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ライカ、死なないで

作者: たるぽこん

1953年11月3日、地球から宇宙に向かい打ち上げられた大きな棺桶がある。

それはスプートニク2号と名付けられたロケットのことである。


ロケットといえど、それは急遽の宇宙計画によってソ連が作り上げられた宇宙犬「ライカ」のための棺桶であるに過ぎなかった。


当時、アメリカとソ連とはその宇宙開発の進展を巡ってし烈な競争を繰り広げていたためだった。


スプートニク2号は哺乳類が宇宙でも生きながらえることができるかを試すための試験要宇宙船だった、その宇宙船に乗せる動物を選定するにあたって、ストレス耐性やその排泄方法に至るまで様々な考察がなされた。


その結果決定したのが「よく訓練された写真写りのいいメスの野良犬」であった。実際、はじめからライカが棺桶に入ると決まっていたわけではなく、選出されるまでには訓練を兼ねた過酷な選抜試験があったようだ。結果として選ばれたのが「ライカ」という短毛の雑種犬だったというわけである。


さて、読者諸君は実はライカが死ぬ必要がなかった犬だということはご存知だろうか。

実は1953年当時、ソ連はすでに宇宙空間からの大気圏再突入に耐えうるだけの筐体を開発する技術を所持していたのだ。


それがなぜスプートニク2号には適応されなかったのか、それは当時の最高指導者、ニキータ・フルシチョフの突飛な計画によるものである。


宇宙船に犬を乗せて打ち上げようと言う提案が上がったのが10月10日であり、その発射日はロシア革命の記念日である11月7日までと決定されたのだ。


無論、開発期間は1ヶ月もなく、結果としてスプートニク2号を単に宇宙行きの鉄の棺桶に変えてしまったというわけだ。ライカは打ち上げられてから10時間後には死んでいたと今では言われるから、そのご遺体は大気圏再突入時にすっかり荼毘に付されてしまったことであろう。


私は空を見上げながらふとこんなことを考える。


あぁ、ライカ。君が私に見せてくれようとしていたのはこれだったのか、と。




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