世界のリサイクル
ひだまりのねこ様の『集まれエッセイ企画』参加作品です。
読者兼作者の皆様におかれましては、今日も今日とて世界を創造しておられることと思います。
はい、もちろん「作品世界」のことです。
異世界ものはもちろんのこと、現実世界ものであっても、作者が生み出したキャラクターが活躍する時点で、創造された一つの「世界」。実在の人物たちによる歴史小説だって、作者の解釈を触媒として生み出された独自の「世界」と言えるでしょう。
そして、「なろう」の作者様の中には、じっくり腰を据えて一つの長編を連載し続けている方もいらっしゃる一方、短編を矢継ぎ早に投稿されている方もいらっしゃいます。
特に、異世界恋愛ジャンルだと、短編だったり、長編でもある程度の長さで完結することが多かったりするため、作品世界を量産なさっている方が多いように見受けられますね。
そういった方たちについて、各作品の「世界」をどのようにイメージしておられるのか、という疑問が浮かびまして、エッセイの形にしてみました。
作者様によって、「よくぞ聞いてくれました。実はあの作品とこの作品、舞台は異なるけど同一の世界観なんですよ」という方もいらっしゃれば、「まずはキャラクターとストーリーありきで、ストーリーに合わせて世界観は微調整しているから、作品ごとに全部別の世界だね」という方もいらっしゃるでしょうし、「あらたまって聞かれてみると、そういやこれまであまり意識して来なかったわ」という方も中にはいらっしゃるかもしれません。
ああ、そうそう。「世界観」という言葉は本来は文字通り「世の中をどう捉えるか、どのような見方をするか」という意味であって、「作品世界の設定」という意味で用いるのは「誤用」らしいですが、細かいことは気にせず行きましょう。
私自身について言えば、拙作『ベルトラム王国物語』と『鏑矢の鳴る頃に』は、あらすじなどにも書いているとおり、地域も時代も異なるけれど同一の世界観です。
というか、そもそもは、『ベルトラム』でベトナム史上の女帝・李昭皇の生涯を異世界恋愛にアレンジするにあたり、重要イベントであるモンゴル帝国(作中では「アンゴルモア帝国」)軍の侵攻をどう扱うか考えた際に、普通の騎馬民族ではちと芸が無い。それに、攻撃魔法とか有りな世界だと、普通の馬は怯えて役に立たないんじゃないかという話もある。
ということで、人が背中に乗れるサイズの獣脚類恐竜のような姿の「騎竜」を設定してみました。
が、作中ではヒロインの一人称ということもあって、実際に騎竜兵が登場して戦闘を行うような描写は一切なし。
せっかく設定したのにこのままじゃもったいない、ということで、がっつり騎竜民族たちの国を舞台にして描いたのが『鏑矢』というわけです。
また、先日投稿した、しいな ここみ様主催の『とんかつ短編料理企画』参加作品でも、単発の主人公たちでもよいところ、『益孝くんと各務さん』シリーズの主人公の両親の話にしちゃいましたしね。
私はどうやら、世界観やキャラクターを使いまわすのが好き、というより、せっかく設定したんだからとことん使い倒さないともったいない、と思ってしまうタイプのようです。
リサイクルというか、拡張工事というか……。
まあ、読者としても、「あの作品とこの作品の世界は実は繋がっている」とか、「あの作品のキャラクターがこの作品にも」みたいなのは結構好きですしね。
もちろん、中には「そういうの、作者の自己満足っぽくって好きじゃない」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。
そのあたりの点について、作者の立場、読者の立場からの皆様のご意見を聞けたら嬉しいな、と思っています。
では~ノシ