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女を喰った男  作者: シス
9/12

半分の真実

 「もう一つの真実って?」


 「それは社会的正義よりも個人的正義を優先した理由さ。笑わないで欲しい。怒らないで欲しい。どうか、静香、今から僕が言うことを冷静に聞いて欲しい」


 いつもは余裕な面持ちで無邪気な笑みを浮かべる牧瀬が、珍しく、親に悪事を白状する子供のような表情を浮かべていた。

私は犯罪心理分析官として、彼の情に左右する訳にはいかない。


 「僕は10歳の時に自殺未遂を起こした。君は?」


 「ええ、私も14歳の時に自殺未遂を起こしたわ。それが何なの?」


 牧瀬は何かを納得したように静かに頷いた。

牧瀬にしては珍しく本題から入らない。いつも彼の発言は単刀直入で明快。それほど、今から語る彼の言葉には、今回の事件の根を張る深い何かがある。そう私は直感した。


 「じゃあ、デュルケームの『自殺論』は知っているかい?」


 「ええ、知っているわ」


 「デュルケームは、各社会は一定の社会自殺率を持っており、社会の特徴によって自殺がどのように異なるかを明らかにしようとした。つまり、自殺とは社会維持のために必要悪なんだ。君なら言いたいことは分かるだろう」


 「つまり、私たちは自殺未遂をするようなハズレくじを引いた人間だってこと?」


 「あぁそうさ。親が僕たちを性的に虐待しなければ、僕たちは自殺未遂をすることもなかっただろう。少なくとも僕はそう言い切れる」


 私も10歳の頃からあのクソ親父に性的虐待を受けていなければ、きっと、今頃はもっと気楽に自由に生きれていただろうと夢想する日々は絶えない。そして、犯罪学を学ぶうちに気が付いたことは、社会の政治・経済状況に連動して、犯罪件数は増加するということ。その事実から牧瀬の言い方を借りるのであれば、彼の言わんとしている残りの半分の真実はすぐわかる。それは、犯罪は個人が産み出すものではなく、社会が産み出すものである、ということだ。


 「けどそれは、一面の真理じゃない。性的虐待を受けても、自殺未遂をせずに、強く生きている子もいる。きっと、貴方はそこから犯罪者も同じだっていいたいのでしょ?けれど、どんなに環境が荒んでいたからといって、犯罪をしない人もいる。そこに人間の自由意思はあるはずだわ」


 「だけど、どうだろう。別に僕は唯物論者ではないけど、そこで自殺せずに苦悩に耐えれる人間と耐えれない人間のメンタリティーは自分で作ったものだろうか?荒んだ環境で犯罪をせずに清廉潔白に生きれる人間と犯罪に走る人間のメンタリティーは自分で作ったものだろうか?」


 「それは・・・」


 「分かっている。確かにそれを強弁しようものなら、詭弁にもなりえる。別に僕も人間の自由意思を否定したい訳じゃないんだ。だけど、それも半分の真実としてある。そのことをまず、君には分かって欲しいんだ」


 「・・・分かったわ。それで?」


 「僕は平均的な連続殺人者が歩むような道のりで、父親から性的虐待を受けて、家族からの孤独を性衝動と破壊衝動が織り交ざった妄想的快楽で埋め合わせをしていた。別にそれは僕の意思ではない。小学2年生の頃、通学時に目の前を歩く女の子、授業中に教室で教える先生の後ろ姿を見て、何回も何回も彼女らを犯す妄想をした。本当はそんなことをしてはいけないと分かっていながらも、気が付いたら頭の中で妄想してしまっていたのだ。気持ちの悪い話だろうけどさ。そして、次第に僕は誰かと一緒になるということを文字通り相手を身体の中に取り込むことなのだと思うようになった」

 

 牧瀬はバツが悪そうな顔をして、伏し目がちで答えた。

犯罪心理分析官である私はこのような性異常者の供述は何度も聞いてきた。

連続殺人者は往々にして、家族からの虐待によって、性衝動と破壊衝動が織りなす邪悪な妄想に耽るのだ。


 「そして、ある時、母親が父親を殺害した。その瞬間、僕は救われた。それはでも、父親からであると同時に母親からでもあった」

 

 「母親から?貴方の母親も、父親から暴行を受けていたのでしょ?」


 「ああ、そうさ。でも、母親は父親の暴行に耐えられなくなって、そのストレスの捌け口として僕を強姦していたのさ」 


 母親による性的虐待の事実は、初めての牧瀬の供述だった。

つまり、牧瀬は7歳から10歳の頃、両親からともに性的虐待を受けていたということだ。

 それは少年が背負うにしては、余りにも大き過ぎる傷跡だった。

 

 「なぜ、それを今までの供述でいわなかったの?」


 「僕は亡き母のことを好きだったからさ。彼女は僕をゴメンねゴメンねと泣きじゃぐりながら犯したよ。母親は僕と同じ被害者だったんだ。そして、僕の世界を真っ黒に染め上げるあの父親をこの世から葬って、光を見せてくれた。せめてもの彼女への敬意を込めて、亡き母であろうと彼女の名誉が歴史上、傷つくような真似はしたくなかったんだ」


 「そして、敬愛する貴方の母が自殺したことをきっかけに、貴方は今まで溜めていた妄想を解き放った」


 「そうさ。僕が食人した4人の子は共通して、性的虐待を受けていて、死にたいと思っていた。そして、同じ悲劇を共有する僕に恋に落ちていた」


 牧瀬のすらすらと淀みない語り口に私は奇妙な違和感を覚えた。


 「・・・ちょっと待って、僕が食人した4人の子は共通して性的虐待を受けていた・・・?私の妹、井之上春香はそんなことないはずよ?」


 「・・・いいや、君が知らないだけで、春香さんも貴方の今の父親、井之上重次から性的虐待を受けていた。君の姉が犯されたくなければ、そして、母親と共に路頭に迷いたくなければ、このことは黙っていろって脅されてね」


 「・・・嘘よ」


 「人間は嘘を吐く時、目線が左上を向く。僕は目線が右上を向いている。そんなこと、犯罪心理分析官である君なら分かるだろ。本当のことさ」


 私は唖然とした。目の前がボーとして意識が朦朧とする。そんなバカな。嘘だ。有り得ない。あってはならない。

私の父は警視庁長官で、私の憧れで、私の妹は天真爛漫で、私の憧れで、2人とも、唯一、汚れ切ったこの世界で私が持つことのできなかった純潔を貫いて生きた人間じゃなかったのか。


 「彼女もそのことを母親に告発しようか迷ったそうだ。だけど、それは出来なかった。なぜなら、自分が我慢すれば、家族の幸せは成り立つから。君が春香さんの為に、前の父親の強姦に我慢してきたようにね」


 「うっ・・・嘘だ・・・そうやって私を動揺させて、コントロールしようと」


 「僕が妻である君を人心掌握する為に後で調べたらすぐに分かるようなつまらない嘘を吐く男だと思うかい?全部彼女から聞いた本当の話さ」


 堪えていた涙がボトボト溢れてきた。

恐らく、牧瀬哲也は嘘を吐いていない。死刑判決が確定した彼が私をマインドコントロールする為に動揺させる旨味は何もない。そして、すぐに重次と春香の行動を各交通機関および各宿泊施設のデータと参照すれば、彼の言っていることが本当か嘘かぐらいかは分かることだからだ。

 仮にこの本当が話だとしたら、井之上重次はそれでも警視庁長官として平然として仕事をしているということになる。井之上春香はそれでも私たちの前で純真無垢を装っていたというこになる。


 「ゴメンよ、静香。本当は言おうか迷っていた。だけど、僕の家族でもある春香さんの名誉の為にこのことは伝えた方がいいと思った」

 

 「うっ・・・うっ・・・うっ・・・」


 涙が止まらない。信じていたものに全て裏切られた気分だ。

最早、なぜ私がここに座って、牧瀬哲也と対談しているのか、その存在意義そのものがなくなってしまったではないか。

殺された妹の為に牧瀬哲也に心理捜査を行った。そして、それが実れば、無事に犯罪心理分析官として世界に名を残せた。

だけど、この男が喋る言葉を聞いていると、性的虐待を受けて荒んだ妹は自ら望んで牧瀬に食人を同意していたということじゃないか。私が認められたいと思っていた警視庁長官である父はその妹を強姦していたということじゃないか。

 私はここでもう、何をすればいいのだろうか。いいや、この世界で。


 「静香さん。僕は人を4人喰った凶悪犯だ。だけど、僕の死刑は社会の贖罪だと思っている。なぜ、社会には必ず凶悪犯罪者が出現するのだろうか?彼らがサイコパスだから?彼らが恵まれない家庭環境で育ったから?いずれにせよいえることは、この世界では社会というものが回ると同時に、誰かが人殺しになるルーレットが回るということなんだ。すると、僕は何も考えずに平然と幸せを享受する人々の罪を一手に背負った憐れな怪物ってことになる。別にキリストを気取るつもりは毛頭ないよ。それが僕が言い淀んでいた社会的正義よりも個人的正義が勝った理由さ。要するに、僕が人を殺して、僕が死ぬことで、社会の病巣は浄化される。少なくとも、僕はそういう世界観で生きている」


 牧瀬は沈鬱な面持ちを浮かべて、こちらを眺めている。彼の瞳の端っこがしっとりと湿っているのが分かる。


 「そして、僕は生前の君の妹さんの話を聞いて、君は僕と同種の人間なのだと確信した。だから、僕は君に魅かれた。僕は、君のことが」


 見るに見かねた看守が面会の終了を告げた。

看守に引っ張られていった牧瀬は私の名前を叫んでいたが、最早、私の世界から音は抜け落ちていた。

 気付けば、面会室に1人、項垂れて座っている私が取り残されていた。

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