カントとベンサム
彼の言う通り、私は彼をプロファイリングしている最中に、あることに気が付いた。確かに彼は全て警察に事実を自供していた。だが、彼が自供した内容は客観的な事件の因果関係について語っているのみで、彼自身の主観的な判断の理由が述べられていなかったのだ。仮に述べられていたとしても、牧瀬は相手に食人を認められたから相手を食べ殺した。その程度の浅い判断理由のみだ。
だが、犯罪心理分析官である私はそこに違和感を覚えた。なぜなら、彼は秩序型の犯罪者。それも高IQの持ち主で犯罪心理学を学んでいる。そんな彼が生まれの環境の不運に流されて偶然、好機が続いて食人を行っていただけとは到底思えない。そこには明らかに彼の特殊な思想を元にした善悪の判断がなされているに違いない、なぜなら、そうでないと彼の性格に対して辻褄が合わないからだ、そう私は彼のプロファイリングを一年間行って疑問を抱き続けてきたのだ。
「いいよ。君には特別に教えてあげる。なんたって、君は僕の妻なんだからね」
私は彼の熱気を帯びた瞳に気圧された。瞳は嘘を吐けないのであれば、彼は私を本当の家族だと思って、告白してくれるようだった。
「僕が世界各国の女性を4人殺害して、食人した理由。それは僕にとっては悪いことだとは思えないからだ」
「人を殺して、悪いことだと思えないの?」
「そう、静香、よく考えて欲しい。善悪とは何だろうか。人を殺すことが悪だという。だが、戦時中は敵国の相手を殺すことは善だ」
「それは例外的なケースよ。論点のすり替えにしか過ぎないわ」
「では、安楽死はどうだろう。スイスでは安楽死が認められており、ある意味これは、人は同意の下、人を殺す営みがなされているともいえる」
「それはでも、法律上認められていることだし、本人の積極的な願望があってこそのものじゃない」
「けれど、法律上認められていることが全てと言えるだろうか?例えば、個人情報保護法は2003年に成立している。つまり、それ以前は個人情報の取り扱いを乱雑に扱っても特別な罪に問われることはなかったんだ。それに、食人だって食べられる当人の積極的な願望があって行われるのであれば、安楽死と一緒じゃないか。」
「要するに貴方は、今回の連続食人事件を全く悪いものではないといいたいの?」
「あぁそうさ。本人の同意なき殺人はレイプと同じだが、本人の同意ある殺人はセックスになりえる」
「それは詭弁よ。社会における人殺しは古今東西、戦争、死刑、安楽死といった特別な事情がない限り、肯定されるべきものではないわ」
「じゃあ、それが特別な事情だったらどうする?誰かが誰かに食べられたい。誰かが誰かを食べたい。その二人が運命の糸で手繰り寄せられて、食人という事象が生まれたら。それならば、それは戦争、死刑、安楽死と同じように、肯定されるべき殺人ではないか?」
「いいえ、社会的意義のない殺人を許すことは社会存続の危機につながるわ。だって、そうでしょ、戦争や死刑や安楽死には社会的正義が付与されている。でも、食人は個人的な正義しか付与されていない。そんなものがまかり通ってしまったら、この世の中は殺人で溢れ返るわ」
「それは静香、拡大解釈だよ。この社会で食人を求める男女なんてごく少数なのだから、食人を認めたところで社会存続の危機につながる訳がない。まして、戦争や死刑や安楽死に付与されている社会的正義なんて、ある時代、ある国において意見が分かれているじゃないか。要は、みんな本当は好き勝手、その時の都合で人を殺しているんだから、別に同意のある食人を行ってもよいだろう」
私は彼に完全にやり込められていた。だが、国家の法の秩序に奉仕する犯罪心理分析家として、ここで彼の意見に屈するわけにはいかない。
「なら、普遍的な視点に立ってみなさい。生物は生きるために存在している。その生命から命を奪うことは本来的に戦争や死刑や安楽死が否定されるべきものであることと同様に、食人も否定されるべきことなのよ」
「いいや、それは普遍的な視点に立っていないよ。なぜ、生きるための殺人が存在しないと考えるのか。彼女ら、そして、僕はこの世の中を生きるための手段として食人を選んだ。それは確かに寿命を早めるだろう。けれどそれは過度なアルコールや煙草と同じことだ。要は、この世の中を自分なりに生き抜く為に、みながアルコールや煙草といった人体に悪影響を及ぼす嗜好品を摂取することと同じように、彼女らは食人をされることを、僕は食人をすることを生きている間に望んだに過ぎないじゃないか」
「けれど、食人はアルコールや煙草と違って、すぐに命を絶つことにつながるじゃない。それに、別にアルコールや煙草がなくても、人は生きていけるわ」
「そうだよ。けれどそれこそ論点がずれている。僕が言いたいのは普遍的な視点に立って食人について考えるのであれば、同意の下の食人はアルコールや薬の摂取と同様に、それぞれの人生を彩る一つの営みとして肯定されてもよいはずだってことだよ。それに、アルコールと煙草が存在しなければ生きる価値などないと考える人間も存在するだろう。彼女ら、そして、僕にとっての食人は人生を生きるに値するものへと変える大事な手段なのだよ」
私は彼の意見に耳を傾けていると、次第に頭痛と吐き気がした。彼の意見は正しい。いや、正し過ぎる。同意の下の食人は、同意の下の安楽死と同様に、生に希望を持てない人間が逆説的に、唯一生に希望を抱く為の手段なのかもしれない。しかし、それは余りにもこの世界の触れてはいけない真実に抵触している。それが仮に認められてしまったのであれば、殺人というものが普遍的に悪として成り立つこの社会の根幹を揺がすことになる。
「分かった。貴方の理屈は一理ある。確かに、同意の下の食人は本来ならば肯定されてもよいものなのかもしれない」
「そうでしょ?静香さん。貴方は本当に話が分かる人で助かるよ」
「だけど、それでも貴方の行いは許されるべきものではないわ」
「なぜ?」
「それはこの社会が食人を許さないからよ」
「でも、社会が悪と定義する物事が全て悪ならば、ドイツのアドルフ・ヒトラーがユダヤ人は悪なる人種であり、みな虐殺するべきだという思想も正しい思想だということになりかねないよね?」
「それこそ、貴方の拡大解釈よ。私は普遍的な善悪を論じている訳ではないの。あくまで、その社会ごとにおける善悪の基準を論じているのよ」
「つまり、君はユダヤ人を大量虐殺したヒトラーの思想は、あの時代においては社会的に正しかった。一方で、食人は現在の社会において悪だから、間違っているものであると?」
「ええ、その通りよ。結局、普遍的な善悪なんてものは存在しないのよ。所詮、善悪の基準とは社会運用上の便益に則って生み出されるものよ。まあ、私の好みの考え方ではないけどね」
牧瀬は手錠で枷をはめられた両手を叩いて、大笑いした。
看守が牧瀬を諫めようと立ち上がりかけたが、私は静かに手で制した。
牧瀬は一度大笑いをした後だったからか、目に涙を浮かべながら、一度、小さく咳払いをした。
「やはり、君って人は面白い。人はどうしても、人殺しをいけないものだと勘違いしている。それゆえに、人殺しを肯定することができない。確かに、普遍的に観て同種の生物を殺すことは悪だ。なぜなら、生物とは種の全体として生きることを目的としている。だから、その生を否定する行為は絶対に否定されるべきだからだ。しかし、社会的に観て同種の生物を殺すことが善となり得る時がある。それは戦争だったり、死刑だったり、安楽死だったり、君も知っての通りだ。では、同種の生物を殺すことの最大の目的は何か?それは、種の全体が居心地のよさを追及する為さ。だから、人は自らを不快にさせる自身や他者を殺すことを善と定義する時がある」
「まるで、カントとベンサムの対比ね」
牧瀬の言う通り道徳論には極論すると、2つの立場の考え方がある。
ドイツの哲学者であるカントは定言命法という言葉によって、善とは無条件になされるべきものと主張した。例えば、殺人はいついかなる状況に置いても誰もが無条件で否定すべき行為というこになる。一方で、イギリスの哲学者であるベンサムは功利主義という言葉によって、善とは快楽や幸福をもたらす行為だと主張した。そして、彼は最大幸福の最大幸福という考えを論じた。すなわち、個人の幸福よりも社会全体の幸福の総量が優先されるべき考え方だ。その考えに則ると、死刑とは、死刑囚という一人の幸福よりも被害者遺族という複数の人間の幸福を実現するゆえに、肯定されるべき行為となる。
「だけどね、カントもベンサムも好ましくはない」
「というと?」
「カントの道徳論は美しいけど、使えない。ある時、彼の道徳論をよく思わない人がカントにこんな意地悪な質問をしたんだ。家に殺人鬼がやってきて、家族の居場所を訊いたとする。もし、家族の居場所を教えてしまえば、殺人鬼はその足で家族を殺しに行くだろう。さあ、君は殺人鬼に何と答えるべきだろうか?とね」
「もしも素直に家族の居場所を答えたら、家族は殺人鬼に殺される。一方で、もしも嘘を吐いて家族の居場所を答えなければ、家族は無事だが嘘を吐くことになる」
「そう。そして、カントの道徳論に則って、嘘を吐かないことを善とするのであれば、今回の場合も私は殺人鬼に無条件で嘘を吐いてはいけないことになる。だが、そんなことをしたら家族は殺人鬼に殺されてしまう。だから、彼の道徳論は無条件で善を示せる点においては美しいけど、実際、社会の中では使えないんだ」
「じゃあ、ベンサムはなぜ好ましくないの?」
「ベンサムの道徳論は使えるけど、美しくない。こんなエピソードがある。1884年、南太平洋の沖合で沈没した船から、4名のイギリス人が救命ボートで脱出した。4名の内3名は、発見されるまでのひと月近い期間を命からがら生き延びた。一体、どう食料をつないだと思う?」
「残る1名の雑用係を食料とすることで、ぎりぎり命をつないだ、よね」
「そう、ベンサムの道徳論は多くの場合、大多数の人間に適応できる実用的な善を示すことが出来る。その一方で、例外的に少数者の人権を疎外するような結論を生み出すのさ。それが彼が公正さの原理が欠けていると批判された原因だ。ただ、後にこの考え方は彼の道徳論への誤解から生まれた批判だと分かるのだけど、話を分かり易くするために、今はあえてこの話は省こう」
「だから、ベンサムは使えないけど、美しくない、と」
「そうさ。まあ、人を食べた僕がいうセリフでもないか」
牧瀬はハハっとにこやかに笑った。
ここまでのカントとベンサムの道徳論は善悪を論じる際に、基本中の基本となる対立意見となっている。
要するに、絶対的な善は社会的に使いづらい一方で、社会的に使いやすい善は少数派を虐げるのだ。
そこで私はふと疑問が浮かんだ。
「じゃあ、貴方は何が好ましいというの?」
「答えはないけれど、僕はミルが好ましいと思う」