トルーマン・カポーティ
「トルーマン・カポーティは知っているかい?」
「ええ、勿論。映画で観たことがあるわ」
トルーマン・カポーティ。アメリカの小説家として芽吹き、彼の原作の映画である『ティファニーで朝食を』が大ヒット。その後、セレブの世界へと進出した彼は、当時では斬新なノンフィクション・ノベルという手法を用いて、加害者を含む事件の関係者にインタビューすることによって、事件の発生から加害者逮捕、加害者の死刑執行に至る過程を再現した小説『冷血』を発表した。この作品の取材中に、カポーティは加害者との交流を深めるが、「加害者を少しでも長く生きさせたい」という気持ちと「作品を発表するために、早く死刑が執行されて欲しい」という2つの感情の葛藤にさいなまれた。『冷血』はカポーティにさらなる富と名声をもたらしたが、以後、完成出来た作品は短編のみで長編小説を完成させることが出来なかったといわれている。
「彼は自分の作品を完成させる為に、時に加害者を欺き、時に彼らの為に涙を流した」
「そうして付けられた小説の名前が『冷血』。これは凄惨な殺人を犯した加害者に対するものともいえる一方、作品を発表する為に彼らを欺き、早期死刑執行を望んだカポーティ自身を指しているともいわれているわ」
「そんな彼が加害者の一人に同情して残した発言がある」
「確か、同じ家で生まれた。一方は裏口から、もう一方は表玄関から出た、だったわね」
「そう、君はまさにカポーティなんだ」
旧名牧瀬哲也と井之上静香の生い立ちは少し似通っていた。
牧瀬哲也は父親に7歳の頃から性的虐待を受けていた。その頃から、彼は性衝動と暴力衝動が結び付いた妄想を膨らませるようになった。そして、牧瀬が自殺未遂を起こした10歳の頃、牧瀬と共に暴行を受けていた母親が父親を包丁で殺害した。その後、独り身になった牧瀬は児童養護施設へと入所した後、不動産会社の社長の養子となる。12歳の頃、イギリスの私立中学校へ通うと、そのIQの高さが功を奏して、高校、大学と飛び級して、14歳の時にアメリカのマサチューセッツ工科大学を卒業する。その後、27歳に至るまで、世界各国の様々な名門大学院を転々と卒業してあらゆる分野の博士号を取る。
そして、去年、日本に滞在していた彼は近所の交番に出向き、自分が今まで4人の人間を殺害したことを自供したのだ。18歳の時にアメリカで一人、21歳の時にイギリスで一人、24歳の時に中国で一人、27歳の時に日本で一人、そのうちの一人が私の妹である井之上静香である。ちなみに、一時期はどの国で彼を裁くかで国際的に揉めに揉めたみたいだが、現在は彼の生まれ育った日本で刑の執行が委ねられることとなった。
ざっと、ここまでが彼の警察の取り調べで供述した事実と彼にまつわる情報の概要だ。だが、彼は肝心な異性との殺人について余り詳しく語ることはなく、その動機は現在も不明な部分が多い。
「君は僕と同様に性的虐待を受けて育った。そして、僕と同じように富も地位も名誉もある良識のある人間に拾われた。だが、君と僕ではその後の行く先は正反対だ」
「貴方は机上の学問の世界に没頭し、恋と殺人を長期に渡って繰り返した。一方、私は実践的な犯罪捜査の世界でキャリアアップを目指し、男社会の中で何人もの犯罪者を取り締まり続けた」
「そう、そして、君は僕と偽りの愛に基づいて結婚をして、三か月後に死刑が執行される。そして、僕の死後、君は僕とのインタビューを書籍化して全国へと出版する」
「なるほど、私はカポーティそのものね」
村瀬哲也は人間を4人も殺害し、食べてしまったのだから、死刑判決が下ることは間違いなかった。だが、なぜ執行猶予が一年も延びてしまったのかというと、彼の犯行が被害者の同意の元であった上に、世界各国で行われた事件だったので、各国の裁判所の意見を調停する必要があったからだ。だが、国際的に自国籍の犯罪が延々と議論されている状況に外交上の不利益を覚えた日本は彼の処刑に至る期間を特例で最短の4か月に設定したのだ。これは日本の司法事情、前代未聞の事態だった。
牧瀬は溜息を吐くと、宙を見上げて呟いた。
「ところで、静香さん、僕と君はどうして同じ家で生まれたのに、僕は裏口から、君は表玄関から出て行ったと思う?」
「そうね、肉親からの孤独、性衝動と破壊衝動の組み合わさった妄想、父親の不在、強烈な孤独感、大体この辺が揃っていたからでしょう?」
FBI心理分析官は連続殺人者の特徴を以下のように挙げている。知能は平均以上であり、家庭の所得も安定している。連続殺人者は8歳から12歳の間に親からの性的虐待受けて、次第に親からの孤独を性衝動と破壊衝動が組合わさった空想で埋め合わせていき、本来ならば父親がその全能感を否定する役割を果たすが、父親の不在によってその妄想は加速していく。そして、ある瞬間、強烈な孤独を感じる出来事を引き金として、その空想が現実に実現されると研究結果が出ている。
牧瀬の場合は、どれも当てはまっている。7歳の時から父親から虐待を受けて、次第に性衝動と破壊衝動の組み合わさった空想を膨らませていき、10歳の時に父親が母親に刺殺されてから、その妄想を諫める人間は身近に誰もおらずに加速する。そして、最初に彼が殺人を犯した18歳の時は、丁度、刑務所から出所した母親が自殺した時期と重なっており、この時、彼は強烈な孤独感を覚えて殺人に至ったのではないのだろうか。少なくとも、既存の枠組みに彼を当て嵌めてプロファイリングすると、そうなるし、きっと、犯罪心理学を学んだ彼はそのくらいのことは理解できているはずだ。
「そう、そのプロファイリングは正しい。でも、それは原因であって、理由ではない。この違い、分かるかな」
「原因は物事の客観的事象の起点に対して、理由は物事の主観的判断の起点となる」
「そう、簡単に言うと、そのプロファイリングには僕の意思が抜け落ちている。まるで、ビリヤードの球をキューで突いたら後は物理法則に則ってどこに球が弾け飛ぶのか結果が決まっているかのように、唯物論的な見方なんだ」
「じゃあ、貴方は自分の殺人が貴方の合理的な判断基づいてに行われたとでもいうの?」
「静香、君が僕に今回の事件について聞きたかった点は、本当はそこなんだろ?」