新たなる目覚め:鬼族との邂逅
目を覚ました瞬間、俺は混乱の中にいた。
視界がぼんやりしている。
目の前に広がるのは青い花が一面に咲き誇る風景だ。
柔らかな風が花を揺らし、光の粒がその周囲を漂っている。あまりにも幻想的な光景に、一瞬ここが現実なのか疑いたくなった。
だが、次の瞬間、視界の端に動く大きな影が見えた。俺は体を動かそうとしたが、全く動かない。
手も足も思い通りにならず、声を出そうとするも、喉からは弱々しい泣き声のような音が漏れるだけだった。
(なんだ……これ……? 体が……動かない?)
次第にその影が近づいてくる。ぼんやりとした視界の中、その姿が徐々に鮮明になった瞬間、俺の心臓は跳ね上がった。目の前に現れたのは、人間ではなかった。
額には鋭い二本の角、赤色の肌に彫り込まれたような模様、筋骨隆々の体躯。まるで鬼のような姿だった。
いや、鬼そのものだった。これが夢や幻でないのだとしたら、俺はとんでもない危機に直面している。
ここが地獄なのか?確かに生前良いことあんまりしてないけど、悪いこともしてないはずだ!
捨て猫を拾ったり、おばあちゃんに席譲ったりはしたのに!
(こんなところで……食い殺されるのか?)
鬼は俺をじっと見つめている。俺は身動き一つ取れないまま、無力感と恐怖に苛まれていた。
覚悟を決めたその時、鬼の大きな手がそっと俺を抱き上げた。乱暴に扱われると思ったが、その動きは驚くほど慎重で、俺が驚くほどの優しさを感じさせるものだった。
「こんな小さな子が、こんな場所に……。一体どうして……」
鬼は俺を見下ろしながらそう呟いた。その声は低く威圧感があるものの、不思議と暖かかった。
俺はその声を聞いて、心に浮かんでいた恐怖が少しずつ和らいでいくのを感じた。
てか、小さな子って俺のことか?……もしかして……転生???
戸惑う俺を持ち上げた鬼は、少し微笑む。
「大丈夫だ、怖くないぞ……ほら、もう泣くな。」
そう言いながら、鬼は大きな手で俺の顔を覆う光を優しく遮り、俺を守るように胸に抱きかかえた。見た目とのギャップに戸惑いながらも、俺はその行動にどこか安心感を覚えた。
(何なんだ……この鬼は……?)
鬼は俺を抱えたまま、周囲を警戒しつつ歩き始めた。青い花畑を抜けると、遠くに木で組まれた木造の家々が並ぶ村が見えた。
家の間からは煙が上がり、暖かな生活の匂いが漂ってくる。
村の入り口に着くと、別の鬼たちが近寄ってきた。その中には女性の鬼や、子供らしき鬼もいた。彼らは俺を見るなり、不思議そうに声を上げる。
「ガルド、その子は?」
「ああ、花畑で見つけたんだ。こんな小さな子供を放置するなんて、考えられん。」
俺を抱いている鬼――どうやら名前はガルドというらしい。顔は怖いが、まるで人間みたいだな。
ガルドが答えると、鬼たちは口々に驚きの声を上げた。
「人間の子供かい? 珍しいこともあるもんだ。」
「可哀想に……捨てられたのかもしれないね。」
「それにしても、不思議なお守りをつけているな。」
俺の首にかけられた白いキューブ状のネックレスに気づいた鬼族たちが、それを興味深そうに持ち上げて見つめていた。
だが、それ以上深入りすることもなく、「親が残した物なんだろう」と軽く流した。
ガルドはしばらく思案した後、静かに言葉を紡いだ。
「……この子を家に迎え入れることにするよ。誰に捨てられたかは分からないが、俺たちで育ててやるしかない。」
その言葉に、周囲の鬼たちは頷き、誰一人反対する者はいなかった。彼らの表情には親しみがあり、冷たい判断ではなく、本当に助けるべきだという心からの優しさが見えた。
その後、ガルドとその妻エルダの家で、俺の新しい生活が始まった。エルダは彼とは対照的に、柔らかな表情と小柄な体格の鬼で、美人。俺を優しく抱きかかえると、笑みを浮かべながら話しかけた。
「小さくて可愛い子だね。これからは私たちがしっかり育ててあげるからね。」
エルダはそう言いながら、何かを持ってきて俺の口の中に入れる。俺は驚いたが、それは暖かいミルクだった。
恐怖や警戒は、その行動によってさらに薄れていった。
(この鬼たちは、俺に害を与える気はなさそうだ……。)
それでも俺は、自分の状況に納得することはできなかった。赤ん坊としてこの世界でもう一度、生きるなんて、一体どんな運命だ。
ここがどこかは分からない。なぜか言葉は分かるし、会話の内容からどこかに人間もいるみたいだな。
新しい生活の中で、俺は彼らの生活を観察するしかなかった。彼らは日常的に魔法を使い、火を灯したり、水を操ったりしていた。
魔法を見て、確信してしまった。
《ここは、異世界だ!》
家庭に受け入れられてから数週間が過ぎた。俺は木製の揺りかごに横たわりながら、外の世界の音や光をぼんやりと感じていた。
赤ん坊の身体に閉じ込められたまま、何もできない無力感が日々胸にのしかかる。
考える事しか出来ないと、前世のルミナスコアの失敗が頭の中で繰り返えされ続けていた。
ある夜、静まり返った部屋の中で奇妙なことが起きた。俺の首にかけられた白いキューブ状のネックレスが、わずかに光を放ち始めたのだ。
その光は初めて見る現象ではなかった。どこか懐かしさを感じる、柔らかな白い光だった。
次の瞬間、俺の耳に聞き覚えのある声が響いた。
「こちらコーシー。無事、あなたとの接続が完了しました。」
その声を聞いた瞬間、俺の体に稲妻が走った。
「コーシー……? お前、本当に……?」
もちろん、声を出せるわけではない。だが、心の中で問いかけると、キューブの光が一段と強くなり、再び冷静な声が響いた。
「あなたの意識とネックレスを通じた接続が確認されました。これにより、私と限定的な対話が可能になりました。」
その言葉に、俺は一瞬何が起きているのか理解できなかった。だが、次第に状況を飲み込む。
かつて俺の人工知能として作り上げたコーシーが、ここでも俺と共にいる。
「どうなっている……? なぜお前がここにいる? 俺は……死んだはずじゃ……」
問いかけに、コーシーは冷静に答えた。
「いいえ、あなたは生きています。詳細なデータは収集中ですが、これは『転生』に類似する現象と推測されます。」
俺はしばらく黙って、淡く輝くキューブに問いかける。
「つまり、俺たちは何らかの形でこの世界に来た……ということか。そしてお前がここにいるのは、ネックレスが一緒に転送されたから?」
「その可能性が高いです。このキューブはルミナス・コアの副次的構造物として設計されていました。そのため、空間的な転移が発生した際に共に移動したと考えられます。」
俺はその答えを聞き、改めて自分が置かれている状況を冷静に見つめ直した。
科学者として、未知の現象に立ち向かうことに慣れているつもりだったが、この状況はさすがに異常すぎる。
だが、俺が作り上げた人工知能がこうして俺の隣にいることは、何よりも心強い。
ヒカルは鬼たちの暖かさに触れながらも、どこか孤独を感じていた。前世の記憶がある事、この世界の人間ではない事、その悩みを打ち明ける相手が欲しかったのだ。
「なるほど……お前がいるなら、この状況を乗り越えられるかもしれない。」
コーシーは淡々と応答した。
「私は、あなたの意識の補助を継続します。未知の現象に対する分析と仮説の立案をお手伝いすることが可能です。」
「……ありがとな。」
誰かがそばにいる。ただそれだけのことが、こんなにも心を軽くしてくれるなんて。
機械のくせに、妙に静かで、妙に優しい。
コーシーは黙っていた。でも、胸元のキューブが淡く脈打った。まるで、その気持ちを察してくれたように。
この鬼族の村で生活を始めてからしばらく経ったが、未だにこの世界の理屈には納得できないことばかりだ。
やはり、村人たちが何のためらいもなく魔法を使っている光景には、驚きと科学者としての興味をかき立てられる。
揺りかごから見える範囲には、広大な畑が広がっている。そこでは鬼族の男性たちが農作業をしており、その作業には魔法が使われていた。俺は目を凝らし、その様子をじっと観察する。
水を空中に浮かせる魔法
畑の一角で、鬼族の男性が手を広げると、水が空中にふわりと浮かび上がった。
水は太陽を反射し輝き、無数の水滴となって舞い上がり、広範囲に均等に散布されていく
その光景は美しく、地球で見たどんな科学技術とも異なっていた。
(水を浮かせる……これは単なる重力制御の問題ではない。)
目の前の現象は、単純に水を持ち上げているように見えたが、それを可能にしている力が何なのかがまるでわからない。
畑全体に均等に水を散布するための高度なエネルギー制御が行われているのは明らかだった。
それは俺の知識では到底解明できない、未知の現象だった。
俺は問いかけた。
「コーシー、この現象のエネルギー源が分かるか?」
キューブは微かに光を放ち、冷静な声で応答する。
「現時点ではエネルギーの発生源が不明です。ただし、観察データを蓄積することで新たな仮説を立てられる可能性があります。」
いつも通りの答えだった。頼りにしている人工知能だが、この世界の現象については完全に未知の領域だ。
培ってきた科学の知識は、魔法に関してはほとんど役に立たないように思える。
コーシーが言うように、俺はまだこの世界について何も知らない。科学の視点から観察を続けなければ、この現象の理屈を暴くことはできないだろう。
鬼族の男たちは、空中で水を操りながら楽しげに談笑している。彼らにとってこの魔法は特別なものではなく、日常生活の一部だ。
俺にとっては未知の現象そのものだが、彼らにとってはそれが当たり前の環境なのだと実感させられる。
俺は赤ん坊の体に閉じ込められた無力さに苛立ちながらも、観察を続けることを決意した。
絶対に解明してやる。。。
それは、朝日が昇りきる前の静かな時間帯。
家の裏からガルドの力強い声と、木が裂ける乾いた音が響く。
俺はゆりかごから音のする方を見た。どうやら、ガルドが薪割りをしているらしい。
とはいえ、鬼族の薪割りは俺の知るそれとはまるで違っていた。ガルドの足元には確かに手斧が置かれている。
だが、斧を使って薪を割る様子は一向に見られない。彼は斧をそばに置いたまま、大きな丸太を片手で掴み上げると、驚くべき行動に出た。
ガルドは笑顔を浮かべながら、そのまま素手で丸太を真っ二つに引き裂いたのだ。
「ははっ、今日の木はしっかりしてるな!」
「どうだ、ヒカル!」
俺はミルクを吹き出した。
彼は楽しそうにそう呟きながら、次々と丸太を掴んでは裂いていく。その動きはあまりにも軽々としていて、木材がまるで紙か何かのように見えるほどだ。
(……なんだこれは……筋力の問題じゃない。物理法則を無視している……!)
俺は目を見開きながら彼の行動を観察した。彼の腕の筋肉が隆起し、見た目には怪力を支えるように見える。だが、それでも説明がつかない。
丸太は硬い木材のはずだ。それを素手で裂くなんて、いかに鬼族といえどあの筋肉だけで可能なのか?
そんな俺の驚きをよそに、彼は割った丸太を次々と片手に抱え上げ、家の裏に積み上げていく。その量は尋常ではなく、積み上がった丸太はあっという間に小さな山のようになっていった。
その時、家の中からエルダが姿を現し、苦笑しながら声を上げる。
「また素手でやってるの? 斧があるんだから使いなさいよ。」
エルダの言葉にも気にする様子はなく、ガルドは笑いながら肩をすくめる。
「手を汚さないと仕事した気がしないんだよ。それに、こうやる方が早いしな!」
エルダは丸太を積み上げ続けるガルドを見て、苦笑しながら言葉を続けた。
「また山みたいに積んで……そのうち崩れるんだから加減しなさいよ。」
「大丈夫だって。崩れたらまた積めばいい!」
「崩れるのが問題なんだけど……。」
二人のやりとりに、俺はこの鬼族特有の豪快さと楽観的な性格を垣間見た気がした。
ガルドはふと俺の視線に気づき、にやりと笑った。
「ヒカルも見てるか? よし、これを見せてやるか!」
そう言うと、彼はふざけたように、割ろうとしていた丸太を自分の頭の上に上げた。
そして、そのまま頭で丸太を割ろうとする動作を始めたのだ。
(……おいおい、やめろ……!)
俺が心の中で叫んだ次の瞬間、エルダがすかさず止めに入った。
「ちょっと! 何やってるのよ! 頭で割ろうなんて馬鹿なことしないで!」
「あはは! 冗談だよ、冗談! ヒカルに面白いところを見せたかっただけさ。」
そう言ってガルドは丸太を普通に手で裂き、エルダと一緒に大笑いした。
「いや、今のは冗談じゃなかったよな」
「……人間なら確実に頭が砕けるやつだぞ……。」
彼らの笑い声を聞きながら、俺は鬼族という存在が人間とは全く異なる生き物であることを改めて実感していた。
その骨格や筋力の構造がどうなっているのか、科学的に解明したい欲求が湧き上がる一方で、その豪快さにはただ呆れるしかなかった。




