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「はい? 今何と仰いました?」
舞台はパーティ当日へと移る。パーティも終盤、挨拶も食事も終わり、宮廷音楽家による演奏会が始まっている。
同い年の貴族令嬢ということで招待していたが、これまで親しくしていた記憶のなかった子爵令嬢、ブリジットと話をしていると、聞き覚えのある単語が飛び込んでくる。
「精霊ですわ、レティシア様。当家のお隣、クラデル男爵家のご令嬢が、伝説の精霊魔法に目覚めたという噂が回ってきたのです」
「…………本当?」
「大本当ですわ」
ゲームに登場していなかったブリジットだが、彼女は所謂魔法オタクであった。混ヴでの魔法知識がこの世界でも通用するかと彼女から話を聞いていたところ、驚きの話題である。
(それ、オリーブちゃんじゃないの!?)
内心ドッキドキである。混ヴの主人公であり私の大好きなオリーブちゃんの魔法適正は、人族の中では1000年に一人と言われている精霊魔法である。
「そ、その方のお名前とかご存知でいらっしゃいます?」
「私もそこまでは……。クラデル男爵家は子沢山で、妾の子や養子を含めれば子息が20人以上いらっしゃいますし、男爵様にも10年以上前に会ったきりでして……」
少しだけ申し訳なさそうな顔をするブリジット。あくまで噂レベルで、そこまで喰いつくとは思っていなかったのかもしれない。そもそも、そんな話をいきなり信じる方がどうかしている。精霊魔法とは、それほどに珍しい適正なのだ。
(オリーブちゃんは兄弟が沢山居るって設定があったわね。けど、20人も居たかしら?)
当然、ゲーム作中に兄弟は登場しないが、そんな設定が資料集に書かれていたのは覚えている。
というより、オリーブの過去については意図的にストーリーでぼかされているようなのだ。そこがファンの考察もとい妄想の余地を生んでいるのは間違いないし、メディアミックス作品でも作者によって解釈が分かれる部分である。
「……いえ、構いません。それにしても、精霊魔法ですか。確か、最初に契約した精霊と生涯を共に過ごすんでしたよね?」
私がそれを知っているのが意外だったのか、ブリジットが急に明るい表情になる。
「そう。そうなんです! 精霊、憧れますわ……」
空を見上げ精霊に想いを馳せるブリジットを見、つい口を開いてしまった。
「でも、ブリジットも来年には会えるじゃないですか」
口にした瞬間凍り付いた世界を、私はしばらく忘れないであろう。
「……え? 何故ですか?」
「…………あ」
あ、いや、これはまずった。
来年、ブリジットも私と同じ魔法学校に入学する。1年生の秋にあるイベントで、オリーブちゃんが世界中の精霊を呼び寄せるというシーンがあったのだ。
通常は不可視である精霊も、オリーブちゃんのお願いによって可視化され、皆は初めて精霊を目にする。精霊魔法を信じていなかった同級生たちが彼女を見直す、というイベントだ。
(や、やらかしましたぁー!!!)
冷や汗が流れる。どうしようどうしよう、あのイベントって大体のルートであるしたぶん累計100回以上見たから、何か皆知ってて当然な気がしてたけど絶対そんなことないわ。な、なんて言い訳すれば良いのこれ!?
「え、えぇと」
滝のように汗を流しながら、あわあわと両手を動かしていると、ブリジットが何かに気付いたのか、「あ」と声を漏らす。
「……ひょっとして、精霊祭ですか?」
「そ、そう! それれれす!!!」
ブリジットの助け舟に涙を流しながら、彼女の両手をぎゅっと握る。
あったあった、精霊祭! イベントCGに付けられた名前である『奇跡の精霊召喚』は覚えていたのに、そのイベントがあった行事を忘れていた。
精霊祭だ。ラグランジュ王家は太古の昔に精霊と契約して国を興したという伝説があり、その日を祝う行事が年に一回行われる。とは言え首都以外では大した催し物はないのだが、学院は首都にあるのでそれはもう盛大に祝われる行事だ。
「ふふ、レティシア様ったら、精霊祭で精霊様に会えるなんて、御伽噺ですわよ?」
「そ、そうなの? 会えないんですか?」
優しそうな笑みを向け「えぇ」と返したブリジットは、ひょっとしたら爆笑を抑えてるのかもしれない。これはたぶん、サンタクロースは居るよ! って高校生が言うようなものかな。
あ、やばい、恥ずかしくなってきた。けど誤解されただけマシ……だよね?
「10年に一度、亜精霊の目撃証言は出ますが……あら、でも言われてみると、来年がその年な気がしますわ」
「や、やっぱり会えるじゃないの!」
「ふふ、会えると良いですわ」
やっぱり馬鹿にされてるね! 貴族の身分差からしたらとんでもない不敬だけど、ブリジットはそういう子みたい。元から交流がなかったというのもあり、私の態度からあまりかしこまらないで良いと思ってくれたのかもしれない。
私達は貴族家に生まれはしたが、あくまで生まれただけである。
家督を継ぐのは男子だし、いつかは嫁ぐのだ。王族であるジルは別格だが、彼自身がこの場は無礼講と言っていたから、上級貴族である私もジルも、友人と話すような態度で皆と接することが出来ている。
交友を深めておくためには、爵位を気にせず話せる相手が必要なのだ。あと単純に、混ヴは貴族階級を重要視した作品でなかったのもあるかもしれない。オリーブちゃんも平民ではないし、下級貴族と彼女を虐める悪役令嬢なんてこの世界には存在しないのだ。優しい世界。
今回このパーティに集められたのは『北部貴族』と呼ばれる貴族の子息であり、土地は広く、他国と面していることで武闘派が多いと言われている。例に漏れずブリジットのドーファン子爵家も武闘派で、彼女は3歳の頃から魔法の英才教育を受けているんだとか。
「そ、そういえば、ブリジットの適正は風属性でしたよね?」
「えぇ。まだ第五位階ですが、入学までには第六位階まで開放したいと思っていますわ」
「だ、第五ですか!?」
「……えぇ。そこまで驚くことでしたか?」
これは感覚の違いだ。ドーファン子爵領は古来より魔物が出没する地域らしく、彼女の施された英才教育とはつまり、その身を、領民達を守るためのものだ。
より良いところに嫁ぐために魔法を学ぶのではなく、すぐ傍にある脅威と戦うための力として鍛えられているので、上級貴族であるレティシアとはそもそも魔法に対する心構えが違う。
魔法における位階とは、どれだけ魔法が扱えるかを示す指標である。混ヴのゲーム内ではそれとは別にキャラクターレベルというのはあったが、位階を上げないと上級魔法が使えないなどのデメリットが存在した。スキルレベルのようなものだ。
「レティシア様は、いくつまで開けました?」
上目遣いでこちらを見るブリジットに、悪気がないことは分かっている。きっと上級貴族である私がどこまで魔法を覚えているか知りたいだけなのだ。しかし、それを聞かれてしまうと、なんというか……困る。
「だ、第二ですわ」
私、レティシアの適正は水属性、そして第二位階である。何もないところに水を作るだけでなく、なんとお湯を沸かすことも出来る!!
…………それだけだ。当然戦えるわけではないし、お湯と言っても丁度お風呂に適温の42度くらいで精一杯。100度の熱湯をぶっかけるとかは、出来ません。
「…………5年前と変わっておられないんですね」
「…………え、えぇ」
だって私、魔法に興味なかったんですよ!?
7歳の時に第二位階を開放したが、以降は大した修練を積んでいない。マニュエル公爵家は北部貴族の中でも最大の領地を誇る貴族家であるが、他の北部貴族と比べたらそこまで武闘派とは言い難い。政治手腕を主に振るう貴族であり、子供達には、成人した時に王宮で官僚として働くための教育を施されているのだ。
(まぁ私はそうでもないけれど……)
マニュエル公爵家の子供は私を除けば全員男で、兄4の弟1の5人兄弟だ。
兄のうち家督を継ぐ長男を除き真ん中二人は既に官僚として働いており、物心ついた時には既に家に居なかったので、レティシアにもあまり関わった記憶はない。
それに、一番近い3番目のお兄様と私の年齢も10歳以上離れているので、お父様は私と弟をどうするか決めかねているような節があって、教育方針も微妙に定まっていない。
ルヴォア魔法学院に入るのはマニュエル公爵家の伝統であるが、別に成績優秀を求められているわけでも、何かしらの実績を作らないといけないわけでもない。ただ義務教育だから、最も格式高い、かつ怪我などで後遺症の残りにくい魔法学校に通わせるというだけの話だ。
「で、でも、試験は合格しましたから」
「……伯爵家以上は、実技試験が免除されるんですよね」
「はい…………」
貴族家しか通えない学院だが、それでも上級貴族を優遇する仕組みはある。とは言え下級貴族もそこまで落ちるほど難易度が高いわけではないが、第二位階の魔法しか使えない下級貴族だと苦労する試験だとエマが言ってたっけ。
(私の薔薇色の学院生活が……!?)
残念ながら、この世界では魔法を簡単に覚えることは出来ない。生まれ持っての才能というのはあるが、地道に位階を開放する儀式を行う必要がある。
――まぁそれが面倒なのだ。儀式は3日くらい絶食する必要があるし、魔力制御が稚拙なまま儀式を行えば、当然失敗することだってある。レティシアは失敗が嫌なのか単純に興味がなかったかで第三位階の解放をすることなくこれまで過ごしてしまったので、同年代の入学生と比べると相当遅れているであろう。
(え、ちょっと待って、もしかして相当まずいのでは?)
魔法学院の攻略キャラで第二位階までの魔法しか使えないのは、えっと、確か二人だけ。つまり相当少ないのだけは間違いない。
「……第二位階のままですと、やっぱり大変ですよね?」
「かもしれません。最低でも第三、出来れば第四位階あたりまで上げておかないと、授業に付いていけなくなる可能性がありますが……」
「…………間に合いませんよね」
「…………」
残念な子を見る目でブリジットに見られ、私の思考はゲームの中へ飛んでいく。
上級貴族、それもジルの幼馴染。周囲の期待の目が落胆に変わるところを想像する。
位階をポコポコ上げられるのは、作中でオリーブちゃんの専売特許だ。通常の属性魔法と異なり精霊との親密度で位階が上がっていくオリーブちゃんは、学生生活の3年で上限の第十位階まで上がることが出来る。
が、それはあくまで主人公補正があるからで、レティシアは主人公どころか、モブである。
一つ位階を上げるのに、真面目に魔法の勉強に励んだ子が1、2年はかかると言われている。数字が多くなればなるほど難易度は上がり、第五から第六位階にもなると3年から5年はかかるはず。いやそれ、無理だよ。絶対間に合わないじゃない!?
「ほ、他の道を探します! ブリジットさん、何か策はありませんか!?」
藁にもすがる思いである。ブリジットは公爵家令嬢たるレティシアがそこまでポンコツで何も考えずに入学するとは思っていなかったのか、呆気にとられた顔になった後、口元に手を当て真面目な表情で考えてくれる。
「……先生方や他の生徒を黙らせることが出来るほどの功績を残すとかは、どうでしょう?」
「功績、ですか?」
思ったより強火な考え方に驚きつつも、話を聞く。
「えぇ、例えば強力な魔物を討伐するでも良いですし、研究室に所属して優れた研究結果を残すでも構いません。一部の研究室に所属する生徒は特待生となり、学課や試験が免除され、授業の参加義務も無くなると聞いております。ただしそのような研究室は、入学前からある程度実績を残していることが入会条件となりますから……」
それはレティシアには無理だ。コネを使えば何とか? とか考えちゃうけど、残念ながらレティシアの記憶にそんなコネがありそうな人は居ない。お父様に頼んだら政治が絡んできちゃうし、交流のないお兄様達にお願いするわけにもいかない。
「……研究室って、具体的にはどんな研究をしていらっしゃるのでしょう?」
ゲーム内で、オリーブが研究室に入るイベントはあった。
ただしあれは一部の秀才キャラルートの場合だけで、有名どころだとジルルートのような所謂『アイドルルート』では、研究室のけの字も出てこない。
設定資料集での情報は覚えているが、具体的に何をすればいいかは選択肢がなく描写されなかった以上、私には分からないのだ。
「昨年度の優秀賞は『五大元素の紐解き』でしたね。一昨年は『精霊祭における亜精霊の存在』、その前は『触媒を使用した魔法使用について』、あとは――」
目を輝かせ超絶早口になったブリジットの豹変ぶりに慌てて、制止させる。やっぱ好きなジャンルの話する時のオタクは早口になっちゃうよね……分かるよ……。
「す、すとっぷ。ちょっと考えるのでお待ちいただけます?」
「は、はい、すとっぷします。申し訳ございません……」
さて考えよう。魔物の討伐――それはゲーム内でいくらでも体験した。ただし、あくまでゲームでの話だ。
レティシアの人生で、魔物は死体以外見たことがない。後は素材として剥ぎ取られたもの。当然、レティシアには魔物と戦う術を身に着けていないし、屋敷の護衛達もそうだ。権力を持つ金持ちなのだから他人を使えば――とも思うが、マニュエル家の家臣で魔物討伐の実績を持つ者は少ない。対人戦闘のエキスパートならば居たはずだが、魔物は違う。
この世界における魔物とは、別世界からの侵略者とされている。どこかに扉が開き、そこからやってくるものだ。
それ故魔物はこの世界内で繁殖することは出来ず、また生活もしていない。彼らはただの侵略者であり、総じて知性を持たない害獣である。
しかし、獣とは比べ物にならないほど大きな身体を持つものであったり、不定形の肉体を持っていたりと、獣や人と同じように戦うことは出来ないとされている。
攻略対象によってはほとんど魔物との戦闘を行わないルートもあるが、基本的に混ヴ作中の戦闘といえば対魔物だ。オリーブちゃんは主人公らしく器用貧乏キャラで、ペアとなる相方によって様々な役割を担うことが出来る――という設定であった。
(私、戦えるの!?)
無理である。絶対無理だ。混ヴの知識があったことで私は普通に作中のオリーブちゃんと同じことが出来る気がしていたが、あれはオリーブちゃんを操作していたからだ。
回復も支援も攻撃も何でも出来るオリーブちゃんが居たからこそ混ヴは成立していたのであり、あれが一般的な低級魔法しか使えないモブキャラだったらそうはいかない。
(ご、誤解してました……)
ブリジットと話すまで、どこか私は選ばれた人間なのだと思っていた。
けれど違う。やっぱり、どうしようもないほどにモブなのだ。戦闘で活躍することも、指揮をすることも出来ない。私がオリーブちゃんでない以上、混ヴと同じことは出来ない。そんな当たり前のことを、転生に浮かれた私はすっかり忘れてしまっていた。
「……レティシア様、大丈夫ですか?」
私の表情がコロコロ変わることが心配になったか、ブリジットがこちらを覗き込む。
……可愛いなこの子。何でモブなんだろ? いやそれを言えば自分で言うのも何だが超絶美少女のレティシアがモブな理由は――乙女ゲームだからですね、はい。主人公以上の美少女は要らないよね。それも爵位が上の。出れて悪役ね。
「え、えぇ、少し落ち込んでいましたの」
何とか取り繕って、計画修正。
私はオリーブちゃんではない。レティシア・マニュエルという名のモブキャラだ。どう足掻いても、主人公のような活躍をすることは出来ない。ならば――
「オリーブちゃんを……」
思わず呟いてしまい、ブリジットにキョトンとした顔で首を傾げられる。
やっぱ知らないみたいだな。じゃあ、良いや。私が何をすべきか。私に何が出来るか。そして、どうしたいのか。その全てを修正しよう。
ならば、目指すべきは――
「目指すは悪役令嬢、ですわ!!」
大きな声で宣言すると、周囲で雑談をしていた皆がギョっとした顔でこちらを見た。あっ見ないで! 恥ずかしくなってきたから!!