私が牧瀬哲也を男として意識している可能性
「私が牧瀬哲也を男として意識している可能性か」
私は真っ暗闇な寝室のベッドの上で仰向けになりながら呟いた。
牧瀬の私に対するプロファイリングは恐ろしいくらいに当たっていた。
私は妹の井之上春香に嫉妬していた。彼女が太陽なら私は月。楽観的な妹に対して、悲観的な私は春香のことをいつも羨ましいと思っていた。
それは姉妹ならばごく当たり前な感情なのかもしれない。なぜなら、姉は妹より年長者として大人のように振る舞う使命を課せられるからだ。
しかし、私たちが一般的な家庭で育っていないことがそのことに拍車をかけた。牧瀬の述べた通り、私は父親に対して性的虐待を受けて育っていたからだ。
幼い頃から父親が私を見る目はどこか変だった。日常の中の過度な身体へのスキンシップ。一緒にお風呂に入った小学4年生の夏。もう一人でもお風呂に入れる歳というのに、不自然に一緒に入ることをせがまれ、入念に乳房や性器を洗われた。そして、思い出すだけでも汚らわしい、小学6年生のある日曜日の昼下がり。母親がデッサンの習い事をして外出している時に、私はあの父親に押し倒されて、私室でレイプされた。勿論、最初は抵抗した。しかし、このことをばらしたら、春香にも手を出し、母親と離婚してやる、そしたらお前らは生活できずに路頭に迷うことになるぞと脅されて仕方なく行為を受け入れてしまったのだ。今思うと、母に事実を告げて、国の生活保護や母方の実家の支援を受ければ、あんなクソ男とセックスせずに済んだ。だが、当時の幼い私は、あの男の暴力的な威圧感への恐怖、そして、何より大切な妹や母親を守りたいという一心で身を捧げてしまったのだ。
それからというもの、重度の鬱病を患いリストカットを繰り返していた中学二年生の私は自殺を決意した。なぜ、私だけ周りより汚れているのか、そんな私は生きていてよいのか。そんなことを24時間毎日のように考えていたら、自然と私の足はマンションの屋上へと向かい、コンクリートを見渡して涙を落していたのだ。しかし、宙に身を預けようとした直前、地上で娘を肩車して楽しそうにはしゃいでいる親子を見かけて思いとどまった。
私はバカだ。大バカ者だ。なぜ、あのクソ男の為に私が死ぬ必要があるのか。私は何も悪くない。なぜ善良な私が死んで、あの大悪党のクソ男が生き残るのか。この世には神も仏もいないのか。ならば、この傷だらけの腕でこの運命を変えて見せる。たとえそれが家族の平和を壊すことになったとしても。
そう思考をした瞬間、私は自宅へと鬼の形相で駆け戻り、母へとあの男の悪事を密告した。
しかし、人間万事塞翁が馬。そうしてこの事件をきっかけに事情聴取を伺いに来た警察と母は恋に落ちて結婚したのだ。その男が現在の父、井之上重次だ。この事件の直後、結婚を境に、元々の優秀だった彼は守るべきものが出来たからか、気が付いたらあれよあれよと出世に出世を重ねて、警察庁長官へと昇りつめたのだった。
そんな市民を守る仕事を全うし続ける父親を私は心の底から尊敬した。私もこの人のように立派になりたいと本気で思った。だが同時に、身体に染み付いた男性恐怖は中々拭い去れなかった。それゆえ、牧瀬哲也の言う通り、私は現在の父親に必死で認められたいという気持ち、そして、世の男たちと肩を並べて仕事できるような強い人間になりたいという気持ちを同時に抱いた。そう考えると、犯罪心理分析官になった私の動機は、凶悪犯罪を阻止したいという純粋な正義感というよりも、あのクソ親父に与えられた男性恐怖というトラウマによってのみ定義されるものなのかもしれない。
そんな歪な経歴やパーソナリティーを持って育った私だからこそ、私とは異なる華やかな世界線を歩む妹が羨ましかった。そして、私の中の妹への羨望が無意識に牧瀬哲也という男に興味を抱いたきっかけになったとでもいうのだろうか。
・・・正直、認めたくないが、その感情は私の中で間違いなくあった。最愛の妹を殺した相手を許せないという感情と共に、最愛の妹が命を捧げてまで恋した男を一目見てみたい。そういう好奇心が私の中にあった。正直、そんな感情は認めたくなかった。しかし、犯罪心理分析官として不合理な凶悪犯の感情に理屈を付けて理解する癖がある私は、苛立たしいが素直に、そんなグロテスクな自分の感情を受け入れることにした。そうしなければ、犯罪心理分析を一歩前に進めることは出来ないからだ。
なるほど、牧瀬哲也という男は私が彼に面会する動機のおかしさを指摘することによって、私に心理的なパニックを起こさせて、自分のペースを作り上げたのだ。まんまとあの食人男に食わされたということだ。改めて振り返ると、今回の件は犯罪心理分析官として情けないばかりだ。
しかし、私が牧瀬哲也という男に興味を持った理由はそれだけではない。そして、その時、私は閃いた。
「そうだ。この手があった」