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2 “紅てがら”

「姉ちゃん、本ッ当にごめん」


「いいよ別に。あんたは早く、お香湯こうゆの用意しな」



 ミオコ先生宅の玄関で、自分の腕を掴んだまま青ざめふぬけたウラに、俺んち寄ってけとつい言ってしまったナイアルである。


 玄関脇にはあのおじさんが待っていた、父ちゃんではなくお付きの人だと言う。



「ちょっとだけなら、いいんじゃないですか?」



 金髪とも赫毛あかげとも、どっちとも言えない不思議な色の頭をふるふる振って言う。


 優しそうな人だったけど、外套の中に短槍を持っているのが見えて、ナイアルは内心でぎょえっと思う。



――騎士なんじゃねえかよッ。そいじゃウラは、すげえ良いとこの坊ちゃんなのかッ!?



 しかも先程から何となーく、妙な感覚をちりちり感じてもいる……。とにかく誘ったてまえ、ナイアルは自宅へ二人を連れて来た。近所なのである。



「……“べにてがら”。きみんち、お店やってるの?」



 看板を見て、ウラが言う。


 ナイアルはうなづいて、裏玄関へ二人を通した。様々な来客に慣れっこのマリエル姉ちゃんではあるが、ひと回りも年の離れた弟が、貴族の大小を連れ帰ったのにはさすがに驚く。


 “騎士さん”には、商談用の小さな室でお湯でも飲んで待っててもらえ。“お友達”とは自室でおやつを食べろというわけで、ナイアルはまず商談室へ向かう。



「あららららら、何だかかえって申し訳なかったね」



 騎士はのほほんと笑って、湯気のたつ椀を受け取った。



「あれ?」



 しかし彼は、ナイアルが二つ目の椀を脇に置いたのを見て、真顔になる。



「どうぞ、ごゆっくり召し上がってくださーい……」



 ナイアルは騎士と目を合わせなかった。ぺこっと礼をして、そしてくるりすたすたと室をあとに、台所で自分達ぶんのおやつを補充して、二階の自室へ上がる。階段を上がりながら冷や汗を感じた。



――ひえー、怖ッッ。これで良いんだよなぁ、ばあちゃーん?



・ ・ ・



「驚いた……。見えるのかな、あの子?」


『……というわけではないみたい。ちょっと感じてるくらい……。でも、すっごく嬉しい! おいしいぃ! みてみて、お香湯だけじゃないわ、お湯受けの干しあんずまでつけてくれてる! わたし感激! あなた以外の人からのお供えなんて、百何十年ぶりかしらー!!』


「良かったですねえ。ところでこれ、何のお香湯かな」


『美女桜!』


「そこまでぴったりしたものを淹れてくれるのなら、見えてそうですけどね~?」



・ ・ ・



 どういうのが好きなのかわからないから、とりあえず自分の定番を多めに持っていったら、ウラは喜んでばくばく食べている。



「何これ! すっごくおいしーい!!」



 “昨日ぱんの残り”に牛酪ばたと熊にんにくをつけたやつを頬張りながら、ウラは言った。



「……こういうの、食わないうちなの?」



 ばらばらに割れて箱の底に残ってしまった“規格外”干し林檎をつまんで、ナイアルはたずねる。



「うん、初めて食べた」



 おぶう(ぬるめに冷ました白湯の事を、この家ではそう呼んでいた)の椀をすする手付きは、やはりお行儀がよろしい。



「それでさっきの話なんだけど、僕そこまで字が下手なんだね」



 ずいぶん立ち直ったらしい。というより通り越して他人ごとのように、ウラは言った。



「前はうちに先生が来てたんだけど、最近こうやって色んなところの教室へ通わされてさ。どうして三回四回通った後で、いつも変わるのかなーって思ってたよ」


「気づけよ」



 そこで上達の見込みなしとされて、変えさせられていたに違いない。



「え、だって周りの皆、誰もそういうこと言わないんだもん」



 ウラは大まじめである。



「ナイアルは、どのくらい教室通ってるの?」


「ん-と、六つの時からだから五年」


「それだけ通わないと、上手にはならないのかな」



 素質じゃねえの、と言いかけてナイアルは首を捻った。



「俺っちも、はじめの二年くらいはどうしようもなかったぞ」



 机の引き出しを開けて、底の方を探る。



「これ、八つの時の“お買いもの表”。精いっぱい書いたけど、今見るとださいよなあ……。“うみうし”の綴りも間違えてたし」 



――うしうみって何だよ、気づけよ八歳ん時の俺……。



「うみうしって買えるものなの?」


「買えるし食えるぞ。うちには置いてないが」


「へー。ね、これさあ」



 ウラはひらりと、古い半布をつまみ上げた。



「借りてっていい?」


「どうすんだよ」


「お手本にするよ」



 ぶはっ、とナイアルは腰掛から落ちそうになる。



「あほかお前! こんな下ッ手くそなの真似して、どうなるんだよ!」


「え、だってさ、僕壮絶に下手なんでしょ? いきなりきれいなお手本真似したって追いつけっこなさそうだけど、このくらいなら何とかって気がするし……」



 うしうみ、の部分を爪で引っ掻きながら、ウラは言った。



「それに、書いた人のわかるお手本って、その人っぽくて面白い気がするよ」



 話し出すと、ウラはけっこう面白い奴だった。


 ナイアルの部屋の窓辺にある金盞花きんせんかの小鉢を見て、水やりちょっと多いかも、石灰やってる? と何やら講義である。字はまずいが、園芸はそうとう好きらしい。


 流行り歌はいくつか同じのが気に入っていた。おちの所でつぼに入るらしい、自分で歌っておきながら、最後はひひひひと笑いが止まらなくなっている。


 やがてとんとんとんと階段を上がる音がして、ひょいと姉ちゃんが顔を出した。



「そろそろ一刻になるからね。ウラちゃん、お帰りな」



 マリエル姉ちゃんは、やさしく言ってゆく。


 夕方の買い物客がぽつぽつ出てくる頃だ。まもなく“紅てがら”も、本日最後の書き入れ時になる。



「楽しかったなあ。どうもありがとう、ナイアル」



 外套を引っかけ、階段を降りつつウラは言う。



「また来いよ」


「いいの?」



 降り切ったところで、ウラはきょろっと振り向いた。でかいみどり色の瞳がきらきらしている。



「いいよ。また次の時、ミオコ先生んちの後で」



 お客の合間から、勘定台の姉ちゃんとともに貴族大小に手を振る。


 騎士もにこやかに礼を返し、ウラを連れて帰って行った。


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