2
「あぁ……っ、うぅ………………ふぅ、落ち着きました」
「…………アンタのそれ、最早発作よね」
「当然ですわ。あんな可愛い子とお話したら崩れ落ちちゃうのも当然ですから。むしろお話し中にこうならなかったことを褒めて貰いたいくらいですが」
「一体全体誰がそれを褒めるのよ……」
誰がどう見ても、気の知れた友人同士の会話である。二人の間に爵位の差など感じず、突然狼狽するレティシアを見たディアヌは、呆れはすれど困惑はしていない。
それは当然、ディアヌにとってこれは慣れたものであるからだ。
レティシアはオリーブを嫌っている、故にオリーブの親友であるディアヌとも嫌い合っている――というのは、二人が目的の為に作り上げた設定である。
「で、報告でしたっけ?」
「忘れないでよ……これ、資料纏めといたから目通してくれる?」
「えぇ、何ですのこれ。脱税に横領、それに人身売買ですか? 一体どこの犯罪組織ですか?」
「…………オリーブの生家、クラデル男爵家の情報よ」
「…………」
「…………」
一瞬で、空気が凍り付く。
ディアヌがまとめた資料には、様々な悪行が記されていた。それはクラデル男爵家が裏で行っている犯罪行為や、犯罪スレスレの悪行、そして――
「現クラデル男爵の6つ下の妹の嫁ぎ先がルフェーヴル家、ですか……」
オリーブは、学内ではルフェーヴル姓を名乗っている。しかし、彼女の本名はオリーブ・ルフェーヴルでなく、オリーブ・クラデルだ。そのどちらもが男爵家ではあるが、男爵家とは思えないほど広大な領地を持ち、10万人以上の領民を抱え、王家に莫大な額の納税をしているクラデル家に対し、ルフェーヴル家は領地を持たない小さな男爵家である。
「えぇ、ルフェーヴル家も男爵ということになっているけれど、資産としては王都に屋敷が一つと、不動産をいくつか所持している程度ね。ただそれなりに血族は広くいて、クラデル家だけじゃなくいくつかの貴族家から養子を受け入れてるみたい」
「……何ででしょう? 流石に貴族家の子息を売るのは難しいと思いますけれど」
「嫁がせるのよ。成り上がりの商人だったり、爵位が欲しい地方の豪族だったりにね。見返りに大金を要求しつつ、自分の家系を水面下で広げる――そのために貴族家から養子を受け入れまくってるの。オリーブも同じね」
「…………」
「…………」
再びの沈黙が訪れる。
レティシアは資料を隅から隅まで確認し、小さく呟いた。
「……潰すか」
「…………目立たないようにね」
呆れ気味に返すディアヌは、レティシアがこうなることを理解して資料を作成した。
いいや、むしろこうなることを願って、情報を偏重させた資料を作り上げたのだ。
オリーブのため、オリーブが快適に過ごせる未来を作り上げるため、二人は協力関係を築いているといっても過言ではない。
そう、根底にあるのは二人ともオリーブなのだ。
「あーもう! どうして貴族はこんな馬鹿なことばっかりしてますの!?」
「……それ、特大のブーメランよ」
「…………私のあれは、照れ隠しですからね」
てへ? なんて可愛い仕草をしたレティシアは、ディアヌに脇腹を小突かれた。
普段のレティシアを知っている者が見たら卒倒しそうなやり取りだが、残念ながらここに取り巻きは居ないし、二人の本当の関係を知らぬ生徒も居ない。
「はぁー…………」
資料を読み切ったレティシアはそれを机に無造作に投げると、壁に飾られた大量の写真を見てうっとりと頬を赤らめる。
この世界における写真とは、複製魔法によって切り取られた世界の1ページであり、写し絵と呼ばれている。現代日本のように気軽に撮って気軽に保存、出力出来るものではない。写し絵を1枚仕上げるのに必要な費用は平民が1年働いても足りないほど高額であるが、それがレティシアの自室では数百枚、壁に飾られている。
――異常だ。この写真だけで、巨大な屋敷がいくつも立てられるほどの資金が費やされているが、それを勿体ないと感じるレティシアではない。
こんな異常な部屋を見てもディアヌは顔色一つ変えないし、それどころか「飽きないわね」なんて呟いたりしている。
勿論、全部隠し撮りだ。隠蔽魔法によって姿を隠した複製魔法遣いによる作品であり、本日は畜舎で馬に顔を舐められてるオリーブの姿を撮影したものが10枚ほど増えているようだ。
「はぁ……はぁ……」
頬を上気させ、壁から剥がした写真の匂いを嗅ぐようにしたレティシアを見て、ドン引きしたディアヌが溜息交じりに指摘をする。
「ちょっとアンタ、ここでするのだけはやめてよね。まだ私が居るのよ」
「しませんからね!? 人の見てるところでは!!」
「…………そう」
とんでもない発言をしたことに気付いていないのか、レティシアはそれだけ叫ぶとまた写真を食い入るように見――いやちょっと舐めてる。
ディアヌが小さな声で「うわっ」と呟いたが、レティシアは聞こえか聞かずか一切反応しない。
「……ねぇディアヌさん、もう少しオフショットが欲しいのですが」
「これ以上?」
「これ以上ですわ!!! 部屋中全ての壁をオリーブちゃんの写真とポスターとタペストリーにしたいくらいなのに、どうして写真以外作ることが出来ないんですの!?」
「知らないわよ……」
「夏服のうちにもうちょっと肌が露出したものが欲しいですわね……」
「……お風呂で盗撮でもすればいいじゃない」
「そんなことしたら犯罪ですわよ!? 何言ってるんですかディアヌさん!!」
「アンタにそんなこと注意されたくないのだけれど……」
そもそも、犯罪どうこう言えばここにある全てのオリーブ写真は盗撮である。
時折目線が合ってる写真もあるが、これはあえて音を鳴らして視線を誘導したり、視線の遥か先から撮るなどの工夫の末に撮影されたものだ。
そして、その撮影者は――
「ではディアヌさん、今週中にあと10枚ほどお願いしますね。そうですね……食事中のものが数枚、欲しいですわ。出来れば口元が汚れているくらいだと捗りますが」
レティシアは時空魔法によって取り出した金貨をディアヌの手のひらに押し付け、そんなお願いをする。
そう、この写真全ての撮影者は、ディアヌなのである。普段オリーブと一緒に居ることの多いディアヌが何故か一枚も映っていないのは、撮影者がディアヌだからなのだ。
複製魔法による撮影はリスクの他にも手間と時間がかかるため、ディアヌは複製魔法を使えることを公言していない。何故かレティシアは入学当初からそれを知っていたのだが、その理由をディアヌは知らない。以前より貴族からの匿名依頼で盗撮をしたことがあったので、どこかの口が軽い貴族から漏れただけだと思っている。
貴族や豪商からの依頼がほとんどとはいえ、レティシアほどの大口顧客は他に居ないので、ディアヌにとっては数少ない現金収入である。
複製魔法は使い手が少ないこともあって高額請求されやすく、レティシアの依頼のように学内に侵入して盗撮するのは外部の人間にとってかなりリスキーである。
ディアヌのように学院の生徒であり、且つ複製魔法を使えることを周囲に漏らしていない人間だからこそ、大量の盗撮が行えるのだ。
金貨を受け取り、ディアヌは思い出す。
入学初日、不思議な令嬢に突然声を掛けられた日のことを――――