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これは、公爵令嬢レティシアと、男爵令嬢オリーブ、その二人によって翻弄される様々な人々の物語である。
事の始まりは、今から1年半ほど前に遡る。
「はぁー…………」
本日何度目かの溜息。
頭が痛い。身体が重い。どうやら私は一週間ほど寝込んでいたようだけれど、問題はどうして寝込んでいたのかではない。
「私……だよね」
何度目か分からない確認を、空に聞く。
勿論システムアナウンスなんてないし、いつでも返事してくれるマスコットキャラクターなんて居ないので、ただの独り言なのだが。
「はぁー…………」
溜息は漏れ続ける。
昏睡状態から目覚めた時、私は全てを思い出したのだ。私が、日本に住む平凡なOLだったことを。ただし、病気で死んだ記憶も、トラックに轢かれた記憶もない。普通に生活していただけだったはずだ。しかし、気が付いた時には、自分は日本人ではなくなっていた。
「あとちょっとで500位入れたのにぃ……」
ゲームアプリで廃課金廃プレイしてたことを思い出し、溜息は止まらない。
イベントランキング500位目指してたのに、506位の時点で意識を失ってしまった。今となってはどうしようもないが、しかし後悔だけはしてしまう。
推しの専用アバターアイテムが貰えるからって、仕事明けの金土日で三徹は不味かったみたい。けど上位プレイヤー多いからそのくらいしないと無職には追いつけなかったんだよと誰かに言い訳をしておいて、今の状況を考える。
「うーん…………」
どうやら私は、異世界に転生してしまったらしい。
丸一日悩んで、何度か寝たけどやっぱり元の日本には戻らないので、もうそれは確定事項にしておいた。
この身体の記憶はしっかりとある。運動不足で太り気味だった三十路OLの姿でなく、異世界で生まれ育った14歳の公爵家令嬢、レティシアになってしまっているのだ。
ここがゲームの世界ということだけは分かる。私が廃プレイしてた『混血転生ルフェーヴル』、通称『混ヴ』というタイトルの乙女ゲームアプリの世界に酷似しているのだ。
レティシアの記憶にある国名地名、メイン登場人物の一致から、それは間違いない。
――が、問題があるとすれば一つ。
「レティシアって、誰よ……」
私の名は、レティシア・マニュエル。公爵家の長女で、男4女1の5人兄弟。
お父様の名はアロイス、お母様の名はセリーヌ。父は公爵家の8代目、領地は広く、大公家を除けば国で3番目に大きな領地を誇る大貴族である。
――――が、しかし。
「マニュエル公爵家なんて、聞いたことないんだけど……」
ここは、私の知っている世界だ。けれど、私は私のことを何も知らない。
ふつうこういうのって、メインの登場人物に転生するもんじゃないの? それでストーリーを改変したり、悪役令嬢に転生したけど皆に好かれる女の子になったりするもんでしょ?
「知らないキャラは、無理でしょ……」
幸い、混ヴについては昨日のことのように思い出せる。
サービス開始から5年間はプレイして、リアルイベントは地方開催を含めて全通し、関連書籍は全部初回限定版を手に入れ、設定資料集は穴が開くほど熟読している。
関係者のSNSは常にチェックし、裏情報の収集にも余念がないくらいにはドはまりしたゲームだ。
メインストーリーの細かいイベントから、全攻略キャラのルート分岐、裏ルートや毎月行われるキャライベントも全てプレイしたくらいのヘビーユーザーが、私である。
けれど、そんな私が転生したのは、混ヴと同じ世界でも、レティシアとかいう知らないキャラクター。たぶん来年には主人公達と同じ学校に通うことにはなりそうなんだけど、私はまごうことなき、ストーリーに一切関わらないモブキャラである。
混ヴは、5年続いているだけあってそれなりに人気なゲームだ。
2年前にはアニメが放送されて、アニメ2期も決定していた。コミカライズは複数あって、新刊が出れば売上ランキングには入るし、漫画アプリでもコメント数は上位だ。
CDも結構売れていて、最も人気なキャラだとキャラソンが10枚は出てるほどだ。
メインキャラの声優達が歌って踊るライブイベントは国内有数の大アリーナで行われるし、チケット争奪戦は毎度戦争である。ちなみにゲーム作中で歌って踊るアイドルらしいキャラは一人だけだが、まぁ、それはそういうものだ。女性向けのコンテンツとは、特に作品に関係なくても歌って踊るものである。あと大抵ミュージカルとか舞台もある。
アプリ自体も好評で、毎月2種類のイベントが行われ、廃課金者が金と時間で殴り合うランキングイベントと、課金が必要ないストーリーイベントがあったことでヘビーユーザーとライトユーザーのどちらもが楽しめる仕組みとなっており、ユーザーの住み分けも出来ていた。まSNSでは常に学級会が開かれてるようなジャンルだけど。
「あと1年ちょっとかぁ……」
この世界の義務教育は、15歳から18歳の3年間だけで、小中学校の概念はない。
なので、学校といえば日本基準の高等学校を指す。その中でも貴族家に生まれた子が入るような学校は3種類で、魔法学校、騎士学校、普通学校だ。
混ヴの舞台は主に魔法学校『ルヴォア魔法学院』。作中には騎士学校の生徒や普通学校の生徒も登場するが、攻略対象となる男性キャラクターの多くは主人公と同じ学校の生徒である。
「準備……っていや、何の準備すれば良いの……?」
頭痛と戦いながら、ベッドの上でそればかりを考えている。
自分がメインキャラなら、出来る準備もあっただろう。悪役令嬢――は作品内に存在しないが、親友ポジションに転生していたなら、出来ることもあったであろう。
けれど、私は完全にモブキャラだ。この私が作中で一度も聞いたことなく、裏設定としても設定資料集でも語られていないようなモブキャラに転生して、何をすればいいのか。
「うーん……ヒロインに……なりたくはないよなぁ……」
前世の記憶を使えば、主人公の立場を奪うことだって出来るだろう。
けれど、私の推しは攻略対象(男キャラ)などではなく、主人公(女キャラ)のオリーブちゃんである。
5年間で21キャラまで増えた攻略対象全てのルートをプレイし、全てのエンディングを確認し、キャラルートには属さない特殊エンド7つも全てクリアしたが、男性キャラにときめき、照れ、恋愛を育んでいく彼女が可愛すぎたからである。ほわほわした天使みたいな見た目で、はっきりと言う時は言う、やる時はやる、悪意にも全力でぶつかる健気な少女が、好きだから。
だが、どうしてか殆どのキャラルートはメリバ――『メリーバッドエンド』と呼ばれる類のエンディングで、混ヴにおいて完全なハッピーエンドは少ない。
本人達は嬉しそうだけど明らかにそれより重大なバッドエンド要素を抱えてるよね、という意味で使われるメリバは、大抵のゲームで一つか二つあれば良い方だ。けれど、混ヴの世界は違う。トゥルーエンドは大体全部がメリバなのだ。ちょっとバランス考えて。
それは、そういう世界なのでと言われてしまえばそれまでだが、私としてはオリーブちゃんに全力で幸せになってもらいたいのに絶妙に幸せになれないもどかしさと葛藤しながら、それでもやっぱり可愛いし本人が幸せそうだからいっか! と全力で推してきた。
気の迷いか同人誌も数冊出したけど、全部オリーブちゃんメインのオールキャラ本だ。ジャンル母体が大きいので同好の士もそれなりに多いし、男女カプが楽しめるのはかなり得してると思ってる。だって男キャラは21人も攻略対象が居るのに、女キャラで人気なのはオリーブちゃん含めて3人しか居ないからね……。
「親友ポジション狙う? けど……」
オリーブちゃんの親友ポジションに、ディアヌという女の子が居た。
天使のようなオリーブちゃんとは真逆、身長は高く性格はキツめで、男子にも強く当たる委員長キャラで、真逆の二人の関係性を推す声も多かったキャラである。
「うぅ、でも二人の世界に入りたくない……」
好きだ。ディアオリは同人誌を片っ端から買い集めるくらい好きなカップリングなので、正直二人の間に入りたくない。二人の出会いは入学後なので、出会いを知ってる私ならばディアヌのポジションに成り代わることも出来る――が、したくない。
「だって、ディアヌも良い子なんだもん……」
攻略出来ないのが理解出来ないくらい、ディアヌの設定はかなり盛られている。
一応ディアヌエンドに一番近い友情エンドというノーマルエンドはあったが、ディアヌの両親が事件で亡くなり、頼れる人が居なくなったディアヌと二人で辺境の地に移り住み平民として暮らす――といったこれまた絶妙に幸せにならないメリーバッドエンドだ。
「三人組に……は難しいよね」
混ヴには『ペア』という概念があり、オリーブちゃんが攻略対象であったり親友のディアヌであったりと二人組になり、戦闘を行ったりイベントをこなすシステムが存在した。それがある以上、どうしても三人組というのは混ヴ世界では難しいのだ。
私がオリーブちゃんと組むとディアヌは除け者にされてしまうし、私自身がそれを望んでいない。やはり私は壁の染みになるべきでは? でも公爵令嬢でも壁の染みになれるの?
「うーん……うーん……」
唸っていると、メイドが部屋に入ってくる。
名前はエマ……だっけ。混ヴに出ないキャラの名前に関してはレティシアの記憶があっても中々覚えられないので、思い出すように数秒考えることになる。
「あらお嬢様。顔色、随分良くなってますね」
彼女はメイドだが、子爵家に生まれたれっきとした貴族令嬢であり、私が生まれる前からこの屋敷で働くベテランメイドである。
嫁入り前に上級貴族の下で働くのは下級貴族に生まれた者にとっては必須課程らしく、その時に使ったコネを使って嫁入り後も社交場で戦っていくのだという。
エマも一度は嫁入り前にマニュエル公爵家のメイドを退職したが、夫を早くに亡くし、未亡人となったエマをお父様が屋敷に呼び戻し、私の傍付きメイドとして屋敷で生活している。
「そう? まだ頭は痛いけど……」
「喋られるようになっただけマシですよ。一週間、ずっと魘されていましたから」
エマには稀有な魔法適正があり、外敵から身を守り、他人を癒すことのできる聖属性魔法の使い手だ。とは言え戦闘技能は高くない。彼女の一番の仕事は私の体調管理なので、流行り病をこじらせて一週間寝込んでいた私を見守る時は気が気でなかったという。
「エマの魔法じゃ、治せなかったの?」
聖属性魔法は、魔法適正のある者の中でも1000人に1人も使えないような希少価値の高いもので、それだけで婚姻が有利に進められると言われている。
エマも伯爵家に嫁ぎ、夫が家督を継ぐ前に亡くなったにも関わらず、伯爵家の姓を名に残すことを許されているほどだ。
しかし、聖属性魔法の使い手といえど未亡人を妻として受け入れてくれるような貴族家は少なかったようで、マニュエル公爵家に呼び戻されたときも二つ返事で受け入れたらしい。
「えぇ、試してはみたのですが、あまり効果があったとは思えませんでした」
「……そっか。まぁ、怪我とかじゃないからね」
混ヴの攻略キャラの一人に、聖属性魔法の使い手が居たから、知識としてはある。
21人中、たった一人だ。
彼のルートに入ると、怪我をしたオリーブちゃんを彼が治癒してくれるシーンは多いが、ルートの最後であるエンディングでは、オリーブちゃんが罹った不治の病を治せず、ベッドで涙を流すシーンで終わる。二人は結ばれたのでハッピーエンド扱いだが、どう考えてもこれもメリーバッドエンドである。むしろどっちも死なないだけマシとまでファンに言われてる。何考えてるのよシナリオライター。
そんなこんなで、聖属性魔法による治癒はどちらかというと外傷を治すのを得意とし、病気を治すのを得意とするのはまた別種の、神属性魔法というものだ。ちなみにこれも攻略対象に使い手が居るが、彼のエンディングも――いや、その話はまた今度で良いや。
「けど、もうそろそろ動けそうなのよね」
ベッドから上半身を起き上がらせることは出来たので、後は立ち上がるだけだ。転生してから丸一日以上、未だにベッドから一歩も動いてないので、実はちょっとだけ怖いが。
「お医者様の話では完治まであと二日程度とのこと、これなら間に合いそうですね」
「……間に合う? 何に?」
あれ、何かイベントあったかな? とゲーム脳で考えてしまうが、そもそも今はゲームが始まる前の時間軸、それも私は作中未登場キャラなのでイベントもクソもないことに数秒で気付いてまた落ち込んだ。
「ジル殿下主催のパーティですよ。お忘れですか? 今年は学院入学前最後の年、北部貴族子息が結束を強めるために、同年代で集まろうと計画されていたではありませんか」
「…………あ」
「行けるなら行きますからね。主催は殿下とはいえ、企画したのはお嬢様ですから。公爵家の名を地に落とす真似はやめてくださいね?」
冷や汗が流れる。完全に忘れていた。
ジル殿下と言うのは、この国の王族、ジル・ラグランジュのことだ。確かにレティシアの記憶では、それなりに仲良くしていたようである。
王族とだ。そして、彼は――
「攻略対象だよね…………」
「はい?」
二人とも同じ助産師によって取り上げられたとかなんかだったっけ? ゲームで一切語られない部分なので、レティシアの記憶との整合性が一切つかずに意識から抜けていた。
混ヴで最も人気なキャラクターだ。CDとかめっちゃ出るし、彼を主人公にしたスピンオフ漫画まである。
だがこのパーティについて、ゲーム内で語られた記憶はない。
そもそもレティシアがモブだから当然かもしれないが、ジルルートで入学前の話をされることはほとんどなかったはずだ。必死に混ヴの記憶とレティシアの記憶を混ぜ込んで、誰を招待したか思い出すのであった。