9 ウルリヒの準備【完】
ナイアルは平生、後悔をしない。
反省は目いっぱいして失敗の元を取るが、それこそ屁の役にも立たないような後悔なんかに、大事な時間を無駄にはしなかった。
けれどイリー暦188年のその冬の日、彼は猛烈に壮絶に後悔した。
――準備ができたらいつでも呼べや、っって。何つうどあほを言っちまったんだよ、俺は。
入り組んだ岩場と森がまみれつつ続くシエ半島、敗戦の兵が潜伏するには打ってつけのその場所で、とある一級騎士と個人的に繋がっているという、テルポシエ間諜と接触した。
彼はエノ傭兵の間にも入って行って、一級騎士団に囲まれたウルリヒ王がどうやって殺されたのかを聞き出していた。
さらに王の身体が、市民によって――そう、ナイアルと同じ立場の人々によって刻まれて、さいごに焼かれたことをも知っていた。
全部聞いて知ってしまうと、もうナイアルは頭を抱えて俯くしかない。
――準備なんてまどろっこしいこと、てめえがするこたなかったんだよう。ただ単に、いつでも俺を呼べって言や良かったんだ、俺のばか馬鹿うましか、エッヘ・ウーシュカ。
いきなり不機嫌に黙りこくってしまった第十三遊撃隊副長をよそに、間諜氏はダンに向かって細かい市内状況を語っている。
――俺っちの戦略解析と判断力を使ってりゃあ! あいつは今頃安全なとこで、盛り返しの作戦会議中だ。いーや、どころかまだまだ余裕で包囲続行中だぜ? うちの大将とビセンテが左右守ってりゃ、エノ軍は王に指いっぽん触れらんねえ。
ざり……、すぐ後ろで、アンリが焚火の調節をする控えめな音がした。
――こいつのこしらえるうまいもので英気を回復。腹の底からのあのどら声気合で、皆を励ましやがったに違いねえッッ。くそくそくそッ、能無し貴族どものあほんだらッッ。
考えても意味のないことと重々理解しているのに、ナイアルの後悔はとまらない。
「……王女様が?」
珍しく、ダンが少し驚いた様子で言った。それにふっと気を取られて、ナイアルも顔を上げる。
「ええ、とんでもない経緯でエノ軍に参入してしまいました。親衛隊の方々ともども、いずれ折を見て脱出させるつもりなのですが、ご自分も騎士の恰好をして……。とにかく“突っ張って”らっしゃいます」
「……」
押し黙ったダンに代わって、ナイアルは問うた。
「あの、すんません。捕虜になってる、港湾守備についてた人達って言うのは……?」
「第九団です」
いわゆる“巡回騎士”で構成された一団である。
分家、末家出自など家柄の格不足から、執政職への昇格がほぼ見込めない末端貴族たちだ。一級騎士の資格を持ち、草色外套の着用を許されてはいるが、市内領内の警邏など、栄誉から一番遠いところで働かされる。まさに永年の予備役たちだった。
ナイアルは、はっとする。
―― ……城の外、現場一本でやってきたやつらを残した……。たまたまじゃねえ、わざと第九団を、……市民に近くて、一番使える巡回たちを温存した?? それに、王女……妹……。
::うん、俺よりずうっと頭がよくって、すごくかわいいんだ。
::結び目つくるのは、俺けっこう得意だ。
「ナイアルさん?」
口を開けぎょろ目を見開き、固まってしまったナイアルに、アンリが声をかけた。
彼が見守るその横顔が、ぐぐぐと振り向いてこちらを見る。
「……アンリ。……ビセンテ、」
ナイアルはぐぎぎ、ぎぎぎと左右に首を回した。
「大将……。俺ら第十三遊撃隊で、対エノ戦線を維持するつーのは、どうっすか」
声がすわっている。一応提案の形を取っているが、ナイアルがすでに“決断”しているのは、他の三名にばれていた。
「けんか上等ォォォ」
何も考えない方針のビセンテが即答した。
「お前が責任を取るのなら、俺はナイアルの選択を尊重しよう」
事なかれ丸投げ主義、ダンがぼそりと言う。
「俺は一年兵ですから、皆さんについていきますよー!」
輝ける場所を見つけちゃって内心充実中のアンリも、賛同した。
ナイアルは三人の顔を見回し、そして間諜氏に向き合った。
「つうわけで。俺らはエノ軍との喧嘩を独自に続行しますんで、どうぞ今後の連携を、よろしくお願いしまっす!!!」
――あんちくしょーう。ウラ、てめえ! しっかり“準備”していきやがったなッッ。
ふんっ。
ナイアルは荒い鼻息をついて、首に巻いた濃紺覆面布に顎を埋めた。
【完】