けにする。


 「漆黒の輪廻」


 ごくり、と喉が鳴った気がした。


 言葉の意味はまだ分からない。けれど、その響きと、ガルドが見せていた“難しい顔”――そのふたつが、胸の奥で妙に結びついていく。


 (ガルド……この資料を見て、あんな顔をしてたのか?)


 陽気なあの男が、笑わずに何度もページを読み返していた理由。それを、ヒカルはまだ知らない。


 だが、確かにこの机の上には、「笑っていられない何か」が存在していた。


 指が震える。本能が警告を発していた。けれど、ページをめくりたいという気持ちは止まらなかった。


 ――だが、次の瞬間。


 「……おい、ヒカル。そんなとこまで入るとは思わなかったぜ。」


 その声に、俺の体が硬直する。振り返ると、ガルドが腕を組んで立っていた。表情は驚きと、そして、どこか苦笑いの入り混じったものだった。


 俺が手にしていた資料に目を落とすと、彼はため息をひとつついて、紙束をそっと取り上げる。


 「そいつは……お前にはまだ早いなぁ。」


 そう言って資料を机に戻す手つきは、どこか丁寧だった。


 だが、ガルドは怒鳴り声を上げるでもなく、ため息ひとつついたあとで、そっと俺の目を見た。


 「……まぁ、叱るほどのことでもねぇな。知りたくなる気持ちは、俺にも覚えがある」


 その声には、呆れ半分、どこか嬉しそうな響きも混じっていた。


 「世界ってのは広い。深くて、時々……怖い。でも、だからこそ面白いんだよ」


 その何気ないひと言が、胸の奥に静かに染み込んでくる。


 まるで、誰かがそっと芯に火を灯したような感覚だった。


 俺が前世で求めた“核心”が、ここにもある。この世界の魔法にも“理論”が存在し、手繰り寄せる手段がある。


 《魔法と理論》それがあれば前世で失敗した"あれ"を今度こそ実現できるかもしれない。


 (この世界の魔法を解き明かしたい。そして、俺の手で――再び“ルミナスコア”を完成させる)


 それが、この異世界に転生した俺の“生きる意味”になった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ