5
「この度は、どのようなご用件でしょうか?」
現れたのは大きな眼鏡をかけた、20歳ほどの青年である。眼鏡にかかった前髪も相まって若干陰気な気配を感じたので、前世のオタクを思いだして懐かしい気持ちになる。
とは言え所作は丁寧なもので、農民上がりとはとても思えないものだ。
そのほとんどが貴族家であったり王宮で働くことになる文官の試験には、所作や身だしなみといったマナー項目もあるので、試験に合格しているジュールも当然最低限貴族家で働くマナーを身に着けている。
「調べて貰いたいことがあります」
「えぇ、レナルド様よりそれだけは伺っております。何をお手伝いしましょうか?」
「まずは、ここ10年ほど国内で流通している外貨を、消費目的も合わせて教えてください」
「…………外貨ですか?」
突然私が呼び出したのは、子供のお願い程度だと思っていたのかもしれない。
妹に頼まれて断れなかった兄様が、一番身分の低いジュールを送り込んだと思われていたのだろう。
実際は違う。平民である彼には、貴族家として生まれた私達にはない感覚がある。それを知りたて彼を指名したのだ。
「はい。領内でも外貨は流通しているはずですが、自由民の納税として認めていないと聞きました。その理由を教えていただけますか?」
私の知識は、混ヴで見知った未来の知識だ。故にそれらがこの世界、この時間軸でも使える知識とは限らない。残念ながらレティシアは経済について一切興味を持っていなかったようなので、今後の計画の為にはこの世界に詳しいサポーターが必要なのだ。
「……畏まりました。まず、最も流通している外貨は隣国アプト共和国の発行する通貨、アプト硬貨です。当領地だけでなく、王国全土で流通しています。商人は国内でもアプト硬貨を扱うことが多いですが、それは『金貨本位制』という制度が関わってきます。ご存知ですか?」
こういうのは、最早ゲーム知識とは関係なくなってくるな。昔勉強した無駄知識から必死に引っ張り出して、唸りながら答える。
「えぇっと……ラグランジュ王国で使われている貨幣はルメル硬貨ですが、混ぜ物をした硬貨ですので、大金貨でも金の含有量は高くない、ということくらいは」
「はい。正確に言うと、ラグランジュ王国のような貨幣制度のことを、『管理通貨制度』と呼びます。この制度で重要なのは、貨幣の価値は国が保証するものであり、金属の価値と貨幣としての価値が必ずしも一致しないというところにあります」
「つまり、アプト硬貨は違うということですね?」
「はい。アプト共和国の発光するアプト硬貨は全て『金貨本位制』によって作られており、金貨の価値が金貨に含まれる金の価値と同じになります。ここまでは分かりますか?」
「え、えぇと、は、はい、何となく」
レティシアの不勉強を恨む。信用通貨と非信用通貨について前世の知識からなんとなく認識していても、こう口に出して説明されると「教科書ください!!」なんて言いたくなる。
けど、たぶんあったよね教科書。レティシアが真面目に聞いてなかっただけで、たぶんこれまで勉強した内容なんだよね……。
「二つの通貨を比べると、アプト共和国の発行したアプト硬貨は仮に国が滅んでも硬貨が含有する金相応の価値が残りますが、ラグランジュ王国のルメル硬貨はそうではありません。王家の保証がなくなった管理通貨に価値はないのです」
「……商人からしたら、国の情勢で価値が変わる硬貨より、金に裏付けされた価値のある外貨の方が使いやすい、ということでしょうか?」
ジュールは頷き、棚から一冊の本を取り出して机に置いた。本の名は『大陸全貨幣一覧』。どうやら大陸内、過去から現在までの全ての貨幣を記載している書物のようだ。
一枚一枚、金の含有量から価値の移り変わりまで書かれている。こんな本が出てくるということは、政務を行う者にとっては重要なことなのだろう。
「当然ながら、国内ではルメル硬貨の方が優れています。金の含有量によって価値を決めるアプト硬貨には発行国による保証がなく、贋金が横行しているからです」
「えっと、重さだけでしか測れないから、ほぼ同じ重さで作られた贋金と見分けがつかない、ということでしょうか?」
「その認識で間違いありません。毎度毎度贋金を疑って鑑別するでは手間がかかりますからね、信用した商人同士ならば鑑別の手間を省いて取引に使いますが、小売りとして使うにはリスクが大きい、それがアプト硬貨の特徴です」
「…………なるほど?」
あった、アプト硬貨のページはここか。
アプト硬貨の全てには、金が含まれているようだ。金貨でイメージしたのは純金100%のものだったが、金が何%含まれているかで硬貨の価値が変わると書かれている。
金を使うことが出来るのはアプト共和国が世界有数の金の産地というところも大きいが、貨幣制度の異なる複数国の集合体であるアプト共和国は、長年続く王家のようなものがないことから国が硬貨の価値を保証することが出来ず、泣く泣く金の価値に頼って硬貨そのものに価値を持たせる必要があったようだ。
「最初の話に戻ります。そのような事情を加味した上で、納税にアプト硬貨を認めない理由は分かりますか?」
「えっと……贋金鑑別をしたくないから、ですね?」
「正解です。仮に鑑別の結果贋金を見つけたところで、それを税として持ち込んだ商人をどこまで裁けば良いのか、という問題に当たってしまいます。商人は自身が取引に使っているアプト硬貨を本物だと思っているケースがほとんどですからね。どんな商人でもどの硬貨を誰から受け取ったかなんて一枚一枚管理してませんから、仮に裁くとしたら関わった全ての商人を裁くことになります。そんな政治はマニュエル公爵家では行っておりませんので、一律で納税に外貨を扱うのを認めない、という結果に繋がります」
「はぁー……なるほど……」
簡単な話ではないと思っていたが、そんな理由があったとは。
確かに領民から無作為に犯罪者を出したくない以上、領民を疑ってかかる制度を採用するのは難しい。いくら商人がアプト硬貨で収入を得ることがあるとはいえ、それをそのまま納税に使うには問題点が多いということだ。
ルメル硬貨は、ラグランジュ王国の王家だけが発行することで硬貨に信用がある。しかし王国が滅べば価値は無くなるし、王国から離れてしまっても価値は無くなる。
アプト硬貨は、金を含有していることで金相当の価値を信用できる。しかし王家といった巨大な庇護下に入っているわけではないことから贋金が流通している可能性はあり、小売りでは使えず、また納税にも使えない。
「商人は、リスク回避のためにどちらの良いとこ取りもしたい。どちらの通貨に価値がなくなっても資産を残しておきたい――故に、外貨を保持し流通させているんですね」
「なぁるほどぉ…………」
私が知りたかったのは、この世界で金を含有する外貨が流通している理由だ。
外貨の流通自体は混ヴのゲーム内で語られていたので知っていたが、これからの目的の為に、正しい知識を知っておく必要があったのだ。
納得だ。ここまで分かってようやく、道筋が見えてきた。
「…………ところで、何故お嬢様がそんなことを知りたがっていたんですか? お嬢様の理解が早くてつい話しすぎてしまいましたが……」
ようやく冷静になったのか、ジュール――いやジュール先生はそんな疑問をこちらに投げてくる。あ、そういえば何も説明してないのによく教えてくれたな。こんなの、そのうち嫁ぐ女に必要な知識ではないというのに。
「そうですね……もしもの話をしましょうか」
「……はい」
「ラグランジュ王国内で巨大な金鉱脈が見つかった場合、どうなるでしょう?」
先生は私の疑問に対し、怪訝な顔で返した。勿論、そんな話はない。だって、噂自体が出回るのは今から2年後のこと。そして、鉱脈が見つかるのは更にその翌年だ。
第二部で増えた攻略対象、移民商人マキラのルートでだけ語られる話なのだ。
しばらく口に手を当てて悩んでいたジュール先生は、重たい口をようやく開ける。
「大規模な金鉱脈が見つかったとして、ラグランジュ王国が『金貨本位制』になる――ことだけは絶対にありえません」
「それはどうしてですか?」
「現在王国内で流通しているルメル硬貨は、100兆ラウに上るとも言われております。それら全てを置き換えない限り、正しき意味での『金貨本位制』とはなり得ません。逆に言うと、全て置き換えない限りは『管理通貨制度』の方が国としては都合が良いわけです。国内にあるルメル硬貨全てを溶かして作り直す手間は現実的ではありません。それにより、いくら大鉱脈が見つかろうとも、『金貨本位制』に移行する可能性は0と言えます」
それは、マキラも言っていたことなので覚えている。金が見つかろうが、金を国内貨幣として使う可能性はない。そうなると、用途は二つ。
「金が発掘されることとなれば、加工または輸出用になると思われます。ただし、加工に関しては国内には金細工職人の数が少ないため、おそらく大部分が輸出用に――ラグランジュ王国は、強大な外貨獲得システムを得るわけです」
そう。金が見つかれど、それを貨幣にすることはない。ならば何に使うかと言われれば、全て国外へ流すのだ。
元から国外を飛び回っていたマキラは、何とかして金の流通に関わって利益を得ようとする。それにより、商人だけでなく自由民や農民、兵士や全ての国民を巻き込んだゴールドラッシュが起こるのだ。
ゴールドラッシュは他のルートで語られないだけでなく、そもそもマキラルートにしか存在しないイベントである。オリーブとマキラが関わったことで大鉱脈の発見に繋がるからだ。学院の生徒でないマキラが登場しないルートでは、起こるはずのないイベントである。
「場所はここ、王国北西部――レスピナス山脈」
壁に掲げられていた大きな大陸地図の一か所を指して言う。
「……そこは、今から300年ほど前に廃坑になった銅鉱山です。何故そこなんですか?」
「乙女の勘です」
「…………はい?」
流石のジュール先生も、私の渾身のボケに論理的な突っ込みを返すことは出来なかったようで、ずり落ちる眼鏡を押さえこちらを見てくる。
「ここでは鉱毒事件が起きてますよね」
「…………えぇ、廃坑となったのはそれが原因です。以前は立ち入り制限がかかっていましたが、近年山林に関しての制限がなくなり、地元民による林業が行われているはずです」
「伐採が進むと作業員の一人がレスピナス山脈に流れる川に砂金が含まれていることを見つけ、瞬く間にゴールドラッシュが起こる――可能性は、あると思いますか? ジュール先生」
「……先生?」
あ、思わず口に出しちゃった。けどあんまり気にしないで貰えると助かるかなっ!
「仮に見つかったとしても、鉱山における鉱毒問題は解消されていませんよね。いくら金があろうとも、入れば死ぬと分かっていて、国を挙げての採掘は行えないでしょう」
そう、問題はそれだ。マキラルートで起きるゴールドラッシュには、鉱毒問題を解決するイベントがあった。それは、オリーブちゃんの存在だ。
とある老人からの頼みで、オリーブちゃん達はレスピナス山脈で廃坑になった鉱山に入る必要があった。そこで彼女が癒しの精霊にお願いして土地を浄化し、鉱山に入り遺品を回収する。そんなイベントが起きたのが、ゴールドラッシュの契機となる。
そう、オリーブちゃんは、鉱毒に侵された山脈そのものを浄化してしまったのだ。
それにより、鉱毒問題が解消され、ゴールドラッシュの下地が出来る。
考え無しのオリーブちゃんと、加減を知らない精霊さんの合わせ技で起こされた大イベントなのだ。
あのイベントが起こるのは、マキラルートだけ。
1年生の時、街に出かけたたところで偶然マキラに遭遇し交流したオリーブちゃんが、後日彼と一緒に遊びに行った先で不思議な老人と出会うのが始まりだ。
老人は昔山で亡くなった弟の遺品を死ぬ前になんとしてでも見つけたいと語り、オリーブちゃんが老人の依頼を受ける。そして前述の通り山脈そのものを浄化し無毒化し廃鉱山へ入り、遺品を見つけて老人に渡すと、老人は砂のように消えていった――。
結局あの老人が何だったのかは作中では語られない。幽霊だとか土地神だとかいろいろな説があったが、設定資料集でも、『レスピナス山脈の老人:不可解な言動で主人公らを導く』といったほんわかした説明しかなく、たぶんシナリオライターもそこまで深く考えてないよね、とマキラファンの中で結論付いたものだ。
「例えば、聖属性魔法や神属性魔法で無毒化することは出来ないんでしょうか?」
「……一応、歴史書には鉱毒による被害を受けた住民を神官が癒したという記載はあります」
「神官――神属性魔法ならば、鉱毒を癒すことが出来る、ということでしょうか?」
「……申し訳ありませんが、確証はありません。その分野には詳しくないものでして、必要とあらば資料を請求しますが」
「んー…………いえ、大丈夫です。それはこちらで探そうかと思います」
ジュール先生にそこまで頼るわけにはいかない。いくらお兄様の補佐をしている文官とはいえ、私の付き人ではないのだ。彼にも仕事があり、我儘で今日一日開けて貰ったに過ぎない。何日もかかるような調査をお願いするのに、ジュール先生は適していない。
「何故お嬢様は、そこに金鉱脈があると確信しているのでしょうか?」
私が悩んでいると、ジュール先生は意を決してそう聞いてきた。
まぁ、そうだよね。私は未来の歴史を知っているから具体的な場所まで断定出来るだけで、現時点ではレスピナス山脈で砂金なんて見つかっていないし、鉱山としては廃坑になって長い。何故そんなところで突然金が見つかるか分からないと言われたら、その通り。
正直に「ゲームで知りました!」なんて言いたいけど言えるはずもないし、仮に説明したところで気が狂った女扱いされて終わりだ。だから、徹底的にぼかしていく。
「夢で、見たのです」
「…………夢、ですか?」
「えぇ、そのあたりで金が取れるという夢を。ですが、やはり確認は難しそうですね」
「……そうですね。正夢か確認しに行くにも、リスクが大きいかと思われます」
ジュール先生は私が突然レスピナス山脈に飛んでいく可能性を考慮している。流石に、自分の助言により公爵の娘が死んだなんてことになったら、いくら優秀な文官でも一族郎党死罪にせざるを得ない。そんな状況は避けたいであろう。
「安心して下さいませ、ジュール先生。私は、何の勝算も無しに突撃するような娘ではありませんから」
ニッコリと笑顔で返すと、ジュール先生の頬がピクリと引き攣った。勝算があれば行くと言ったようなものなのだ。
「あ、え、えっと、差し出がましいことを言うのは何ですが――」
「大丈夫ですよ」
「流石にお嬢様自ら行くのは――」
「安全を確保してからにしますから」
「やっぱり行く気なんですね!?」
「だって知りたいんですもの!!」
バンと二人して机を叩き、近距離で向き合う。
あら、案外整った顔してらっしゃるのね、ジュール先生。攻略対象になるほどじゃないけれど、サブキャラとしてはそれなりに人気になりそう。そんなゲーム脳を発揮させ、数秒。
ジュール先生が顔を赤らめて離れていった。
あらあらあらと余裕ぶって笑顔になった後、ちょっと考えたらあとほんの少し近づいたらキ――接吻をする距離に顔があったことに気付き、あわわわわと慌てる。
「そ、そそそそういえば」
「な、なななななんでしょうお嬢様」
えっと、落ち着け落ち着け。冷静になりましょう、レティシア。
確かに私は生娘だけれど、しばらく嫁ぐつもりはないの。オリーブちゃんの幸せを見届けてからだから、最低でもあと4年くらいは一人身を続けるのよ。
まぁ、全部終わってしまえばどうなるかは分からないけれど、出来ることならオリーブちゃんの近くで暮らして彼女を見ていたいなぁとか、そんなこんな。
「も、もももう一つ! 知りたいことがあるのですが!!」
「な、なんでしょう!?」
「金だけの話ではないのですが、マニュエル公爵家の領地外で、何らかの自然素材が新たに発見された場合、そこに当公爵家が噛むことは可能でしょうかっ!?」
マキラルートで発見されたのは、金鉱脈だけではない。
あれはあくまでオリーブちゃんが癒しを行ったを契機に偶発的な事象が連鎖してゴールドラッシュに行き着いただけであり、オリーブちゃんが自ら金鉱脈を掘り当てたわけではない。
だが、オリーブちゃんが自ら発見し、マキラと共に販路を開拓する素材もある。
「それは、産出物によると思いますが――」
「塩です」
「…………塩?」
「えぇ、岩塩をご存知ですか?」
「……はい、王国での産出記録はありませんが、他国から輸入されてはいます。海水塩とは栄養や雑味が異なると聞いておりますが、私自身が口にしたことはありません」
「夢で見ました。このあたり――の地下。全部岩塩です」