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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

『溺愛暴君』

【短編】溺愛暴君を連れてざまぁをする気はなかったんだ、本当だって。

 ※※※転生ヒロイン視点。溺愛暴君ヒーロー視点。ざまあターン。の三部の2万5000文字超え短編です※※※



 ついに、『聖女』が決まるため、発表を兼ねたパーティーが行われる。

 侯爵令嬢として、『聖女候補』の資格を持っていた私は長年、神殿で修行をしていた。


 修行序盤から、すでに強力な神聖魔法を持つ私に目を付けた王家が、縁談を押し付けてきたから、私は第一王子の婚約者でもあった。

 令嬢としての淑女教育とともに、妃教育も受けて、さらには『聖女候補』としての修行もする。


 過労死するんだが。

 と、訴えたかったが、”弱音を吐いてはいけない”と妃教育でも口を酸っぱく言われ、実家はそもそも見てもくれないので甘えられるわけもなく、神殿側も”期待を裏切ってはならない”と過度なプレッシャーをかけてくるので、逃げ場なし。


 前世、社畜な日本人の私は、ノーとは言えず、耐えた。

 ちょっと、誰かさらってくれるイケメン王子様いないかなー。あ、私の婚約者が王子様だったわ。

 そんな現実逃避の妄想をしていたが、婚約者の王子も大概だった。

 私の容姿を好んでくれたのはいいが、お茶会と言う交流を求めまくってきたのだ。教育の時間だったり、修行の時間だったり、それらを理由に断ると癇癪を起していた。ただの顔のいいワガママ王子だわ。

 ああ、素敵な怪盗が私をさらってくれないなぁー。

 もう暇があれば、逃避行妄想をするのが癖になった。その暇も、食事をしながらとか、馬車移動の中だとか。…………十代で過労死だな、これ。


 そんな私が『聖女』に決定したのは、実力だ。

 他の『聖女候補生』と見比べても、私の神聖魔法は強力。これで本気を出していないので、ちょっと『大聖女』の肩書きが欲しいかもしれない。

 肩書きだけください。仕事はいらないです。

 修行の時間がついに終わるので、これで一息つけると、パーティーの最中はほぼほぼ呆けていようと思っていた。

 令嬢モードで、微笑みを保って、頭の中はボケーとする。

 これで、いこう。

 休むって大事なんだよ? 知ってた?


 大体、『聖女』が過労死したら、婚約者に据えている王家だって、不吉な醜聞で嫌だろうに。

 このリート王国は、女神信仰が一際強い。『聖女』は特に、女神から直々に、魔物を退ける力を授かったと崇められている。だから、王家は目をつけた。

 今回『聖女』を発表したあとは、第一王子も王太子となる。強力な力の『聖女』の支持も得る王太子殿下の誕生だ。

 はぁ……出来れば、なりたくなかったな。『聖女』。王太子妃と『聖女』を両立しないといけない未来に、すでに疲れているもの…………。


 なんて思ったからなのでしょうか。



「この場は、『聖女』となったローズクォーツ・ジガルデをお披露目するパーティーだったが――――それは撤回する! ローズクォーツ・ジガルデが『聖女』に相応しくないと断罪して! 婚約破棄する!!」



 婚約者の第一王子に紹介される前に、喉を潤わせようと水をグラスで飲んでいたから、ブフッと噴き出してしまいかけた。

 危ない。私の令嬢モードはしっかり堪えてくれて、醜態をさらさずに済んだ。

 いや、でも、どうなんだろう。婚約破棄を声高々に告げられた時点で、アウト?


 ん?

 …………婚約破棄?

 おやおやぁ???


「ローズクォーツ・ジガルデ!」


 パーティー会場が騒然とする中、私の婚約者の第一王子トムロイド・イヴィ・リート。

 金髪と青い瞳を持つ美少年と美青年の狭間の王子様容姿の彼が、お茶会を断る度に見せていた不機嫌な顔で睨みつけてきて、私を指差した。


「お前は実家のジガルデ侯爵家では、傍若無人に振る舞い、実の妹を虐げたそうだな!!」


 逆ですね。

 妹は、両親と使用人に溺愛されている。強欲なほどにワガママ故、私が『聖女候補』だということも、第一王子の婚約者だということも、気に入らないと怒り狂っては、物を投げつけることもしばしば。

 両親は、必死に宥めていた。私を中傷する言葉を並べ立てて、いかに妹が素晴らしいかを言い聞かせていたのだ。

 両親が落ち着かせている間に、使用人は私に歯向かい、妹が可哀想だと言いながら、世話をいい加減にやっては、時には事故に見せかけて、熱湯を頭から被せようとした。そんな事故も、両親が大して咎めないと判断されるほど、私の冷遇っぷりは酷かった。

 おかげで、常に、誰からも触れられない結界を張って、家では過ごした。


 …………私の人生、ベリーハードよね?

 なんの試練? 私前世で悪いことした覚えないわよ? 立派な社畜して事故死しただけよ?


「証人! 妹のピンクパール・ジガルデ侯爵令嬢!」

「はいっ!」


 あ。出た。強欲ワガママ妹。

 ピンクパールの名を持つだけあって、瞳はそのピンクパールのような色。髪は桃色に艶めく白銀色。

 私も白銀色の長い髪で、瞳は暗いローズクォーツ色だ。暗い場所だと、血のような赤で不気味だと、誰かに嘲笑われたっけ。

 ピンクパールは、儚げな淡い色のドレスに身にまとい、肩を下げて自分の手を握り締めて震えた。

 庇護欲そそる装いだと思うが、そのドレスに散りばめられたパール…………多すぎない? いくらするの? そのドレス。冷静に、ドレスの価値を定めてしまう。

 じっと見る私の視線から、父が妹を隠してきた。


「実の妹をこれ以上、虐げるな! 見損なったぞ!」


 ええぇっ!!? 見損なうほどに、私って何か関心持たれてましたっけ!?

 父が演技派だとは知らなかった! え? もしかしてマジで虐げていたと信じていらっしゃる? こわ! 親の姉妹格差愛! こっわッ!!


「同じ娘だとは思えないわ!!」


 母まで妹の頭を抱き締めて、私を敵とみなした睨みを向けてきた。

 えええ! 同じ娘だと思われていたってこと!? 初耳だけど!?


「お姉様には、お母様とお父様がいない時に、わたくしには何もないと罵倒してきました! 『聖女候補』でも『王子殿下の婚約者』でもないわたくしを見下して! 心ない言葉をぶつけてきましたわ!」


 ついに、涙を流しながら、妹が証言をした。

 それ。あなたのただの勝手な劣等感よね。

 神聖魔法が使えないのも、王子の婚約者でないのも、私のせいではないでしょ。いつもないものねだりなんだから。


「こちらに、見ていた使用人がいます」

「はい。私どもは、侯爵家の使用人です。旦那様達が不在時は、いつもピンクパールお嬢様を虐げる言葉を投げつけておりました。我々が庇うと火に油でした。とてもじゃないですが、手に負えない傍若無人ぷりでした」


 あら。前に出てきたのは、何度か熱湯をかぶせようと躍起になっていた使用人じゃないの。結界で跳ね返るから、自分にかかって慌てふためていたのに……懲りないのね。


「使用人の些細な失態に癇癪を起しては物を投げつけてきました。被害に遭った使用人は、『王子殿下の婚約者』に歯向かうことが出来ず、泣き寝入りするしか出来ませんでした」


 妹を孫娘のように猫かわいがりする壮年の執事が、しれっと言うけれど、めちゃくちゃ歯向かってきたよね……。泣き寝入りした子って誰よ。連れて来てみてよ。

 パーティー会場にいる貴族達はざわざわしながら、困惑したり、妹に同情的だったり、私に軽蔑の眼差しを向ける。

 ふむ……。この場では、侯爵家の問題に、冤罪の証明が出来そうにないな。……しなくていい気がするけど。


「実の妹を虐げる性根の腐った所業! この者がいかに『聖女』に相応しくないか、わかるだろう!? だが、まだある! ともに修行した仲間である『聖女候補生』にも、嫌がらせをしていたそうじゃないか!!」


 なっ! なっ、なっ、なんだって~!?

 ……心の中で驚くのも、棒読みになってきたわ。まだ続くのかな。


「『聖女候補生』のステファニー・ネタイト伯爵令嬢が、代表して告発してくれる!」


 トムロイド殿下に呼ばれて、彼のそばまで歩み出たのは、ミルキーブラウンの髪をまっすぐに垂らしたステファニーだ。

 確かに『聖女候補生』の仲間ではあるが、彼女のライバル心はとても強くて、ああ、そうそう、私の赤味の強い目を嘲笑ったのは彼女だっけ。

 雑用も、平民の『聖女候補生』の子達に押し付けて、修行も手抜きが目立っていたのよね。ライバル心を抱くなら、力を入れて修行してほしいものだ。

 まぁ、そんな真っ当さを持ち合わせないから、嘘の告発なんてするのだろう。仲間内の嫌がらせなんて、身に覚えのない。


「『聖女候補生』のローズクォーツ嬢は、修行の雑用を平民の『聖女候補生』達に押し付けておりました! そして手柄だけを持って行ったのです! これは、立派な不正ですわ! 彼女は『聖女』には相応しくありません!」


 んー? 自己紹介かな? 私の話じゃなくて自分の話を始めたぞ~?


「こちらは、ローズクォーツ嬢が『聖女』になったあとに、『聖女補佐生』となる令嬢の二人です」

「『聖女補佐生』になれたことは誉ですが、『聖女』が横暴なローズクォーツ嬢では、不安でしかありません! 故に、告発します! ローズクォーツ嬢は不正を行いました!」

「私も『聖女補佐生』に抜擢されて嬉しかったですが! 『聖女』の資格を持ち合わせていない方の補佐など出来ません!」


 『聖女』の仕事を補佐するために『聖女補佐生』の役職があるけれど……立候補したと聞いたよ? 選ばれたんじゃなくて、立候補。

 確かに、あの二人はステファニーの取り巻き令嬢だったような……と、不思議だったけれど、その時点で企てていたのね。

 ……大丈夫かしら。私の力を、基準にして、仕事のスケジュールを組み込み済みなのに……。

 ……神殿関係者が、いねぇ。おいコラ。『聖女』のお披露目会だぞ。一人くらい参加しなさいな。

 これだから、ブラックな神殿は……。

 流石に、神殿側はこれを知らないわよね。私の力だけには崇拝している神殿関係者が、『聖女』の撤回を許すはずがない……。


 すでに決まっている『聖女の仕事』と、それから『解放』されることが、頭の中で天秤にかけれらた。

 グラグラ、ガタガタ。激しく上下する天秤だったが。

 ガッコーンッ!

 『解放』の方が勝り、『聖女の仕事』は遥か彼方まで飛んで行った。


 実家は私を見放している。聖女のお役目も反対の声が上がっている。婚約破棄も宣言された。


 さぁ! 私の処遇は!? はよ言って!! ドキドキ! 解放ドキドキ!!


「何回も何十回も、私との交流を断り、真剣に『聖女候補』の修行をしているかと思いきや、騙された! 欺いた罪は重いぞ、ローズクォーツ!!」


 忌々しそうに睨みつけてくるトムロイド殿下。

 お茶会を断ったこと、根に持ちすぎじゃない?


「『聖女』は、このステファニー嬢がなる! そして、新しい我が婚約者だ!」


 トムロイド殿下が手を差し出すと、照れた微笑みを浮かべて、ステファニーが手を重ねた。

 へぇー。『聖女』の座も、『王子の婚約者』の座もゲットか。ステファニー、やるねぇ~。拍手していい? だめ? あ、そっか。全部私から奪ったのか。すごいわ~。

 ……。普通に今あるスケジュールだと、ステファニーには荷が重いだろうけれど、ちゃんと調節してくれるわよね? 神殿関係者のヘイト顔が浮かんだが、忘れておこう。気にしたら負けだ。


 ん? 待てよ? そもそも、王家が私に押し付けたよね? つまりは、現国王陛下と王妃なんだけど。

 二階の王家のバルコニーを見上げてみれば、玉座に座る二人は失望した目で見下ろしていた。


 アッ。あなた方も、信じていらっしゃる?

 素晴らしい茶番だわ。拍手したい。


「陛下達に泣きすがろうが、情状酌量の余地はない! ローズクォーツ・ジガルデ侯爵令嬢! お前は国外追放だ!!」


 ついに、下った。私への断罪。処罰。

 国外追放!

 待ってましたテンプレーッ!!!




 あれよこれよと手配された馬車に乗せられて、国の外まで放り投げられた。

 果てしなく広がる無法地帯の自然を見ながら、数日は経ったのに、今更気付いた。



 ()()()()()()()()()()()()()()()()……!



 まっ。いっか!

 必要最小限のパーティーにしか参加しなかったから、交友関係が浅すぎて、助けてくれる人もいなかった。

 『聖女』も、『王太子妃』も、やらなくて済んだ。父には、勘当だから二度と家名を名乗るなとも言われたので『令嬢』ですらない。


 じ・ゆ・う・だぁああ~!!!


 王子、ありがとう! バカでありがとう! 妹とステファニーが手を組んだかどうか知らないけれど、女に騙されちゃって! あの顔だけいいナヨナヨワガママ王子が次期国王で、あの茶番を鵜呑みにした国王夫妻もいて、この国の行く末が心配だけれど、まぁなんとなるでしょ! 頑張って!

 社畜人生を経験済みだけど、わりと代わりっているからね! 自分がその仕事をしなくても、代わりに出来る人って存在するものよ! だから私が『聖女』じゃなくても、なんくるないさー!!

 『聖女補佐生』もいるし、力を合わせれば何とかなるっしょ! 王国だって優秀な人材はいるんだし、破滅したりしない! 大丈夫大丈夫!


 温情で多少の食料の入ったカバンを持たせてもらったので、肩にかけて、スキップする。

 ええっと、確かここは南東だって言ってたわね。この先真っすぐ行けば、大帝国ダークリンだ。

 この周辺国で一番怖い国家権力者。まだ若いのに、冷酷無慈悲な采配をする美しい皇帝が君臨する大帝国だ。

 とりあえず、その大帝国に行こうか。入国審査とかは大丈夫だろうから、あとはお得意の神聖魔法を駆使して、その日の生活費を稼いで、まったり暮らそう。

 魔物がうじゃうじゃしている辺境伯領とかが、狙い目よね。冒険者を雇って討伐しているだろうから、その冒険者の怪我を癒すお仕事。


 早く行った方がいい。

 最悪、国外追放を撤回させて、償いを理由に、神殿に飼い殺しされるかもしれないもの。

 断る! 私は、もう自由なんだー!!



 そういうことで、スタコラサッサと自国から離れるために、早歩きで突き進む。

 小まめに、水魔法で生み出した水で、水分補給。休む時に、乾パンをモグモグ。


 岩山を横切って、小さな林も通り過ぎて、どんどん進んでいく。


 なんもないなぁー。国と国の間って、こんなものなのか。

 国と国の間。どの国にも属さない宿屋とかないかな。

 ……ないんだろうなぁ。需要ないから。


 そういうことで、日が暮れる頃に適当な岩山の上に登って野宿。

 土魔法で地面を柔らかくして、緑魔法でふさふわの綿毛を召喚して、それをベッドにスヤァーした。

 もちろん、見えない結界付き。神聖魔法の結界は、魔物の不可侵領域だ。これは意識して張り巡らすのではなく、設置するだけでいいので、私が寝てしまっても維持されるので平気。他の『聖女補佐生』は、出来ないとのこと。やったことないけれど、何日も持つと思う。

 でも、過度な期待に辟易していたので”一晩だけ持つ”ってことにしておいたんだよね。

 満天の星々の下、開放感ある地上で、眠った。


 起きたら、朝陽が直下。まぶいっ。

 私。ベッド替わると眠り浅くなるのよねぇ……。綿毛ベッドを作ることを習得しても、改善出来なかった。だから仕方なく、侯爵家に帰ってたんだけど。枕なら枕を持ち歩くけれど、ベッドはなぁ……。収納魔法がなくて、残念。しょぼん。


 ストレッチをしてから、進行開始!

 歌いながら、順調に進んでいれば、魔物の気配が近付いてきた。

 魔物の群れが、出現したみたいだ。瘴気が集まるところに、魔物って出現する。

 一度、真逆の国境で増援に行ったことがある時に感じた気配に似ているから間違いない。でも、これはもう少し邪悪で、強い感じだ。

 これ、どう考えても、大帝国がマズいんじゃないだろうか。

 足を速めてみれば、遠くで戦っているのが、かろうじて見えてきた。


 うわっ! なんかあそこだけ戦争じゃん!!

 どうやら魔物の軍隊と、大帝国の軍が戦っているような形みたいだ! 小規模だろうけれど、最早、戦争!!


 頭一つ分どころか、人三人分は高い身長のミノタウロスの風貌の魔物が、大きな斧を振り回している。

 蹂躙とかじゃなくて、誰かと一対一で戦っているみたいだ。すごいな、あんな巨体と刃を交えることが出来るなんて。どんな強者だろう。

 気になりつつも、もうやぶれかぶれで、全力ダッシュした。

 ミノタウロスと誰かの戦いを中心に戦場と化している。甲冑姿からして、騎士の軍らしい。彼らが、魔物と応戦していた。

 やっと戦場に足を踏み入れたけれど、ミノタウロスと戦っていた人が、ついにやられたらしい。

 騎士達に動揺が走り、注目が集まる。私も目にすれば、後ろに飛ばされる黒髪の男性が血飛沫を上げていた。


 マズい! あの怪我は、今すぐ止血しないと!!


 そばの魔物は弾かれる不可侵領域の結界を張ったまま、彼の元まで、また全力ダッシュ。

 トドメを振り下ろされる斧の前に出て、結界を広げれば、ミノタウロスは押し負けてヨロけた。


 やべ。全力疾走しすぎた。

 ぜぇぜぇ、しながらも、後ろを振り返れば、彼を守ろうと構えていた騎士達と目が合う。呆気に取られて固まる騎士達に、手を翳して「ちょ、待ってっ」とタンマをかける。

 マジ、痛い。肺がぁ、横っ腹がぁ。深呼吸、深呼吸。


 倒れている黒髪の男性は止血をしてもらいながら、まだ意識を保っていた。

 困惑げのぼんやりした目で、私を見上げている。


「神聖魔法の使い手です。治療しますね」

「できる、のか?」

「はい。ご安心ください。すぐに癒しますわ」


 誰かを治療する聖女モードで微笑みかけてしまった。しょうがない。こうやって安心させた方がいいに決まっている。

 黒髪の男性が手を伸ばすから、周りに許しをもらって、その手を握り締めた。

 それだけで、安心して意識を手放してしまったから、急いで治癒を始める。両手で握り締めた手の主の負傷箇所に力を集める意識をすれば、あっという間だ。普段なら、手を抜いて痛み止めを施してから、ゆったりと時間をかけて傷を塞いでいたけれど、戦場でそんなことは出来ない。


「終わりました。他に負傷者はいますか?」

「そんな! こんな一瞬でバカなっ! ッ!? 傷が……ない!?」


 黒髪の男性の止血をしたであろう浅黒い肌の男性が慌てて確認しては、絶句した。

 深い傷はもう綺麗さっぱり消えたので、大丈夫。


「出血が酷かったでしょうから、二三日は安静に。他にも重傷者がいるなら、私、えっと……ええっと?」


 その浅黒い肌の男性に、黒髪の男性の手を託そうとしたのだけれど、しっかり私の左手を握り締めている。

 あっれぇー? 意識ないよね? 力強いな? 剥がれないぞ???

 気を失っている男性の顔を覗き込んでは、手を抜き取ろうとしたけれど、だめだ、抜けん!


 困って浅黒い肌の男性に手助けを求めるけれど、まだ呆然としている。だめだこりゃ。


 ミノタウロスは大きな斧を振り回して結界を壊そうと躍起になっているし、結界外ではまだ戦っている騎士達がいる。

 怪我人の確認がしたいけれど、なんか捕まってしまって、この場から離れられない。


 仕方ない。全力を出そうか。

 先ずは、発狂しているミノタウロスが煩いので、右手を突き付けた。


「滅!」


 ミノタウロス自身に結界を張って、凝縮してしまえば、神聖魔法が弱点である魔物は消滅するしかない。

 この技も、私にしか出来ない神聖魔法の大技だ。

 でも、流石に疲れるわなぁ~。あの巨体を閉じ込めて消滅させるのは……。魔力の消費量が半端ない。

 グラッと傾く身体をなんとか右手をついて、支えた。


 それから、えっと。うん。

 結界を広げる。騎士達が全員入るぐらいの広さまで広げれば、魔物達は弾き飛んだ。

 こっちは、まだ消費量は少ない。


「結界を張りました。光の円の中に、魔物は入ってこれません」


 そばに立つ騎士達に告げる。ちゃんと境界が見えるように、光らせておいた。


「命の危機がある方がいたら言ってください。治療します。その、えっと。なんとか駆けつけますので」


 未だに手を握って放してもらえないけれど、命の危機にあるなら、誰かがこの手を剥がすことを手伝ってくれるだろう。

 まだ戸惑う騎士達に「直ちに、現状の把握をして報告しろ!」と浅黒い肌の男性が声を飛ばした。

 ビクンと震え上がった騎士達が、奔走していく中、私もキョロキョロと重傷者がいないかを探す。


 仲間に肩を借りて、足や腕を噛みちぎられた者や、内臓が見えているほどの傷で、担架で運ばれた虫の息の者と、重傷者を治癒。右手で神聖魔法を流して治癒しながら、左手は未だに握り締められたまま。

 ……なんで、誰も彼の手を剝がしてくれないんだろうか。

 まぁ、どうやら彼がリーダー格のようだけれど。浅黒い肌の男性は彼の補佐官みたいだから、恐らく、指揮官なのは、この男性だ。あのミノタウロスと一戦交えていたであろう大剣は、ボロボロで砕けていたけれど、この細身で振るって戦っていただけでも最強。

 大帝国ってすごいなぁ。大帝国の騎士団だろうか? 最強だなぁ。


 はぁ。長距離を全力疾走したから、もう喉カラカラ。水魔法で水玉を出して、ぱくりと口に含んで、ゴクリと喉を潤す。

 二口目で、浅黒い肌の男性が、口をあんぐりしながら見ていることに気付いて、はしたなかったかな? と焦ってしまったが、自分はもう令嬢ではないってことを思い出して、笑って見せるだけで、また三口目を飲み込んだ。


 ……なんか全員に凝視されてない? 飲みづらい。

 しょうがないじゃないか! あなた方の指揮官さんが手を放してくれないから、離れられないのよっ!


「あ、あの……」


 やっと浅黒い肌の男性が声をかけてくれたので、なんでしょう、と聞く姿勢を取る。


「疲れて、いないのですか?」

「めちゃくちゃ疲れてますね!」

「疲れてるのですか!?」


 ドンッと答えてやったら、ギョッとされたんだけど。解せぬ。疲れてそうだから聞いたのではないのか。

 解せぬ。疲れてないって返答が欲しかったのか。


「もう遠くから急いで走ってきたので、へとへとですよぉ……」

「い、いや、そうじゃなくて……魔法の連発……結界だって維持したまま……」


 ああ。凝視してたのは、そういうこと? 治癒魔法連発して、結界を張ってるから、心配してくれているのね。


 結界維持は問題ないと言おうとしたら、ギュッと握られている手に力が加わったので見下ろした。

 長い睫毛を揺らして、琥珀色の瞳を開いた黒髪の男性。とても美形だ。

 ぼぉーと、私を見上げてくる。


「怪我は癒えましたよ。でも急に起き上がらないでください。血が足りてませんから」


 そう優しく伝えておく。


「ありがとう……。痛みはない」


 お礼を呟くように言うと、黒髪の男性は私の手を口元に持って行っては、ちゅっと口付けた。

 んんんッ!!? ななな、なんで口付け、ちょぉお!? どうして手を離さないんですかッ!!?


 手を抜き取ろうとする私なんて、気付かないみたいに黒髪の男性は、浅黒い肌の男性の方へと顔を向けてしまう。


「状況は?」

「はっ。この方のおかげで、巨大ミノタウロスは消滅し、魔物は結界に弾かれて、味方は全員無事です。致命傷の騎士までも、癒されました」

「何……? オレだけではなく、他の騎士まで?」


 ゆっくりと起き上がろうとするので、思わず私も浅黒い肌の男性と一緒に彼を支えた。

 黒髪の男性は、自分が握り締めている私の手を見ると「どうやって?」と尋ねる。

 ……ずっと握っていたって、自覚しているのね。


「その、()()が手を離さないので、こちらまで運び、治療していただきました」

「それは……負傷者に申し訳なかったな」

「いえ、感謝はしても、誰も恨みません」


「……ヘイカ?」


 シリアスな雰囲気のところ悪いけれど、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。

 ……この黒髪の男性。ヘイカって呼ばれたよね? 陛下。……陛下。


 ここは、もう大帝国のはず。

 そこで陛下と呼ばれるならば…………冷酷無慈悲の皇帝陛下しか連想出来ないのだけれど。


 冷や汗をダラダラと垂らしてしまう。顔を見るのが恐ろしくなったので、左手を上下に振ったのだけれど、相変わらず、手が解放される気配がない。試しに、左右にブンブンと振ったのに、無駄な努力で終わった。


「っ……!」


 クラッときてしまい、右手をつく。


「大丈夫か!?」

「魔法を連発しておりました! 巨大ミノタウロスも消滅させる神聖魔法を行使しても、我々を癒して、今も結界を張って守ってくださっています!」

「感謝する! もう結界を解いてくれ。あとはオレがあなたを守る」


 疲労が押し寄せる。これだめだな。我慢出来ない。寝たい。

 左手を握られたまま、私は地面に横になった。


「結界は……気にしないで、ください。疲れたので、寝ます。私のことは、どうぞ、気にしないで、置いていってください……結界が、守って…………ん……――」


 うとうとしながらも、ちゃんと伝えておこうと言っておいたけれど、意識が遠退くのが早かった気がする。


「……――――オレの女神……――」


 そんな声をかけられた気がするけれど、きっと気のせいだろう。





   ◆◆◆ノア視点◆◆◆




 冷酷無慈悲の皇帝ノアーズアーク・ダークリン。

 そう称されても、それくらいではなければ、周辺国や国内の貴族達とやり合えない。

 愚か者がバカをやらかさないように、先に根絶やしにして、見せしめにしておかないといけないのだ。

 尻尾を掴まれたら、負けだ。愚行を犯した者をひっ捕らえて、処罰を下す。

 無用なちょっかいをかけてくるなら、一族で吊るし上げる。

 笑みを貼り付けて、罠の張り合い。掻い潜っては、突き落とす。どこに行っても、そんな戦場だ。

 生き抜いた先で、冷酷無慈悲の皇帝の称号なら、オレはそれを誇ろう。

 大帝国を守り、仲間を守り、自分自身を守るそれに。


 辺境伯の旧友が病で倒れたと聞き、見舞いに来てみれば、魔物出現の予兆が出た。

 しかも、かつてないほどに、瘴気が濃い。

 これは強敵の魔物が出没するに違いないと、辺境伯の騎士団から精鋭を借りて、オレが連れてきた騎士団とともに出陣した。

 出現したのは、聞いたことがないほどに巨大なサイズのミノタウロスだ。束になっても無駄だと即座に判断して、オレ一人で応戦し、他の魔物の群れを葬るように指示を飛ばした。

 巨大な分、一撃一撃が重い。

 まさか、魔物相手に負けるかもしれないと思う日が来ようとは、夢にも思わなかった。


 騎士達に意識が向かないように魔法も放ち、大剣で受け止めてきたが――――大剣が持たなかった。


 砕けるとともに、後ろへと飛んだが間に合わず、斧の刃が身体を切り裂いた。


「陛下ッ!!」


 側近のプロトが止血して、護衛騎士達が立ちはだかる。


「やめろっ、逃げろっ……」


 そう言う声もみっともないほどに小さい。斧が振り下ろされる。これでは無駄死にだ。

 悔しさだけが沸き上がったが、その斧がこちらに届くことはなかった。


 地面に倒れたまま、見えたのは質素なドレスを着た女神。

 白銀の髪を靡かせた、紅水晶色の瞳のまだ少女と呼べる年齢であろう美しい女性。


 苦しげに呼吸している様子だが、オレの方は妙なくらい呼吸がしやすい。なんだか、空気がいきなり澄んでいるようだ。

 自分の汗を、袖で拭う彼女が神聖魔法を使ったのか。


「神聖魔法の使い手です。治療しますね」

「できる、のか?」

「はい。ご安心ください。すぐに癒しますわ」


 綺麗な微笑みから、深い慈愛を感じた。藁にも縋る思いで手を伸ばすと、柔い温もりに触れる。

 意識が遠退くから、絶対にこの手を放すものかと、握り締めた。




 目を覚ました時に、まだ手の中に彼女の左手があったから、ホッとする。

 目を覚ましたオレに、心地のいい慈愛の声をかける彼女は、一体誰だろうか。

 女神が降臨したと言われても、信じられる。


 感謝と愛おしさを込めて、握った手に口付けをしたら、真っ赤になって取り乱した雰囲気となった。

 ちょっと安心してしまう。

 彼女は、人間だ。年相応の少女。よかった。女神では、手に入らないかもしれないからな。


 反対側についていてくれた側近のプロトに状況を確認すると、この少女は、オレ以外の重傷者も癒してくれたという。気絶しても離さなかったために、重傷者の騎士にはここに来て治療を受けたのか。申し訳ないと眉を下げると、プロトは首を振った。オレがあの巨大ミノタウロスを引き付けなければ、彼女が来るまでに死者が出ていただろう。

 プロトの報告の中で、やっと彼女はオレが皇帝だとわかったのか、顔を強張らせて、冷や汗を垂らしながら、オレが握ったままの自分の手を取り戻そうと振り回した。

 オレの評判に怯えているのか。皇帝だということに恐れてをなしているのか。どちらかはわからないが、可愛い足掻きをついつい眺めてしまった。

 すると、クラッと頭を揺らして倒れかけたものだから、ヒヤリと焦りが突き刺さる。

 それほど『冷酷無慈悲の皇帝』のオレが嫌なのかと。そうだとしても、この手を絶対に離さないと、握り直したが。


「魔法を連発しておりました! 巨大ミノタウロスも消滅させる神聖魔法を行使しても、我々を癒して、今も結界を張って守ってくださっています!」


 と、プロトは報告してきた。あのミノタウロスを消滅? ただでさえ、魔物一匹を消滅させる神聖魔法は魔力を消耗する技だったはず。それなのに、重傷の怪我を癒して、まだ結界を張り続けていた。


「感謝する! もう結界を解いてくれ。あとはオレがあなたを守る」


 もう無理をしなくていいと声をかけるが、彼女はゆっくりと身体を傾けると、地面に横たわってしまう。


「結界は……気にしないで、ください。疲れたので、寝ます。私のことは、どうぞ、気にしないで、置いていってください……結界が、守って…………ん……――」


 うとうとと瞼を閉じたり開いたりして、ぼそぼそと言っている途中で、彼女は意識を手放した。



「――――オレの女神……――」



 置いていくだって?

 オレには出来ない。なんでそんなことを言うんだ。

 一体、命の恩人を何もない平地に放っておいていくバカが、どこにいるという?


 自分の左手で、そっと頬に触れて、白銀の髪を退ける。

 すぅすぅ、と寝息を立てている顔が、穏やかで、癒されてしまう。ああ、なんてあどけない寝顔なんだ。愛おしい。


「陛下。まだ結界の外に魔物がいます」

「あのミノタウロス以外なら、なんとか倒せるだろう。皆で討伐を」

「あ、あの、陛下。それが……結界はまだ維持されているようです。光の円が、まだあります」


 蹴散らして、彼女をベッドに運んでやらねば。

 と、思ったのに、近衛騎士が指さす方を見てみれば、光る線が見えた。その向こう側には、うろつく魔物達が見えた。


 ポカンとしたあと、スヤスヤと横たわる彼女を見下ろす。


 彼女が気を失う前に口にしていたのは…………”結界が守ってくれるから、気にしないで、置いて行って”か?


「…………プロト」

「はい」

「……彼女、人間だよな?」

「……おそ、らく……」


 プロトが、自信なさげにオレと一緒に、彼女を見下ろす。


「眠っていても結界を維持し、重傷者を何人も癒した神聖魔法の使い手が……何故こんなところにいる? 一人だったか?」

「はい。お一人でした。辺境伯の騎士達も知らないとのことです。あと……彼女、水魔法で水分補給までしていらっしゃいました」

「は……?」

「水玉を出して、パクパクと飲み込んでいました」


 プロトの言葉は嘘ではないと肯定するかのように、うんうん頷いて見せる騎士達。


 …………人間だよな?


 思わず、また顔を覗き込んだ。

 水魔法なんて、神聖魔法並みに使い手が少ないほどに高度な魔法。それを水分補給で使えるほど、洗練されている魔法の使い手? 人間だよな? 女神か? 正真正銘の女神か? なら、どうやって繋ぎ止めればいいだろうか?


「あの、皇帝陛下。この方が駆け抜けながら、落とした荷物が、こちらに」


 辺境伯の騎士が一人、彼女の荷物と思しきカバンを差し出してきた。

 プロトが代わりに受け取ると、中を覗き込んだ。


「人間、らしいですね」


 プロトがポツリと零す。こいつも疑っていたか。


「乾パンと干し肉……金貨三枚……リート王国発行となっていますね。こんな軽装で、リート王国からやってきた……?」

「リート王国? 女神信仰が強い王国ではないか。強力な神聖魔法の使い手の彼女なら『聖女』と祭り上げられてもおかしくないが……」


 荷物の中の手掛かりで、リート王国から来たと予想が出来たが、謎が深まる。

 どう考えても旅をする荷物ではない。『聖女』と言われれば、納得の使い手ではあるが、それにしてはドレスは簡易なものだし、一人でいる意味がわからなかった。


「う~……」


 彼女が寝苦しそうに眉間にしわを寄せる。

 しまった。地面に寝かせたままだった。とりあえず、両腕で抱え上げる。地面より、オレの腕の中がいいと思ったが、横ではプロトが簡易の寝床を作り始めていた。


「聖女は、嫌ぁ~」


 ピクリと反応した。

 プロトも、動きを止める寝言。


「過労死、回避ぃ~むにゃ~」


 過労死? 物騒だな……。

 と思っていれば、腕の中をよほど気に入ってくれたのか、擦り寄ってくれる。

 キュンと、胸が締め付けられた。


 嗚呼、なんて可愛いんだっ!


 安心しきった緩んだ寝顔に、どうしようもないほど、愛しさで胸が締め付けられた。


「陛下。まだ名前も知り合っていない異性です。堪えてください」


 口付けの雨を、額と頭と顔にしようとしたことを、何故わかったのやら。

 止めてきたプロトの優秀すぎるのも考えものだと、思った。




   ◆◆◆ ◆◆◆




 半年後。

 リート王国の王太子が誕生したことを盛大に祝うパーティーが開かれた。

 そこは、ローズクォーツが断罪された場所でもあった。

 そういえば、そんなこともあった、という話題を笑い話として口ずさむ。


 無事、王太子になったトムロイドは、上機嫌に挨拶を交わした。用意しされた玉座に見立てたソファーに座っているだけで、次々と貴族達が挨拶してくれるのだ。



 そのそばに立つステファニーは、厚化粧でなんとか誤魔化していたが、顔色が悪いほどに疲弊していた。

 せめて、婚約者として隣に座らせてほしかったが、今日の主役である王太子トムロイドは、真ん中に陣取っている。


 ステファニーは、もう疲れ切っていた。


 渇望していた『聖女』の座も、『王子の婚約者』の座も、手に入れて有頂天になっていたのは、最初だけ。


 『聖女』の座を奪ったと知った神殿側は、激怒。騒いだところで、すでに王家が認めてしまったのだから手遅れだとほくそ笑んだ。平民の『聖女候補生』は、どうせステファニーに逆らえない。なんとか王家と交渉して、ローズクォーツの国外追放を取り消させて、償いと称して働かせるとのたまった。それはそれで目障りだったローズクォーツが下について働く姿を見れることは愉快で楽しみだったが――――今は連れ戻されることを、今か今かと待っている状態だ。


 神殿長が”自分が『聖女』だと言い張るなら、ローズクォーツ嬢がこなすはずだった仕事をこなせるはずだろ”と怒気を放って睨みつけてきたから、”もちろんです”と胸を張った自分に平手打ちをしたい。

 ローズクォーツ用の『聖女』のスケジュールは過酷だった。すぐさま魔力は枯渇して、癒すことは出来ない。結界も、維持する時間が長すぎて、最後にはボロボロとなる。『聖女補佐生』が二人ついても、ローズクォーツが予定していたスケジュールを半分もこなせなかった。

 ”ほらな”と神殿長は吐き捨てて、ひと月経つ前に、スケジュールを調節してくれたが、それもギリギリだ。

 血反吐を吐く思いでこなさなければいけない『聖女』の仕事。こんなはずじゃなかった。

 『聖女補佐生』が辞めたいと言い出したが、一緒に破滅したいのかと脅す。共犯なのだ。抜けるなんて許されない。


 ただでさえ、ステファニーは『聖女』の仕事で疲弊していた。

 しかし、立太子が決まっている王子の婚約者だ。王太子妃教育を、早急に詰め込まなくてはいけなかった。

 あれやこれやと詰め込まれられる知識や作法に、頭がパンク寸前。

 疲労のあまり働かない頭のせいで、再三の注意を受けて「ローズクォーツ嬢は一度で覚えましたが」と嫌味を言われる始末。


 嫌になって、交流を目的にしたお茶会に誘ってくれる婚約者を理由に、休もうとした。

 憧れの的の王子。ちょっと神聖魔法が強いって理由だけで、彼を独占したローズクォーツが憎たらしい。

 煌びやかな王子と優雅なお茶会。それが休息だったのも、最初だけ。

 見目がいい王子から語られるのは自慢、自慢、自慢。自分の自慢ばかり。

 こちらから最新の話題を振っても、間違った知識が返ってきて、「(んん?)」となる始末。モヤモヤする。

 さらに、思ったような反応をしないと、露骨に不機嫌になるから、適度におだてないといけない。休憩どころではない、ストレスが貯まる時間だった。

 どうりで、ローズクォーツが何十回もお断りを入れていたわけだ。腑に落ちた。


 過酷な『聖女』の仕事。急ピッチで詰め込められる妃教育。婚約者の王子のご機嫌取り。

 泣きたいのに泣けない忙しい日々に振り回された。


 せめて。せめて、ローズクォーツが戻ってきて、『聖女』の仕事を少しでも減らしてくれたら……。

 と、切実に祈ってきた。


 今日は王太子のお披露目のパーティーだから、神殿側も『聖女』の仕事を休ませてくれた。

 だが、せめて座りたい。自分だけソファーにふんぞり返る婚約者を恨めしく思いながら、微笑みを保つステファニー。


 こんな思いをしてまで、手に入れたかった座ではなかったのに。

 本当に、泣きたくても泣けなかった。



「大帝国ダークリンの皇帝陛下とその婚約者の入場!!」


 会場入口のドアマンが、入場者の名前を高らかに上げて響かせる。

 冷酷無慈悲の皇帝となれば、その声も力み、パーティー会場内も、緊張でざわつく。

 敵に回してはいけない人物。大帝国の権力者。大物だ。


「ダークリンの皇帝に婚約者なんて、いたか?」


 トムロイドは、そばに控えるステファニーに尋ねた。


「い、いえ、存じ上げません」

「何故知らない!」

「(っ、王族のあなただって知らないじゃない!!)」


 自分も知らないことを棚に上げて責める声を浴びせるトムロイドに、ムッとしてしまう口を引き締めるステファニー。

 知っていたところで、教えても、感謝もしないのだ。

 この間は『ローズクォーツなら、普通にこなしていたぞ』とまで言ったのだから、彼はなんの努力もしない顔だけがいい王子だと思い知ったステファニーは、言い返したい言葉を呑み込んだ。


 そりゃローズクォーツもお茶会の誘いも断って、他のことやるわよ!

 と、心の中だけで悪態をつく。


 真っすぐ会場を進み、こちらに歩み寄ってくる皇帝とその婚約者。

 黒髪と琥珀の瞳を持つ美形は、細身の長身だ。腕を絡めた婚約者は、赤みに艶めく黒髪を右肩から垂らして、ベールをつけて顔を覆い隠していた。

 優雅な黒のドレスは、うっとりしている者達を釘づけにする。皇帝もその婚約者も、魅惑な雰囲気。


 ひらりとベールが捲れて、一瞬その顔が見えた時。


「――――お姉様?」


 半年前、悲劇のヒロインとなったピンクパール・ジガルデ侯爵令嬢が、そう口にした。

 びく、と小さく皇帝の婚約者は震えた。


「お姉様? お姉様なのよね!? なんでいるのよ!!」


 カッとなって、ピンクパールは掴みかかろうとしたが、サッと婚約者を背にした皇帝はすぐさまその手を掴み、捻り上げた。「きゃあ!」と悲鳴を上げようが関係なしに、床へと突き飛ばす。

 転倒したピンクパールに、ジガルデ侯爵夫妻は、すぐさま駆け寄り起き上がらせた。


「な、何をなさるのですか!?」

「こっちのセリフだ。このオレの婚約者に触れてみろ。殺すぞ」


 冷酷無慈悲の皇帝は、冷たく吐き捨てる。

 恐怖で震え上がったジガルデ侯爵一家は、言葉を失う。

 周囲も巻き込まれたくないと、遠巻きに見る。


「見張っておけ」

「はっ」

「!?」


 皇帝の護衛騎士が二人、ジガルデ侯爵一家のそばに立ち、冷淡な眼差しで見下ろした。


「大丈夫か?」


 ピンクパールと打って変わって、腰に手を回して婚約者の頭を撫でる皇帝は、優しさを見せる。

 こくりと頷く婚約者のベールが揺れる。


「これはもういいだろ」

「あっ」


 そっと外したベールを、控えていた側近プロトに持たせる皇帝ノアーズアーク。

 露になるのは、赤みのある黒髪に包まれたローズクォーツ色の瞳の美少女。


「ローズクォーツ!?」


 特徴的なその瞳と、顔立ちから、髪色を変えていてもわかった。

 真っ先に飛び上がってまで驚いて声を上げたトムロイドを筆頭に、気が付き、周囲はざわざわし始める。


 ギロッと、トムロイドを睨みつけたノアーズアークは、婚約者の手を引きながら、目の前に立つ。

 気圧されて後退り気味のトムロイドの胸ぐらを掴むと、床に放り投げた。


「きゃあ!?」


 目の前で婚約者の王太子が投げられた光景を見て、悲鳴を上げずにはいられなかったステファニー。


「な、何をっ!」

「もう婚約者でもない相手を呼び捨てにするな。ましてや、もうオレの婚約者だぞ」

「いっ!?」


 バッと起き上がったが、ノアーズアークの威圧に勝てずに立ち上がれずにいるトムロイドは、自分の玉座に座られて呆気にとられた。

 一人で座るには大きいが、二人で座るには狭い。そんなサイズの椅子に、躊躇なく座ったあと、ノアズアークは甘い微笑みを向けて、繋いだ手を引き寄せる。そして、自分の左膝の上に婚約者を乗せた。


「皇帝陛下! その者は国外追放された身! 罪人です!」


 すぅ、とノアーズアークの琥珀の瞳が冷酷な鋭利な光を宿して細められたため、婚約者を指差した手を素早く引っ込めるトムロイド。


「国外追放なら、公にされていないが取り下げられている。そんなことも知らなかったのか? ずいぶんとリート王国は、お前に甘いようだな」

「えっ? と、取り下げっ?」


 知らなかった。トムロイドは、自分が発表した処罰が取り消せる国王夫妻を見上げた。王族のバルコニーからこちらを見ている二人は、顔が真っ青だ。


「そうでなくとも、国外追放を言い渡されたのは、『ローズクォーツ・ジガルデ侯爵令嬢』だ。もう『ローズクォーツ・ジガルデ侯爵令嬢』は存在しない。ジガルデ侯爵家は彼女を除籍しているからな」


 フン、と鼻で笑い退けるノアーズアークは、小ばかにした言い訳を口にした。



「ここにいるのは、我が大帝国の辺境伯の養女『ローズ・ペルシアン』だ。最強の神聖魔法の使い手で、我が婚約者にして、未来の皇妃」


 熱を帯びた瞳で膝の上のローズを見つめて、誇らしげに微笑みかけたあと。


「――――身の程を弁えろよ?」



 トムロイドを含む会場の者達に向かって、冷たく見下して、言い放つ。


「今回、貴様の立太子を祝いに来たのは、ついでだ。目的は、愛しのローズの汚名を雪ぐために来たまで」

「お、汚名……?」

「(権力で追放の罪を消そうってことか!? 冷酷無慈悲! 噂以上の暴君じゃないか!!)」


 正直、パーティー会場の大半が、トムロイドと同じことを心の中で絶叫した。

 どうやってローズが取り入ったかはわからないが、ローズの罪が暴君の手によって帳消しにされる。大国の皇帝相手では誰も逆らえないと、恐怖で震えて縮みこもった。



「我が愛する婚約者を貶めた者を断罪する」



 バタンッ。


 そこで倒れたのは、色々限界が来たステファニー。


「ステファニー!?」

「過労だな。欲張ってローズの『聖女』と『王太子妃』の座を手にしたツケだ」

「はっ……?」


 四つん這いでもステファニーの元に行こうとしたトムロイドだったが、興味なさげなノアーズアークの言葉に動きを止めてしまう。


「貴様は非情な婚約者だな。こんな風に倒れるまで、婚約者を気遣ってやりもしなかったのか? まぁ、自分しか見えていないようなナルシストなんだろう?」


 ハッ、と嘲るノアズアークに、カッとなるトムロイド。


「僭越ながら、皇帝陛下! ロー、ッ、婚約者殿に、一体何を吹き込まれたかは存じ上げませんが、私はナルシストではない!」

「倒れた婚約者の元に、駆け付けないほどに言うべきことか? それ」


 呆れ果てるノアズアークと、無言のローズ。



「貴様は、周囲に甘え、何も出来やしない無能のナルシスト王子だ」



 そして、言い切ったノアーズアーク。


「な、何を知った風に!」と、真っ赤になって怒った顔をするトムロイド。


「そこに倒れた婚約者は、元は『聖女候補生』であり、ローズの悪行を告発することで『聖女』に繰り上げたそうじゃないか。だがその告発、ちゃんと裏を取ったのか?」

「えっ?」

「ああ、調べはついている。お前はそこに倒れた婚約者どもの告発だけを鵜呑みにしたのだろう。悪だと喚く輩だけに耳を貸せば、全てが悪になると言うのに……このリート王国は、後継者にそういう教育をするようになったのか?」


 おちょくるノアーズアークに、トムロイドはひたすら困惑をする。


「プロト」

「はい。調べによりますと、半年前に『ローズクォーツ・ジガルデ侯爵令嬢』が断罪された内容は、王家が軽く調べています。あくまで、軽く。告発した当時の『聖女候補生』の三名の証言のみです」


 そばに立つ浅黒い肌の男性プロトが、紙の束を見て淡々と話し始めた。


「こちらが調べたところ、”ローズクォーツ・ジガルデ侯爵令嬢が平民の『聖女候補生』達に雑用を押し付けて傍若無人に振舞っていたと()()()”という証言がありました」

「ほら!」

「ただし、告発した三名以外から、実際に現場を見たという証言は一切ありませんでした。故に雑用を押し付けられた平民の『聖女候補生』は()()()()()()()()()()

「へっ……?」


 トムロイドが一喜一憂するも、気にせずにプロトは続ける。


「平民の『聖女候補生』に聞き込みをしましたが、『ローズクォーツ・ジガルデ侯爵令嬢』に雑用を押し付けられた者は誰一人として名乗りを上げませんでした。逆に、告発した当時の『聖女候補生』の令嬢三名から”雑用を押し付けられなかったか?”という問いに対しては、沈黙をしました。肯定でも否定でもなく、沈黙です。彼女達の防衛と主張でしょう」


 ポン、と紙を叩いて見せてから、その手を上げて、くいっと招く仕草を見せた。

 悲鳴が上がったかと思えば、大帝国の人間達が、告発した『聖女候補生』の令嬢二名を注目の場に押しやったのだ。

 現在『聖女補佐生』を務める二人は、もう疲労困憊の顔を真っ青にしていた。


「顔がすでに物語っているが……あえて聞かない。だが、()()()()()()()()()()()()()()()()


 冷酷無慈悲の皇帝は、ローズの頭の上に手を置いて、冷たく言い放つ。

 ガタガタと震える令嬢二人は、よろよろとその場に座り込んだ。

 その様子が物語っている。


 肯定も否定も口にせずに、沈黙した平民の『聖女候補生』達。

 何も言わない告発者達。

 ノアーズアークの膝の上で静観するローズも、沈黙。


 沈黙が、全てを語っていた。



 ローズクォーツ・ジガルデ侯爵令嬢が、傍若無人に振る舞い、雑用を押し付けていた事実はない。



「い、いや! 待て! でもっ! ローズクォーツ・ジガルデ侯爵令嬢は! 『聖女』に相応しくない者だった! 侯爵家だって!!」


 婚約者に騙されていた事実から、立ち直れていないが、かろうじて踏み留まったトムロイドは、まだ罪はあるのだと声を上げる。

 確かにローズクォーツ・ジガルデ侯爵令嬢は、『聖女』に相応しくはなかったのだと。

 それだけは事実だと。

 そこに縋りつく。


「『ローズクォーツ・ジガルデ侯爵令嬢は、侯爵家で傍若無人に振る舞い、妹のピンクパール・ジガルデ侯爵令嬢と使用人達を虐げた』という罪状ですね」


 やれやれと言った風に、プロトはノアーズアークの目配せを受けて、次の紙を読み上げた。


「ジガルデ侯爵家に聞き込みをしたところ、『ローズクォーツ・ジガルデ侯爵令嬢の悪口』は、山のように聞けました」

「ほらな! 妹や使用人を虐げる卑し、ひぃっ!」


 言葉の途中で、冷たい刃を突き付けられたような殺気を受けて、トムロイドはひっくり返る。

 殺気立つノアーズアークの背中を、そっとさすって宥めるローズ。


「内容は口にするのも、嫌ですので割愛しますが、結局のところ、”『聖女候補生』であり『王子の婚約者』であるローズクォーツ・ジガルデ侯爵令嬢に比べて、ピンクパール・ジガルデ侯爵令嬢が可哀想”という話ばかり。『侯爵家の長女』を敬う人がいなかったために、『ローズクォーツ・ジガルデ侯爵令嬢の世話』について聞き込みを入れると、彼女には専属のメイドがいましたが、そのメイドこそ、半年前にこの場で侯爵家の代表として証言したメイドです。結果から申し上げますと、そのメイドが世話をすべき『侯爵家の長女』のために働いた証拠がございません。ピンクパール・ジガルデ侯爵令嬢のために、昔から働いていた証言ならありました」


 不愉快そうに眉間にシワを寄せて語ったプロトは、どういうことかわかっていない様子のトムロイドの顔を見て、ため息をつく。


「わかりやすいように得た証言を挙げるとすると『ピンクパールお嬢様が特に機嫌が悪い日以外は、ちゃんとローズクォーツ・ジガルデ侯爵令嬢に食事を出していた』という料理人の言葉でしょうね。たまに抜かれることを除けば、食事だけはとらせてもらった家庭環境にあったということです」

「やめてよっ!! いやあッ!!」


 くいっと人差し指を曲げて見せるプロト。そこに響いた少女の金切り声。

 先程、皇帝ノアーズアークに投げられたピンクパールとその両親が、騎士達に押しやられたのだ。


「ジガルデ侯爵家では『ピンクパール・ジガルデ侯爵令嬢が溺愛されている』ことがよくわかりました。(くだん)のメイドと同じく、証言した執事ですが、彼は孫娘のようにピンクパール・ジガルデ侯爵令嬢を溺愛しているそうですね。ジガルデ侯爵夫妻は目に入れてもいたくないほどに猫かわいがりをして、姉の立場を嫉妬して癇癪を起せば、宥めたそうではないですか。『姉の方は可愛くない』『妹の方が可愛い』と、姉を貶める発言をして、妹を褒めて癇癪を宥めていた。そういう家庭環境で育ったローズ様は、家族意識が薄れていらっしゃいます。そもそも興味がございません。なので、『優秀ではない妹』をわざわざ罵倒するような言葉をかけませんよ」

「嘘よッ!!! わたくしを貶めて!! 酷いわお姉様!! 嘘ばっか!!」

「喧しい声だ。自分がどんなに醜い顔をしているか気付きもしないで、愚かな」


 ピンクパールの叫びに、嫌悪に満ちた顔を引いて、ノアーズアークはぐいっと片腕でローズを抱き寄せた。


 ハッとして自分の顔に触れるが、自分が可愛いと信じて疑わないピンクパールは、気にせずにローズをキッと睨み上げる。


「娘を虐げておいて、溺愛する妹を虐げたという冤罪を被せるとは、親失格だぞ」


 ノアーズアークは、侯爵夫妻へ冷たく吐き捨てた。


「なッ! 我々は虐げてなどいない! ちゃんと教育を受けさせて、豪華な生活で育てた!」


 反論するジガルデ侯爵に対して、プロトは質問を投げる。


「では、ローズ様の好きな食べ物はなんでしょうか?」

「え? それ、は……」


 オロッと視線を泳がすジガルデ侯爵は妻の顔を見るが、こちらもオロオロと視線を泳がすだけ。


「甘い物は好きでしょうか? 辛い物は好きでしょうか? 嫌いでしょうか?」

「そ、そんな……そんなこと、料理人なら知っている!」

「その料理人は誰一人として、ローズ様のお好みを把握しておりませんでした」


 プロトがバッサリと切り捨てると、ざわっと周囲が騒ぎ出す。

 娘の好物一つ、思い浮かばないのは、異常だ。しかも、仕えている料理人も、提供する相手の好みを把握していない。我が家では考えられないと、こそこそ話す声は、ジガルデ侯爵夫妻の耳にも届き、赤くなったり青くなったり。


「では、好きな色はなんでしょう?」

「――っ」

「好きな紅茶は? 砂糖は入れますか? 好みの菓子は? 花は好きでしょうか? 嫌いでしょうか? 庭園によくいかれるのか、部屋には飾られるのか」

「私はメイドではないんだぞ!! 知るか!!」


 もう自棄だった。何一つ答えられない。周囲の冷たい視線に耐え切れず、叫んだジガルデ侯爵。

 顔色の悪いジガルデ侯爵夫人は、ピンクパールが余計なことを言わないように、口を押さえ込んでいた。


「ふむ。そうですね。では、専属メイドだった方にも尋ねてみましょう」


 一理あるみたいに頷いて見せたプロトだったが、計画の一部のため、すぐさま(くだん)のメイドを連れてこさせる。もちろん、大帝国の人間が腕を握り締めて、連行してきたのだ。


「あなたに質問です。元ローズクォーツ・ジガルデ侯爵令嬢の好きな食べ物はなんですか? 好きな色は何ですか? 好きな紅茶は? 花は好きですか?」

「知りませんよッ!!」


 次から次へと寄越された質問を跳ね除けるメイド。


「知らない。ということは、やはりローズの世話を放棄していたのだな? 厚かましくも平然と給与はもらっていたくせに、嘘の証言をしてローズを嵌めた。まぁ、貴様の場合、他にも余罪がある。ここで自供した方が身のためだぞ」


 ノアーズアークの噂を聞いているメイドは首を竦めたが、ジガルデ侯爵一家と目を合わせて、口を噤んだ。


「ならば、拷問だ。猶予は半日にしようか。オレもこんな王国から少しでも早く帰りたいからな」


 あっさりと拷問を決定するノアーズアークは、軽い口調だ。

 拷問と聞いて足が竦んだメイドだったが、半日だけ耐えればいいと思えば、なんとかなると考えた。


「そうだ。好みの一つ知らない貴様にいいことを教えてやろう。ローズは欠損部位も、傷口が塞がっていない限り、治癒が出来る神聖魔法が使えるんだ」


 ざわっ! 一際大きな動揺が駆け巡る。

 それほどの治癒の神聖魔法は聞いたことがない、と。


 ノアーズアークはローズの背中を撫でて、冷たい笑みをメイドに向けた。


「ローズは慈悲深いんだ。だからお前の切った指は、ローズが治してくれるだろう。何心配するな。ローズはそれを繰り返しても、疲れないらしい。お前が熱湯をかけようとも絶対防御していた結界に続き、最強だろう?」


 ヒュッと喉を鳴らすメイドは、咄嗟に自分の手を握り締めて自分の指を隠す。



「切っては生やして、切っては生やす。さて――――貴様は、何度指を生やすんだろうな?」


 冷酷無慈悲の皇帝が、そこにいた。



「うっ」と気持ち悪さを込み上がらせて呻く貴族が何人もいるが、大半は恐怖で動けず、立ち尽くす。


 プロトの頷きを合図に、連れてきた騎士がメイドを連行しようとしたが、メイドはその場に額をこすり付けて白状した。


「嘘の証言をしました!! ローズクォーツお嬢様は、ピンクパールお嬢様を虐げた事実はありませんッ!! 申し訳ございませんっ! お許しくださいっ!!!」


 はっきりと言う。ピンクパールを虐げたことなどない、と。


「ちょっと!! 余計なこと言わないでよぉ!! 裏切り者ーッ!!」


 キィー! と叫ぶピンクパールは、自ら肯定しているようなもの。


「だ、そうだ。リート王国の王太子よ。我が婚約者の汚名返上だ。かつてローズクォーツ・ジガルデ侯爵令嬢だったローズ・ペルシアン辺境伯令嬢は、悪行などしていない。『聖女』に相応しい令嬢だった。そうだな?」


 鋭利な琥珀の瞳が、トムロイドを射抜く。

 茫然自失状態のトムロイドは、のろのろとローズを見上げる。


「君が……無実だったなんて……し、知らなかったんだ」

「知らなかったで済むような話か? 国外追放を決定するなら、王家はしっかり調査するべきだった。国外追放後に、実は無罪でした、って証拠が出ないようにな。それなのに、王国一番の権力者が――――なんたる無能!」


 ギロッと、バルコニーの国王夫妻を睨み上げるノアーズアークは、軽蔑をたっぷり込めて吐き捨てた。

 今もなお、そこにいるだけの王族に、嫌悪しかない。

 同じ統括者として、肩を並べたくもなかった。


「お前は無能だ、王太子。本来なら王太子になっていい人材でもないが、周りも無能ときた。無能どもが結託して、優秀な『聖女候補生』のローズが『聖女』になることを阻み、優秀な『王子の婚約者』だったローズをその座から引きずり下ろしたが、国外追放を決定したのはお前達王家だ」


 事実を、これでもかと突き付けるノアーズアークに慈悲はない。


 涙が込み上がるトムロイド。

 自分の王国なのに、その王族が無能と蔑まれているのに。当の本人達は反論が出来ない。

 王族のプライドなど、粉々だ。威厳も何もあったものではない。



「――――トムロイド殿下」


 そこで初めて、ローズが口を開いた。

 ローズクォーツ色の瞳のローズは、躊躇するように間を開けてから、告げる。


「慰めにならないとは思いますが……」


 沈黙していたローズは、何を口にするのか。会場の一同は耳を傾けた。



「こんな風に大帝国の皇帝を連れて、報復する気は全くなかったんです。ごめんね!」



 そんなこと言われても、本当になんの慰めにならないッ!!!


 謝罪されても、何にもならない。むしろ惨めだと、トムロイドは震えたが、殺気立つノアーズアークの前で言えるわけがなかった。



 しかし、ローズからすれば、本当にざまぁをするつもりはなかったのだ。


 国外追放されてテンプレラッキー! と、嬉々として飛び出した時、冤罪を晴らすなんて微塵も考えていなかったのだから。

 むしろ、こうやって公衆の面前で、全て冤罪だったと明かしてリート王族を侮辱することを止めたかった。止められず、もう現実逃避で、この場にいるしかなかったのだ。


 ホント、ごめんて。めんごめんご。

 もう一周回って、軽い調子で謝って許されたい。これでも、頑張ったのだ。



「でも、私がノア陛下の婚約者になった以上、大帝国の汚点と思われないように、被せられた冤罪は晴らすしかなかったのです」



 未来の皇妃として、弱点は残せない。帝国民に不安や疑心も与えてはいけないと考えて、結局折れて、こうして来たのだ。


「それに、神殿が私の強力な神聖魔法を狙って追跡者を放ったので、こうでもしないといけなくて……。髪を染めて来たのも、神殿の追手を欺くためでした」

「え? お、追手? なんで?」

「それはお前達がしっかり調べておけ。まぁ、追放されたことをこれ幸いと考えて、神殿で酷使しようと目論んでいたんじゃないのか。神殿も叩けば、埃が出るだろうな」


 ローズが髪を黒に染めているのは、別にこの会場の人間を欺くためではなかった。

 神殿はローズの国外追放を取り下げさせたあと、追跡者を放ったのだ。

 それらはノアーズアーク達が対処してきたが、いい加減諦めてもらわなくてはいけない。


 ノアーズアークは、倒れたっきり魘されているステファニーを一瞥するが、すぐに興味をなくす。



「我が未来の皇妃の祖国ということだけに免じて、リート王国を属国にしてやる」


 大帝国の支配下となれ。

 皇帝ノアーズアークは、そう宣言した。



「なっ、なんてことを言う!? 我々は友好国のはずでは!?」


 バルコニーの手すりを握り締めて、国王は声を荒げる。


()()()。オレの女神にした仕打ちから、リート王国の無能っぷりがわかったのでな。同じ土俵にいると思われるのも虫唾が走る。有能な我が大帝国の支配下にあった方が、国民はよっぽど安心すると思うが?」


 どこまでも愚弄するノアーズアークの言葉に、国王は真っ赤になって震えた。


「わ、我が城でそんな横暴! 許されると思っているのか!?」


 そんな発言をすれば、敵に囲まれることになる。あまりにもこちらをバカにして見くびっていると叫んだ。


「ハッ! ここまででやっと自分の城と主張するか。今までオレ達の独壇場だったから、オレの城かと勘違いしていた。これは失礼。だがな。ローズをここに入れた時点で、お前達は負けている」


 ククッ、と喉を鳴らすノアーズアークから、膝の上のローズに注目が集まる。

 ローズがなんだというのか、と。


「ローズの結界は、敵を弾き飛ばせる。それもこの城をまるっと覆えるほどの巨大な結界も張れるんだ。そちらが反抗すると言うなら、締め出してやろうか? 自分の城から締め出されるとは、目も当てられんな」


 愉快そうに嘲笑うノアーズアークを横目で見て、ローズは内心で肩を竦めた。


「(敵は敵でも、ちゃんと悪意を持っていないと弾けないんだけど……。まぁ、これを言った時点で、私に敵対と言う悪意を持っただろうから、きっと締め出せちゃうだろう。本当に国王達が自分の城から締め出されるなんて、目も当てられない……。でも、ノアならやるのだろう。同じ統括者として無能と見做した者を放置出来ない。彼は、敵には、冷酷無慈悲の皇帝だ)」


 城から弾き飛ばされる王族を想像して、笑えないローズ。でも容赦なく実行するであろうことを、この半年一緒にいて、理解している。


「リート王国の妃教育も受けた私が管理をすれば、そう窮屈な思いもしないでしょう。これは私からの慈悲です。問答無用でこの国に攻め入ることも出来ますが、無用な争いを避けて、双方に被害者を出さないためです。リート王家も、この場で無能を証明された今、そうする他ないかと」


 スッと背筋を伸ばして、ローズは国王に向かって声を響かせた。


「(……ノアの膝の上だけど)」


 背筋を伸ばして威風堂々の口調で言い放ったが、ちゃんとかっこつけられているだろうか。些か疑問である。


 それはさておき、王家の無能っぷりを証明された貴族達の士気など、どう足掻いても上がりっこない。戦争となれば、敗北はすでに目に見えていた。

 最早、妃教育も受けていて、リート王国に理解あるローズの管理下にあった方がマシと言う意見の元、あちらこちらの発言権を持つ貴族がバルコニーの王へ伝える。

 リート王国の国王は、白旗を上げて、属国に下ると表明した。



「よし。これでローズの心の霧は晴れて、オレと愛し合えるな?」


 ノアーズアークの今回の動機は、ローズの受けた仕打ちをしっかり報復したかったこともあるが、一番は神殿の追手から保護してから、流されるがままに城に連れて来られたローズが、求婚になかなか頷いてくれなかったからである。ほぼほぼ強引に婚約者に据えたが、未来の皇妃にはなれないと拒んでいた。

 それは、祖国で汚名を被っていたから。


「(オレのことは嫌いじゃない、むしろ好きだと言ってくれて、有頂天になったのに、この王国のせいで求婚を断られた時は本気で滅ぼしたかったんだが)」


 わりと本気で思ったことである。


「(”大帝国の国民が、皇妃の素性を知ってしまった先に、不信感で混乱させてしまうのは嫌だ”と言える時点で、立派な皇妃だというのに…………嗚呼、オレの女神は本当に愛おしい)」


 うっとりと見つめて、ローズの顎を摘まみ、そっと顔を寄せた。

 しかし、口元をローズの両手に覆われてしまう。


「はい。ありがとうございます、ノア……。あなたの皇妃として、頑張りますね」


 ローズクォーツの瞳は熱っぽくノアーズアークを見つめ返して、はにかんで微笑んだ。


「っ! 愛してる! ローズ!」

「ちょ! 人前ですよっ!」


 堪らずに抱き締めてしまうのは、ローズが可愛すぎるから悪いと、ノアーズアークは言い訳した。



「(頑張って暴君を手なづけてくださいね、未来の皇妃様。……まぁ、頑張らなくても”すでに”、でしょうが)」


 生温かく見守っていたプロトは、心の中でエールを送ったが、すぐさま踵を返して切り替える。


「王国の方は決まりましたが……あなた方の処罰をいたしましょう」

「……ヒッ!」


 ピンクパール達に、極寒を感じさせる笑顔を見せてやったプロトは、凍てつく目で見下ろした。


「まさか、皇妃になるお方を虐げた罪に、罰が下らないとは思いませんよね?」


 ジガルデ侯爵家は取り潰し、待ったなしだ。



 神殿は神聖魔法の使い手を働かせすぎていることが発覚。

 神殿長曰く、”女神から授かりし力は全力で使うべきなのだ”という主張の元、過剰に働かせていたという。


 女神信仰の強い王国故、『聖女』になるはずだった最強の神聖魔法の使い手のローズを蔑ろにした罰が下ったと国民は信じて、平穏な暮らしを送らせてくれるローズに日々感謝の祈りを捧げた。


 そんな国民を見て、いかに自分が愚かだったかを痛感して泣いた王太子トムロイドは、心を入れ替えた婚約者のステファニーを王太子妃に迎え入れて、王国のために献身的に働いている。



 どこかの国では、また大帝国の冷酷無慈悲の皇帝が、リート王国の最強の神聖魔法の使い手の令嬢を奪い去って、人質にして属国にしたという事実無根の噂が広がったが――――。


 その冷酷無慈悲の皇帝とやらが、その最強の神聖魔法の使い手の令嬢を、骨抜きになるほどに溺愛している姿を、目の当たりにしている大帝国の民の笑いの種になるだけだった。




 



短編から書き始めたのですが、長編バージョンも書きたいな(主に溺愛暴君ノア視点が)となったのですが、サクッと短編バージョンから仕上げようってことに気が変わり、仕上げました。

長編バージョンではいかにノアが溺愛して、婚約者として確保した工程を書きたいですね!

まぁ、そのうちに!!



よければ、こちらも! まだ新作!

『【短編】白い結婚の王妃は離縁後に愉快そうに笑う。』

https://ncode.syosetu.com/n0553ik/

サクッとハッピーエンドのざまぁモノ!


『【短編】気だるげな公爵令息が変わった理由。』https://ncode.syosetu.com/n1511ik/

転生悪役令嬢×無気力キャラ変の溺愛公爵令息のイチャラブ!


↑日間と週間のランキング1位2位取れました! ブクマ、ポイントをありがとうございました!



本日、第一章完結予定の連載↓

https://ncode.syosetu.com/n4861ij/

【気付いたら組長の娘に異世界転生していた冷遇お嬢】

略称『冷遇お嬢』です。

天才幼女なお嬢(異世界転生者)×ヤンデレ吸血鬼青年のお世話係の組み合わせです。

なんちゃって現代日本舞台のヤーのつく家のお嬢様だけど、何故か冷遇されている子に、記憶なしで転生しちゃった元オタク女が、下っ端組員の吸血鬼の美青年に助けられながら、冷遇打破しては……な、お話!

健気な純愛タイプなヤンデレです。溺愛あり、ざまぁありです!



2023/09/11

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