獄中結婚
「返事は?」
牧瀬は私に期待で瞳を輝かせて返事を求めた。
自分の最愛の妹を食べ殺した凶悪犯罪者の獄中プロポーズ。
普通なら、ふざけるなと一喝して終わりだろう。
しかし、私の回答は決まっている。何も迷うことはない。
「ええ、勿論オッケーよ」
ガタッ。面会室の隅で手記を録っていた看守が思わず椅子をずらして私の方へと振り返った。
私は軽く手を挙げて看守に大丈夫だと合図を送った。看守は私を二度見すると、再び手記を録る姿勢に戻った。
すると、牧瀬は喜ぶ素振りを一切見せず、舌打ちして不貞腐れた表情を浮かべた。
「ま、そういうよね。だって、僕は牢屋の中だし、いずれ死刑になる身だ。そんな僕から情報を聞き出す為だったら、形式的な結婚ぐらい厭わない。そういうことだろ?」
「ええ、そうよ。貴方がそれで自分のことを包み隠さず話してくれるならね」
「じゃあ、契約成立だ」
「望むところよ」
こうして、私こと井之上静香と私の最愛の妹を食べ殺した連続食人事件の犯人である牧瀬哲也は結婚することになった。
これが悪魔の契約なのか天使の契約なのか、まだ誰も知る由はない。
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牧瀬哲也と獄中結婚が行われた。勿論、それは華々しく結婚式で盛大に祝杯を挙げるようなものではなく、事務的に戸籍上の配偶者の欄にお互いの名前が刻まれるだけでしかなかった。
確かに、私は牧瀬哲也に興味がある。しかし、それは妹への羨望から来るものなだけで、牧瀬哲也という人間そのものには大して関心がない。仮に妹が田中太郎という人間に好意を抱いていたとしたら、私はその田中太郎という男に興味を抱くだろう。要するに、妹の欲望を欲望しているだけで、純粋に牧瀬哲也という人間そのものには大した興味などないのだ。そこは重要な分水嶺だ。
今から、私は牧瀬と3度目の面会を開始する。しかし、今までと違う点が2つある。1つ目は、私と牧瀬が結婚したということ。2つ目は牧瀬の死刑判決が可決したということ。そんな生と死を見事にコントラストする出来事が同時発生する彼の人生は数奇なパラドックスといえた。
ガチャ。面会室の扉が開く。牧瀬は入室と同時に、ニッコリと笑みを浮かべていた。
例によって、牧瀬はパイプ椅子に座らせられると、看守の合図とともに彼との面会が開始された。
「静香さんの性を預かるなんて、思ってもいなかったよ」
牧瀬との結婚において、私は牧瀬の姓を貰わず、むしろ、彼に井之上の姓を授けた。つまり、夫婦別姓が認められていない日本において、私の夫である牧瀬哲也は井之上哲也になったのだ。
「本当ね。まさか、警視庁長官の娘の夫が連続食人事件の凶悪犯だなんて、世界各国のメディアやSNSは話題沸騰よ」
「よく君の父はそれを許したね。それに、君自身も」
「ええ。公式の記者会見では、こう説明したわ。私、井之上静香は凄惨極まりない連続食人事件の犯人である牧瀬哲也のプロファイリングを行う為に、被検体の死刑が執行されるまでに、被検体の提示する結婚という条件を承諾することによって、今後の凶悪犯プロファイリングの一助に貢献する所存である、と」
「被検体、被検体って、よっぽど、メディアを通じて僕と親密な関係であることを疑われることが怖いんだね?」
「そりゃそうよ。私と父親のキャリアがかかっているもの。まあ、SNSおよびメディアでは井之上静香はストックホルム症候群に罹っているのではないか?犯罪心理分析官と連続食人犯の禁断の恋か?とまで変な噂が広がってはいるわ」
ストックホルム症候群とは、誘拐や監禁などにより拘束下にある被害者が、加害者と時間や場所を共有することによって、加害者に好意や共感、さらには信頼や結束の感情まで抱くようになる現象を指す。まあ、頭脳明晰、容姿端麗な彼の姿を考慮したら、私が彼に惚れこんだ可能性を疑われても無理はない。
「ところで、警視庁長官の君の父はどう反応を示したんだい」
「勿論、父には内緒よ。私の独断で決めたわ。記者会見を行った後日、父と会ったら、普段はポーカーフェイスなあの人の顔色が唇まで真っ白くして真っ青になっていて、笑ってしまったわ。まるで、ちびまる子ちゃんの藤木君みたいでね」
「ハハ!!静香の喩えは秀逸だよ」
気が付けば、私は家にいるかのような気楽さで冗談を飛ばしていた。
だが、牧瀬が無邪気に笑っていたので、それもよしとした。なぜなら、犯罪心理捜査の一環として冗談を言い合える関係性になることは親密度が高まり相手の自己開示率も高められるからだ。
「けれど、父に私の妹を殺した犯人をプロファイリングする使命感および今後の異常犯罪捜査の一助となるプロファイリングをする熱い想いをぶつけたら、渋々だけど納得してくれたわ」
それを聞くと、牧瀬は眉を潜めて、わざとらしくカッーーーと声をあげた。
「また静香は嘘ではないけど本当でもないことをいっているね。君は僕に対する心理捜査の一環を著書に書き留めることを父親と約束したのだろう?なぜなら、ここまで世界各国のメディアやSNSで話題沸騰したんだ、君が今回の一連の面会記録をまとめて著書を出せば確実に全世界で売れるし、自分の妹を殺された君が国の為に、いや、世界の為に犯罪捜査に打ち込んだとなれば、犯罪心理分析捜査官である君もそれを許認した警視庁長官の父親も歴史に名を刻むことが出来るからね。それは最高のキャリアプランといえるよ」
「確かにそうね。けれど、正直、そんなものは後付けよ」
「後付け?」
私は意図的に会話に緩急をつけるために、姿勢を正して、表情を硬くした。
「私にとって、貴方とこうして対話するのは使命感なの。それは2つの意味においてよ。春香の姉として、なぜ妹は貴方に命を捧げたのか、そして、犯罪心理分析官として、二度と妹のような犠牲者は出さない為に、よ」
「ふーん。静香さんは本当に女性的だよね。嘘ではないけど、本当でもない建前を信じる自分が好きだね」
「なんですって?」
私は怒りを露わにしそうになって、グッと堪えた。ここで怒るようなら、初回の面会の二の舞だ。
「ふふ、笑った静香さんも素敵だったけど、怒った静香さんも魅力的だね」
「バ、バカにしないで」
不意に投げ込まれる甘い言葉にむず痒さを感じた。なるほど、この男はこうして様々な女性を虜にして、食人してきたのだろう。油断は禁物だ。